第二十九話 流転する世界 ③
「おや? お前たち……私を出迎えてくれるのですか? 珍しい事もあるものですねぇ~」
テベソウス王国母星ダネルの王都に隣接する国際都市メンデル。
その郊外の丘陵地帯に造成された住宅地に建つ、鮮やかな真紅の屋根が目を引く平屋がクラウス・リューグナーの自宅だ。
共に生活する家族は妻のエリザのみで、他の平均的な長命種の夫婦同様、結婚して百二十年の年月が過ぎた今も子宝には恵まれていない。
各メーカーがその総力を注いで設計建築した個性的外観の新興住宅が軒を連ねる中、小さな公園や花壇に囲まれている彼の家は、周囲からは孤立しているようにも見える。
その木立や茂みには、地球で言う所の『猫』に該当する小型の哺乳類テルヌーラが数匹住み着いており、野良である彼らを不憫に思ったエリザが、なにくれと面倒を見ていた。
テルヌーラ達は例外なく彼女に懐いているが、クラウスに対しては、近寄る所か気配を感知しただけで蜘蛛の子を散らす様に逃げ出すのが常だったのだが……。
そんな彼らの中の二匹が足元に擦り寄って来たのだから、彼が小首を傾げたのも無理はないだろう。
(珍しい事もあるものですねぇ。というよりも、不思議な事と言うべきですか?)
いつもの態度を急変させたテルヌーラの行動を訝しんだが、動物を愛でる趣味など持ち合わせていないクラウスは、さして気にもせずに彼らを脇に追いやって玄関へと向かうのだった。
◇◆◇◆◇
(参りましたねぇ……あのテルヌーラ達は、このピンチを教えてくれようとしたのかも知れませんねぇ)
今更気付いても手遅れだと痛感するクラウスは、胸のなかで小さく溜め息を零しながらも、鉄壁のポーカーフェイスで完全武装する。
妻の趣味による品の良い家具が、瀟洒な雰囲気を演出するリビング。
長ソファーに身を預けている彼は、クリスタル製の応接テーブルを挟んで、妻のエリザと向かい合っているのだが……。
「それで? 一体全体これは何なのでしょうか? あなた」
柔らかく上品な物言いだが、愛妻が怒っているのは疑うべくもない。
故国ファーレン王国に於いて代々祭事を司る神官を輩出して来た名家の出である妻とは、熱烈な恋愛の末に結ばれたという経緯がある。
何事も現実的合理主義に基づいて行動するクラウスが、生涯で唯一度だけ直情的な情熱に浮かされて口説き落としたのがエリザだった。
所謂一目惚れという奴だ。
だが、恋愛にしろ何にしろ、男と女の間では先に惚れた方が負け……というのは不変の真実であり、銀河系の如何なる場所に於いても同じである。
そして、それは敵味方を問わず数多の情報組織から恐れられる【グレイ・フォックス】も例外ではなかった。
彼がこの世で唯一頭の上がらない女性こそが、愛妻であるエリザ・リューグナーに他ならないのだ。
彼の対面のソファーに腰を下ろした絶対強者は、品の良い微笑みを浮かべながらテーブルの上に並べられている小筒状のアイテムに視線をやるや、無言を貫く夫へ問い掛けた。
「聞こえていらっしゃいますか? この可愛らしいお嬢さんは何処の誰か……と、訊ねているのですが?」
「その問いに答える前に、ひとつ御聞きしたい事があるんですがねぇ。これ、隠し金庫に入れていた筈なんですが、一体どうやって取り出したのですか?」
「私とてスパイの妻ですもの。ピッキングツールのひとつやふたつは……」
「君は亭主の職業を誤解していませんかねぇ? 情報員と泥棒は別物ですよ?」
「大した違いはありませんでしょう? 人様から何かを盗むことに変わりはないのですから……それが大切な秘密なのか財産なのか? 違うのはその程度ですから、些事に過ぎませんわ」
そう言って自分の正当性を主張する妻にクラウスはお手上げのポーズ。
舌戦の前哨戦に勝利し、さらに笑みを強くした彼女の視線の先には、高性能小型ホログラム転写機に収められていた動画……黒髪の少女が燥ぎ廻っている映像が、音声付きで宙空に再生されている。
エリザは鋭い眼光で夫を射竦めて無言の圧力を加えた。
(どう説明してもエリザを悲しませてしまうでしょうねぇ……然も、この娘が既に此の世の者ではないと知れば、非難が向く先は私一択……ぞっとします)
どのような言い訳をして状況を取り繕ったとしても、勘の良い妻を誤魔化すのは至難の業だと言わざるを得ない。
それをよく知るクラウスが懸命に逃げ道を模索していると……。
「白状なさいませ! あなたっ! この様な幼子を愛妾にしよう等とは、鬼畜にも劣る所業ですわよッ!」
その美貌から笑みを掻き消したエリザの口から想像の斜め上をいくとんでもない非難が飛び出し、クラウスは思わず細い両の眼をこれでもかという位に見開いてしまった。
「四百年も生きている上に、結婚して百二十年も経つ古女房に辟易したのは仕方がないとしても……こんな幼女に手を出すなんてッッ!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさ……ツッ!??」
激昂するエリザを宥めようとして、クラウスが腰を浮かせた瞬間だった。
激しい破砕音とともにリビングの窓という窓が破壊され、そこから悪意に満ちた凶弾が飛び込んで来る!
(グレネード?)
