第三十話 始動 梁山泊! ③
「それでは、拝命した任務のスケジュールを簡単に説明します」
メインブリッジの艦長席に腰を下ろす詩織は、乗組員を前にして少々緊張気味の表情で訓示を始めた。
艦長、副長以下、航海操艦担当、砲雷撃担当、電信電探担当、機関担当の全乗員十名と航空士官一名、そしてゲストのサクヤとユリアの合計十三名が、今回の任務参加者の全てだ。
各機関や艦内各部署のメカニックコントロールは、高性能AIとヒルデガルドの力作である万能軍人アンドロイド『歴戦の猛者君一式改』十五体が代行しており、現状では何の問題もなく順調な航海を続けている。
「まずはランズベルグ皇国へ、それから惑星ヘンドラーのロックモンド財閥の順で極秘訪問を敢行します。この二つはサクヤに担当して貰うから交渉もお願いね……それから、サポート役はユリアに頑張って貰うしかないわ。二人とも無理を言ってごめんなさい」
申しわけなさそうに頭を下げる詩織の言葉にサクヤとユリアは微笑み、その要請を応諾した。
そんな彼女達を見て安堵した詩織も笑みを返したのだが……。
(どうにも慣れないわね……サクヤって呼び捨てにするのは……)
選りにも選って、雲上人である大国の姫君と友達付き合い。
そんな畏れ多い経験をする日が自分の人生に訪れるとは夢にも思っていなかったのだが……。
『私達は同じ目的を持つ同志ですもの。出自などを理由にして互いに壁を作るのは愚かな行為です……どうか私のことはサクヤと呼び捨てになさってくださいませ。その代わり私も皆様を敬称無し……名前で呼ばせて戴きますから』
出航式の席上でサクヤからこのような申し出があり、詩織たちは彼女の気持ちを汲んで、その要望を快く受け入れたのだ。
それ故に今更泣き言を言っても仕方がないと腹を括った詩織は、気を取り直して説明を続けた。
「ランズベルグではアナスタシア様。ヘンドラーではジュリアン氏に直接面会しなければなりません。このイ四○○型一〇一次元潜航艦“紅龍”は、隠密性を生かした偵察を最も得意とする艦艇です。殿下考案の超長距離跳躍システム『大ジャンプ君五式』を搭載していますので、単独ジャンプ一回で第一級ゲートを使用した転移と同等の距離を跳ぶ能力を有しています」
その説明を聞いたサクヤやユリアは目を丸くして驚きを露にする。
「これにより航海日程は大幅に短縮できますし……各惑星の防衛網は次元間航行で突破して惑星の夜の部分から大気圏に侵入。その後は海中を潜航して目標に接近します。“紅龍”の船体には新発見された粒子を精製加工した塗料が塗布されておりますので、レーダーに捕捉される確率は極めて低いですが、問題は……」
詩織は一旦言葉を切って潜入担当のふたりに訊ねた。
「問題は……目標の人物が居る場所に上手く転移できるか……なのですが……」
サクヤとユリアは顔を見合わせて微笑み合うや、造作もないと言い切る。
「皇宮は幼い頃から住み慣れた我が家ですもの。それに、ガリュード大伯父さまが御不在の時は、大伯母様も宮殿の執務室にいらっしゃる筈ですから、接触は容易いかと」
「ジュリアン・ロックモンド氏とは面識が有りますし……彼の思考波のパターンは覚えていますから、居場所を探るのは難しくありません」
途中で言い淀んだユリアの反応が若干気になったが、彼女達の言葉に詩織は笑顔で頷き返す。
今回の任務を可能にしたのは、偏にユリアの超常的な能力があってこそであり、出撃直前のブリーフィングで、詩織と蓮を含む乗員十一名は、ユリアの生い立ちと背景について、達也とクレア、そしてユリア本人から真実を伝えられていた。
