【122:なんでまた急に?】
「あの、所長……ぶっ倒れるのは別として、俺たちに遠慮してるなら気にすることないですよ。せっかくの祝勝会だし、気にせず飲んでください。もしも所長が酔い過ぎたら、なんなら俺が家まで送って行きますから」
俺がこのセリフを吐いた瞬間。
なぜかほのかも所長も、そしてルカまでもが。
まるで『ピッキィィィンッ!』って音が聞こえるくらいに、みんな揃って凍りついてしまった。
──しまった。
俺、なにかマズいことを言いましたか?
別にそんなことないよな……?
上司が部下に気を遣って、飲むのを控えている。
それを安心してもらうために、万が一酔い過ぎたら家まで送って行くと俺は言った。
ちゃんと上司を気遣った発言のはずだけど、なんでみんなが固まってるんだ?
──あ、そうかわかった。
上司からしたら部下に頼るなんて、恥ずかしいことだからだな。
特に神宮寺所長はしっかりとしているし、ましてや女性だし、酔って部下に頼るなんてやっぱり恥ずかしく思うだろう。
そんな発言をした俺に、ほのかもルカも『気遣いが足りない!』って呆れてるに違いない。
いや、それとも……上司とは言え、女性を家まで送っていくなんて発言。
これをセクハラと捉えられたのかもしれない。俺はもちろん、まったく下心はないのだが。
この三人の雰囲気を見れば、どちらにしてもマズい発言だと思われてるのだろう。
「すみま……」
俺が所長に謝ろうと思ったら、それよりも先にほのかが所長に向かって口を開いた。
「うん、やっぱり所長は飲み過ぎない方がいいねっ! うんうん、そうだそうだ。送ってもらわなきゃいけないほど、飲んじゃダメ、ゼッタイ!」
なぜかほのかは身を乗り出して、所長に顔を近づけて力説してる。
鼻から「ふんが、ふんが」と荒い息が出る勢いだ。
「あ、わかってるわよ……」
所長は苦笑いを浮かべて、上半身を引いてる。
そりゃ、あんなに勢いよく迫られたら引くよな。
「おいおい、ほのか。所長がめっちゃ引いてるじゃないか。さっき『ぶっ倒れてもいいから飲んでください』まで言ってたくせに」
「あううっ……さっきのは失言ということで」
ほのかがしれっとそんなことを言うので、ちょっと戸惑ってルカを見た。
「そうですね。お酒を無理強いするのはよくないと、私も思います」
──うん、的確で優等生的なお言葉だ。
でも所長が周りを気にしすぎて、好きなお酒を我慢するのもかわいそうだしなぁ。
「あ、みんなごめんね。せっかくの楽しい飲み会なのに、気を使わせちゃってるわね」
「ん〜それは別にいいんだけどさ所長。でもちょっと不思議なんだよねぇ」
「何が?」
「だって所長は今までお酒を飲みすぎて記憶をなくすことはあったけど、ちゃんと帰れてたし、それでトラブルになることはなかったでしょ? なんでまた急に、そこまでアルコールを自制するの?」
「え……? あ……」
所長が固まった。
そう言えば……以前所長と二人で飲んで、酔い潰れた所長を俺が最寄り駅まで送っていったことも、出張先で同じ部屋に泊まって所長が酔って転んだことも、ほのかとルカには内緒にしてるんだった。
俺はそれを知ってるから、なんの違和感もなく所長が飲み過ぎを自重するという話を受け入れたけど、他の二人にとっては唐突な話に聞こえるよな。
「あ、わかった! 最近なにかお酒を飲みすぎて失敗したんでしょ?」
──うわ、ほのか鋭い!
「いえ、そんなことは……」
「もしかして、酔っ払った勢いで服を脱いじゃったとか?」
──いや、全然鋭くなかった。
「そんなことしないわよ」
「そうですよほのか先輩。所長がそんなことするはずがないですよ」
「そっかぁ……じゃあ酔いすぎて、送られ狼になっちゃったとか?」
「なによ送られ狼って?」
「それはアレよ所長。酔って男性に送ってもらって、『ああん、私酔っちゃった〜』とか言って、ムフフに持ち込むヤツ」
ほのかは所長の肩を指でツンツン突いてる。
所長は固まってる。
前に家まで送って行った時の翌朝は、ほのかのツッコミに冷静に対処してたのに、今日の所長はどうしたんだろう?
いやそんなことより、ほのかとルカに変な勘ぐりを入れられたらマズい。
「なあほのか。そんな発想がすぐ出てくるってことは、お前がそういうことをしてるってことだな?」
「え……? いやいやいや、待ってよひらりん! あ、あたし、そんなことしてないからっ!」
ほのかは突然ガタっと椅子の音を立てて立ち上がった。
両手を顔の前でぶんぶん横に振って、全力で否定してる。オロオロしてるし、怪しいなこいつ。
ジト目で見てたら、ほのかはさらに言い訳を重ねてきた。
「そもそもそんなことをしなきゃいけない相手なんかいないんだからね!」
「なるほど。そんな手を使わなくても、ほのかはモテるからなぁ。好きな相手がいたら、普通に付き合えるだろうし」
「ひゃぅ! あ、いや、そうじゃなくてね、ひらりん!」
焦りすぎだぞほのか。
ひゃぅって声と、アワアワした顔が面白すぎる。
思わずウプッと笑ってしまった。
「だだだ、だから! そこ笑うとこじゃないからっ!」
「あの……ほのか先輩、落ち着いてください。ほのか先輩がそんな手を使うなんて、誰も思っていませんから」
「あ……だ、だよね。さすがルカたん!」
うん、さすがルカだ。
丸く収まった。
「みんな心配させてごめんね。私も飲むのを抑えすぎてたわね。せっかくの場だし、確かにもうちょっと飲んでも大丈夫よ」
「だよねだよね、所長! ヤバいラインが10だとしたら、8くらいまでなら飲んでも大丈夫!」
「えっと……5か6のラインにしとくわ」
まあそれが無難なラインだよな。
さすが慎重な所長だ。
──なんて思ってたから。
所長が飲むペースを上げて、ちょっと目が座ってることに、俺はなかなか気づけなかった。




