第三十二話 帝国動乱 ②
「随分と悠長な登場ではないか? 世情の評判とは裏腹に、おまえは怠惰であるからな……荒事は配下に任せ、知者を気取って顔も見せずに引き籠りはしないか、少々不安に思っておったぞ?」
不敵な笑みを浮かべて眼前の皇太子を見据えるザイツフェルト皇帝は、取り乱した風もなく、そう揶揄した。
「それは御心配をお掛け致しました。御待たせした無礼は平に御容赦を。陛下」
リオンは父皇の鋭い眼光を受け流しながらも慇懃に頭を下げて敬意を表したが、その表情に滲んでいる鼻持ちならない傲慢さは隠し様もない。
そこには、傑出した才能を持つ清廉な次期皇帝……と称えられる皇太子の姿は何処にもなく、ただ、野望の炎に身を焦がす一人の梟雄が佇んでいた。
「あ、兄上ッ! その仰り様は陛下に対し不遜の──ッ! うわぁっ!?」
その不敬な振る舞いに激昂して声を荒げ様としたセリスだが、掴まれていた肩に強い力が加えられ、抗う間もなく後方に投げ捨てられてしまう。
自らの配下である近衛達が受け止めてくれたので怪我はしなかったものの、何が起こったのか理解できないセリスは唖然とするしかない。
然も、正気を取り戻すよりも先に父皇の口から耳を疑う言葉が迸ったものだから、双眼を見開いて驚きを露にしたのも無理はないだろう。
「我が御代は此れまでだッ! お前達も早々に去るがよい! クロイゼルング! セリスを頼むぞッ!」
皇帝が我が子を託したクロイゼルングという男は帝国有数の高位貴族の一人で、セリスの副官を務める実直な男だ。
また、ザイツフェルト皇帝の護剣と称えられる程の武人でもあり、その技量は、クリストフ・カイザードに伍すると評せられる傑物だった。
皇帝の勅命を受けた彼が微かに眉を動かす間、セリスは血相を変えて配下の者達を振り払い、父皇に駆け寄ろうとしたのだが……。
「殿下、御無礼をっ!」
低い声音でそう呟くや否や、クロイゼルングがセリスの首筋に手刀を落とす。
無防備な儘にその正確な一撃を喰らい、短い呻き声を漏らして昏倒した第十皇子に黙礼した彼は、背後に控える部下達へ淡々とした口調で命令した。
「セリス殿下を御護りして落ち延びよ……そこの通路を行けば、脱出用シャトルが待機している格納庫に最短で行ける。それを確保した後、味方の航宙艦と合流して脱出せよ! 急げっ!」
いつの間にか玉座の後背に隠し通路への入り口が開かれており、皇子殿下を託された配下の近衛騎士らは哀惜と無念さを滲ませながらも一礼するや、セリスを抱えて脱出口へと身を躍らせる。
「おい。儂の命令を無視するのか?」
ザイツフェルト皇帝が揶揄う様な口調で問い掛けて来たが、彼は武骨者の評判に違わず、表情を揺らしもせずに己が望みを口にした。
「大グランローデン帝国皇帝陛下崩御に際し、黄泉路の従者が一人もいないとあっては御名に傷がつきましょう……それに私は宇宙では殿下の御役には立てませぬ故……陛下の御供仕ります」
皇帝は呆れた様に苦笑いを浮かべたが、忠義者の言を拒絶しなかった。
それは無言のうちの了承であり、それを知るクロイゼルングは瞑目を以て、主の恩寵に対する謝意としたのである。
「随分と落ち着いておるのだな、リオンよ? 皇族である弟を逃がしたのでは、後々面倒ではないのか?」
「高貴な生まれという以外に見るべきものを持たない小者です……どうという事はありませんよ……それに、衛星軌道上には我が意に従う航宙艦隊が網を張っておりますれば……どの道、逃れる術はないかと」
手抜かりは無いと言わんばかりの我が子の言葉に父皇は含み笑いを漏らす。
