【121:所長がなぜかセーブしてる】
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ルカがお店を予約してくれて終業後に四人でやって来たのは、志水駅にほど近い場所にあるお洒落なイタリアンレストラン。
店内の壁は白い手塗りの漆喰、インテリアは幾何学的なデザインでお洒落。
そう。三人が俺の歓迎会をしてくれたお店だ。
たかだか半年前のことだったけど、ここに来るのはあれ以来。
店構えを目にした瞬間、懐かしいなと思った。
「かんぱぁーい!」
四人でグラスをカチンカチンと合わせる。
四人掛けのテーブル席に、俺とその隣にルカ。
向かい側に所長、そして斜め向かいはほのかが座る。
俺はビール、神宮寺所長は甘めのカクテル、ほのかはワイン、ルカはウィスキー。
いつものそれぞれの好みの酒を飲む。
「ぷっはぁ〜うんめぇ〜」
「こらほのちゃん。なによそのオッサンみたいなセリフ」
「だって美味しいんだもーん」
「ところでほのか先輩。飲んでるのワインですよね? 『ぷっはぁ〜』ってなんですか? ビールじゃあるまいし」
「そうだけど。この方が『お酒を飲んでる!』って感じがするでしょ」
ほのかのバカな話に、俺も含めてみんなでゲラゲラ笑った。全員すこぶるご機嫌だ。
そりゃそうだな。
半年前には到底無理だとみんなが思っていた目標を達成した。
しかも今はメンバー同士の関係も良好で、社内の雰囲気もいい。
だからこの酒が旨くないはずがない。
みんな上機嫌でわいわい言いながら、いつも以上に酒が進む。
そして全員、いつも以上に早く酔いが回ってるように見えた。
いや……神宮寺所長だけはそうでもないな。
向かい側に座っているから、なぜかあまり酒が進んでいないのが目に入る。
体調でも悪いのかな?
「どうしたんですか所長」
「え? なにが?」
「あんまり飲んでないですよね」
「あ、ああ。そうね」
「体調悪いんすか?」
「いや別に……そんなことないわよ」
確かに体調が悪いようには見えないな。
「じゃあ飲みましょうよ」
手を伸ばし、テーブルの上に置いたままの所長のグラスを持ち上げて手渡した。
「はい、どうぞ」
「あ、いえ、私は……」
戸惑う顔でグラスを受け取った所長は、チビリとだけグラスに口をつける。
そんな所長を見て、ほのかが横から上半身をグイッと所長に寄せてきた。
「ええ〜っ、どうしたのぉ、しょっちょお〜っ! 飲もうよぉ~」
ほのかは顔が真っ赤で表情が緩んでる。
やや呂律が怪しく、絡むような口調。
くねくね上半身を揺らしてる。
うん。絵に描いたような酔っ払いだ。
「飲んでるわよ」
「ええ~っ、いつもの所長からしたら、全然飲んでないしぃ~」
「いいのよ私は。あまり飲み過ぎないようにしてるの」
「へっ……?」
意外な所長の言葉に、それまでくねくねと動かしていたほのかの身体がぴたりと止まった。時間停止の魔法でもかけられてみたいで、おかしくて笑える。
「しょちょー……どっかで頭を強く打ったりした……?」
「なんでよっ? 打ってないわよ!」
「いや、そのせいで思考回路がおかしくなったのかと思って」
なんだそれ。
ほのかの発想が奇抜すぎて、よくわからん。
ルカもきょとんとして、不思議な物体を見るような目でほのかを眺めてる。
「あ、わかった! 所長、失恋でもしたんでしょ!」
「え? あ、いえ、そそ、そんなはずないでしょ!」
「あれ? 冗談で言ったのに、なんで焦ってるの?」
「焦ってなんかないわよ! 失恋以前に、私が恋をする機会なんかないし」
「そりゃそうよねぇ。所長って仕事一本で、恋する暇なんてないもんねぇ」
「こらこらほのちゃん! そんなセクハラみたいなこと言わないで!」
ほのかは上司に向かって、なんてことを言うんだ。
自由奔放すぎて、こちらがハラハラする。
神宮寺所長は俺をチラッと見た。
この困惑した表情。
所長は俺に何を言いたいのか。
想像するんだ……
なるほど。これは……きっと助けてほしいって視線だな。
「なあほのか。やめとけ。所長に失礼だぞ」
「大丈夫大丈夫! だって所長は恋人ができないんじゃなくて、恋人を作ろうとしないだけだから。あたしが言ってるのが冗談だって、所長もわかってくれてるから!」
そ……そうなのか?
「ね、しょちょー! その気になったらあっという間に彼氏なんてできる人だもんねぇ」
「なに言ってんのほのちゃん。私はそんなふうに、思い上がってなんかないからね。だけど今は仕事に打ち込んでるのは確かよ」
また所長がチラリと俺を見た。
やっぱり俺に助けを求めてるみたいだ。
「だからほのか。そういうことは言っちゃだめだろ。確かに所長はめちゃくちゃ素敵な女性で、いつでも彼氏なんてできることは間違ってないけどな」
突然「ほわっ……」って変な言葉が所長の口から漏れた。
うわ、しまった!
所長がこんな変な声を出すなんて珍しい。
俺の発言もセクハラだって思われたに違いない。
「あ、変なこと言ってすみません所長」
「ん……別に大丈夫よ。私は大人だからね……おほほ」
さすが所長。大人の対応で俺に気遣ってくれた。
「まあ、そんなことよりしょちょぉ~! 飲みましょうよぉ~」
「だからねほのちゃん。あんまり飲み過ぎてみんなに迷惑をかけないように、今日は気をつけてるのよ。あまりに楽しい飲み会だから、飲み過ぎたらヤバいでしょ」
──あ、そうだったのか。だから酒を飲むペースを意図的にセーブしてたんだな。
確かに所長は飲み過ぎると記憶を無くしたりするけど、でもそんなこと気にし過ぎる必要はないのに。今日はせっかくの祝勝会兼決起会なんだから。
「なに言ってんのよ所長。大丈夫大丈夫! 今までだって、たくさん飲んでもちゃんと家に帰れてるんだから」
「でも私は上司だから、ちゃんとした姿をみんなに見せないとダメだからね」
そっか。さすが所長だ。
「ほら。ひらりんも、遠慮してる所長にお酒をお勧めしてよ! 『ぶっ倒れてもいいから飲んでくださいよ!』って。ニヒヒ」
なんだよ、ニヒヒって。
所長を酔いつぶれさせて、面白がろうとしてるな。
でもせっかくの祝勝会兼決起会で、遠慮してる所長が気の毒なのは確かだ。
「あの、所長……ぶっ倒れるのは別として、俺たちに遠慮してるなら気にすることないですよ。せっかくの祝勝会だし、気にせず飲んでください。もしも所長が酔い過ぎたら、なんなら俺が家まで送って行きますから」
俺がこのセリフを吐いた瞬間。
なぜかほのかも所長も、そしてルカまでもが。
まるで『ピッキィィィンッ!』って音が聞こえるくらいに、みんな揃って凍りついてしまった。
──しまった。
俺、なにかマズいことを言いましたか?




