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第二十八話 うそつき ②

「本当にこの星は地球に瓜二つだな……まるで月を見ているようだ」


 自ら名付けた衛星ニーニャの幻想的な姿をぼんやりと(なが)めながら、淡々(たんたん)と独り言を(つぶや)く達也。


 階段を降りた所にある(せま)い木立の間を抜けると、猫の額と形容して()(つか)えない小さな砂浜がある。

 足場が不安定な岩場は元より満潮時には階段の中頃まで水没してしまうと聞いていたが、今は程良いスペースが残されていた。

 その砂浜に両脚を投げ出して座す達也は、両手を砂地に衝いて上半身を支えながら夜空を見上げ、蒼白(あおじろ)く光る衛星(ニーニャ)からの光に目を細めて(かす)かな溜息を(こぼ)す。


 クレアや子供達、そして仲間らの尽力によって、切望する未来を切りひらく為の第一歩は踏みだせた。

 ()すべき事は山積して問題は多々あるものの、早々にアルカディーナの人々と友誼(ゆうぎ)を結べたのは望外の収穫であり、明るい前途を期待するに()吉事(きちじ)だと言っても過言ではないだろう。

 しかし、(かす)かではあっても希望の光が見え始めている筈なのに、鬱屈した想いから逃れられない達也は自問自答を続けていた。


(本当にこれが望むべき未来に続く道なのだろうか? 大勢の仲間達と大切な家族を、俺の傲慢(ごうまん)な自己満足の巻き添えにしているだけじゃないのか?)


 最近そんな懊悩(おうのう)が頭にこびり付いて離れないのだ。

 事実今回の戦闘でも少なくない仲間を喪ってしまい、その中には恩人でもあり、敬愛して()まなかったイェーガーも含まれている。

 大恩ある先達を身代わりにして自分は生き残ってしまった……。

 胸の中に(わだかま)る苦い自責の念を否定できない達也は、平静を取り繕ったその仮面の裏で苦々しい悔恨の情を持て余すのだった。


不甲斐(ふがい)ない……こんなざまではイェーガー閣下に叱られてしまうな)


 自分は何時(いつ)からこんなに弱くなってしまったのか?

 そう自嘲して苦笑いを浮かべた時だった。

 砂を踏む(かす)かな足音と人の気配を感じた達也は、内心で慌てながらも表情を取り(つくろ)うや、上半身を(わず)かに(ひね)って背後に視線を向け、そこにいる人物を見て驚きの声を上げてしまう。


「クレア……?」


 視線の先には(あわ)いニーニャの光に照らし出されたクレアの姿があり、すぐ傍まで歩み寄って来た愛妻が、優しげな微笑みを浮かべながら訊ねて来た。


「横……いいかしら?」

「あ、あぁ……」


 そう短く答えた達也が片膝を立てて上体を起こすと、クレアは両脚を軽く(たた)み、夫の隣に()()って腰を下ろす。

 そして、蒼白く輝く満天の星空を見上げて小さく感嘆の吐息を漏らしたのだが、その後は(いく)ら待っても何も(しゃべ)ろうとはしない。

 そんな彼女の真意を(はか)りかねた達也は、わざと陽気な声音で語り掛けてみた。


「どうしたんだい? 子供たちは先に帰ったのかな? 今日は大活躍だったね……御苦労様。君も疲れただろう?」


 自分の無能さに慨嘆(がいたん)して無力感に(さいな)まれていたとしても、そんな素振りを愛する妻や子供達には見せたくはない。


「明日からは忙しくなるぞ。君やさくら達に負けないよう、俺も頑張らなきゃな」


 だから達也は精一杯強がって見せ笑顔で力強く決意を口にしたのだが、クレアは(かす)かに(うれ)いを帯びた声音で、そんな夫に一言だけ想いを返す。


「……いいのに……」


 相変わらずニーニャを見つめ微動だにしない彼女の唇から(こぼ)れた言葉。

 愛妻がなにを言いたいのか分からない達也が怪訝(けげん)な表情で問い返すよりも早く、その()き通る視線で夫の困惑げな顔を捉えたクレアは更に言葉を(つむ)いだ。


「私には弱音を吐いてもいいのに……辛くて苦しくて……どうしようもない想い。私にだけは見せて欲しいわ。あなたの本当の気持ちを……」


 その言葉に驚いた達也は双眸を見開いて息を呑んだ。

 ふたりは(しば)し無言で見つめ合っていたが、やがて達也の両肩から力が抜け落ち、顔つきも諦観(ていかん)と罪悪感が綯交(ないま)ぜになったものに変化する。


「千里眼の持ち主なのかい君は? これでも結構上手く取り(つくろ)ったつもりだったんだがなぁ?」


 そう問い掛ける声には何時(いつ)もの覇気は微塵(みじん)もなく、疲労感を滲ませた遣る瀬ない心情が見え隠れしているかの様にも感じられたが、クレアはそんな夫を責めようとはせず、(むし)ろ自慢げに胸を張ったのだ。


