第三十三話 移住者を獲得せよ!
「何かと厄介な事もあるかと思うが、この星の未来に関わる大事だ……宜しく頼むよ、ラインハルト」
達也が差し出した右手を握り返した親友は、端正な顔を綻ばせて力強く頷く。
「任せておけ。必ず朗報を持って帰る。とは言え、亜人達が置かれている環境と、彼らの意志を確認するのが先決だ。移民を望む者がどれ位いるのか……それを把握したら早急に報告するよ」
梁山泊軍イチのイケメンとの評判を欲しい儘にしている男の微笑みは破壊力抜群であり、見送りに来ている女性士官ばかりでなく、年若いアルカディーナ女性達の憧憬を独占して已まない。
それは、この案件の提案者でもあり、同伴者でもある獣人女性達も例外ではないようで、ラインハルトの背中へ熱い眼差しを送っているのからも明白だ。
今後、親友が何らかのトラブルに捲き込まれるのではないかと心配する達也とは裏腹に、エレオノーラや志保らにはスキャンダルを待望している節があり、裏では秘かに獣人女性達を焚き付けているらしい。
そんな物騒な噂が飛び交う程に、ラインハルトの周辺はキナ臭い空気が充満していた。
話を戻すが、ルーズバック伯爵に僅かばかりの金で買われたという悲惨な過去が彼女達にはある。
その途上で偶然遭遇した達也らに救出されて一時的に保護を受けたのだが、不運にも今回の騒乱に巻き込まれ、否応なく運命を共にせざるを得なくなったのだ。
しかし、幸いにも悲嘆に暮れる者はおらず、寧ろ、自由の身になれて良かったと喜ぶ者が大半を占めた事に、達也は大いに安堵したのである。
銀河連邦評議会が掲げる亜人種の保護という美辞麗句と建前の裏で、劣悪な環境の居留惑星に押し込められ、貧困の中で必死に生きて来た挙句に僅かばかりの金で売り払われた。
そんな辛酸を嘗めて来た彼女達だったが、自分達に惨い仕打ちをした家族を怨むような者は誰一人いなかったのである。
それどころか保護してくれた達也らの厚情に触れ、人間の中にも素晴らしい者達は存在するのだと知り、ならば、今も故郷で貧困に喘いでいる家族や仲間たちにも幸せになって貰いたい……。
そう彼女達が考えたのも、強ち不思議な事ではなかった。
『自分達が故郷に戻って仲間らを説得するから……移住を希望する者達を、このセレーネ星で受け入れては貰えないでしょうか?』
そう達也に懇願した獣人女性らは、移住者には【共生】という理念を理解させ、労役等は率先して受け入れさせるとの条件も自ら進んで提示した。
人手不足という懸案を抱える達也らにとっても、この申し出は渡りに船であり、マーヤとさくらの強い懇願とクレアら女性陣からの請願もあって、即決で了承されて今日の出発の日を迎えたのだ。
指揮官兼梁山泊軍代表はラインハルトと決まり、直卒の部下十人と獣人女性達の中から十人が説得要員として選ばれた。
その上でサポート役として、妻のオリヴィアと娘のキャサリンも同行することになり、此処に第一次遠征隊の陣容が整ったのである。
尤もオリヴィアの本音は、一本気だが寛容で女性には甘い夫の監視役という意味合いが大きいのかもしれないが……。
ラインハルトが指揮する乗艦は次元潜航艦イ号ー四○○型二番艦“紫龍”。
詩織が艦長を務める“紅龍”の同型艦であり、その隠密性は今回の任務にも大いに役立つと達也は考えている。
と、言うのも……。
「東部方面域ベギールデ星系第五惑星ヴェールト。七聖国の一柱ルーエ神聖教国が庇護を名目に管轄している星だったな……あの国はルーエ神教の布教には熱心だが、政治的にも軍事的にも宗教色が色濃く反映されている」
渋面の達也がそう言えば、ラインハルトも小さく溜め息を漏らして同調した。
「その神教の教義にも問題が多い……ルーエ神の下に命の平等を謳ってはいるが、他宗教の信者や無信心者に対しては、冷淡で排他的との批判が根強い……それは、ヴェールト出身の彼女達の話からも明らかだよ」
珍しく言葉の端々に怒りの感情を滲ませる彼の視線の先では、さくらとマーヤから激励されているのか、顔を綻ばせて微笑む獣人女性達の姿がある。
