第三十五話 ビバ! 宝島!? ①
「こ、これは……ほ、本気で此処を航行しろと?」
長年ロックモンド財閥の輸送事業に携わって来た艦長は、眼前に広がる地獄絵図を目の当たりにし、唖然とした顔で雇用主にそう問うしかなかった。
「う~~ん……確かに圧巻の光景だけれども、ゲストの姫君がゴーサインを出しているからねぇ……」
しかし、何処か投げ遣りにも聞こえる言い方だが、ジュリアンの表情からは臆する様子などは微塵も見受けられず、これは冗談の類ではないのだと艦長は判断せざるを得なかった。
しかし……。
(本気か? 幾ら何でも……これは……)
ゴクリと喉を鳴らして額に滲む汗を拭った艦長は、艦首前方に拡がる怖気が走るような光景に再び目をやる。
財閥グループ内で運用される新しい輸送部門に於いて実働部隊の統括を任された彼は、軍組織に譬えれば艦隊司令官に相当する、経験と技能を持ち合わせた優秀な男だ。
ジュリアンの乗艦の艦長を務めた経験もあり、個人的に深く信頼されてもいる。
だからこそ、彼は年若い総帥に敬意と忠誠を誓っているのだ。
それ故に『君を信頼しているからこそ、今回の仕事の本当の目的を知って貰いたい』、とジュリアンから意味深に囁かれた時には、如何に困難極まりない仕事でもやり遂げて見せると決意を新たにしたのだった。
しかし、目の前に拡がるエスペランサ星系へ通じる唯一の入り口は、目を覆わんばかりの荒れ模様を呈しており、とてもではないが船舶が航行できる余地があるとは思えない有り様なのだ。
(複数のブラックホールの多重影響下にあって、完全航行不能領域に囲まれたエスペランサ星系への出入り口は此処だけだが……以前通過した時とは明らかに様相が一変しているぞ?)
袋小路に譬えられる星系への入り口周辺は、至る所で次元崩壊のバーゲンセールが開催されており、まともな神経の持ち主であれば、絶対に避けるであろう難所と化している。
仮に乱造される次元断層群を突破できたとしても、その先に続く星系入り口は、計測不能なほどの磁気乱流が吹き荒れていると観測データーが示しており、突入と同時に航行不能に陥るのは火を見るよりも明らかだった。
大概の事には怯まない彼も好んで自殺したい訳ではないし、何よりも艦と乗員の安全を犠牲にしてまで冒険に挑む……。
そんな蛮勇など持ち合わせている筈もない。
長年培って来た信念に従って、彼は忠誠を誓った主に対し無謀な突入を回避するべく意見具申しようとしたのだが……。
「部下の方を揶揄って楽しむなど……上に立つ者として不謹慎ではありませんか?ジュリアン総帥」
透き通るような美声に少々の呆れを滲ませたサクヤの言葉に阻まれ、喉まで出掛かった言葉を呑み込まざるを得なかった。
苦言を呈されてバツが悪そうに首を竦めて苦笑いするジュリアンを見た艦長は、漸く自分が揶揄われていたのだと知り、口をへの字に曲げるや、悪戯坊主の本性を露にする総帥を睨みつける。
(そうだった……この御方はこういう人だった。私とした事が失念していたよ)
彼はそう憤慨したのだが、深々と頭を下げたサクヤから謝罪されれば恐縮せざるを得ず、怒りの感情は急速に萎んでしまう。
「この場所に到達するまで、何も御伝えしなかった無礼を御許しください。現在、目の前で起きている現象は、すべて人為的に引き起こされているものに過ぎませんので、どうか御安心下さいますように」
「こっ、これが!? 人為的現象ですとっ!? そんな馬鹿なッ!?」
俄かにはその言葉が信じられず、艦長は驚愕に見開かれた双眸で彼女を見た。
「信じ難い光景ではありますが、あの航路を塞ぐように頻発している次元崩壊も、磁気乱流の大嵐も人工のものであり、我がアルカディーナ星系への不当なる干渉を阻む為の強固な城塞の役目を果しているのですわ」
全ては先史文明の遺産と、それを蘇らせたヒルデガルドの技術の賜物なのだが、その事を知らない艦長には神の御業としか思えず、サクヤの説明に唯々茫然と頷くしかない。
すると喜色を浮かべた顔のジュリアンが、惚けたままの彼に言葉を投げ掛けた。
