第二十七話 共生 ③
「しかし、そうは言ってもねぇ~~~目指すべき未来図も決めずに、個々で好きにやれとも言えないだろう? 国家形態を否定するなら、取り敢えずどんな形で共生生活をスタートさせるのか? 指針だけでも示してやらなきゃ……余りにも不親切すぎやしないかい?」
多大な困難が予想されるとはいえ、達也が披露した夢多き提案は会議参加者達の心を掴んだと言える。
ただ、この手の案件は理想だけで突っ走れるほど簡単なものではない。
極めて優秀な政治巧者でもあるヒルデガルドは、達也の意見は曖昧すぎると判断して苦言を呈し、具体的な内容を提示するよう求めたのだ。
その彼女の諫言にサクヤも頷いて同調する。
「確かにヒルデガルド殿下の仰る通りです……国家という枠を設けないのであれば、行政、立法、司法……何よりも経済活動の運営をどうするか……基本方針だけでも示さないと、住民達が混乱し、延いては不満の温床にもなりかねません」
ふたりの意見は尤もだと頷いた達也は自身の考えを素直に開陳した。
「アルカディーナの長老衆と、我々の中から政治力に長けたメンバーを選抜して、当面の間は合議制で内政の指揮を執って貰う。軍政は俺とラインハルトで処理するしかないが、先々の為にも男女問わず若者から希望者を募って様々な経験を積ませてやって欲しい。次代の指導者達が育つまでは、その者達に私達の後継者になって貰うしかないからね」
「そうですわね……現状ではそれしかないでしょう。まずは生活基盤を構築して、新しい人材を育成する……ですが、それでは、私達は唯の独立勢力にすぎない扱いを受ける可能性が大きいです……後々、決起する際に足枷になりませんか?」
達也の考えに賛意を示しながらも、サクヤは懸念を口にして思案顔になったのだが、ふと顔を上げた彼女は眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべざるを得なかった。
それは、視線の先にいる達也が何故か口元を綻ばせており、どちらかといえば、ニヤニヤしていると表した方が適切な顔をしていたからである。
(わ、私……何か変な事を言ったかしら?)
漠然とした不安を懐いたサクヤが小首を傾げると、達也は何度も頷きながら破顔して声を弾ませた。
「独立勢力か……うん! いいなそれ。梁山泊みたいで恰好良いじゃないか!」
慎治と由紀恵の二人を除き、他の面々は彼の台詞の中にあった“梁山泊”の意味が分からずに惚けてしまう。
「はっ? り、梁山……泊……ですか?」
オウム返しに呟くサクヤが、救けを求めるかの様にラインハルトに視線を向けるが、彼も肩を竦めてお手上げのポーズだ……すると。
「あっははははぁっ! 梁山泊と来たか! なるほど、たしかに言い得て妙だ!」
腕を組んだ慎治が呵々大笑し、楽しそうな口調でそう言った。
彼に続いて口を開いた由紀恵は、苦笑いを浮かべながらも、何処か懐かしそうな声で相槌を打つ。
「そういえば達也君……昔から好きだったわよね、あの御話……」
「俺らが世話になった年配の先生……えぇ~~っと……そうだ! 三島の爺さんに借りた古い単行本を夢中で読んでたよな? おまえ」
二人から昔話を振られた達也が、苦笑いしながらも柔らかい表情を浮かべているので満更ではないのだと分かるが、周囲の者達にはチンプンカンプンの話であり、どう反応すれば良いのか分からずに困惑するしかない。
すると、彼らの困り顔に気付いた達也が、その疑問を解消するために『梁山泊』についての説明を口にした。
「身内だけで盛り上がってすまないな。梁山泊というのは『水滸伝』という小説に出て来る山賊の根城だ。俺の母星、地球のアジア地方で歴史を刻んだ大国で生まれた白話小説で『四大奇書』の一つに数えられる架空の娯楽小説だよ」
その説明で得心がいったラインハルトは、ガリュード艦隊に所属していた当時、暇があれば読書に興じていた親友の姿を思い出して口元を綻ばせる。
「なるほどね。達也が夢中で読んでいたという事は冒険物か活劇物……胸のすく様な話なんだろう?」
「御名答。汚職官吏や不正が蔓延る世の中が舞台でさ。様々な事情で世間から弾き出された百八人の好漢達が、幾多の戦いの中で宿星に導かれて、梁山泊と呼ばれる自然の要塞に集結し、力を合わせて悪徳官吏を倒して国を救おうとする……そんな内容だったかな? ただ、意外にエグイ表現もあったから、勧善懲悪とは言えない作品だがね」
