第三十二話 帝国動乱 ①
「本当に良かったッッ! 儂は信じていたぞぉっ、ユリアぁ!」
「あなたっ! そんなに泣きながら抱きついたりしたら、ユリアの御洋服が汚れてしまいますわ! いい加減になさいませ!」
「な、何を言うかっ!! お前だって、ベソベソのみっともない顔でしがみ付いているじゃないかっ!?」
ユリアは自分が置かれている状況に微苦笑を浮かべながらも、左右から抱きついている祖父母の温もりが嬉しくて堪らなかった。
ヘンドラーを発った紅龍は長駆太陽系を目指し、長距離転移と次元間航行を駆使して最小日数で地球へ到着した。
次元潜航艦の性能を十全に発揮して難なく大気圏突入を果すや、その後は海中を潜水航行し上海沖合へと達したのである。
ローズバンク夫妻並びに蓮と詩織の両親に接触し、あの不幸な事件の詳細と身内の生存を説明して彼らを安心させるのが、今回の訪問の目的だ。
しかし、達也からは『御本人達が希望するのならば、セレーネ星に連れ帰っても良い』とも言われており、ユリアも祖父母にそう伝えていた。
ただ、他に問題がなかった訳ではない。
それは、伏龍で共に学んだヨハンと神鷹らにコンタクトを取るか否かという難問であり、流石に統合軍傘下の士官学校では、極秘裏に面会するのは不可能だと判断せざるを得なかった。
その為、出航前のブリーフィングでは、今回は接触を見送る事で意見が一致したのである。
ただ、『白銀達也反乱騒動』以降、効率的に且つ厳重に監視するという理由から、ヨハンと神鷹はルームメイトとして寮の同部屋で生活させられており、達也がその事実を知っていれば、また違った展開もあったかもしれない。
そんな経緯もあって、青龍アイランド沖を潜航したまま通過した紅龍は、上海沖五km地点の海上に夜間浮上し、ユリアが単独で祖父母のマンションへ転移したのである。
クレアの両親であるアルバートと美沙緒は、忌まわしい事件の渦中で娘夫婦と、その子供達が死んだという報道を頑として受け入れず、懸命に彼らの消息を探っていたのだ。
しかし、時間ばかりが無為に過ぎていく中で何の手掛かりも得られず、蓄積される苦悩と焦燥感に気力も枯れ果てようとしていた……そんな時だった。
「アルバートおじい様、美沙緒おばあ様……御心配をお掛けしました」
もう一度だけ、いや、夢の中でも良いから逢いたいと切望した孫娘のひとりが、大切な家族の生存という朗報を携えて目の前に現れたものだから、その喜びが如何ばかりだったかは察するに余りあるだろう。
アルバートと美沙緒が狂喜し愛しい孫娘に縋りついて抱き締めるや、一瞬たりとも放そうとしないのも当然だった。
しかし、何時までも喜んでばかりはいられないのも事実だ。
平静を取り戻した祖父母へ経緯を説明し、セレーネ星で家族全員が元気に暮らしていると伝えたユリアは、クレアから預かったビデオレターのデーターチップを、その証拠として手渡した。
それは家族の各々がアルバートと美沙緒に宛てたメッセージ映像であり、二人は殊の外喜んで受け取ったのである。
結局、多数の親族と音信不通になるのは甚だ不味いという理由と、経営する会社を急に整理したのでは、対外的に疑念を懐かれかねないというアルバートの理知的な判断により、火急速やかな移住は断念せざるを得なかった。
しかし、希望を得た祖父母の顔に憂いはなく、何時もの笑顔でユリアを送り出してくれたのだ。
「直ぐにまた一緒に暮らせる日が来るさ……その日を楽しみにしているよ。ロックモンド財閥には私も伝手があるから、それとなく連絡をとってみよう……達也君の方からも、彼の総帥殿に口利きして貰えると助かる」