「揶揄う気はなかったんだが、最後に確かめておかなきゃならない事があってね」
この即断即決を好む総帥にして滅多に口にしない勿体ぶった前置きに、唯ならぬ雰囲気を感じ取った艦長は居住まいを正す。
その判断は正鵠を射ており、一切の笑みを掻き消したジュリアンから、選択肢を突き付けられたのである。
「この先に進めば、君もこの艦の乗員らも自動的に僕らの企みに加担することになる。だが、一旦同じ船に乗った以上は、如何なる理由があっても途中で降りる事は許さないし、最悪の場合は命を賭けて貰う事態も度々起こり得るかもしれない……それでも僕について来てくれるかい?」
それは長年実直に仕えてくれた艦長に対する、ジュリアンなりの気遣いだった。
白銀達也の志に賛同し協力するという事は、巨大な銀河連邦そのものを敵に廻す暴挙に他ならない。
ジュリアン自身ですら明確な航路も見いだせない中、その航海を共にするか否かの選択権ぐらいは与えるべきだ……。
そう思ったが故の問い掛けだった。
仮に断られたとしても艦長を怨むつもりはないし、口の堅い彼ならば秘密を吹聴する心配もないと確信してもいるが、この様な“後出しジャンケン”だと非難されても仕方がない遣り方を含め、全てを許容してくれるとの確信があるからこその人選でもある。
だからこそ、この男を今回のセレーネ星訪問の艦長に抜擢したのだ。
申し出を拒否された場合は、統括責任者を別の者に差し替えなければならないという問題が発生するのだが、それは全くの杞憂に終わった。
「何だ……そういう話でしたか。総帥も御人が悪い。今回の役職に抜擢して戴いた席で『未踏破領域の探査行も辞さない!』と大法螺を吹きましたからねぇ。今更『やめます』では格好がつかんでしょう?」
そう言って口元を綻ばせた艦長は、彼なりの矜持に則って、変わらぬ忠誠を誓うのだった。
「総帥の御命令とあれば、喜んでこの命を差し上げます。貴方様がそこまで覚悟を決めて臨まれる戦いに参加できるなど光栄の極み……地獄の果てまでお供いたしますから、どうか存分にこの身を御使い下さい」
彼の言葉に安堵したジュリアンが無言で頭を下げて謝意を伝えるや、必要な儀式を終えたと理解した艦長は表情を引き締めてサクヤに問い掛ける。
「星系に侵入するには、如何なる方法があるのでしょうか? あ~~そう言えば、私はまだ貴女様のお名前を伺っていませんでしたね。総帥から『秘匿事項だ。詮索するな』と釘を刺されていたものですから……」
「これは失礼しました……私はサクヤ・ランズベルグと申します。白銀達也提督の大望に共感し、彼の御手伝いをさせて戴いている者ですわ。今後は何かと御力添え戴きましょうほどに、どうかよしなにお願い致します」
優雅な所作で一礼する女性の正体を知った艦長は絶句するしかない。
彼の七聖国の一柱、ランズベルグ皇国の第一皇女殿下であり、『朝露の妖精』の愛称で広く臣民に親しまれている姫君だったとは……。
だが、軽々と驚き慌てる様を晒そうものなら、悪戯好きの主に美味しい餌を与えてしまう……。
そう思った艦長は努めて平静を装い、深々と頭を下げて礼を尽くすのだった。
「初めて御意を得て光栄の極みであります。私はマーティン・サンライトと申します。以後お見知りおきを」
「こちらこそ……サンライト様の御力を御貸し下さいますよう御願い致しますわ」
双方共に如才ない挨拶を交わしてから本題に移る。
サクヤは右手首で光る質素な拵えのブレスレットを軽く左手で撫でた。
すると、どうだろう。
艦首前方で新たな次元結節点の崩壊が始まるや、粒子流が激しく渦巻く不気味な開口部が出現したではないか……。
あまりの超常現象を目の当たりにしたマーティンは、その異様な光景に息を呑むしかなかった。
「あれがアルカディーナ星系への入り口であり、主星セレーネの至近宙域まで転移できる次元トンネルです。ものの十分ほどで次元回廊を抜けますので、通常空間へ出る際の艦速に御注意下さい」
