第二十七話 共生 ②
城塞都市正門の内側には割と広めの空間が確保されており、その広場から住宅街へと向かう途中には、アルカディーナ達が敬愛して已まない、英雄ランツェと竜母セレーネの石像が置かれている。
普段は人々が集い世間話に興じるその場所に、今日は客人を出迎える為に多くの住人達が集まっていた。
出迎えとはいっても都市の住民総出というわけではなく、バラディースに赴いた者達以外の長老と、選ばれた三十名程の各地区の世話役が、その大役を務めるべく待機しているのだが……。
その選から漏れた住人らも来訪者の存在には無関心ではいられないらしく、広場を遠巻きにしては様子を窺っており、彼らの不安を慮れば、それも已むを得ないと長老達は思った。
そんな物々しい雰囲気の中、代表者達は緊張に顔を強張らせ、開け放たれた正門の向こう側を不安げな視線で見やり、所在なげに立ち尽くしている。
「一体全体、どんな人達が来るんだろうねぇ?」
人の良さそうな年配の女性の呟きに込められた思いは、この場に居る獣人全員が共有するものであり、その言葉を背に受けた長老衆も例外ではない。
とはいえ、彼らには無理を言って引き受けて貰った手前、必要以上に委縮させるのは忍びないと思ったのか、長老の一人が快活な声で皆を励ました。
「そう心配したものではなかろう。何と言っても白銀様の奥様だし、ランツェ様とセレーネ様の血を引かれる御方じゃ……滅多な事はあるまいよ」
その言葉は住人らの緊張を幾らか解しはしたが、完全に取り払えはしなかった。
そんな彼らの反応は当然のものであり、長老は小さな溜息を零してしまう。
この場に居る者達は全員が子を持つ親でもあり、我が子を生贄にされた者達も、そうでない者達も、達也には等しく感謝と敬愛の情を懐いている。
また、さくらを筆頭に彼の子供達とも、すっかり打ち解けてもいた。
だが、だからと言って今後付き合っていく人間達が、達也やその子供達同様だとは限らない……。
そう考えて不安を懐いている者達が一定数存在しているのも事実なのだ。
災厄の元凶を討伐した達也に恩義を感じ、長老衆の裁可故に人間達の受け入れに同意したものの、日を追う毎に『本当にそれで良かったのか?』という疑念が心の中に芽生え、葛藤し逡巡する者達も増えている。
そんな中、突然巨大な船が空から降って来て沖合に居座ったのだから、その威容に度肝を抜かれた彼らが、心理的不安を増大させたのは已むを得ない事だった。
漸く、バケモノの恐怖から解放されて安寧が訪れたというのに、新たな来訪者が恐怖を振り撒く存在であったならば……。
虐げられるばかりだった彼らが、そんな危惧を懐くのを誰が責められようか。
そんな時である……正門の外に多数の人間が姿を現したのは。
大人達に引率された三十人ほどの子供達が、ワイワイ燥ぎながら歩いて来るのが見えた。
その集団の先頭には、さくらとユリア、そして獣人の少女マーヤが笑顔で歩いており、見知った子供達を認めたアルカディーナ達は、皆が等しく安堵の表情を浮かべたのだが……。
その子供達に手を引かれている女性の姿を目の当たりにして大いに驚嘆した彼らは、両の眼を見開いて立ち尽くすのだった。
「セ、セレーネ様??」
アルカディーナ達の呆然とした呟きが、さざ波の様に伝播していく。
自分達の背後にある石像が、魂を得て現世に復活したのではないか?
