第一話 神将は難題を抱えて前を向く ⑦
今回で前作から現状迄の状況説明は終了します。
長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
次回よりお話が進展する予定ですが、まどろっこしく感じる方々もいらっしゃるかと思います。
どうか、寛容な心持で御付き合い下されば幸いです。
「お父さまっ、おかえりなさいませ!」
【神将】に関する一連の折衝を終え、連れ立って執務室に戻った達也とガリュードを出迎えたのは、美しい黒髪を持つ愛らしい少女だった。
春の陽だまりのような柔らかい笑みを浮かべたこの少女は、グランローデン帝国第十八姫としてこの世に生を受けたものの、その秀でた容貌からは想像もできないほどの過酷な運命に翻弄された過去を持っている。
既に他界している母親が辺境の惑星に住まう異民族の巫女であったばかりに、『災厄の忌み子』と忌避され、僅か十年で人生を絶たれるという惨い仕打ちを受けたのが、このユリア・グランローデン皇女だった。
だが、数奇な運命に導かれクレアの愛娘さくらと出逢い、それが縁となって達也の養女に迎えられ、今は白銀ユリアと名を変え、クレア、さくら、そしてティグルらと共に家族として幸せに暮らしているのだ。
「待たせて悪かったね。まさか三日も足止めされるとは思わなかったよ……退屈だったろう?」
達也が申し訳なさそうに訊ねると、ユリアは微笑んで頭を左右に振る。
「いいえ。イェーガー様からお勉強を教えて貰っていましたので、とても楽しかったです。特に銀河史に御詳しくて、聞いていて夢中になってしまいました」
嬉々として語るユリアの背後のソファーには、嘗てガリュード艦隊で首席参謀を務め、現在では達也の補佐役として助言をしているフレデリック・イェーガーが、優しい瞳を少女へと向けており、満面の笑みを以て優秀な教え子を褒めそやす。
「いやいや、ユリア君は本当に賢い娘だ。『一を聞いて十を知る』という言葉は、まさにこの娘の為にあるようなものだよ」
「そんな……恥ずかしいですわ……」
イェーガーから手放しの賛辞を受けたユリアは照れて頬を赤らめてしまう。
「ほう……部下には厳しい鬼の参謀長殿も、可憐な少女には甘いと見える」
「羨ましいよ。ユリア。私はイェーガー閣下から褒めて戴いた事がなくてねぇ……一度ぐらいはと頑張ってはみたんだが、随分と悔しい思いをしたもんさ」
ガリュードは愉快げ揶揄い、達也は肩を竦めておどけたが、百戦錬磨の参謀長は眉ひとつ動かさず、二人からの嫌味を鼻先でせせら笑った。
「はんっ! 何を言うかと思えば……本能優先で自分勝手に暴れまわった挙句に、尻拭いは全部こちらに押し付けて恥じない無責任司令官と、聡明で素直なユリア君を比べるのがそもそもの間違いなのです。いいですか御二人とも? 調子にのって変な事をこの娘に教えないで下さい。素直なだけに、それだけが心配です」
叱責されてぐうの音も出ない師弟コンビは、揃って顔を顰めるや無言でそっぽを向くしかなく、そんな大人達のやり取りを目を細めて見ているユリアは、愛らしいくも優しげな笑みを浮かべるのだった。
◇◆◇◆◇
「本当にあれで良かったのかね? 西部方面域総司令官の職を辞する代わりとして航宙艦隊幕僚本部総長の座を要求するのも可能だった筈だが? 両元帥が私をこの地位に推したのも、軍の中枢からお前を排除する為の策謀だぞ?」
「確かに閣下の仰る通りだよ……弾劾権を行使してまで上役の不正を告発した連中は、ガリュード様が復職して三巨頭の一角を占めた事で勘違いしてしまったようだしね」
納得がいかないのか訝るガリュードに続いて、普段は何があっても滅多に表情を変えないイェーガーまでもが、先日まで白銀艦隊に属していた仲間達の浅慮に鼻を鳴らして憤りを露にする。