サクヤは粛々と説明したが、見るからに地獄への入り口としか思えない存在に、ブリッジの面々は腰が引けてしまう。
しかし、マーティン艦長は臆さず、然も当然の様な顔で指示を下した。
「取り舵三度。両舷微速前進。座標S三〇の回廊入り口に突入する。回廊離脱後の艦の状態に留意せよ!」
彼にとって悩む時間はとっくに終っていたのだ。
そして敬愛する主に信頼されて、新たな悪戯の仲間入りができたのが、何よりも嬉しかったのである。
◇◆◇◆◇
「おらっ! 急げ! 客人が到着するまで、もう時間がないぞ!」
コンバットスーツを纏ったバルカが声を荒げて急かすと、同じ装備に身を包んだ獣人の若者達が駆け足で送迎用デッキに整列する。
彼らがその身に着けている漆黒の軽装鎧は、梁山泊軍空間機兵団の正式装備であり、白兵戦に特化したカスタマイズが施されている優れものだ。
先日支給されたばかりの新装備一式をバルカらが纏っているのは、彼らが梁山泊軍空間機兵団の一員だと認められた証に他ならない。
鬱屈した思いと苛立ちに縛られていたバルカは、町を表敬訪問していたクレアら一行にその鬱憤をぶつけた際、彼女の護衛として同行していた志保にいとも容易く叩き伏せられてしまった。
子供の頃から体格に恵まれ、喧嘩で負けた事など唯の一度もない。
それが彼の自慢だった。
それなのに、自分よりも華奢な女に良い様にあしらわれた挙句、失神させられるという醜態をアルカディーナの民達の前で曝したのだから、意識を取り戻した時の悔しさと恥辱は、恐らく一生忘れられないだろうとバルカは思う。
翌日、呼び出されたのを幸いに雪辱を期してバラディースに乗り込んだものの、同行した仲間共々見事に返り討ちにされてしまう。
然も、全員で束になって挑んだにも拘わらず、志保ひとりにコテンパンにされたのだから、その悔しさは並大抵のものではなかった。
そして訓練場の床に倒れ伏して呻くバルカらを見下ろすその鬼女は、満面の笑みを浮かべて言い放ったのだ。
『何よっ!? 大の男が雁首揃えてこのザマなの? まあ、性根から鍛え直せば、案外良い兵士になるかもしれないけれど……よしっ! 決まったわっ! 今日からあんたらは私の部下よ。拒否権はなしっ! 心配しなくてもいからね。今は破落戸同然でも、私が一人前の軍人に仕立ててあげるから』
その一方的で理不尽な物言いに怒り心頭に発し反発したものの、それで志保との実力差が埋まる筈もなく、再度の災禍に見舞われた彼らは、自分達に選択肢はないのだと骨の髄まで思い知らされたのである。
こうして、バルカを筆頭に自警団所属の若手獣人三十人は、済し崩し的に全員が梁山泊軍に兵士として雇用されたのだ。
その日以来、彼らが志保の部下としてシゴキという名の厳しい訓練に明け暮れる羽目に陥ったのは言うまでもないだろう。
(死人が出ないのが不思議なぐらい訓練は厳しいわ、鬱陶しい規律を守れと五月蠅いわで『今日こそ絶対に辞めてやる!』……そう毎日考えていたっけな……)
そう回顧するバルカだったが、その表情は不思議と穏やかだ。
確かに辛く苦しい日々だったが、その中で得た経験で自分が強くなっていくのを実感した時、自分には軍という場所が合っているのではないかと思う様になった。
それは彼だけではなく、他の仲間達も同じだった様で、結局脱落する者は一人もおらず、全員が志保のシゴキに耐え抜いたのだ。
そして先日、新品のコンバットスーツを与えられたのを機に、晴れて正式に空間機兵団の団員と認められたのである。
同胞であるアルカディーナの民達からさえも忌避されていた彼らにとって、他者から認められたという事実は何物にも代え難い喜びだった。
それはバルカも同様であり、癇癪を起して辞めようとした自分を、この場に留まらせてくれた志保の言葉に心から感謝したものだ。
(あの言葉がなけりゃあ逃げ出していたな……そして、今も惨めな破落戸のまま、やり場のない鬱憤を持て余していた筈だ……)
そんな想いが脳裏に浮かんだバルカは、知らず知らずのうちに口元を綻ばせて、何処までも高いセレーネの蒼穹を見上げるのだった。




