第三十話 始動 梁山泊! ①
「新型艦艇の一号艦は無事就航して艦長以下乗員の習熟訓練も終了した。あす夕刻一八:○○を以て初出撃となる……我々の生存を伝える為の隠密任務だ。都市建設の指揮者であるサクヤには申し訳ないが、ランズベルグとロックモンドとの交渉をよろしく頼むよ」
淡々とした達也の言葉にリラックスした微笑みを返したサクヤは、その要請を応諾して胸を張る。
「お任せください。逃避行の顛末と機密事項を伝えた上で今後のスケジュールだけは取り決めてまいりますわ……とは言え、長く留守にする訳にもいきませんので、ロックモンド氏との会見が終了次第、彼を伴なって早急に帰還いたします」
「うん……星系入り口に近付けば精霊達が感知してくれる。先導艦は派遣するから心配しなくていい。但し、ロックモンド氏には隠密裏に行動するように念を押してくれ……暫くは姿を隠して力を蓄えなければならないし、我々が生存している事実を敵に知られたくはないからね」
「承知しておりますわ。達也お兄様」
この半月余りの間バラディース司令部内の執務室で顔を突き合わせているふたりは、動き出した各事業について意見を戦わせ、より良い方策を模索するべく全力を尽くして来た。
承認された案件は時を置かずに達也の権限に於いて発令されており、新都市開発や新産業創生事業に反映されている。
そして、その効果は各種事業の効率アップという形で顕著に表れていた。
内政開発を殊更に急いでいるのは、住民生活の水準引き上げが急務という事情もあるが、近い将来に亜人種を移民として受け入れる計画を視野に入れているという側面が大きい。
しかし、他にも喫緊の課題が山積する中、優先順位が低い案件にリソースを割く達也の方針に疑問を懐く者も当然の様に存在した。
「なにをやるにしても人手は多いに越したことはないが、近日中に受け入れ態勢が整う訳でもあるまい? その間に殿下考案の多目的対応型アンドロイドを量産し、各分野の人手不足を解消すると聞いたが……大丈夫なのかい?」
煩雑な事務処理の手伝いに駆り出されているラインハルトがそう訊ねると、端末画面とにらめっこしているエレオノーラも彼に同調し、渋い顔で疑問を口にする。
「『万脳くん・スーパータイプ』『万脳くん・汎用タイプ』とかの、不気味極まりないネーミングの代物だったわよね? 然も、戦闘艦運用時には下士官が受け持つ任務を代行させる『歴戦の猛者君』とかいう怪しげなアンドロイドを実戦配備すると聞いたんだけど……不安しか感じない私が狭量なのかしら?」
如何にも胡散臭いと言いたげな親友らの懸念は尤もだが、悠長に正道を歩む余裕がない以上、苦笑いを返すに留めるしかない。
しかし、イェーガーの死以来、元気がなかったエレオノーラが復調したのは幸いだった。
(合同葬も終わって、漸く吹っ切れたようだな……エレンらしさが戻って来た)
だが、敢えてそれを言葉にする様な野暮な真似は慎んでおく。
共に死線を潜り抜けて来た間柄だからこそ、悲しく辛い想いは口にしない……。
それが達也なりの気遣いであり、彼らの暗黙のルールに他ならないからだ。
「趣味の分野では悪質極まりないが本気を出した時は別さ。将来的には雇用創出の問題も無視出来なくなるが、新都市建設とインフラ整備、農水産事業の労働力確保は急務だ……贅沢は言っていられないよ」
「アンタが保障するのなら間違いないのでしょうけど……あぁ! それから小耳に挟んだんだけど、先史文明のオーバーテクノロジーを殿下が解明したそうね?」
如何にも今思いだしたといった風情でエレオノーラが問うと、達也は渋い表情で声のトーンを落とす。
そんな親友の態度から必ずしも朗報ではないと、ラインハルトとエレオノーラは察したのだが、その推察は強ち間違ってはいなかった。
「あぁ……その通りだよ。新型艦船に流用可能な技術らしくてね……実用化に暫く時間が掛かるからと言って、全ての艦船建造がストップしてしまったのさ。当面は偵察任務と周辺宙域警備目的で開発を最優先した次元潜航艦のうち、就役した二隻と建造中の八隻……合計十隻のみで遣り繰りするしかないな」
出来るだけ早期に戦力の充実を図りたいのは山々だが、開発資金や資材が有限である以上、無駄使いは控えなければならない。