「お前は小利口な男だが、その実は傲慢で短慮……今回の事も教団の愚物共に乗せられた結果ではないのか? それとも連邦の有象無象に唆されでもしたか?」
「父上にしては安い挑発ですね。今更後悔なさっても遅いのですよ。この銀河は、今一度選ばれし者によって再統治なされねばならないのです。そして新しい秩序の下で繁栄を謳歌する、それが摂理というものなのです! その新しき世界に父上の如き古き人間は必要ない……ただ、それだけなのですよッ!」
その両眼に狂気を孕んだ光を湛えたリオンは、高揚した口調で言い放つ。
それが合図であったかのように、彼の配下たちが一斉に突撃銃を腰だめに構えてその銃口を嘗ての主へと向けた。
玉座の間では光学兵器は無効化されてしまう上、豪壮で知られた皇帝と剣を交える愚を犯す程にリオンは無謀の徒ではない。
だから、威力は劣っても確実に効果のある手段を用意したのだ。
しかし、死神に魅入られた現状にあって尚、ザイツフェルト皇帝は不敵な笑みを崩そうとはしない。
「後悔など何もないが、一足先にあの世とやらに行って、お前が来るのを楽しみに待つのも一興であろうよ。貴様如き賢しらな小悪党がコソコソと悪知恵を働かせた所で、掠め盗れる世界など如何ばかりの物か? 精々、足掻いてみるがいいさ……所詮お前では、あの男には逆立ちしても勝てぬだろうがな」
その言葉は酷く耳障りで、この日初めてその端整な顔を憤怒に歪めたリオンは、激昂する感情の儘に金切り声を上げていた。
「構わぬッ! 殺してしまえぇッ! 新しき時代の為にぃぃ──ッ!!」
その怒声が合図となり、激しい銃撃音が室内に響き渡ったのは刹那の間に過ぎず、寸瞬の後にはそれまでの喧騒が嘘だったかの様に、玉座の間は静寂を取り戻したのである。
◇◆◇◆◇
「どうやら片付いたようだね、春香さん。荷物が向こうに着くのは多少遅れるだろうが、タイタンでの落ち着き先には必要な物は揃っているそうだよ。だから当面は不自由はしないさ」
大切な想い出の品物や値打ち物以外の荷物を処分し終えた屋内は、すっかり閑散としてしまった。
この七月に婚姻届けを提出して晴れて夫婦になった信一郎と春香は、真宮寺の家を処分して如月家で生活を始めたのだが、彼の『白銀達也造反事件』で、蓮と詩織が騒乱に捲き込まれて消息を絶った日を境に、彼らの生活も大きな変化を余儀なくされたのである。
巷に溢れかえった悪意に満ちた虚報により、白銀達也という人間の存在は徹底的に貶められ、彼に近しい者達までもが心ない誹謗中傷に晒されたのだ。
それは蓮や詩織に対しても例外ではなく、まさに『死者に鞭うつ』の言葉通りの陰惨な風聞が吹き荒れ、世間の厳しい視線は彼らの親である信一郎や春香にも容赦なくに向けられたのである。
信一郎は娘の暴挙の責任を取るという形で長年奉職した統合軍を依願退職した事になってはいるが、実情は懲戒解雇も同然の懲罰人事であり、体のいい厄介払いに過ぎなかった。
おまけに先日第二子を無事に出産した春香も、日常的に周囲からの心無い非難を受け続けており、信一郎の前でこそ気丈に振る舞っていたものの、精神的な負担は相当なものだった。
この様な経緯もあり、このまま地球で暮らすのは不可能だと判断したふたりは、生まれたばかりの愛華を連れて土星圏への移住を決めたのである。
木星・土星独立公社は地球統合政府とは立場を異にしており、バイナ共和国軍の侵攻を退けた白銀達也に対して寛容な立場を崩してはいない。
そういう環境ならば、地球では得られない新しい情報に接する機会があるのではないか……。
ふたりはそう考えたのだ。
信一郎と春香は我が子達の生存を諦めてはおらず、今も何処かで必ず生きていると信じていた。