クラウスがそれを認識したのと、辺りを揺るがす複数の火球がリビングを爆砕せしめたのは同時だった。
※※※
宵の口の閑静な住宅地を揺るがした爆音と衝撃波が、周囲を一瞬にして阿鼻叫喚が飛び交う混乱の坩堝へと変えてしまう。
幸か不幸か爆発炎上する家は周囲とは公園や樹木で隔てられており、この程度の火勢であれば隣家に延焼する恐れは無いが、爆発音に驚いて飛び出して来た人々が騒然となるのは致し方なかった。
そんな恐慌を来した人々の喧騒から少し離れた木立の中、三人の男達が人の目を忍ぶように闇の中に潜んでいた。
季節外れの漆黒のオーバーコートをまとった彼らは、その懐に小型のグレネードランチャーを隠し持ち、燃え盛る家屋から脱出する者がいないか観察している。
「どうやら、跡形もなく吹き飛んだらしいな……」
「狭い屋内でグレネード三発だぞ……生きている訳がないだろうがっ! 確認など時間の無駄だぜ」
「まあな……だが命令だから仕方があるまい……とは言え長居は無用だ。住人達に顔でも見られたら厄介だ。要らぬ手間が増えない内に退散しよう」
リーダー格の男がそう促すと残りの男達も無言で頷く。
そして、炎に舐め尽くされた屋根が崩れ落ちたのを潮時に、彼らは木立の隙間を縫って闇の中へと姿を消したのである。
しかし、草垣の隙間から自分達を窺う四つの小さな光に、彼らは最後まで気付けなかった。
闇の中のさらに濃い闇から抜け出て来たその光の正体は、この辺りを根城にしているテルヌーラの番の小さな瞳に他ならない。
然もそれは、つい先ほど帰宅したクラウスに擦り寄って来た二匹だった。
彼らは襲撃者達が立ち去った方向を一瞥するや、優雅な足取りで反対方向の木立へ移動し、その闇へと身体を潜り込ませる。
すると次の瞬間に有り得ない現象が起きた。
「どうやら、立ち去ったようですねぇ……大丈夫ですか? エリザ」
「大丈夫じゃありませんわっ! あのアバターお気に入りでしたのに……」
テルヌーラの番が、顔を突き合わせて人語で会話を始めたのだから、周囲に人がいれば確実に大騒動に発展していたかもしれない。
しかし、住宅街の喧騒は収まる気配はなく、完全精神体であるクラウス夫妻が憑依したテルヌーラに意識を向ける人間は誰一人として存在しなかった。
「憤慨するポイントは其処なのですか? 本当に貴女は動じない女性ですねぇ~~私はいつも感心させられてばかりですよ」
「何を仰っているのやら……あなたと結婚してからというもの、何度襲撃されたと思っているのですか? もうすっかり慣れてしまいましたわ」
夫の揶揄う様な台詞に憤慨して言葉を返したエリザは、更に呆れた様に言う。
「それにしても、毎度毎度芸のない……暗殺手段といえば爆弾か飛び道具しか思いつかないのですか、あなたのお仲間さんは?」
幾分皮肉を含んだ妻の台詞に内心で苦笑いしながらも、クラウスもその意見には大いに賛同する所だ。
「私がファーレン人だという事は秘匿していますからねぇ……ある意味仕方がありませんよ。しかしながら、『手っ取り早く始末すれば良い』という安易な考え方は工作員としては失格なのですが……何時からこんなに質が落ちたのか、本当に嘆かわしいですねぇ」
「あら? あなたは彼らの上司なのでしょう? ならば、あなたにも責任の一端があるのではなくて?」
「よして下さい。私の部下達ならば、もう少しスマートなやり方を選択しますよ。先程の連中は軍の特殊工作隊のメンバーでしょう。美学も何もない野蛮人の面倒を見る趣味は有りませんのでね。尤も、私の命を狙う組織に仕える義理はありませんから……これで晴れて宮仕えから解放されるという事になりますねぇ」
「あらっ? では、退職金もなしですの? それは人が良すぎでは?」
「お金と命……天秤に掛けるほどの守銭奴でしたかね、貴女は?」
二匹……いや、リューグナー夫婦は軽口を叩き合いながら木立を抜け、人通りのない幹線道路沿いの歩道に降り立つ。
強力な装備を備えた消防車両が、けたたましいサイレンを鳴り響かせながら走り抜けていくのを横目で見送ったエリザが問い掛けた。
「それで、これからどうなさるのですか?」
「やはりあの男……陸でもない事を考えているようですね……」
無表情な仮面を張り付けた様な男……ローラン・キャメロットの顔を脳裏に思い浮かべたクラウスは、不快な感情を隠そうともせずに嘯く。
今後、銀河連邦という巨大組織が、どのような末路をたどるにせよ、その運命はあの男の手に握られている……そんな気がしてならなかった。
「取り敢えずは高速貨物船の船倉にでもお邪魔してファーレンに帰国しましょう。エリザベート女王陛下にも御報告して対策を講じておかねば、ひどく厄介な事になるかもしれませんからねぇ」
「そうですか……それならば丁度良い。道中時間はたっぷり有りますからね、あのホログラムの少女が何者なのか……ゆっくりと聞かせてくださいませ。いいですわね? あ・な・た!」
クラウスは大きく溜め息を吐いて首を振る。
其の姿がテルヌーラという小動物であるが故に、一層、悲哀が滲んでいるように見えたのは目の錯覚か否か。
「物的証拠が消滅した以上、疑わしきは罰せず……ではありませんかねぇ?」
「私が見たという状況証拠だけで充分です! さあっ! さっさと宇宙港に行きますわよ!」
そう宣言して優雅な足取りで歩いて行く妻のあとを、クラウスは憂鬱な面持ちで付き従うのだった。
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