「達也さんやクレアに……そして、さくらやティグルちゃんにも宜しく伝えてね。それから、新しく家族になったマーヤちゃんにも、逢える日を楽しみにしていますと……貴女も無理をしないでね、約束よユリア」
別れ際にそう言って、代わる代わる抱き締めてくれた祖父母の想いを犇々と感じて、ユリアは胸がいっぱいになってしまう。
「はい。おじい様もおばあ様も、どうかその日までお元気で……また一緒に暮らせる日を楽しみにしています!」
だから、ユリアも万感の想いを言葉に乗せて祖父母を抱き締め返すのだった。
◇◆◇◆◇
銀河連邦という巨大な組織の隆盛に翳りが見え始めたのと時を同じくして、一方の雄であるグランローデン帝国でも騒乱の炎が燃え上がっていた。
「一体全体、何がどうなっているのだっ!? 反乱の状況はまだ明らかにならないのかッ!?」
グランローデン帝国第十皇子であり、近衛騎士団の副団長の要職にあるセリス・グランローデンは、帝城アスタロトパレスの玉座の間にて、苛立たしさを滲ませた声で叫んだ。
十六歳と年若いにも拘わらず皇帝の最側近の地位に在るのは、帝室の一員というだけではなく、彼の優秀な資質に拠る所が大きい。
そんなセリスが狼狽を露にしているのも、帝国の現状を鑑みれば致し方がないと言わざるを得ないだろう。
本日払暁。
帝星アヴァロンの衛星軌道上にある要塞ディアマンテに駐留統括する三個師団が、ザイツフェルト皇帝とその側近達の排斥を掲げて決起。
その動きに追随するかの如く、宇宙軍艦隊や大気圏内を守護する陸海空三軍の中にも反乱部隊が続出し、現在帝星の其処彼処でグランローデン帝国軍同士の凄惨な戦闘が繰り広げられているのだ。
未確認情報が錯綜して何ひとつ正確な状況が判然とせず、玉座の間に集った帝国の文武を司る重臣達も、唯々顔を青褪めさせるしかなかった。
そんな焦燥感に満ちた喧騒の中、ただひとりザイツフェルト皇帝だけが、何時もと変わらぬ泰然とした居住いで豪奢な玉座にその身を預けている。
この危殆に瀕した状況下で混乱を極める臣下達にとっては、その皇帝の姿は実に頼もしい限りだったが、実の息子であるセリスの目には何処か奇異に映り、釈然としない不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。
(どうなされたのだ陛下は……いつもなら果断に決断を下されるのに、瞑目されたまま、何の指示もお出しにならない)
ザイツフェルト七世の御代になり、既に二十年以上の年月を帝国は刻んでいる。
苛烈にして即断即決。敵対する者には容赦なき断罪の刃を以て滅す鬼神と恐れられる反面、新しき占領地での復興支援や産業育成に力を入れる等、統治者として、非常に卓越した能力を持つ賢帝との評価が高い人物だ。
ただ、彼が歴代の皇帝と違ったのは、帝国の版図拡大の為の積極的な武力攻勢を手控え、穏健な外交交渉による駆け引きを駆使した点だと言える。
しかし、単一神信仰を掲げ、独善的な教義をもって勢力の拡大を目指さんとするシグナス教団とは、その手法が相容れる筈もなく、両者の関係に隙間風を吹かせる原因になったのも否定できない事実だ。
この数年来、教団との間に些細な諍いはあったが、ザイツフェルト皇帝の強固な権力基盤による力技で彼らを黙らせていた為、大きな問題に発展しなかっただけなのである。
そんな中で皇帝は内政に外交に優れた手腕を発揮し、懐柔できない敵対勢力には武力による解決を躊躇わず、今日の帝国の繁栄を築いてきたのだ。
そんな事実を良く知るセリスだからこそ、混乱の最中に眼前で泰然と構える父皇の姿に疑問を覚えずにはいられなかった。
(いつもならば、とっくに何らかの指示を出していてもおかしくないのに、黙考したまま動こうとは為されない……いや、黙考していると言うより諦観している……そんな風に感じてしまうのは、いったい……)