「今後は改革が進むものだと勝手に思い込み、軍令部と軍政部両総長の連名で布告された『弾劾権の行使については御咎めなし』という文言を真に受け、原隊に復帰していったじゃないか……まったく軽率極まるっ!」
しかし、そんな二人とは対照的に達也は平常運転を崩さない。
「それは仕方がないですよ。影響力の大きな人間が先頭に立つと知れば、誰だってその人間に期待するものですし、ましてや家族や現状の生活。そして先々の人生を天秤に掛けてまでイバラの道を選択する者は、そうそう居るものではありません。寧ろ、退役して居残った馬鹿が一千人もいた事に私は驚いているのですがね?」
台詞の最期では口元を綻ばせて微笑みを浮かべるほどの余裕が窺えたが、ガリュードとイェーガーは達也の真意を図りかねて顔を見合わせてしまう。
今回【神将】の称号を受けるにあたり、二代目と三代目の悪しき轍を踏まない為にも強い権限を持つ役職は辞退するべきと、銀河連邦評議会から勧告がなされた。
だが、これまでに驚異的な武勲を上げた達也を惜しむ声は軍の内外を問わず非常に多く、前総長クルデーレ大将の後任に抜擢するべきと主張する者達が幕僚本部内にも一定数存在しており、反対する者達との間で議論が紛糾したのだ。
そこでエンペラドル並びにモナルキア両元帥が出した折衝案が、予備役元帥になっていたガリュードを現役復帰させ、最重要ポストの一角である航宙艦隊幕僚本部総長に就任させるという離れ技だった。
この案は階級の上下を問わず、多くの士官下士官から歓呼を以って受け入れられ、退役して五年が経過しているにも拘わらず、未だに衰えぬガリュードの人望と名声を改めて世に示す結果になったのである。
だが、地位やポストに執心しないガリュードは、この人事が目障りな達也を閑職へと追いやる両元帥の策謀だと看破し、断固受け入れられないと固辞したのだが、彼の総長就任を強く勧めたのも他ならぬ達也本人だった。
その為にとんとん拍子に話が進んでしまい、復帰が確定したのである。
「両元帥の提案は私にとっては渡りに船でした。領地の代わりにと都市型宇宙船を下賜された上に、大国の国家予算並みの支度金まで頂きましたが……裏を返せば、実入りを得られる領地は与えないという意志表示に他なりません。そんな状況では早晩干上がるのは目に見えていますからね」
「なるほど、だから艦隊の贈与も断ったのか……」
「はい。先ずは安定した収入を得るのが先決です。船や装備品についてはヒルデガルド殿下が請け負ってくれましたので、資金の一部で資材を調達するつもりです。工場はファーレン王国母星の衛星軌道上にある鉱石採掘衛星にカムフラージュしたプラントを秘かに招致すると言っておられましたので、特に問題はないでしょう」
達也の言にガリュードは納得したように何度か頷いてから、元側近のイェーガーに質問の矛先を向けた。
「当初から弾劾計画に参加していた五十人の艦長達を含め、一千人もの士官が達也の私兵となるそうだが、彼らの中に退役を強要されて不満を口にする者はいなかったのか?」
「彼らが率いた五十隻の艦艇の乗員のうち、一艦あたり平均で二十名ほどが白銀軍を構成する事になります。幸い評議会の厚情もあって軍人年金を放棄する代償として、それ相応の退職慰労金が支給されました……当分は無給でも困りはしません。何よりも全員が無能な貴族閥が闊歩する現状に辟易しておりましたので、退役して寧ろ清々したというのが本音ではありませんか? かく言う私もその一人ではありますがね」
イェーガーも他の仲間達と同じ気持ちなのだろう、語る言葉の端々に晴れやかな心情が滲んでいるように感じられる。
だが、そこは嘗て懐刀と言われた名補佐役だっただけはあり、ガリュードに釘をさすのも忘れなかった。