今は亡き初代神将であるランツェ・シュヴェールトと竜母セレーネの悲願……。
人種も亜人も精霊も、全ての命が共に手を携えて生きて行ける世界の構築。
その為にも獣人である彼女達の協力を得て、その輪を広げていくのは必要不可欠であり、この作戦が共生社会実現に向けての試金石になる……。
達也もラインハルトもそう考えているのだ。
「少なくとも二年以内には体制を整え、反攻の足掛かりを掴まなければならない。とは言え、焦って敵に我々の存在を察知されては元も子もない。困難な任務だとは思うが、よろしく頼むよ」
最後にそう念押しした達也は、親友の手を強く握り締めるのだった。
◇◆◇◆◇
「現在私達はセレーネ星で一応の安寧を得ています。敵は強大ですので前途は多難ですが、皆で力を合わせれば必ず乗り越えられる……そう私は信じています」
既に日付が変わろうかという深夜の如月家リビング。
年代物の応接用ソファーに腰を下ろす信一郎と春香は、事件のあらましとその後の経緯を神妙な顔で聞いていたのだが、気も漫ろで陸に内容が頭に入らない。
「す、すまないね……お客様に気を使わせてしまって……」
「本当に申し訳ありません……お恥ずかしい限りですわ……穴があったら入りたい心境よ。まったく……」
羞恥に顔を赤らめて困惑する如月夫妻は、目の前で微笑む少女に頭を下げるしかなく、謝罪されたユリアは微苦笑を浮かべて『大丈夫ですよ』と応じ、頻りに恐縮するふたりを宥めるしかなかった。
それは何故かと言うと……。
「おい! 詩織。いい加減に代わってくれよ! さっきからずっと愛華を独り占めして狡いぞ! 今度は俺の番だっ!」
「う・る・さ・い・なぁ。蓮は抱き方が下手だから、愛華が可哀そうでしょう? ねえ~~愛華もお姉ちゃんの方が良いよねぇ~蓮兄ちゃんは乱暴だから、嫌い嫌いだもんねぇ~~」
「誰が乱暴かっ!? 自分よりも体格のいい男を軽々と投げ捨てるオマエに言われたくないね! 愛華! 騙されちゃ駄目だぞ! 詩織お姉ちゃんは、おこりんぼの鬼婆だからな」
「ちょっと! 誰がおこりんぼの鬼婆よっ!? 自分の喧嘩っ早さを棚に上げて巫山戯た事を言わないでよっ! 愛華ちゃん! お兄ちゃんから乱暴されたら私に言うのよ。ゴリラ兄貴なんか、お姉ちゃんが一秒で成敗してあげるからね!」
リビングの隣の部屋では、妹を奪い合う蓮と詩織の醜い口論がエンドレスで繰り広げられている。
信一郎と春香を呆れさせている原因は、この大人げない蓮と詩織の兄弟喧嘩……いや、痴話喧嘩に他ならない。
一頻り感動の再会を堪能した蓮と詩織は、同行しているユリアの紹介もそこそこに、誕生したばかりの妹の下へと突撃するや、今に至るまで延々と愛華の争奪戦を繰り広げているのだ。
「あ、あは……あはははは……」
言い争うふたりには呆れるしかないユリアだったが、彼らに恥を掻かせる訳にもいかず、当たり障りのない笑顔を浮かべて信一郎と春香を気遣うしかない。
しかし、それと同時に、愛華と名付けられた赤ん坊を見て驚いてもいた。
(やはり血の繋がりは凄い。あの赤ちゃんには、ふたりが兄姉だと無条件で分かるのだわ……だから少々騒がしくされても、愚図りもせずに嬉しそうに燥いでいる)
順調ならばあと半年ほどでクレアが出産するため、自分にも新しい弟か妹ができると思えば、今から楽しみでならない。
だからこそ、蓮や詩織の気持ちは良く分かったし、事態の説明を丸投げされても苦にはならなかったのだ。
だが、信一郎と春香にしてみれば、親として子供達の無軌道ぶりを放置する訳にもいかず、声を荒げて蓮と詩織を叱りつけた。
「二人ともいい加減にしなさい! お前達は一体全体、何をしに遥々訪ねて来たんだね!?」
「本当にみっともない! 少しはユリアさんを見倣いなさい! そんなザマでは、愛華にも呆れられますよっ!」
盛大な雷が深夜のリビングに炸裂し、蓮と詩織は首を竦めるのだった。
※※※
「いやぁ~本当にゴメンねユリア……愛華が可愛すぎて、つい見境がなくなっちゃって……気が付いたらヒートアップしてた。あはっ、あははは」