「当たり前じゃない。私は貴方の妻ですもの。達也さんの事ならば何でもお見通しなのよ……どうだ、参ったか!?」


 身体を()り寄せながらコテンと夫の肩に頭を乗せたクレアは無邪気に微笑む。

 達也は(たま)らなく切なくなってしまい、気が付けば、空いた手で彼女の華奢(きゃしゃ)な肩を抱いていた。


(この場所が……クレアの隣の(せま)くて小さい空間だけが、俺が俺でいられる唯一の居場所なのかも知れないな)


 そんな自分らしくもない妄想を(いだ)くなど、真面(まとも)な精神状況であったならば絶対にあり得ない……。

 そう別の自分が脳内で騒ぎ立てるが、不思議と不快な気分ではなかった。

 だから、胸に(わだかま)っていた暗い想いが、何の抵抗もなく口をついて(こぼ)れ落ちたのかも知れない。


「君は俺の何処(どこ)が良くて結婚してくれたんだい? 軍務以外には何の取り柄もない……それどころか、とんでもない恥知らずの嘘つきだよ?」


 その問い掛けにクレアは何も答えず、肩に乗せた頭を軽く揺らすだけだったが、達也とて何かしらの答えを欲した訳ではなかった。

 だから、返事を待たずに言葉を続ける。


「人の手は他人の手と重ね合って仲良くなる為にある……さくらにそう教え(さと)したクセに、俺は自分の手で平然と他人の命を刈り獲っている。ユリアの事もそうだ。あの娘に力を使わせてはいけないと分かっていながら、いざとなれば当たり前の様に(たよ)り切って苦しめて……それを恥じもしない駄目な父親だ」


 肩に置かれた手に力が入るが、それでもクレアは何も言わない。


「ティグルも俺なんかに出逢わなければ、もっと平穏な生き方ができたのではないか? その理屈で言えばマーヤも同じだ……人を殺すか無為(むい)に死なせるしか能がない俺に父親なんてものが本当に(つと)まるのか?」


 一気にそう捲し立てた達也は、知らず知らずのうちにクレアを抱く手に力を入れてしまう。


「オマケに俺は君との約束まで反故(ほご)にしようとした……万策尽きて他に手がなかったとはいえ、君のたったひとつの願いすら切り捨てた。それなのにどうだ? 俺はイェーガー閣下の御厚情で……あの御方の犠牲の上に今も生かされている」


 胸を刺す痛苦に(さいな)まれて閉じた双眸から涙が滲んだが、悔恨の独白を止める術を達也自身が持ち合わせていなかった。


「本当に死ぬべきは俺だった……甘い見通しを敵に付け込まれて仲間を窮地に追いやっただけではない。イェーガー閣下をはじめ多くの者達を死なせてしまった……俺はあの場で、その責を負うべきだったんだ。なあ、クレア。こんな情けない男の何処(どこ)が良かったんだ?」


 最初の質問にループした所で独白は途切れ、静謐(せいひつ)な夜気がふたりを包み込んだ。

 それは達也が見せた初めての弱さであり、クレアは自責の念に震える夫の背中に右手を()えて柔らかい笑みを返した。

 それは、妻として頼られた事が(たま)らなく嬉しかったからに他ならない。


「馬鹿ね……普通は無理だと(あきら)めてしまう様な事でも、葛藤(かっとう)懊悩(おうのう)しながら懸命に解決しようとする……そんな素晴らしい男性(ひと)だからこそ、私は白銀達也という男性を心から愛したの。他人の痛みを知り己の身を(てい)してでも弱い人達を護ろうとするあなただからこそ……ずっと傍にいて(ささ)えたいと思ったのよ」

「クレア……」

「子供達に嘘をついた? そんな筈がないじゃない。ユリアもティグルもあなたの力になれるのを誇りに思っているわ……マーヤはあなたに受け入れて貰えて心から感謝している……そしてさくらも……悲しみの底で泣いていた自分を救ってくれたあなたを誰よりも愛しているのよ。あの子達があなたを嫌うなんて絶対にあり得ない……絶対にね」


