第三十四話 果断 ①
今後セレーネ星や梁山泊軍の設定に於いて、御都合主義と批判され兼ねない話がチラホラと散見されるかと思いますが、作者はSF音痴のもの知らずだから……と御寛恕戴けたら嬉しいです。
「これよぉっ! これこそが食事なのよッ! アンタの料理最高よ、春香! あのクレアにも引けは取らないわ!」
「まあっ! 御上手ですわね♪ はい、プレーンオムレツが出来ましたよ。たんと召し上がって下さいな」
「ふぅわぁぁ~~んッ! ふわっふわの玉子焼きぃぃ──!! 詩織が作った謎の黒焦げ目玉妖怪とは大違いだわぁぁ! そこんとこ分かってんの? 詩織ぃ?」
つい先刻までの不機嫌さは何処へやら……。
美味しい食事にありついて感激の極みにある大精霊は、超常の存在たる矜持すら放棄し、春香自慢の手料理を貪り食っている。
尤も、痛烈な嫌味をサラリと付けくわえる性悪さは健在で、その対象者が本艦の艦長であっても遠慮しないのだから質が悪い。
「ぐぅっ!こっ、この我儘嫌味大王がっ!」
槍玉に挙げられた詩織は歯噛みして怨嗟の呟きを漏らすが、貴重な食材を炭化させたのは紛れもない事実なので、あからさまに反論もできない。
紅龍に設えられた食堂は清潔感漂う洒落た内装が自慢で、詩織ら女性乗組員からは高い評価を得ている。
そんな憩いの場に響く歓喜の声の主こそ『我儘で小五月蠅い奴が一匹』と詩織達から揶揄された精霊のポピーだ。
そして、今回の航海中ずっと耐え忍んできた不満から解放された上級精霊様は、至福のひと時を満喫している真っ最中だった。
メッセンジャーとして各地を巡り、重要人物と会談を持つのが今回の主たる任務だったが、同時にヒルデガルドが急遽開発し、イ号潜“紅龍”に搭載された新型特殊レーダーの性能試験も最重要事項として託されていた。
アルカディーナ星系に蔓延する、レーダー波を阻害する性質を持つ粒子の嵐の中に於いて、精霊達の思念派を利用した新型レーダーが効果を発揮するか否か?
この試験の成否が、今後の梁山泊軍の命運を大きく左右すると言っても過言ではないのだ。
それ故にポピーが精霊代表として同行してくれたのだが……。
夕食の時間には些か早い食堂で、涙ながらに春香の手作り料理を貪る大精霊様は、実は航海の間中ずっと不機嫌だった。
曰く『食材の原型も留めていない不気味な物を私に食べさせる気なの?』とか、『こんな理不尽な扱いじゃ、やる気が出なぁい!』とか、『約束がちがぁぅっ! 他の精霊達もがっかりして誰も協力しないかも!』等、ぶーぶーと苦情を並べては悪態をつき、詩織らを辟易させていたのだ。
その原因は長期航海を余儀なくされている艦内の食料事情にあった。
セレーネ星を出発した時は明確な物資補給の目途が立っておらず、生鮮食料品を含む貴重な食材を大量に持ち出す訳にはいかなかったのだ。
そのため、バラディースに備蓄されていた、銀河連邦軍の艦艇で供される非常用の簡易携帯レーションで日々の食事を賄っていた。
しかし、精霊のポピーにはそれが不満だったらしく、四六時中文句を撒き散らしては、騒音公害の元凶と化していたのだ。
だから、地球を発つ時に信一郎に食料品を買い込んでもらって、少しでも状況の改善に努めようと考えたのである。
幸いにも料理上手の春香の奮闘もあり、ポピーの機嫌も大きく上向いて詩織達も漸くストレス塗れの生活から解放された筈だったのだが……。
機嫌が良くてもポピーはやっぱりポピーであり、その嫌味の矛先は専ら料理下手の詩織に集中し、終わりなき苦痛に苛まれ続ける彼女の忍耐がいつまでもつのか、他の乗員達は気が気ではなかった。
(が、我慢するのよっ、私ぃっ! 性能試験が終わるまでの辛抱よッッ! それが済んだら、あの羽虫を握り潰してもノープロブレムなんだからッ!)
