第二十八話 うそつき ①
「私の要望に従うか否かはアンタ達次第だけど……その選択が、どんな結果を招くかをよく考えてから決めなさいよ」
作為的に右の拳を突き出して見せる志保の脅し文句に、失神したバルカを背負った仲間達は顔を青褪めさせ、何度も頷いてから走り去って行く。
「ふん! 若いクセに張り合いのない……リーダーの無念を晴らそうという気骨のある若者はいないのかしらね?」
一目散に逃げて行く彼らの背に嘲笑の視線を送り、肩を竦めて慨嘆する志保。
そんな腐れ縁の態度に呆れるしかないクレアは、言っても無駄だとは思いながらも、アルカディーナ達の手前もあり、敢えて苦言を呈した。
「助けてもらったのは感謝しているけれど……やり過ぎじゃないの? あそこまで容赦なく投げ捨てる必要があった?」
「なに言ってんの? ちゃんと手加減したわ。あの巨体だから落とす角度を間違えると首の骨が折れちゃうからねぇ。いいタイミングで腕を捲き込めたから、失神はしても後遺症は残らない筈よ」
そう得意げな顔で解説する親友の態度からは罪悪感など微塵も窺えず、徒労感を覚えたクレアは溜息を吐くしかなかった。
理不尽な言い掛かりを仕掛けて来たのは向こうの方だが、それを瞬殺してしまう方も空気を読まないという点では同罪だ。
折角、子供達のお蔭で友好的な関係を築く事ができたのに……。
そう思えば、嫌でも気分が沈んでしまう。
(たぶん台無しよね……はぁ~~どうしよう……達也さんに何と報告すれば……)
周囲を窺えば、呆気に取られたアルカディーナの住民達が驚愕の視線を此方に……正確には志保に向けている。
交流早々、頭の痛い問題を抱え込んでしまったクレアは、脳裏に浮かんだ夫に『助けて欲しい』と胸の中で懇願したのだが……。
「ちえっ! 出遅れたぁ──っ! ギタギタにしてやろうと思ったのに!」
「あうぅっ! や、やろうとおもったのにぃぃ!」
無念と憤りを隠そうともしないティグルが、駆け付けて来た早々に地団太を踏んで歯噛みすると、彼に肩車されているマーヤも可愛らしい眉を逆八ノ字に逆立てるや、怒りを露わにして吠える。
クレアは本気で達也に助けて欲しいと念じながらも、母親として毅然とした態度を崩さず、語気をやや強めて我が子達を叱った。
「こらっ! 二人とも乱暴なことは言わないっ! 暴力を振るってはいけないと、お父さんに言われているでしょう!?」
そう叱って見せるクレアだったが、何も本気で怒っている訳ではない。
大切な家族に対して害意を懐く者には敵意を隠さないふたりだが、クレアの言いつけは素直に聞き入れるし、一旦納得すれば叛きもしない。
今も叱責され消沈する子供らが可愛くて仕方がないクレアは、ティグルとマーヤの頭を交互に撫でてやりながら、軽く窘めるに止めた。
「あなた達が強いのは良く分かっているわ。でも、だからと言って何でも力づくで解決しようとはしないでね……このお姉さんの様な乱暴者になっちゃ駄目よ」
自分の事は棚上げし、説教される子供達を見てニマニマしている腐れ縁を指差して皮肉げに言い放つクレア。
するとティグルとマーヤは恐る恐る志保の顔を窺い、怒っていないのを確認してから破顔し頷いた。
説教のダシにされた志保は大層不満だったが、敢えて文句は言わずに口を噤む。
自分の短慮がアルカディーナたちに不信感を与えたのではないか?