将来的に高性能の新造艦が建造可能であるのならば、間に合わせの戦力に資源を割くのは無意味であり、だからこそ此処は我慢のし所だと、達也は焦る自分に言いきかせるのだった。
「それから、新しく発見された星間物質の粒子体だが、精製する事でエネルギーに転換できるそうだ。先史文明の技術の中にそのエネルギーを使用した核融合動力炉の設計図が残っていたらしくてね……その理論を応用した動力システムを導入して新造艦を建造すると殿下は息巻いていたよ」
純粋に技術畑のことはヒルデガルドに頼り切るしかない現状で、彼是と口を出す愚を犯すほど達也らは馬鹿ではない。
「こ、これは? 衛星ニーニャの地下空洞を拡充し、軍の基地施設を建設する? 然も、そこへ鉱石採掘惑星型プラントを移設するというプランとは?」
手元の情報端末のデーターを漁っていたラインハルトが、その画面に表示されたとんでもない開発概要を目にし素っ頓狂な声を上げる。
「新型戦闘艦艇に搭載予定の新型エンジンは、排出物質に大気を汚染して自然環境に少なからずダメージを与える成分が含まれているらしい……だから軍事拠点たる施設はニーニャに集中させて、工業プラントも基地の隣に移設する方が効率的だと言われてね……」
達也が端末を操作すると、ヒルデガルドが考案し軍事要塞化された衛星ニーニャの3Dホログラムが眼前の空間に現れた。
「セレーネの美しい自然を可能な限り維持することは、我々が目指す共生社会には欠かせぬ必須条件だ……殿下は誰よりもそれを理解しているよ」
その説明を聞いたラインハルトは、尤もな話だと納得して大きく頷く。
「そうなると、軌道エレベーターと軍民共用の宇宙港も建設しなければならないな……近隣宙域の防衛を考慮すれば常駐の宇宙軍が必要になる。宇宙桟橋の建設も不可避か……」
亜人だけではなく精霊とも共生する世界を達也らは目指している。
機械文明を妄信する余り、自然に恵まれた楽土である惑星セレーネを汚すような真似をすれば、精霊達の怒りを買った挙句に共生の試みすら画餅に帰しかねない。
何を措いても、理想の根幹を為す理念を蔑ろにしては意味がないだろう。
だからこそ慎重に、そして着実に物事を進めなければならないのだ。
しかしながら、それらには莫大な費用が掛かる。
その事を誰よりも知るサクヤにとって、資金繰りは最も頭の痛い問題であるからこそ、軍備の重要性を認識しながらも軍人トリオに釘を刺すのを忘れなかった。
「達也お兄様……戦力を整備するのは重要な案件ですが、新都市の建設と産業振興が最優先ですよ? その上で劣悪な環境下で打ち捨てられている亜人の皆様を迎え入れて人口の増加を図る。独立勢力なればこそ経済的にも自立しなければ、如何に高邁な理想を掲げようと戦いを継続するのすら難しいのですからね」
彼女の言い分は一々尤もであり、三人は反論する術すらない。
「ロックモンド財閥からの支援が見込めるとはいえ、現状では開発事業はもとより政策や行政を支える収入源がない以上、優先順位を間違えないようにしないと……あらっ、もうこんな時間……」
実質的な首脳陣に現在の危うい状況を理解して貰おうと、重ねて説教をしようとしたサクヤは、思いも掛けず時間が経過しているのに驚きの声を上げる。
「そう言えば明日からの航海に備えて、艦長の詩織や同行するユリアと打ち合わせを兼ねた会食をするのでしたね?」
笑顔でそう問うエレオノーラに、サクヤは照れ臭そうにはにかんで見せた。
「えぇ。クレアお姉様が『華やかな女子会だから、腕の振るい甲斐があるわ』と仰って美味しいものを作って下さるそうです。皇宮に引き籠っていては経験できない事ばかりで、皆様には心から感謝していますわ。それでは達也お兄様、お先に失礼します。ラインハルト様もエレオノーラ様もお疲れさまでした」
「あぁ、お疲れ様。俺はもう少し意見書に目を通した後、最後に工事現場に寄って慎ちゃんと話をしてから帰宅するよ……そうクレアに伝えておいてくれ」
達也の懇願を微笑みで了承したサクヤは一礼して執務室を出て行く。
ドアが閉まり彼女の気配が消えた途端、エレオノーラがジト目で達也を睨んだ。
「お兄様……ね……」
半ば呆れた様な彼女の声音に、眉間に皺を寄せた達也は心底嫌な顔をした。