「我々の事よりも閣下の方が心配です。昔の様に有能な側近ばかりで幕僚を固められるわけではありません……くれぐれも両元帥の思惑には注意なさいますように。達也を排除した後に彼らが閣下を排斥しようとするのは明らかです。どうか御油断なさいませぬように」
本当はガリュードの下に残りたいとイェーガーは考えていたが、敬愛する閣下から『若い連中を宜しく頼む』と言われては、その想いを無碍にする訳にもいかず、不承不承ながらも達也の補佐役を務めると決心したのだ。
「分かった分かった……ブランクがあるとはいえ、簡単に用済みにされるほど耄碌はしておらんよ。ヤバイ事になったらさっさと逃げ出せば済むしな」
そう言って笑ったガリュードだったが、一旦言葉を切るや、顔を曇らせて達也を見た。
「それよりも……なぁ達也。軍政改革などという難事を、無理してまで背負い込む必要はあるまい? 贅沢に溺れ散財を尽くしたとしても、個人では使い切れないほどの財を得たのだ。大切な家族と共に何処かの辺境で静かに暮らすという選択肢はないのか? 儂はこれ以上の重荷をお前に背負わせるのが心苦しくてなぁ……」
達也の隣に座り黙って話を聞いていたユリアは、この老将が自分達を心の底から案じてくれているのだと知り、胸に去来する温もりに表情を綻ばせてしまう。
しかし、親子の情愛を結んで日が浅いとはいえ、白銀達也という人間がこの問いに対し如何なる答えを出すのかは分かり切っていたし、ユリア自身も敬愛する父親の想いを否定する気はなかったので敢えて口出しはしなかった。
そして、その判断は間違っておらず、達也はユリアと同じ思いを口にしたのだ。
「お気遣いは嬉しいのですが、そんな怠惰な人生に妻が納得して共に歩んでくれるとは思えません。今更彼女に愛想を尽かされては困りますからね」
そう答えて照れ臭そうに笑う達也がユリアの頭を優しく撫でるや、擽ったそうに目を細め、彼に寄り添う愛娘の表情が華やぐ。
「それに、子供達が誇りにできるような父親でありたいと常日頃から私は思っています。評議会を含む銀河連邦という組織そのものが制度疲労を起こし、危険な領域に差し掛かっている以上。何もしないのは腐敗に同調するも同然です。この子達にそんな不甲斐ない父親だと思われるのだけは我慢できません。だから自分にできる事をやる……唯それだけですよ」
そう言って笑顔を浮かべる達也にガリュードは瞠目するしかない。
もう嘗ての未熟で手の掛かる部下ではないのだと認識を新たにし、自分を超えていく存在だと見定めて歓喜に心を震わせていた。
(儂の様な老兵が、あれこれ説教できる男ではなくなってしまったなぁ……ならば口出しは無用。黙って見守らせて貰おうか)
そう思う彼自身。気付かぬうちに口元を綻ばせたのである。
◇◆◇◆◇
用件を終えてガリュードの執務室を出た達也とユリアは、喫茶ラウンジで昼食を兼ねて休憩していた。
二人はこれから別目的で他星へと向かう予定になっており、地球に帰還しなければならないイェーガーとは先ほど別れたばかりだ。
「強行軍で疲れているとは思うが我慢しておくれ。そろそろ待ち合わせの時間なんだが……」
自分を気遣い労ってくれる達也に微笑み返したユリアは左右に首を振る。
「大丈夫ですわ。心配しないで下さい。大体お父さまは私達に気を遣い過ぎです。お母さまには及びませんが、私にもお手伝いをさせて下さい……ユリアはお父さまのお役に立ちたいのです」
その想いの丈を吐露したのと同時に、何処か聞き覚えのある声が背中に投げ掛けられ、ユリアは驚いて席を立った。
「いやいや、胸を打つお話ですねぇ。親孝行なお嬢様で本当に羨ましい。あの暗く鬱屈していた精神体と、この娘が同一人物だとは到底信じられませんよ」
振り向いた先には高級将校の軍服を纏った中年の軍人が、思惑が読めない笑みをその顔に貼りつけて立っている。
