第三十話 始動 梁山泊! ②
「れ、蓮……ま、まだ寝てなかったんだ……」
そう呟いて慌てて顔を背けた詩織は、待ち伏せていた蓮を視界から追い出す。
その挙動不審と言うしかない幼馴染の反応に腹立たしさを覚えたものの、自分の勘は正しかったと確信する蓮。
(やはりそうか……恰好つけたは良いが、結局は恐くなったんだな。子供の頃から少しも進歩してないな……コイツ!?)
『情を重ねたから好きだ……なんて言われたくない。ちゃんと私を見て決めて』
そう堂々と宣った当の本人が一ヶ月間も逃げ廻るとは思いもしなかった蓮にしてみれば、完全に肩透かしを喰らったようなものだ。
『それじゃあ、あの告白は何だったんだ!?』と大いに憤慨もしたし、詩織が何を考えているのか理解できずに悶々として過ごしたこの一ヶ月は、正にヘビの生殺し状態だったといえる。
何度面会を求めても『忙しい』の一点張りで拒絶されるわ。
態と自分が居ない時間を狙ってマンションに帰って来ては、着替えや身の回りの必需品だけ揃えて、さっさとバラディースの女性士官用の官舎に引き籠るわ。
情報端末はいつ掛けても電源が切られており、アイラに伝言を頼んでも、返事は梨の礫……。
基本的に温厚な性格だと自負している蓮だが、この不条理な仕打ちには、流石に『巫山戯るなっ!』と激怒せずにはいられなかった。
しかし、そんな憤りのなかで脳裏に蘇ったのは懐かしい昔日の記憶であり、そのお蔭で蓮は漸く自分の思い違いに気づけたのだ。
(そういえば、あいつ……小さい頃は本当に臆病で泣き虫だったな)
欠片ほどの面影も残ってはいないが、少女時代の詩織は確かに引っ込み思案で、何時も幼馴染である自分の後ろに隠れていた。
そんな出来事を思い出した連は、詩織は返事を聞くのが恐くて逃げ廻っているのではないか……。
そう思い至ったのだ。
物分かりが良く、勉強もスポーツもトップクラスの優等生。
その反面、勝ち気で男勝りでもあり、士官学校時代は男女双方から絶大な人気を得ていた詩織が、意外にも臆病で人見知りな性格だと知っている人間は殆んど存在しない。
彼女のそんな一面を知るのは、蓮以外には信一郎と春香ぐらいのものだろう。
だからこそ、蓮は詩織の不自然な行動の真意に気付いたのだ。
(意地っ張りの見栄っ張り……あれだけ大見栄切っておいて、いざとなったら逃げ廻るなんてな。こいつらしいと言うか、何と言うか……)
呆れて脱力した蓮だったが、このまま引き下がる訳にもいかない。
とは言うものの、視線すら合わせようとしない幼馴染をどうやって説得しようかと思案していると……。
「わ、悪いけど、着替えだけ用意したら艦に戻らなければならないのよ! ほら、明日出航だし、艦の最終チェックもあるし……は、話なら、今回の任務が終わってから聞くわ! だ、だから……」
明後日の方向に視線を彷徨わせる詩織が往生際悪く足掻く姿は正に滑稽であり、蓮は深々と溜息を吐くしかなかった。
だが、動揺してはいても、そこは長年人生を共にしてきた幼馴染である。
蓮の態度から馬鹿にされているのだと察した詩織は、一転して柳眉を吊り上げるや、頬を膨らませて文句を言いだした。
「な、何よ! そんなにあからさまに『おまえ馬鹿じゃん』って態度取らなくてもいいじゃないッ! 本当に時間がないのよ私。だから退いて頂戴!」
此の儘では埒が明かないと思った詩織は、強引に蓮を押し退けて部屋に逃げ込もうとしたのだが……。
「だって馬鹿じゃん? 話を先延ばしにして何が変わるっていうんだ? それとも何か? 明日乗艦する新造艦の中で告白の返事を聞きたいのか?」
その台詞の意味を理解できずに巨大な疑問符を頭上に浮かべる詩織は、続け様に浴びせられた追い打ちに仰天せざるを得なかった。
「お前が艦長を務める今回の任務……新鋭艦搭載の新型戦闘機と小型連絡シャトルの専属パイロットとして、俺も同行するから」
「はあぁッ!? な、何よ、それぇッ!? そんな話、私は聞いてないッ!」
自他共に才媛だと認める詩織が顔を真っ赤に染め、滑稽なほどに狼狽する姿など滅多に拝めるものではない。
幼馴染の貴重な映像を情報端末の動画に収めておきたい……。
そんな極めて不謹慎な欲求を辛うじて胸の奥に封じた蓮は、動揺し平静を失った詩織に更に追撃を加えた。
「俺も夕方に聞いたばかりだからな……それよりもどうするんだ? 明日乗艦してからブリッジで告白しようか? 俺はそれでも構わないぞ」
そんな羞恥プレイを決行する気は更々ないが、敢えて強気でそう言うと……。
「やめてよねッ! そんな恥ずかしい真似されたら、艦長の威厳も面目も丸潰れになっちゃうじゃないッ! 私に恥を掻かせて何が楽しいのよっ!?」
(この一ヶ月間、寝食を共にして信頼関係を築て来た仲間の前で告白ぅ~~!? 冗談じゃないわっ! 断固阻止しなきゃっ!!)