「何だよ、その目は? 彼女の方から懇願して来たのだから仕方がないだろう? 『妹だと思って下さるそうですから敬称は止めて下さい。私のささやかなお願いぐらい叶えて下さいますわよね?』と言われた挙句、由紀恵母さんや秋江。おまけにクレア以下、子供達までが姫の味方をするんだ……俺に拒否権があるとでも?」
正式に別れを告げたという話は直ぐに皆の知る所となった。
しかし、想いを拒まれたサクヤが達也を擁護した為、表立って彼を非難する者はおらず、円満に事が治まった筈だったのだが……。
あの日以降家族全員がサクヤの味方であると宣言した上に、その総意での決定については、達也も否を唱えられなくなってしまったのだ。
その所為かサクヤもすっかり家族の一員として白銀家に溶け込んでいるのだが、一人悪者にされた気分の達也にしてみれば、どうにも釈然としないものがある。
「そんなに不貞腐れなくてもいいじゃない。別にアンタを責めている訳じゃないのだから……ただ、もっと別の選択肢もあったんじゃないかと思っただけよ」
親友の置かれた難しい立場と現状の境遇には同情を禁じ得ないが、エレオノーラにしてみれば、サクヤの真摯な想いを知るだけに、もっと時間を掛けていれば理解できたのではないか……。
そんな想いを捨てきれないでいるのだ。
「どんなに俺に都合の良い理由を論っても、サクヤ様の想いを受け入れることはできないよ……彼女を異性として愛しいと思えない以上は、偽りの結婚生活など長く続きはしないだろう。ましてや、あの方のあるべき未来を潰す訳にもいかない……絶対にな」
そう言い切った達也は残りの仕事に取り掛かり、親友達にそれ以上の質問を許さず、ラインハルトとエレオノーラは顔を見合わせ苦笑いするしかなかった。
それは親友の頑なさに呆れたからではなく、『こいつなら仕方がないか』と納得している自分も充分変人だと思ったからかもしれない。
◇◆◇◆◇
日付が変わろうかという深夜になってから、詩織は自宅マンションの正面玄関口に辿り着いた。
栄えある新生白銀艦隊一号艦の艦長に抜擢されてからというもの、ヴァーチャル訓練システムで操艦指揮等の基礎訓練に没頭し、乗艦が配備されてからは、十人の部下とヒルデガルド謹製のアンドロイド十体と実地訓練に明け暮れていたのだ。
その間は忙しさを理由にして帰宅しておらず、訓練期間中は専らバラディースの女性官舎で寝泊まりしていた。
そんな状況も手伝ってか、出撃を明日に控えた彼女達を慰労する目的でクレアが開いてくれたパーティーにも、詩織は最後まで居残ったのである。
それ故、あの夜以来、蓮とは唯の一度も顔を会わせてはいない。
会う機会がなかった訳ではないが、なまじ時間だけが経過したばかりに、どんな顔をすれば良いのか見当がつかず、意図的に蓮を避けていたのだ。
あの夜、傷ついていた想い人を前にした詩織は、胸のうちに込み上げた切なさと愛しさに流されて情を重ねてしまった。
そして、その事実に責任を感じた蓮が自身の気持ちを確かめずに答えを出すのを良しとせず、その場で彼の想いを聞くのを拒んだ。
数日の間を置き双方が落ち着いてから答えを聞ければいいと決め、それがどんな結果になろうとも甘んじて受け入れるつもりだった。
そう決めていた筈なのに……。
日を追う毎に蓮の答えを聞くのが怖くなってしまった。
想いを拒まれたら幼馴染ですらいられなくなるかもしれない……。
そう考えただけで恐くて恐くて堪らなくなり、訓練を口実にして逃げ回っていたのである。
(こんな時間なら明日の訓練もある筈だから、もう寝ているわよね……)
あれほど恰好を付け見栄を切っておきながら、この為体だと自嘲する他はないが、今夜までは何とか顔を合わせまいと遅くまで時間を潰したのだ。
(明日から暫くセレーネを離れられる……その間は夢を見続けていられる)
しかし、そんな彼女の切なくも儚い願いは、エレベーターを降りた瞬間に露となって消えてしまう。
「れっ、蓮……」
部屋のドアに背中を預けて立ち尽くす険しい表情の幼馴染が、真っ直ぐな双眼で自分を見つめている。
その視線に気圧されて呆然と立ち尽くす詩織は、掠れた声で想い人の名を呟くのが精一杯だった。