遺伝によるとはいえ、不可思議な力を持つ愛娘が理不尽な偏見に晒されて苦しまないで済むようにとの親心だったが、それは杞憂に過ぎなかった。
彼らはユリアが辿った数奇で過酷な運命に同情しこそすれ、彼女を忌避する理由を持ち合わせてはおらず、寧ろ、実年齢が十五歳と知った詩織や蓮が積極的に会話を求める程に打ち解けたのだ。
そのお蔭もあって、人見知りしがちなユリアも早々に彼らと親しくなり、艦内の雰囲気は極めて良好だった。
「OK。それでは、第一目標に向かって“紅龍”前進強速! 周囲の索敵を厳に! 他の艦船の接近を確認次第次元潜航モードに移行する。各員準備を怠りなく」
詩織の命令一下、船脚を速めた真紅のイー四○○潜は、一路ランズベルグ皇国へと針路を向けたのである。
◇◆◇◆◇
皇宮の海側に面した敷地に建つ十階建ての東館。
その最上階フロアーの一室に、アナスタシア・ランズベルグの執務室はある。
複数の情報端末のモニターに表示される資料や報告書に目を通していた彼女は、珍しく疲労を滲ませた溜息を零すや、端末画面から窓の外へと視線を向けた。
「今夜は星も見えない暗夜なのね……まるで今の銀河連邦のよう……」
漆黒の闇が今の自分の心象風景を如実に表している様だと思えば、憂鬱な気分が胸の中に拡がっていくのを自覚せざるを得ない。
達也へ発令された招集命令に伴い勃発した紛争から早くも一か月が過ぎており、事件後に行われた銀河連邦宇宙軍とGPOの捜査によって判明したのは……。
激戦の最中、両艦隊の旗艦が相討ちにより爆沈し、司令官や幕僚を含む全乗組員が戦死した事。
逃亡を図った白銀艦隊の生き残りと移民船バラディースも、突発的な次元崩壊に遭遇して追撃隊の眼前で異次元空間へと呑み込まれてしまい、その生存は絶望的という二点だけだった。
それらは連邦評議会に於いて協議もそこそこに承認され、白銀達也とゲルトハルト・エンペラドルの両名は、早々に銀河連邦史の片隅に葬られたのである。
(敵対勢力が存在しない現状では、モナルキア派の勢力拡大を抑えるのは難しい。七聖国の一角も崩された今、我が国とファーレンだけで、どこまで持ち堪えられるものか……)
『銀河連邦軍の統帥権をモナルキア大元帥に委ね、混迷を極めている事態の早急なる収拾を図るべき』との談話を、七聖国筆頭のティベソウス王国が公式の場で発表したのは、つい先日の事だ。
グスタウス王は愚かな君主ではないが、英邁と喩える程ではない……。
アナスタシアは彼をそう評している。
果断に決断する賢王と言えば聞こえは良いが、言葉を変えれば直情的で独善的な人物であり、大国の支配者にありがちな選民思想の持ち主でもあった。
(グスタウスの馬鹿発言に乗せられた王族や貴族、そして評議会議員がモナルキア派へ雪崩を打つのを止める術はないわ……この儘では半年もしない内に、銀河連邦そのものがモナルキアのものになってしまう……)
ティベソウス王国が旗幟を鮮明にした所為もあってか、銀河連邦内の勢力図にも大きな変動が生じており、その先にある陰惨な未来図を想像したアナスタシアは、暗澹たる想いを懐かざるを得なかった。
執務用の椅子の背凭れに身体を預けて瞑目すれば、知らず知らずのうちに憂いに満ちた重い吐息が口をついて零れ落ちてしまう。
と……その時だった。
静謐な室内の空気が微かに揺れたのと同時に、忘れようにも忘れられない美しい声が彼女の耳朶を震わせたのだ。
「らしくありませんわね? 『溜め息は吐くな! 運が逃げる!』……そう教えて下さったのは大伯母様ではありませんか?」
反射的に瞳を開けて室内を探ると、先ほどまで視線をやっていた窓辺に柔らかい微笑みを浮かべたサクヤが立っているではないか!