慎治がそう答えると、さもありなんと言わんばかりにラインハルトも破顔するが、親友の失礼な物言いに憤慨した達也は、眉間に皺を寄せ不満げに文句を言う。
「何だよそれは? まるで俺が娯楽作品しか読まない様な言い種だな?」
「違うのか? 幕僚部から押し付けられた赴任先の歴史書や星域図には目も通さなかった癖に、人気の冒険活劇小説だけは、毎週銀河通販サイトで山ほど購入してたじゃないか?」
「げっ! よくもそんなどうでもいい事を覚えているな。いいか、ラインハルト。間違ってもツマラナイ事を我が家の子供達に吹聴して廻るんじゃないぞ」
「俺に口止めを強要する前に、エレンの軽口を何とかする方が先じゃないのか? あいつ、嫌な笑顔で『脅すネタには困らない』って言ってたぞ」
親友の身も蓋もない忠告に達也は思いっきり顔を顰めざるを得ない。
あの業突く張り女へ一体全体どれだけの貢ぎ物をすれば良いのか……。
考えただけで憂鬱になり溜息が口から零れるのだった。
「達也に思い入れがあるのなら良いんじゃないかい? この星のコードネームは『梁山泊』で決まりにしようじゃないか。どうだい、君達?」
達也に代わってヒルデガルドがそうまとめたが、誰からも反対の声は上がらず、寧ろ全員が好意的に賛意を示したのである。
軽く頭を下げて謝意を示した達也は、良い機会だと思い本音を打ち明けた。
「まあ、梁山泊は仮の名という事でいいだろう……だがそれよりも先にこの星系をアルカディーナ、恒星をランツェ。この星をセレーネ、そして、夜空に輝く衛星をニーニャ……そう名称を改めたいんだが、どうだろうか?」
その提案に、オウキらアルカディーナの参加者は感激して賛同し、ユスティーツも微笑みを以て了承してくれて、達也はホッと胸を撫で下ろした。
その後、居残った間の成果をヒルデガルドが報告する。
呼び寄せた惑星型工業プラントは無事この星系に到着を果し、数日以内には沖合の海に着水させる予定だという事。
この星を含め、星系内五つの惑星に自立型無人探査機を派遣し、資源調査と地質調査を行っている最中だという事。
達也からたのまれていた新型艦船は設計段階をクリアーし、プラントが到着次第建造に着手……凡そ十日程で第一号艦が就航可能ということ等々。
それらの詳細についてはヒルデガルドと達也、そしてサクヤの三人で検討するとして全員からの了承を取り付けたのである。
そして、オウキ達来艦したアルカディーナの面々は、ラインハルトと由紀恵らの案内でバラディースの都市部を視察する為に展望室を後にした。
彼らから現行都市に対する意見や要望を聞き、それを新しい都市開発に反映させ精霊達とも共生できる世界を作る。
その為にも視察は重要な案件であり、疎かにする訳にはいかない。
ラインハルトらに先導されて退出する彼らを見送ったサクヤは、ヒルデガルドと活発に意見を交わし、気付いた事や要望を提起する達也の姿を見て安堵した。
(本当に凄い方だわ。あんな理不尽な仕打ちを受けても、挫けずに前を向ける強い意志と決断力。そして大きな優しさを持つ男性……達也様に巡り合えた私は本当に幸せね)
これからも困難な道が続くが、達也と共に在れば何も怖くはない……。
そんな想いを懐くサクヤは、信頼と愛情に満ちた視線を想い人に注ぐのだった。
◇◆◇◆◇
サクヤが陶然としていた同じ頃、町を訪問していたクレア達が何をしていたかというと……。
「すっかり打ち解けてしまって……まるで十年来の親友同士みたいね。私達大人もあの子達を見倣って早く交流を深めないと……」
そう感嘆するクレアは、歓声を上げながら燥ぎ廻る子供達を優しい視線で追う。
正門口で初顔合わせを行った双方の子供達は、最初は緊張して相手の様子を窺うばかりで、何処か触れ合うのに逡巡しているかの様にも見えた。
しかし、さくらとティグルが間に入って仲立ちをすると、恐る恐るながらも言葉を交わし手を取り合ったのだ。
その勇気ある行動が謂れなき恐れを取り払い、そして子供達は知ったのである。
相手が自分達とは違う姿をしていても、仲良くできる存在なのだと……。
そう理解した彼らが、心から打ち解けるのにそう時間は掛からなかった。