過度の精神的苦痛の波状攻撃に晒される詩織は、薄ら笑いを浮かべながらそんな物騒な事を考えていたのだが、ポピーの言葉を受けた春香が嘆息するのを聞いて、一気に現実に引き戻されてしまう。
「ふうっ……本当にどうしてなのかしらねぇ……何でも人並み以上に出来るのに、料理だけが壊滅的に苦手だなんて……結構厳しく指導した筈なのにねぇ~~」
片手を頬に当て、憂いに翳る顔を傾げる妻に、信一郎も微苦笑して同意せざるを得ない。
「どんな天才にでも苦手はあるものさ。私はとっくに諦めているが、将来、詩織の旦那さんになる男には、少しだけ同情するかな?」
その絶望に彩られた両親の評価に対し、血相を変えた詩織は猛然と抗議する。
「お母さんッ! そんなに深刻な溜息を吐かないでぇッ! お父さんも全然ッ慰めになってないからぁぁ! 大体ねぇっ! こんな如何わしい謎生物を見て、少しは慌てるとか、怯えるとかしないのッ!??」
鼻息も荒い娘の追及にも両親は一向に動じる気配もない。
「そんなひどい事を言っては駄目よ。こんなに愛らしいのに。それに子供の頃から憧れていた妖精さんに出逢えたのよ? もう嬉しくて、嬉しくて♪」
「目の前の存在を否定するのは軍人として狭量だよ、詩織」
ファンタジー世界への憧憬からか、これからのセレーネ星での生活が楽しみだと言わんばかりの義母と、泰然とした態度で見当外れの説教を口にする実の父。
それを横目で見ながらオムレツを堪能する性悪精霊……。
その勝ち誇った顔が妙に腹立たしく、詩織は大いに嘆くしかなかった。
(む、昔から何処か夢見がちでピントがズレた二人だったけど……自分の両親が、ここまで能天気だったなんてぇ~~)
だが、一方的に悪者にされた儘では黙っていられず、眦を決した詩織は気分アゲアゲのポピーへ喰って掛かる。
「今日こそ言わせて貰うけどねっ! ポピー! あんた精霊の癖に我が儘が過ぎるわよ!? 物資が少ない中で皆が我慢しているのに、新鮮なものが食べたいだなんてっ……だいたいねっ、私達と同じ様に食事をするなんておかしいじゃないの? 普通、精霊とか妖精とかいう神秘なる存在は、それに相応しいものを糧にしているものでしょ─がッ!?」
しかし性悪精霊は詩織の言い分に『ふふんっ!』と鼻を鳴らすや、彼女の身体に合わせた小さな皿に盛られたオムレツを綺麗に平らげて宣う。
「認識不足ね詩織。千五百年以上も亜人達と暮らして来たのよ? 私達精霊だって嗜好は変化するし、第一に味気ない自然界の精気よりも、断然こっちのほうが良いに決まっているじゃない? 然も、春香やクレアの料理は別格よッ! これからの暮らしが楽しみで仕方がないわ! 尤もぉ~アンタの黒焦げ玉子の残骸に手を出す物好きなんて誰もいないでしょうけれどねェ~おっほほほ─ッ! 精々精進なさい詩織ぃ。無知無能は罪なのよぉっ!」
浮かれて勝利宣言を口にし、ぺったんこの胸を反り返らせて高笑いする大精霊に対し、詩織の中でどす黒い殺意が芽生えた時だった。
『艦長。偵察に出ている真宮寺中尉から緊急連絡が入っています』
「そう……分かった、直ぐに行くわ! 大精霊様ぁ~~どうやら出番ですわよ! 暴食して喰い散らかした分ぐらいは働いて貰いますからねぇッ!」
事態が動いたとの報に舌を弾いた詩織は、満腹で動きが鈍ったポピーを片手で鷲掴みにするや、脱兎の如く食堂を飛び出したのだった。
哀れな性悪精霊の悲鳴を木霊させながら……。
「うぷっ! お、お腹っ! お腹を握らないでぇぇぇ! 出ちゃうぅぅぅ!」
◇◆◇◆◇
ブリッジに駆け込んだ詩織の目に飛び込んできたのは、メインスクリーンに投影されている航宙艦同士の戦闘映像だった。
「これはっ!? 一体全体どういう状況なの?」
手に握り締めていたポピーを解放したのと同時に、娘の後を追って来た信一郎がスクリーンの映像を目の当たりにして息を呑んだが、そんな彼の動揺に斟酌する事なく、情報担当オペレーターは艦長の問いに冷静な答えを返す。
「真宮寺中尉の八咫烏改からの映像です! 戦闘宙域は本艦三時方向。直線距離で一五○○○!」