弾かれたように椅子を蹴立てて立ち上がったアナスタシアは、さして広くもない執務室を一気に駆けた。
そして、孫同然に可愛がってきた娘を抱き締め感極まった声を上げた。
「ああぁっ! 本当に、本当にサクヤなのかいっ!? これが夢なら、どうか覚めないでおくれっ! お願いしますっ、神様ッ!!」
どんな時でも泰然自若とした体を崩さず、一度たりとて取り乱した姿を他人に見せた事がない大伯母が、歓喜に顔をくしゃくしゃにし随喜の涙を零している。
サクヤは自分がどれだけ愛されているのかを知り、万感の想いを込めてその細い身体を抱き返すのだった。
「御心配をお掛け致して申し訳ありませんでした……夢などではありません。この通り私は生きております……そして、達也様をはじめ、主だった方々もほぼ全員が御健在ですわ」
アナスタシアは上手く自分の気持ちを言葉に出来ずに啜り泣くしかなく、サクヤはサクヤで溢れる涙を堪えられなかった。
暫し再会を喜び合った師弟だったが、数瞬ののちに身体を離すや、為政者の顔に戻る。
冷静さを取り戻したアナスタシアは、サクヤとは別のもう一人の来訪者の存在に気づき、優しげな視線を向けて問い掛けた。
「あなたは……?」
肩に掛かる程度に切り揃えられた艶のある黒髪を持つ少女が、折り目正しい所作で頭を垂れ澄んだ声音で名乗りをあげる。
「お初にお目に掛かります……アナスタシア・ランズベルグ様。私は白銀ユリアと申します。“銀河の女王”と称えられた貴女様に御目文字叶い光栄であります」
「おお……貴女がユリアさんね。地球を訪れた時には入れ違いになって会えませんでしたが、事情はクレアさんから聞いていますよ……とても愛らしくて良くできた自慢の娘だとね。私がアナスタシア・ランズベルグです……サクヤが御世話になった様ですね。心から感謝します」
その言葉が嬉しかったのか、それまで纏っていた何処か冷たい雰囲気を霧散させたユリアは、花弁が綻ぶような柔らかい笑みを浮かべた。
「おや、おや。これはこれは……クレアさんが愛おしげに自慢する筈だわ……あと何年もしない内に社交界の注目を独占する逸材ですわね。その時はこの婆に任せて頂戴……決して悪いようにはしませんわ」
恥じらう少女の様子に相好を崩したアナスタシアは、そう約束して楽しげな笑い声を上げる。
テンション急上昇の大伯母にサクヤは微苦笑を浮かべ、ユリアは目を白黒させてしまうのだった。
※※※
「そう……達也とは上手くいきませんでしたか……」
長椅子に並んで腰を下ろすサクヤとユリアを前に、テーブルを挟んで対面に座すアナスタシアは落胆して表情を曇らせてしまう。
いつも手入れを怠らなかった藍青色の長髪が跡形もないのを問われたサクヤは、達也から結婚を拒絶されたと正直に告白した。
彼女にとっても僅かひと月前の出来事であり、強がってはいても自ら口にするには辛いものがあるのも事実だ。
しかし、努めて気丈に振る舞うサクヤの心情を察したアナスタシアは、労わるかの様に彼女を慰めた。
「確かに残念な結果には終わりましたが……あなたにとって今回の経験は、決して無駄ではなかったでしょう?」
「はい……たとえ想いが報われなかったとはいえ、後悔はしていませんわ……何も決断できずに悲観するばかりだった私が、行動をする勇気を持てたのですから……その機会を与えて下さった大伯母様には心から感謝する他はありません」
サクヤが微笑みを返すと、ユリアが躊躇いがちに言葉を差し挿んだ。
「あ、あのっ……どうかお父さまを責めないであげて下さい……決してサクヤ様を疎まれた結果ではありません。寧ろ姫様を好ましく思っていた筈なのです。少なくとも、私にはそう見えました」
少女のサクヤへの気遣いを好ましく思ったアナスタシアは『分かっていますよ』と言わんばかりに眼尻を下げて頷く。
「ユリアは優しい娘ですね……サクヤを気遣ってくれてありがとうね。あの融通が利かない朴念仁の達也には、本当に勿体ない程の娘さんですよ」
身も蓋もない大伯母の物言いに、サクヤは思わず口元を押さえて含み笑いを漏らしてしまう。
それを見たアナスタシアはサバサバした顔を彼女に向け、心からの想いを吐露したのである。
「それに……あのクレアさんが相手では如何にも分が悪い……容姿、才能、性格。どれひとつとっても文句のつけ様がない女性ですし、あの慈愛に満ちた懐の深さ、あの女性に敵わなかったのを恥じる必要はありません。寧ろ縁を結べた事を最高の幸運だと思いなさい。彼女の厚意を決して仇や疎かにしない様にね」