今や、さくらとティグルを中心に、人間とアルカディーナの子供たちが、都市の中央にある児童公園で元気に鬼ごっこに興じている姿は、それを見守る大人達にもとても尊く眩しいものに見えた。
ティグルに肩車されているマーヤは満面に笑みを浮かべ歓声を上げており、担ぐ兄貴はそのハンデをモノともせずに健脚を披露する。
片や少し離れた砂場では、石を削って作られた椅子に腰を下ろしたユリアの前に幼い子供たちが扇状になって座っており、彼女が読んで聞かせる童話に熱心に耳を傾けている。
何の利害も打算もない子供達の純粋な姿を目の当たりにしたクレアは、嬉しくて嬉しくて眼尻に涙が滲むのを我慢できなかった。
「本当にあなた様の御子様達は、利発で素直な良い子ばかりじゃぁ……」
隣に座る獣人の老婆が皺が刻まれた顔を綻ばせてそう言うと、優しげな微笑みを返すクレアは小さく左右に首を振る。
「寧ろ、アルカディーナの子供達が合わせてくれているのです。それから『様』は勘弁してください。私は気恥ずかしくて顔から火が出そうですし、子供らもきっと嫌がりますから……」
「ホッホッ! こりゃぁ失礼したのぉ~~さっきも注意されたばかりじゃというのに……しかし、セレーネ様に瓜二つの御方を呼び捨てにするのはのう……」
老婆の戸惑いはこの場に居るアルカディーナが等しく懐く、ごく普通の反応だと言えるが、クレアにとっては他人行儀で不本意だし、第一そんな大層な人間でもない自分が『様』付けで呼ばれるなど気恥ずかしくて仕方がない。
「敬愛される竜母様と私は違う存在です……私は皆様と柵なしで御付き合いしたいのです……どうか御願いします。私の事はクレアとお呼びくださいな」
だから深々と頭を下げて、そう懇願したのである。
その優美な姿を目の当りにした者達から感嘆の吐息が零れた。
代表として選ばれた者ばかりではなく、近隣の住人達までもが彼女を中心にして大きな輪を作る中、同様の現象が彼方此方で頻発する。
オマケにクレアの周囲には様々な精霊達が飛び交っており、先を競う様に祝福のくちづけを彼女に与える騒ぎになっていた。
精霊からも愛される彼女の人柄に感銘を受けたアルカディーナ達の敬愛の念は、この僅かな時間だけで一気に赤丸急上昇したと言っても過言ではない。
しかし、そんな平穏な空気は、突然の乱入者達によって打ち払われてしまった。
「オラアッ! みっともなく慣れ合ってんじゃねえよぉッ!」
苛立ちを滲ませた怒声が和やかな雰囲気を切り裂くや、周囲の御婦人達が悲鳴と共に逃げ惑い、唐突にクレアの前にぽっかりと無人の空間ができあがる。
人垣を押し開く様に肩を怒らせ大股で歩み寄って来たのは、バルカ率いる獣人の若手集団だった。
彼ら若い男達の顔には拭いきれない鬱憤がこびりつており、苛烈な視線と罵声を吐き散らしながら、周囲の同胞達を威嚇する。
その所為もあってか獣人の女性達は数歩後退り、子供達もその顔に恐れと不安の色を宿して立ち竦んでしまう。
クレアから離れて上空に退避した精霊らは、嫌悪の感情を不埒な乱入者達に向ける始末。
彼らとは面識がないクレアだったが、氷点下まで下がった周囲の雰囲気を察し、この十名程の集団が住民達からは快く思われていない存在なのだと理解する。
そうこうしているうちに眼前にまで詰め寄って来たバルカに険しい視線で睨まれたが、努めて平静を装ったクレアは気丈にも眼前の大男を見返し一歩も引かない。
しかし、二人の体格差は歴然としており、彼女が危地に立たされているのは誰の目にも明らかであり、不穏な空気が周囲を圧迫した。
「バ、バルカっ! その御方は大切なお客さまじゃ! ぶ、無礼は許さんぞっ!」
長老の一人が及び腰ながらも叱責するが、彼は大人しくなる所か益々殺気立ち、血走った双眸で睨み返して吠え立てる。
「うるせえぇ──ッ!! ジジイは引っ込んでろッ! どいつもこいつも誑かされやがってぇぇッ! こいつら人間は陸な奴らじゃねえッ! 俺様がこの女の正体を暴いて能天気なテメエらの目を覚ましてやるぜぇッ!」
問答無用とばかりに怒声を上げたバルカが、握り締めた拳を大上段に振り上げるや、一気に眼前のクレア目掛けて叩きつけた。
周囲から絹を裂く様な悲鳴が幾つも上がり、誰もが惨劇を想像して瞳を閉じたのだが、聞くに堪えない不快な打撃音や、クレアの悲鳴が上がる様な事態にはならなかった。