そう反省したが故の遠慮だったのだが、それは杞憂に過ぎなかった。
彼女の活躍は周囲の大人ばかりではなく、多数の子供らにも好意的に受け入れられ、志保は彼らから尊敬の眼差しと熱狂的感謝を頂戴したのである。
この騒動以降、快活で男前な性格も相俟って、志保は彼らの憧れの存在へと祭り上げられ、将来は空間機兵になるという子供達が急増したという。
それはそれで嬉しい誤算だったのだが、お調子者の志保を諫める役のクレアだけは、厄介事の後始末に奔走しなければならない未来の自分の姿を想像し、憂鬱になるのだった。
◇◆◇◆◇
膝の上に抱きかかえた幼い獣人の少女がコクリコクリと頭を揺らす。
サクヤは少し冷たさを増した夜気からその子を守る為、深く包み込む様に小さな身体を抱き締めた。
広場の中央に設えられた、大部隊専用の大竈には、これまた連隊規模で使用する大鍋が乗せられている。
やや抑えられた火力で熱せられる大鍋の中身は、キャンプの定番であるカレーで満たされており、空腹感を刺激する暴力的なスパイスの香りが周囲に充満し、大鍋を取り囲む子供達を魅了していた。
緊急性が高い案件を話し合い、都市部の視察を終えたオウキらアルカディーナの面々と連れ立って町に戻った一行が見た光景が、大鍋で調理されるカレーと、それを取り囲む大勢の住人達という光景だったのである。
唖然とする彼らの視線の先では、住民に混じって笑顔で調理をするクレアや秋江らの姿があり、彼女らとアルカディーナたちの和気藹々とした雰囲気から、今日の初交流が思った以上の効果を上げたのは一目瞭然だった。
話を聞いた所によると、折角打ち解けて仲良くなれたのだから、せめて子供達にだけでも地球の料理を食べてもらおうとクレアが提案したらしい。
彼女の指揮の下、バラディースに備蓄してあった米が炊き出され、小麦粉を惜しげもなく使って作られたナンも大量に焼かれている。
都市内の二十箇所で同様の光景が繰り広げられており、子供たちだけではなく、大人達もささやかながら相伴に与れるのでは……と期待する声も聞かれるようになっていた。
また、バラディースの住人達に有志を募り調理の手伝いをしてもらったのだが、短時間でアルカディーナの獣人達と懇意になる者達が続出したのは、嬉しい誤算だとクレアが笑顔で語っていたのが印象的だった。
(やはり……私なんかでは、とても敵わないなぁ……本当に素敵な女性……)
大勢の人々に囲まれている達也とクレアの姿を遠巻きに見ていたサクヤは、切ない想いに胸を衝かれ、無意識のうちに小さな溜め息をその唇から零してしまう。
アナスタシアに焚き付けられたとはいえ、達也恋しさに一念発起して皇国を飛び出してから、まだ二月しか経っていない。
皇国皇女にあるまじき暴挙だとの自覚はあるが、だからといって微塵も後悔などしてはいなかった。
臆病で引っ込み思案だった自分が精一杯の勇気を振り絞り、夢を掴む為の一歩を踏み出せたのだから……。
しかしながら、今こうして望む道を手に入れられたのは、偏にクレアの寛容さと助力の賜物であるのも良く理解していた。
その厚情には心から感謝しているし、彼女を実の姉同然に慕う気持ちも本物だと断言できる。
だが、何気ない日常の中でクレアの人柄や行動力を目の当たりにする度に、自身の至らなさを思い知らされて落ち込むのも屡々であり、サクヤは未熟な己が歯痒くてならなかった。
(クレア様が寛容な御心で私の願いを受け入れて下されたから、私はこの場に居られる……でも私は何か一つでも、あの御方に勝るものを持っているのだろうか……御傍で接する程にクレア様の素晴らしさを知って圧倒されてしまうばかりなのに)
クレアと自分を比較し、無意識のうちに彼女に勝とうとしている心根の卑しさに気付き、己の矮小さを恥じ入ったのも一度や二度ではない。
多妻制が認められているとはいえ、他の女が最愛の夫の伴侶として、自分と同じ立ち位置に並ぶのを良しとする妻はいないだろう。
にも拘わらず、クレアは私心を押し殺して自分を受け入れてくれたのだ。
その彼女の高潔さには、どれほど感謝してもし足りない筈なのに……。