「申し訳ないッ! 愛華の顔を見たら想いが暴走して。いやあぁ、妹がこんなにも可愛い存在だったなんて……この喜びを知らずに生きてきた十八年の人生が悔やまれるよっ!」
曝した醜態をなかった事にしたい詩織と蓮は『誰にでもある御茶目なチョンボだから見逃して!』という心の声を駄々洩れさせながら言い訳を並べる。
苦労人のユリアは内心で苦笑いしながらも、二人が両親から叱責されないよう、敢えて彼らのマシンガントークをスルーするや、咳払いひとつで話題を変えた。
「実は御両親様に御伝えするようにと、父から伝言を預かっています」
見た目はまだまだ幼い少女が見せる落ち着き払った振舞いに接した春香は、重くて深い溜息を漏らして一言。
「蓮も詩織も、ユリアさんの爪の垢を貰って飲みなさい……」
妻の身も蓋もない指摘に信一郎も大きく頷くしかなく、両親の『呆れ果てた』感が半端ない態度に、蓮と詩織は不満顔で唇を尖らせざるを得ない。
再び話が脱線しては堪らないと焦ったユリアは、信一郎と春香に達也からの伝言を伝えた。
「先程からお話を伺っていましたが、土星宙域に移住なさる矢先だったそうですね。もしも不都合がないのでしたら、移住先をセレーネに変更なさいませんか? 父からも是非にと……そう託っておりますし」
この思ってもみなかった申し出を受けて戸惑う両親に、蓮と詩織が畳み掛ける様に懇願する。
「白銀提督も奥様も、父さんと母さんの置かれた境遇を凄く心配していた。第一、こんな仕打ちを受けてまで、地球にしがみ付く必要なんかないじゃないか!」
「そうよ! お父さんやお母さんが何をしたっていうのよ!? 本当のことなんか何も知らない、無責任な傍観者達にとやかく言われたくはない! ねぇっ、一緒にセレーネに行こうよ。私もそうして欲しいし、愛華とも離れたくないもの」
両親が受けた理不尽極まる仕打ちに蓮と詩織が憤慨するのは当然で、自身が迫害された経験を持つユリアも、ふたりの気持ちはよく理解できた。
だから、彼らを援護する為、頭を下げて真摯な想いを伝えたのである。
「今はまだ都市建設やインフラの整備に着手したばかりですが、ロックモンド財閥からの支援も決まりました。皆で頑張れば、共生の理念を生かせる素晴らしい星になる筈です……父母に成り代わり、私からもお願い致します」
自分の子供達より年若い少女の言に、信一郎も春香も感嘆の吐息を漏らすしかなく、夫婦は視線で互いの意志を確認して頷き合った。
「この子達が一方ならぬ御厚情を賜っておりますのに、私達にまでお気遣い下さるとは……私達に否やはありません。どうか宜しくお取り計らい下さい」
信一郎がユリアの申し出を応諾し謝意を伝えると、春香共々深く頭を下げた。
蓮と詩織は歓喜し、ユリアも安堵して微笑む。
元々、土星圏に移住すれば必然的に地球との繋がりは切れてしまうし、親族一同を含め、知り合いとは絶縁状態の二人が消息不明になっても気に掛ける者はいないだろう。
信一郎はそう説明して、唯一の懸念材料だった『他者からの疑念』を否定した。
「では、先に必要なものを“紅龍”へ運ぼうか。申し訳ないけれど、ユリアは転移をお願いできるかな?」
「勿論です。衣類と身の周りの物が殆んどですから造作もありません」
申し訳なさそうに訊ねる蓮に笑顔でそう答えた時だった、思案顔だった信一郎がユリアに重大情報を伝えたのである。
「実は今日の夕方に別れの挨拶に来た嘗ての部下から聞いた話なんだが、どうやら昨日の早朝にグランローデン帝国でクーデターが発生した模様で、現在統合政府は事実確認に躍起になっているそうです」
思い掛けない話を告げられたユリアは、息を呑んで顔を強張らせてしまう。
「統合政府の出先機関からの緊急伝であり、現時点で詳細は不明とのことですが、彼の国で政変が起こったのは間違いないようです……貴女が帝国十八姫であったと伺って、御伝えするべきだと思いました」
この時、既に狼狽しているユリアの耳に信一郎の言葉は届いてはいない。
(帝国でクーデター? そんな馬鹿な……あの御父様がそんな手抜かりをする筈が……それに一体誰が反旗を翻したというの?)