《八咫烏》は開発されたばかりの新型高速電子偵察機であり、次元潜航艦であるイー四○○型は、その改良型を最大二機まで搭載できる。
今回はそのうちの一機を新型艦上戦闘機に差し替えたうえで、蓮をパイロットとして乗艦させ、万が一の事態に備えていたのだ。
「真宮寺中尉。状況は?」
鮮明な映像から、汎用型航宙巡航艦一隻に対し、それを追尾攻撃している三隻の護衛艦という状況は見て取れたが、詩織は更なる情報を求めて蓮を問い質した。
『約一分前に巡航艦がジャンプアウトしたんだが、運悪く周辺宙域を徘徊していたあの三隻に捕捉されて、現在攻撃を受けている真っ最中だ。既に被弾多数で明らかに速度も反撃の手数も落ちている……撃沈は時間の問題だよ、如月艦長』
蓮も詩織も公私にケジメをつける意味もあり、作戦中にお互いを名前で呼び合いはしないが、どうにも馴染めず口元と背中がムズムズする。
とは言うものの、他の乗員の手前もあり、詩織は意識して表情を引き締めるや、補助要員としてブリッジに詰めていたユリアに訊ねた。
「ユリア、あの攻撃を受けている艦について何か分かるかしら?」
そう問われた元帝国十八姫は、困惑した顔で小さく頭を振る。
「申し訳ありません。帝国の軍事に対する詳しい知識は持ち合わせていません……ですが……」
「ですが? なに? 何でも良いわ。何か気付いた事があれば教えて頂戴」
「はい……ハッキリと断言はできませんが、船体外殻に施されたカラーリングは、確か帝室の人間を乗せる為の御座船ではなかったかと……」
不安げに顔を曇らせるユリアの言葉を聞いた詩織は、些かも逡巡することなく果断に決断し命令を発した。
「これより第一級戦闘配備を発令! 直ちに機関始動! そのまま次元潜航に移行する! 航海士、潜航後攻撃可能地点までの到達時間は?」
「はいっ、艦長……次元航行最大戦速で一分です!」
「よろしいっ! 紅龍前進強速! これより本艦は、追撃戦を仕掛けているグランローデン帝国軍艦隊三隻に対し亜空間雷撃戦を敢行する! 尚、白銀提督より下命されている新型レーダーシステムの運用試験も併せて行うので準備急げッ!」
この詩織の命令に乗組員全員の顔に緊張の色が浮かぶ。
亜空間雷撃とは、異次元空間に潜航したまま、通常空間に存在する敵にミサイル攻撃を仕掛ける戦法であり、現在他国で開発中のものを含めて、実用化されている次元潜航艇には不可能な芸当だ。
遠い昔に栄えた先史文明の遺産と、ヒルデガルドの天才性が融合して生み出された超技術であり、成功すれば常識を覆すスーパーウエポンになるのは確実だった。
ましてや、精霊の力を借りて見えざるものを見るという新型レーダーシステムに至っては、人間の想像の埒外の御業に他ならない。
そして、今回の運用試験の結果次第では、物量と人的両面で劣勢に置かれている梁山泊軍にとって、大きなアドバンテージになるのは間違いなかった。
しかしながら強硬策を決断した詩織をはじめ、乗員達にとってもこれらの新技術の使用は初体験であり、全く不安がないと言えば嘘になるだろう。
今回の作戦に選出された乗組員は全員がエレオノーラの部下達であり、それなりの戦闘経験を持つ者達ばかりで編成されていた。
いわば初めて艦長職に抜擢された詩織のお目付け役。
そんな意味合いも兼ねての人選だった。
だからこそ、本来ならば一人や二人は詩織の決断を無謀と断じ、翻意を促す者がいてもよさそうなものなのだが……。
強い決意を滲ませた艦長の表情から、彼女の意志の固さを知った彼らは、それを好ましく思うが故に、喉まで出かかった諫言を呑み込んで口にはしなかったのだ。
その選択が吉と出るか凶と出るか……。
ともあれ、心をひとつにした百戦錬磨の乗員に操られる紅龍は、身を潜めていたデブリ帯を抜錨するや否や、異次元空間への急速潜航を果たす。
詩織にとっては、今回の戦闘こそが正に初陣である。
(あの時は何もできない儘にイェーガー閣下を失う羽目になった……あんな思いはもう沢山だわ!)
前回の逃避行時、ただ見ているだけしかなかった辛い経験が脳裏を過ぎる。
しかし、その暗い影を振り払い、詩織は決然と顔を上げるのだった。