絶望に彩られた場面を想像しただけで目の前が真っ暗になる。
鼓動を速めた心臓がパンクしそうなのを懸命に鎮めながら、剣呑な瞳で幼馴染を睨みつけた詩織は、噛み付くような勢いで罵声を浴びせていた。
しかし、蓮は怯みもせず、その視線を受け止めて言い返す。
「じゃあ聞くがな?『ちゃんと私を見て考えて返事をしろ』と言ったのは誰だったかな? それなのに、いざ返事をしようとしたら、言い出した本人が怖じ気付いて逃げ廻るとは一体全体どういう了見なんだ?」
「うっ……そ、それはっ! ち、違うもん……訓練だったんだから……怖じ気付いた訳じゃ……」
図星を指され一転してしどろもどろで言いわけをする詩織だったが、険しい蓮の双眼に射竦められて語尾が尻すぼみになってしまう。
往生際悪く逃げまわっていたという自覚はあるし、浴びせられた非難が的を得ているのは、誰よりも彼女自身が分かっていた。
だから、それ以上の反論はできず、消沈して項垂れるしかなかった。
(私って馬鹿だ……蓮を怒らせちゃった……こんなんじゃ、もう……)
愛想を尽かされて嫌われてしまう……。
当然、長年懐いて来た想いは通じないだろう……。
そう覚悟を決め、俯いたまま目を閉じて審判の時を待つ。
しかし、耳に飛び込んで来たのは拒絶の言葉などではなく、たっぷりと呆れ成分を含んだ幼馴染からの問い掛けだった。
「詩織……おまえ、これを忘れてしまったのかよ?」
何を言われたのか分からずに顔を上げると、軍服の内ポケットから紫色の御守袋を取り出した蓮が、更にその中から何かを取り出そうとしているのが目に入る。
その御守袋はふたりが伏龍士官学校に入学する際、蓮の母親の春香から贈られた物だった。
因みに詩織の物はオレンジ色がかった朱色をしており、今も大切に胸ポケットに収めて携帯している。
「春香小母さん……ううん、お義母さんに貰った御守じゃない……そんなの……」
「違うよ、袋じゃなくて中身の方……これさ」
そう言った蓮が指で摘まみ出したのは、小さくて真っ赤なリングだった。
しかし、それを見た詩織は両の瞳を見開いて驚きを露にし、掠れた声を漏らして絶句してしまう。
「そ、それは……あの時の……」
※※※
あれは初等教育の一年目。
もうすぐ六歳の誕生日を迎えようかという、春も半ばを過ぎた頃だったな……。
通学路は満開の桜並木……私はいつも蓮と一緒にその道を登下校に使っていた。
そんな芳春のある日の帰り道……その日の私は最高に御機嫌だった。
大好きなアニメとコラボした大手食品メーカーが、数量限定で販売した復刻版の清涼飲料が運良く手に入ったものだから、まさに天にも昇る気分で燥いでいたのを覚えている。
手に入れたお宝は、食品メーカーが二百年以上前の創業時に販売していた缶入りの清涼飲料で、缶の表面にアニメのキャラクターが描かれた物だった。
既に当時はバイオプラスチック製の容器が主流になっており、缶ジュースというアイテムそのものが絶滅していた為に入手は非常に困難だったが、私がそのアニメの大ファンなのを知ったお父さんの友人の商店主が一本だけ確保してくれたのだ。
欲しい欲しいと切望しながらも、競争率の高さから入手は困難だと諦めていただけに喜びは一入だった。
そして、有頂天のまま弾むような足取りで桜並木を駆ける私を、蓮が呆れた顔で追いかけて来たのを昨日の事のように思いだせる。
そして、そんな帰り道の途中だった……。
家の近所にある古い教会で執り行われていた結婚式……。
今まさに白いタキシードを着た新郎と純白のウェディングドレスを纏った新婦が、熱いくちづけを交わそうかというシーンに私達は出くわしたのだ。
桜吹雪が舞う中で永遠の愛を誓う新郎新婦……。
そして結婚式恒例の指輪の交換。
その光景が余りに美しく、そして眩しく見えた私の興奮は最高潮に達し、いつか私も蓮と結婚したい……そんな未来の幸福な瞬間を幻視した私は完全に舞い上がってしまった。