その代わり、殺気立った雰囲気には似つかわしくない、凛然とした女性の声音が響いたのである。
「お兄さん。随分とストレスが溜まっているようだけど、女性に暴力を振るうなんて男としては最低よ? 恥をかきたくなかったら、さっさとお家に帰りなさい」
その美しい声に驚いて目を開けたアルカディーナ達が見たものは……。
バルカの前に立ちはだかった女性が、体格と力で勝る彼の拳を平然と受け止めている信じられない光景だった。
渾身の拳を止められるとは思っていなかったバルカも、背後に控える仲間達も、その女性……遠藤志保に言い知れぬ不気味な何かを感じ後退ってしまう。
「て、テメエはぁッ! 女の分際で、俺様の邪魔をするんじゃねえよッ!」
それでも自分が臆して後退した事を悟られまいと思ったバルカが、虚勢を張って怒声をあげたのだが……。
「志保……あまり乱暴にしちゃ駄目よ。少しは手加減してあげてね?」
既に穏便な解決を諦めたクレアが溜息交じりに声を掛けると、実に楽しげな笑みを浮かべた腐れ縁の親友は、不満げな表情ながらも快活な声で了承した。
「むっ!? その乱暴者認定はやめて下さるかしら? OK、OK。この志保様に任せなさあ~~い! 本気を出したりはしないから、安心して見ているといいわ」
(あっ……駄目だわ……マジで怒ってる……)
付き合いが長いクレアは志保の性格を熟知しており、こうなった彼女を止める術がないのを誰よりも理解している。
だから、せめて邪魔にならない様にと数歩後退し、その場から離れたのだ。
一方、馬鹿にされたと憤怒したバルカは顔を赤く染め志保目掛けて突進するや、再度振り上げた利き腕の拳を彼女の顔面に手加減なしで叩きつけた。
そんな彼はずっと激しい苛立ちを持て余しており、周囲の変節を理不尽だと憤っていたのである。
あの暴威を振るったバケモノを白銀達也が退治してからというもの、自分たちに向けられる住民達の視線が明らかに変化した。
それまでは、危ない仕事を請け負っていた彼らに理解を示していた住人たちが、あからさまに批判めいた視線を向けて来るようになり、それがバルカを殊更に苛立たせたのだ。
(俺だって好き好んでガキ共を連れて行った訳じゃねえッ!)
強大な猛威を奮った災厄に屈したのは長老連を含む住民全員じゃないか!
何で俺達だけが非難の目で見られなきゃならないんだ!
そんな行き場のない遣る瀬ない怒りが、バルカを自暴自棄にさせて精神的に追い込んだのである。
しかし、その憤りを達也の縁者や仲間にぶつけ、帳尻を合わせようとした彼は、重大な過ちを犯しているのに気付いてはいなかった。
拳を向けた人間の女性が、あのバケモノを倒した白銀達也でさえもが恐れをなす存在であるのを……。
その事実をバルカは己が身体を以て知るのだった。
余裕の笑みを浮かべる女の顔を砕かんとした刹那、視界が急激にぶれた。
何が起こったのか理解する暇もなく、激しい衝撃に脳天から爪先までを貫かれて意識が暗転する……。
バルカが知覚できたのは、ただそれだけだった。
しかし、周囲に居た人々は事の成り行きを見逃がしはしない。
体格面で遥かに劣る筈の志保が、電光石火の動きでバルカの巨躯を背負い投げで地面に叩きつけた光景の一部始終を……。
脳天から地面に叩きつけられたバルカの巨体が、やがてスローモーションを見るかのように、ゆっくりと傾いで地響きとともに倒れ伏す……それと同時に志保は、驚愕して立ち竦むバルカの仲間達を睨みつけて言い放ったのだ。
「明日、この馬鹿を連れてアンタ達全員バラディースに来なさい。若いクセに暇を持て余すから、精神が不健康になってくだらない事を考えるのよ。私が可愛がってあげるから楽しみにしていなさい」
そして嫣然と微笑んだ志保はラブコールを送ったつもりなのだが、彼らから見ればそれは悪魔の冷笑にしか見えず、地獄への片道切符を渡されたに等しい暗澹たる気分にならざるを得ない。
しかし、最早この時点で彼らに逃げる等という選択肢はなく、その事実を本能で理解したが故に志保の言葉に何度も頷くしかなかったのである。
彼ら獣人の若手達の行為に問題がない訳ではないが、志保の玩具にされる彼らの境遇を思えば、心から同情せずにはいられないクレアだった。
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