情報が乏しい現状では判断すら儘ならず、困惑する他に術はない。
だが、それでもユリアは持ち前の思慮深さを発揮して思案を巡らせた。
(今の状況では、どんなに心配しても私には何もできない……ならば、信一郎さんと春香さん、そして愛華ちゃんをセレーネ星に御連れする……今はそれを優先するしかないわ)
亡き母親との真実を語り、本当の父親ではないと告白したザイツフェルト皇帝の面影がユリアの脳裏に鮮明に蘇る。
彼の言葉の端々から亡き母に対する哀惜の情を感じた彼女は、それまで懐いていた皇帝に対する憎しみを捨て去ったのだ。
許されるならば急いで駆け付け、何かしらの手助けがしたい……。
そんな強い想いは確かにあるが、私的な我儘で皆を危険に晒す訳にもいかない。
だから、自分の気持ちは押し殺し、無事の帰還を優先させ様としたのだが……。
「それは聞き捨てならない情報ね……セレーネ星に帰還する前に帝国の支配宙域に進出し、情報収集する必要があると思うのだけれど、蓮はどう思う?」
ユリアの葛藤などお見通しの詩織が、逡巡する素振りも見せずに問い掛けた。
すると蓮も即座に頷いて了承の意を示す。
「その方が良いだろう。帝国領に侵入するとなれば半月ほど帰還が遅れるけれど、提督も了承してくれるさ」
しかし、ふたりの言に顔色を変えたのは他ならぬユリアだった。
「ま、待って下さいっ! そんな危険を冒す必要などない筈です! 私に気を遣っておられるのならば、どうか御無用に願います。たとえ過去の経緯はどうであれ、今の私は白銀家の娘です。帝国の内情に関わる理由など何もありません!」
そう必死に言い募るユリアに対し、極めて冷静な表情を崩さない詩織は、艦長としての私見を述べる。
「あなたの気持ちなんか知らない。そう言えば嘘になるわ。でもね、今後の帝国が我々の敵になるか否か、正しく見極める為にも情報は必要よ。白銀提督や梁山泊軍の為にもね。これは私情じゃないわ。軍人としての判断よ」
そんな辛辣な物言いをしながらも、詩織の言葉からは、ユリアを気遣う温もりが滲んでおり、彼女の心情を思いやっての決断であるのは明らかだった。
詩織の想いを無駄にしないようにと、蓮や信一郎、そして春香にまで説得されたユリアは彼らの厚情を受け入れ、感謝と共に何度も何度も礼を述べたのである。
こうして急いで準備に取り掛かろうとしたのだが、詩織は何かを思い出したように顔を上げて信一郎に懇願した。
「お父さん。申し訳ないんだけど、生鮮食料品……特に肉類と卵と野菜が欲しいのよ。近所の二十四時間スーパーで買い出しできないかしら?」
この突飛ない申し出に面食らったものの、信一郎は娘の頼みだからと気安く引き受け、必要な品を書き出したチェックリストを受け取るや、夜の闇に紛れて出掛けたのである。
「生鮮食料品って……物資が不足しているの?」
何故か渋い顔をする詩織の様子に疑問を抱いた春香がそう問うと、詩織も蓮も、そしてユリアまでもが何処か遠い目をし、溜息交じりに慨嘆するのだった。
「「「我儘で小五月蠅い奴が一匹……」」」
その言葉の意味を計りかねた春香は、小首を傾げるしかなかったのである。
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