譬え、それが無意識故の想いだったとしても、彼女より優位な場所を手に入れたいと考えた自分自身に、サクヤは自嘲の念を懐かずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇
いざカレーが完成するや、都市全体が祭りの如き高揚感に包まれて人々の顔にも笑みが弾ける。
振る舞われた料理を美味しそうに食べる子供達に釣られたのか、アルカディーナの大人達も戸外に机を運び出し、酒や料理を持ち寄って今日という日を祝う。
そんな中で獣人達と交流するサクヤは、この都市で子供達の教育に携わる関係者と意見を交わし、近日中にアルカディーナの子供達をバラディース内の学校で受け入れる事で合意した。
(学校施設の代わりは、空きビルの会議室やホールを使えばいいわ……オンライン環境を整えれば、教師や保育士の数が整うまでは凌げるはず……後は新都市の設計プランに学園都市構想を盛り込んで……子供を持つ家庭の就業支援は最優先……)
山積する懸案の対策を一つ一つ脳内のメモ帳に整理していたサクヤが我に返ったのは、漸く喧騒も下火になった頃だった。
機材の後片付けを終えた秋江に声を掛けられるまで思考に没頭していた彼女は、思ったより時間が経過しているのを知って驚いてしまう。
「根を詰めすぎて過労で身体を壊すような真似をしては駄目ですよ? 姫様の代わりはいないんですから……それに、うちの子供達も心配します」
秋江の心遣いが胸に沁みたサクヤは、笑顔で謝意を伝えてから彼女に訊ねた。
「そういえば、達也様とクレア様は……まだ、長老方と何か協議をなさっておられるのですか?」
大勢の人間と獣人達で賑わっていた広場は既に人影は疎らで、周囲を見廻す限りふたりの姿はない。
「いえ……さくらちゃんやマーヤちゃんに引き廻されていた達兄は『少し疲れた』と言って一時間ぐらい前に先に引き上げたわ。クレア姉さんは……機材を輸送ヘリに乗せる指揮を執っていたけれど……あれ? 姿が見えないわね……子供達と先に帰っちゃったかな?」
さして気にしたふうでもない秋江は、そう言って微笑むと、眠たそうに目を擦る子供達を引率して由紀恵やオリヴィアと共に帰路につく。
懐いてくれたアルカディーナの子供達と別れを惜しんでいたサクヤは、由紀恵らより少し遅れて都市を出た。
バラディースと都市外周の海岸線とを結ぶ連絡艇の操縦は、軍関係者達が交代で受け持っており、時間を問わず運航しているので置いてきぼりを食う心配はない。
だから、火照った身体に心地よい夜気を楽しみながら船着き場へと歩いた。
顔合わせ早々にアルカディーナの人々と友好的な関係を築けたのは、正に僥倖だったと言っても過言ではなく、今後の交渉にも大きな役割を果たすに違いない。
上々のファーストコンタクトを果せた以上、早急にロックモンド財閥総帥であるジュリアンと会談の場を設け、金銭的支援と食料や都市建設等に必要な物資の調達を急がなければとサクヤは思い定めた。
(いけない……秋江さんに注意されたばかりなのに……私ったら……)
どうしても意識が仕事の方に行ってしまう自分に呆れた時だった。
視界の端に何かが動いたのを捉えたサクヤは、反射的に視線を巡らせる。
「クレア様?」
彼女の双眸に映ったのは、正門から少し離れた場所にある岸壁に佇むクレアの姿だった。
煌々と降りそそぐニーニャの蒼白い光に照らされた彼女はひどく幻想的であり、寸瞬の間、声を掛けるのを躊躇ったのだが、その間にクレアの姿が小さくなったかと思えば、直ぐに見えなくなってしまう。
(たしか、あの辺りに海岸線の岩場に降りられる階段があった筈だわ)
昼間に長老のオウキから聞かされていた事を思いだしたサクヤは、反射的に爪先の向きを変えてクレアが消えた方向へ歩を進めた。
だが、何故だか分からないが形容し難い不安が胸の中に渦巻き、何かが心の中で懸命に叫ぶのが聞こえる。
『止めた方がいい……行かない方がいい』と。
しかし、彼女は終ぞ歩みを止められなかったのである。