無意識の内に不気味な感覚を感じ取ったユリアは、反射的に父親の背後へ逃れたが、この軍人が纏うオーラには覚えがあり、記憶の糸を辿って正解を導きだした。
「あ、貴方はあの時の……精神だけになった私をさくらと同調させた?」
「おや、覚えていてくれましたか。あの時は名乗る暇もありませんでしたねぇ……私は情報局局長を務めているクラウス・リューグナーです。どうかお見知りおきを。それにしても本当に見違えるほど輝いていますねぇ。どうです? 私が御紹介した居候先は中々の優良物件だったでしょう?」
彼の巫山戯た言い種にユリアは鼻白んだが、達也は気にした風もなくクラウスに席を勧めた。
彼も返答などは期待してもいなかったのか、彼女が座っていた席の隣に腰を降ろし澄まし顔を取り繕う。
「余り娘を脅えさせないでくれないかね? 嫌な記憶を思い出させるような真似は御遠慮願いたいもんだ。さもないと、私も実力で黙らせるしかなくなるんだが?」
「おぅ……それは迂闊でした。悪気はなかったのですがねぇ。無茶な依頼を強要された所為で、少々気分がささくれていたのかもしれません」
どうやらクラウスもそれなりに鬱屈した想いを抱えているようで、達也は可笑しそうに口元を綻ばせてしまう。
「それは悪かったね……それで、依頼した件はどうなったんだい?」
情報局局長は嫌味を軽くあしらわれ、辟易した表情を浮かべたが、化かし合いを続ける気はないらしく、テーブルに身を乗り出して声を潜めた。
「まったくぅ……グランローデン帝国皇帝に会う算段をつけろなんて無茶は勘弁してくれませんかねぇ?」
「出来ない奴には頼まないよ。官僚軍人には無理でも、天下のグレイ・フォックスなら造作も無かろう?」
「煽てても何も出ませんよ……それから一応確認しておきますが、まさかタダ働きをさせるつもりじゃないでしょうねぇ?」
余程不満が鬱積しているのか、執拗に絡むクラウス。
達也は映像記録チップが入ったケースをポケットから取り出し、彼に手渡した。
それを受け取るや、大切そうに懐にしまったクラウスは、トレードマークである満面の笑みを顔に張り付けて交渉を再開する。
この二人のやり取りが碌でもない事だとユリアは気付いたのだが、敢えて見ないフリをしたのは、下手に係わるとクレアの逆鱗に触れそうな予感がしたからだ。
そして、それは実に賢明な判断だと言わざるを得なかった。
「ホッ、ホッ、ホッ。それではこれを……第三十五番ドッグに係留中の高速巡洋艦バルームに乗艦できるように手配しております。情報局の部員と娘という事にしておりますので、その身分証に目を通しておいてください。明後日には中心域南部の惑星ホーネスに着きますので、民間の客船で三日の距離にある惑星バンドレットに行けば、その先は宇宙港に潜ませている部下に段取りをつけさせております」
偽造された軍の命令書や民間の旅行申請証と客船のチケット。
そして入国許可証が揃った書類の束を達也が受け取ったのを確認したクラウスは、早々に腰を上げる。
「さて……旧交を温め合う仲でもなし。この辺で失礼させて貰いますよ」
そう言って背負向ける彼に達也は言葉を投げ掛けた。
「感謝するよ……出来るならば、今後も敵に廻るのは勘弁して貰いたいね」
対するクラウスは何も答えず、軽く右腕を上げただけで立ち去ったのである。
「……お父さま……」
「大丈夫だよ。暫くは敵対する事はないだろう……さて、段取りはついたし行くとするか。ユリアの父上との因縁にケリをつけにね」
不安げな顔をする愛娘の頭を撫でながら決意を新たにした達也は、大波が逆巻く大海に船を漕ぎ出すのだった。
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