 愛妻の言葉と想いが心に沁みた達也は、顔を上向けて直上の夜空を仰ぎ見るしかなかった。

 そうしなければ涙が溢れて頬を伝い落ちそうだったから……。


「私との約束は……うん……守って欲しいけれど、その為にあなたの節を曲げる様な真似はして欲しくないな。だから気にしなくてもいいけれど、あなたが死んだら私も生きてはいないわ……以前も言ったけれど、今度は子供達の存在も私の想いを引き留める(かせ)にはならない。最愛の人に置き去りにされて(ひと)りで泣くのは……もう絶対に嫌……」 


 淡々(たんたん)とそう告げたクレアだったが、最後には心に(あふ)れる感情が抑えられずに夫を抱き締めていた。

 それは達也も同じ気持ちであり、愛妻の想いを受け入れて抱き締め返すや、(あわ)い蒼光に照らされた二人は(しばら)くの間、波が打ち寄せる規則正しい音の中で想いだけを交わし合う。

 まるで野暮な言葉は不要だと言わんばかりに……。


 長かったのか短かったのか、それは当のふたりにも分からなかったが、達也にとっては充分な時間だった。

 最愛の妻を優しく抱擁したまま彼女の耳元で(ささや)く。


「君はズルイ……気にするなと言いながら俺が絶対に受け入れられる筈がない事を平然と口にする……それが脅しじゃなくて本気だと分かるからこそ性質(たち)が悪い……君は地獄まで俺を追いかけて来る気かい?」


 その声音には先程まであった焦慮(しょうりょ)や無力感は(すで)になく、安堵したクレアは達也の肩口に伏せていた顔を上げるや、微笑みと共に(いつわ)りなき想いを告げた。


「当たり前じゃない。そこが何処(どこ)であれ達也さんの隣だけが私の居場所ですもの。だから言ったでしょう? 私はあなたの妻ですと……地獄の底だろうと冥府の果てだろうと何処(どこ)にでもついて行きますからね」


 そう告げて艶然(えんぜん)と微笑むクレアを見た達也は、絶対にこの女性には生涯(かな)わないと思いながらも、照れ隠しに軽口で応酬する。


「勘弁してくれ……そんな恐怖体験をする位なら、生き残る為に全力を尽くす方が百倍はマシだ」

「むうぅ~っ……つれない()(ぐさ)! 達也さんは私を愛していないのかしら?」

「愛しているから……生き抜いて君の隣に帰ると言っているんだよ」

「ふふ。それならいいです……そう言えば新婚旅行もまだでしたものね。冥界周遊ツアーは味気なくて嫌ですから、頑張ってくださいね。あ・な・た」


 そう言って満面の笑みのクレアを見た達也は、凄くコミカルで平穏な未来予想図を脳裏に思い浮かべて思わず苦笑いするしかない。


(俺はこの先もずっと尻に敷かれて生きて行くのだろうな……まぁ、その方が幸せなのだろうがね……)


 そんな馬鹿な事を考えている自分が可笑(おか)しくて、だから精一杯の想いを言葉にして愛妻に贈ったのである。


「君に出逢えて……結婚できて本当に良かったよ……そして、心配をかけて済まなかった。だけどもう大丈夫。二度と不安にさせるような真似はしない。ありがとうクレア。誰よりも君を愛している」

「嬉しいわ。でも覚えておいてね……苦しみや辛い事があったならば私にも分けて頂戴……それがあなたが目指す『共生』なのでしょう? 私はあなたの(ささ)えになりたいの……だから独りで悩んだりしないで……」


 哀願するクレアに微笑み返した達也は、一度だけ頷いて妻の願いを了承する。

 その迷いの晴れた夫の表情に安堵した彼女は、今なら内緒にしていた事実を告げても良いだろうと決意し、気恥ずかしそうにはにかむや、内緒にしていた喜ばしい秘密を告白した。


「ありがとう……我儘(わがまま)を聞いてくれた素敵な旦那さまに、私からの御褒美です……実は……」


 そうクレアが言った時、頭上高く輝いているニーニャが、ふたりを祝福するかの様に一際鮮やかに(きら)めいたのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 中南米の古代文明も参考にするといいぞ、達也センセ。 当時の人達は禊として、周期的に今まで築いた文明を何度も放棄した形跡がある。周期的に政治形態などを変えるというのも一つの手だぞ。どんな政治形…
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