それ故、土星の衛星タイタンに移住して生活基盤を確立させながら、蓮と詩織の消息を追うと決意したのだ。
「次にいつ戻れるかは分からないが、この家は去年リフォームしたばかりだから、数年放置しても問題はないだろう。蓮と詩織が帰って来た時に馴染んだ生家がないのでは寂しいだろうからね」
何処かサバサバとした表情で軽口を叩く夫に、春香は口元を綻ばせて感謝の言葉を返す。
「手続きや段取りを全て任せてしまって御免なさい……貴方が傍に居てくれて心丈夫でしたわ。私ひとりだったら……そう考えるだけで怖くなるもの」
「何を水臭い……私達は夫婦じゃないか。夫が妻や子供達を護るのは当り前だよ。それに、私も春香さんと愛華が居てくれて本当に良かったと思っている。私ひとりだったら、とても耐えられなかったかもしれないしね」
最愛の子供達の消息が途絶えた絶望の中、人生の大半を奉げて忠勤してきた軍から放逐されてしまったのだ。
その時のショックは尋常ではなく、春香と愛華の存在がなければ、間違いなく自暴自棄になっていた筈だと信一郎は思う。
「だから……ありがとう。心から感謝するよ」
「私の方こそ……ありがとうございます。愛華もきっと私と同じ気持ちですわ」
夫婦は互いに謝意を口にして微笑み合い、ベビーベッドで安らかな寝息を立てる愛娘の寝顔に柔らかい視線を向けた。
この先土星宙域に転居したからといって、何かしらの光明を見出せるかどうかは分からないが、少なくとも当てもなく地球に残るよりはマシな筈だと夫婦は信じて疑っていない。
そんな信一郎と春香が手を取り合って決意を新たにした時だった。
『ガタン』と玄関の方で物音がし、それに気付いた二人は顔を曇らせてしまう。
最近は随分少なくなったが、騒動のあと暫くは投石や小動物の死骸を投げ込まれる嫌がらせが頻発したのだ。
深夜に近い時間でもあるし、恐らくその類だろうと推察した信一郎は、不安げに眉根を寄せる春香を制して立ち上がった。
「どうせ悪戯だろう。私が見て来るから君は此処にいなさい」
春香は夫の言葉に頷いてその背中を見送った。
この二か月近くの間に受けた誹謗中傷や悪戯が脳裏に蘇り、ぶるっと身体に悪寒が走る。
人間はどこまで残酷になれるのだろう……。
そんな埒もない事を考える自分が嫌になり、静かな寝息を立てている愛華の頭をそっと撫でた。
(この娘が成長して大きくなる頃には、今よりも平和で良い世の中になっているのかしら……)
愛しい我が子が幸多き未来を手に入れられる様に……。
そう願った刹那。
「は、春香さんっ! は、早く来てっ! 春香さんッッ!」
表へ様子を見に行った信一郎の切羽詰まった大音声に耳朶を揺さ振られた春香は、理知的な夫が大声で叫ぶなど余程の事だと思い足早に玄関へと向かう。
そしてキッチンを抜けた先で春香が目にしたのは、背中を向けたまま立ち尽くす信一郎の姿だった。
何事かと訝しむ春香だが、土間に佇む人の気配を察して足を止め、夫の肩越しにその人物達を見た彼女もまた、双眸を見開いて息を呑んでしまう。
「ただいま。お義父さん、母さん……心配掛けてごめん」
「ただいま帰りました……お義母さん……お父さん。ごめんね遅くなって」
何処か困った様な笑みを浮かべた懐かしい顔がふたつ……。
生存していると信じ、心から再会を望んだ我が子達がそこに立っている。
「ああぁぁッ!! 蓮っ! 詩織ぃッ!!」
涙腺が決壊し滂沱の涙を溢れさせ、春香は飛び込むようにして最愛の我が子達を抱き締めるのだった。
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