「はい。充分承知しております。あの御方に出逢えた事こそが私の財産ですから……それに今では『姉さま』と呼ばせて戴いておりますし……因みに達也様は『お兄さま』に降格です。私的にはクレア姉さまやユリアさんよりも格下ですわ」
そう強がって宣うサクヤの仕種が可笑しくて、アナスタシアとユリアは我慢できずに明るい笑い声を上げるのだった。
その後サクヤは、新たに命名されたアルカディーナ星系の実相と、今回の騒動の経緯と顛末、そして、達也らの決意を詳細に説明した。
その話を瞑目して黙って聞いたアナスタシアは、手元に用意していたノート型の情報端末をサクヤの前に差し出す。
「この一か月あまりの銀河連邦の変遷と、加盟各国の動静を調査した内容がこの中に収めてあります。よく精査して達也に知らせてあげなさい……恐らく、そう遠くない内に銀河連邦はモナルキア派の傀儡と成り果てるでしょう……現状ではそれを止める術はありません」
珍しく悲観的な物言いをする大伯母に驚かされたものの、現下の情勢を鑑みれば、それも致し方ないと納得せざるを得ない。
あの戦闘でエンペラドル元帥までもが戦死した以上、棚牡丹式にモナルキア派が躍進するのは至極当然の結果だ。
しかし、だからこそ偶然にしては出来すぎてはいないか……。
そう思ったサクヤは、達也から託されていた秘事を打ち明けた。
「大伯母様。モナルキア大元帥の側近である、ローラン・キャメロットという者には充分な注意を御払い下さい。並々ならぬ策士だと達也兄さまが懸念しています」
「そう、分かりました。私の方でも探りを入れてみましょう。それから、あなたが無事だった事は、皇王陛下や他の皇族にも暫くは秘しておきます……最近では皇宮にも胡散臭いネズミがチョロチョロしていますからね。何処から大事が漏れるかも知れません。あなたも辛いでしょうが、どうか我慢して頂戴」
「致し方ありません……父上や母上、そして兄妹達には申し訳ないと思いますが、今は銀河連邦加盟諸国家の存亡に係わる大事です……達也兄さまが目指す共生社会実現の為にも、私情を差し挿む気はありませんわ」
(本当に強くなった……達也やクレアさんに感謝しなければなりませんね)
見違えるほどの強い意志をその瞳に宿すようになった愛弟子の成長した姿を目の当りにし、アナスタシアは感嘆して胸の中で謝意を述べた。
だが、感傷に浸る暇がないのも理解している。
「その覚悟を大切になさい……それから、ファーレンのエリザベート女王陛下とは近日中に直接会談することが決まっています。ヒルデガルド殿下からの伝言も含めて私から事態を説明しましょう」
「そうして戴けるならば助かります。それから、今後の連絡手段についてですが、ロックモンド財閥総帥ジュリアン・ロックモンド氏の御協力を得て早急に確立させたいと考えています」
アナスタシアはサクヤの言葉に強く頷くと、立ち上がってふたりに歩み寄る。
そしてサクヤを抱き締め身内として精一杯の情を込めた言葉を贈った。
「この先も辛い事や厳しい事が沢山あるでしょう。でも、あなた達ならば必ず乗り越えられる筈です……大望を叶える日まで挫けないように……くれぐれも身体には気を付けてね」
「はい。大伯母様もどうか御健勝であらせられませ……いつかまた、共に暮らせる日が参りましょう……いえ、必ずそうして見せます。ですから、それまではどうか御身御大切に」
アナスタシアは優しく微笑んでその言葉を了承すると、今度はユリアを抱き締めて労わるように言葉を紡ぐ。
「貴女のようなしっかりしたお嬢さんが、サクヤの傍に居てくれるのは心強い限りです……でもどうか無理はしないで……達也やクレアさんを心配させてはいけませんよ……いつかゆっくりと御話できる機会があると信じて、その日を楽しみにしていますよ、ユリア」
「はい……はい、アナスタシア様。御言葉は肝に銘じて忘れません……。そして、私も再び御逢いできます日を楽しみにして御待ちいたします……どうかその日まで御健勝であらせられませ」
想いの籠った短い会話を交わした後、サクヤとユリアは現れた時と同様に忽然とその姿を消す。
再び静寂が訪れた執務室でアナスタシアは、随分と軽やかになった胸の中に熱い想いが灯るのを感じて新たな決意を懐くのだった。
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