『わたしが大人になったら、蓮のオヨメさんになってあげるねっ!』
高揚した気分に煽られてそう宣言する私を一段と呆れた顔をして見ている蓮。
折角の一大決心を馬鹿にされたように思えて憤慨した私は、手に入れたばかりの大切な缶ジュースの真っ赤なプルトップを強引に取り外し……。
『これが約束のゆびわだよっ! だから、蓮はわたしのオムコさんになるのっ! ぜったいに、詩織をオヨメさんにするのぉ──ッ!』
大胆にもそう宣言して蓮に押し付けたのだ。
今思い出しても顔から火がでそう……。
蓮は驚きに目をパチパチさせていたが、それでも私のプロポーズを理解したらしく急に顔を赤らめ、そして辛うじて聞き取れる声音で私の願いに応えてくれた。
『お、大人になったらさ……ボクがゆびわを買ってプレゼントするから……詩織をオヨメさんに……するから……』
その彼の言葉は、今も耳朶の奥深くに残っている……。
雪のように降りしきる桜の花びらに祝福された、鮮やかな記憶と共に……。
※※※
「お、覚えてくれていたんだ……それに、そのプルトップ……とっくに無くしたとばかり思っていたわ」
詩織は自分の声が震えているのを自覚したが、歓喜でグチャグチャになった頭では上手く思考が働かず、それだけ口にするのがやっとだった。
「ずっと持っていたさ……だけど、歳を重ねる毎に、あの時の想いを口にするのが気恥ずかしくてさ……詩織はどんどん綺麗になっていくし、おまけに非の打ち所がない優等生で……でも俺は何時も助けて貰うばかりで、正直なところ俺はおまえには不釣り合いじゃないかと思っていた……だが、今回の事で良く分かったよ」
一旦言葉を切った蓮は、熱を帯びた詩織の視線をしっかりと受け止め、偽り無き正直な想いを告白した。
「俺はもう迷わないよ。自分が信じるものの為に戦う。大切な人々を護る為に……そして詩織、おまえを護る為に戦うよ……だから、ずっと俺の傍に居て欲しい……愛している。誰よりもおまえを」
蓮にとっては精一杯の勇気を振り絞った一世一代の告白だった。
拒まれはしないと思ってはいても、不安で胸の鼓動が耳朶に響くかの様な錯覚を覚えてしまう。
しかし、緊張して身構える彼の眼前で呆然とした面持ちで立ち尽くしていた詩織が何の前触れもなく腰砕けになり、まるで糸が切れたマリオネットの様にその場にへたり込んだのを見て驚いてしまった。
「お、おいっ!? 詩織っ!」
吃驚仰天して、床の上に尻もちをついている詩織の肩を抱く様にして声をかけると……。
「ご、ごめん……う、嬉しくて……腰が抜けちゃった……みたい……」
そう口にした彼女の両の瞳に涙が浮かび、ぽろぽろと頬を伝い落ちていく。
しかし、その表情は喜びを滲ませた微笑みに彩られており、それが詩織の嘘偽り無い心情なのだと理解した蓮は安堵し胸を撫で下ろした。
「ば、馬鹿だな、泣く奴があるか……」
「だって……だって嬉しいんだもん。想いが通じたんだよ……それ以上に嬉しい事なんか、私にはないんだもん……」
泣き笑いが本格的な嬉し泣きへと変わり、詩織は溢れる涙と嗚咽を我慢できずに恋人の胸に顔を埋める。
それは幼い頃の彼女の姿そのものであり、蓮は不思議な既視感を覚えた。
引っ込み思案で怖がりなくせに意地っ張りで頑固……。
そして、とても泣き虫だけれど大切な幼馴染。
「ようやく、あの頃の素直な気持ちになれたよ……俺も詩織に想いが通じて良かった……愛している……今までも、そしてこれからも……ずっと……」
そう告げて華奢な肢体を優しく抱きしめてやると、詩織は何度も何度も蓮の胸の中で頷くのだった。
◇◆◇◆◇
翌日の夕刻。
バラディースの送迎用のデッキには、詩織を筆頭に今回の任務に参加する主要な面々が揃っていた。
見送る側は達也を筆頭に白銀家の家族とマリエッタにアイラ。
見送りを受けるのは詩織と蓮、そしてサクヤとユリアの四人だ。