根拠など何もない漠然とした不安に、背筋に冷たいものを浴びせられた様な気がして不覚にも身震いした時だ。
「帝都東部丘陵地帯から陸軍第十三連隊が侵攻ッ! 目下市街地にて帝都防衛部隊と交戦中との事でありますッ!」
玉座の間に急遽用意された簡易型の通信装置を担当している近衛士官の絶叫に、居並ぶ重臣達が顔色を変えて動揺を露にする。
しかし、この期に及んでも皇帝の態度に変化は見られず、無言を貫く父皇の態度に焦れたセリスは堪らずに声を上げていた。
「私が近衛第二連隊を率いて賊徒を殲滅致しますっ! 陛下ッ! 御許可をッ!」
帝都東部地域の大部分は平民階層の生活圏であり、防衛部隊の配備も手薄な為、手を拱いていては容易く敵の跳梁を許してしまう恐れがある。
その対応を誤れば、取り返しのつかない事態へと至る危険があるのを充分理解した上でのセリスの進言だったのだが……。
ザイツフェルト皇帝は微かに唇の片端を吊り上げただけで、殊更に指示を出そうとはしなかった。
「父上っ! いったいどうなされたのですかっ!? なぜ賊徒殲滅の命を発しては下さらないのですかッ!? この儘では、徒に無辜の帝国臣民の命を危険に晒すだけではありませんかッ!?」
然るべき手立てを講じようとせず、まるで木石と化したかのような父皇の態度に我慢の限界を超えたセリスが喰って掛かる。
公の場では絶対に許されない『父上』という言葉が、無意識のうちに口をついて出た事からも、その激昂ぶりが窺えた。
(こうなれば是非もないっ! 御裁可を待っていては手遅れになるっ!)
身を切られる様な焦慮に駆られたセリスが、懲罰覚悟で行動を起こそうと体を翻した時だ。
それまで身動ぎもしなかったザイツフェルト皇帝が徐に玉座から立ち上がるや、背を向けた我が子の肩を大きな手で掴んで喜色を滲ませた声で嘯いた。
「今更駆けつけても返り討ちにあうのがオチよ……それに奴は国民を虐げて、己の立場を悪くするほど愚かではないわ」
「奴? 陛下っ! 奴とは誰の事を仰っておられるのですか!?」
セリスは父皇の言葉の真意を測りかねて問い返したが、皇帝はそれ以上我が子を顧みることなく、視線を入り口へと向けて愉快そうに口の端を吊り上げる。
「どうやら、この騒動の主の御出座しのようだぞ」
その言葉とほぼ同時に、配下の近衛騎士達を従えたクリストフ・カイザード近衛騎士団長が、足音も荒々しく玉座の間に踏み込んで来た。
儀礼的な仕来りや作法を一切合切無視したそれは、正に乱入と形容するのが相応しい無礼極まる行為であり、主君である皇帝に対する畏敬の念は彼らから窺えず、寧ろ明確な敵意すらその身に漂わせている。
その暴挙に及んだ者達に激昂し、真っ先に罵声を浴びせたのは、他ならぬセリスだった。
「この無礼者共めッ! 気は確かなのかっ!? カイザード団長ッ! 事と次第では、如何に卿とて唯では済まさぬぞッ!」
乱入者の視線を阻む様に父皇の前に立ち、怒りを滲ませた双眸で彼らを射貫いたが、帝国随一の武人と謳われるクリストフは動じた素振りも見せない。
そして、セリスの存在など無視して一歩だけ横に体をずらすや、慇懃に頭を垂れたのだ。
するとその開けた空間から、ひとりの男が優雅な足取りで姿を現す。
その男を見知らぬ者はその場には一人もおらず、重臣らでさえ想像の埒外の展開に茫然自失となって立ち尽くしてしまう。
それはセリスも同様で、まだ幼さが残る端正な顔を苦悶に歪めて、ただひと言だけ震える声で男の名前を呟くしかなかったのである。
「り、リオン……兄上?」
この日、帝星アヴァロンにて燃え上がった革命の炎は、瞬く間にグランローデン帝国の支配地域に飛び火し、変革の時代の幕開けを告げるのだった。