他の乗員は既に新造艦に乗り込んで最終チェックを行っており、家族や知人との挨拶は済ませている。
「如月中尉。緊急性の高い任務だがくれぐれも慎重にな……君達全員の無事帰還を心待ちにしているよ」
達也がそう語りかけると詩織は緊張した面持ちで敬礼するや、決意を口にした。
「お任せください。必ず拝命した任務を成し遂げて帰還いたします!」
力強い言に満足して頷いた達也が周囲へと視線を向けると、マリエッタはサクヤに、そしてユリアを取り囲むクレアやさくら達が言葉を掛けているのが見える。
しかし、そんな中にあって、デッキの下部から広がる洋上に係留された新造次元潜航艦に視線を注いでいる蓮とアイラの姿が目に留まった。
全長は銀河連邦軍汎用護衛艦(駆逐艦クラス)よりもやや長く。
全幅は重巡級と同程度はあろうかという威風堂々とした艦船が、波間にその雄姿を浮かべている。
その真紅に塗装された船体を、赤色マニアのアイラは憧憬の眼差しで見ているだけだが、その一方で乏しい記憶の底を懸命に浚っていた蓮は、ある結論を得て目を丸くしていた。
(こ、これは……士官学校のライブラリーの資料で見た事があるような……確か、大昔の第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦……)
「どうした、真宮寺中尉? 何を呆けた顔をしている?」
胡乱な視線を新造艦に向けている蓮の様子を不審に思った達也が小首を傾げながらそう訊ねると……。
「こ、これ……ひょっとして、大昔の帝国海軍……イー四○○型潜水艦じゃないですか?」
己の乏しい知識の中から辛うじて正当を導き出した蓮は、呆れ成分を含んだ視線を尊敬する提督に向け、恐る恐るといった風情で訊ねた。
「気づいたかッ! そうなんだよッ! ヒルデガルド殿下に無理をお願いしてな。護衛艦は数が多くて無理だから、せめて、建造予定が少数の次元潜航艦だけでも、その雄姿を再現したい……という俺の要望が通ったんだ!」
強面と自他共に認める男がキラキラの瞳で燥いでいる……。
蓮は開いた口が塞がらずに立ち尽くすしかなかった。
まるでお気に入りの玩具を手に入れた子供の様に、満面に笑みを張り付けた達也が熱く語れば、これまた双眼に星々を散りばめた詩織が興奮した口調で横から割り込んで来て捲し立てる。
「凄いでしょうっ! 外観は精巧に再現されて瓜二つなの! 全長と全幅は拡張されているけれど何の問題はないわ! 次元潜航艦イ号四○○型一〇一『紅龍』! どう? 恰好良いでしょう? 艦名は私が付けたのっ! もう最っ高ッ!」
テンションアゲアゲで燥ぐ二人をジト目で見る蓮は溜め息を吐くしかない。
(そう言えば、詩織は重度の軍艦マニアだったな。白銀提督もそうだったとは……二人して俺をロボットオタク扱いして馬鹿にしたくせに……)
恨みがましい視線の先では意気投合した変人二人が盛り上がっている。
「本当は各タイプを再現したかったんだが……空母なら赤城、加賀、蒼龍型、翔鶴型、大鳳型。高雄、妙高、古鷹などの巡洋艦……駆逐艦なら陽炎、秋月、特型! あぁっ! 戦艦は大和型に長門型ッ! 金剛型も譲れんぞッ! くうぅぅ~ッ! 建造工程の効率化と資金面の問題さえなければッ!」
「そんなのいいじゃありませんか! 造りましょうよぉ~~連合艦隊っ!」
何も見なかった、聞かなかったと己に言い聞かせる蓮は、視線を遥か洋上の彼方へと向けて素知らぬ顔を装う。
自分はこの変人達の仲間ではありません……。
そう周囲にアピールし、いずれ訪れるであろう災厄に対する予防線を張ったのである。
このオタク二人の仲間認定されて、ヒルデガルドから雷を落とされるのは真っ平御免だ!
そう固く決意した蓮は、未だに軍艦談議で燥いでいるふたりを尻目に戦略的撤退を選択するのだった。
所謂、『触らぬ神に祟りなし』である。