そう彼らが錯覚する程に、その女性は伝説の竜母に瓜二つだった。
そして彼らが我を失っている間に歩み寄って来たその女性……クレアは最前列にいる長老衆の前まで来るや、優雅な所作で一礼して挨拶する。
「皆様、初めて御目に掛かります。私は白銀クレアと申します。このたびは我々を受け入れてくださり、心から御礼申し上げます……また、夫と子供達が一方ならぬお世話になりました事も重ねて感謝致します。本当にありがとうございました」
第一印象が重要だと思い、殊更丁寧に謝意を伝えたクレアだったが、次の瞬間に目の前で起こった出来事には驚倒せざるを得なかった。
何と、長老衆をはじめ、出迎えの為に集まっていたアルカディーナ達が一斉に平伏したのだから、驚くなという方が無理だろう。
然も、遠巻きにしていた他の獣人達もが、彼らに倣う様にその場に平伏したのを視界にとらえたクレアは、只々困惑してオロオロするばかり……。
勿論、その反応は志保やオリヴィア等の大人達、そして子供らも同様だった。
「ちょっ、ちょっと! み、皆さん!???」
一体全体何が起こっているのか理解できずに狼狽するばかりのクレアだったが、その疑問はある者の登場で直ぐに氷解したのである。
「あらぁ~~やっぱりこうなっちゃうか。まあ、仕方がないけどねぇ~~」
いつの間に顕現したのか、空中から降下して来たポピーがクレアの肩に着地し、何処か意地の悪い笑みを浮かべながら意味深な言葉を呟く。
「あんたはセレーネに瓜二つだと教えてあげたでしょう? ほら、御覧なさいよ、あそこに祀られている像を」
そう促されて視線をやった先にクレアが見たものは、遠目でも分かる程に年代を経て色褪せた、寄り添う男女をモチーフにした石像だった。
互いを愛して已まないという気持ちが滲んだその像の女性こそが竜母セレーネだと理解したクレアは、まるで自分がそこに居るかのような錯覚を覚えて立ち尽くしてしまう。
「成程ねぇ~~これは確かに、アンタに瓜二つだわ……」
「本当に……こんな事があるんですねぇ」
「似ているなんてもんじゃないわよ。クレア姉さんそのものじゃない?」
志保、オリヴィア、秋江が、同時に感嘆して唸る声に耳朶を叩かれて、漸く我に返ったクレアが、慌てて平伏する長老衆に駆け寄り、立ち上がる様にと懇願したのは言うまでもなかった。
◇◆◇◆◇
『共存共栄の社会ではなく共生する未来』
この言葉に込めた達也の想いは理解できるのだが、今ひとつ真意をつかみかねている……。
会合に参加しているメンバーの表情からは、そんな風情が見て取れた。
あまりに耳障りが良い『共生』という理念は誰もが理解し易いものだが、それが『共存共栄社会』を否定することにどう繋がるのか……。
この場にいる全ての者が同じ疑問を懐き、少なからず困惑したのである。
そんな彼らの中で最初に口を開いたのは由紀恵だった。
「貴方の描く《共生する未来》は、《共存共栄》という理念の先には無いと言いたいのかしら?」
達也は口元を少しだけ綻ばせて母と慕う女性の問いに答えを返す。
「共存と共栄という理念は、国家形態や社会の実相と価値観を同じくする者同士のコミュニティーに於いてのみ機能します……今の銀河連邦こそが正にその象徴ではありませんか?」
「つまり、あなたが目指す、種の違う者達が共生する社会では、同等の繁栄を望めないという事ですか?」
「いいえ、そうではありません。単純に優先順位の問題です……今の連邦は共生の理念を置き去りにし、拡大繁栄の道を歩んできました」
達也の言葉にラインハルトが得心が言った様に頷いて言葉を重ねる。
「なるほど……確かに銀河連邦を構成する国家は、その形態を問わず分断と格差が鮮明化しているな……それが共生を蔑ろにした結果だと言うのだろう?」
「その通りだよ。この銀河に息づく同じ命である筈なのに、長命種だ短命種だ……貴族だ平民だ、人種だ亜人だと、根拠もない愚かな序列を正当化し、それを維持する事のみに汲々とする……そんな息苦しい世界など俺は真っ平御免だ」
ランツェとセレーネらが亜人の開放を願って戦わざるを得なかったのも、そんな肥大した階級意識が暴走したが故の悲劇に他ならない。
「一部の者達の共存共栄を他者の犠牲と忍耐が支える世界。そんな物はいらない。一度きれいにぶち壊して作り直す。そのためにも、俺はこの星に、全ての種が共に手を取り合って生きて行ける世界を作りたい。人も亜人も龍も精霊も……富める時も貧しい時も、そして、楽しく嬉しい時も辛く悲しい時も、隣人と助け合って手を取り合い共に生きて行く……その理念が土台にある世界を作りたいんだ」
そう語気を強めて宣言した達也にほぼ全員が肯定的な反応を示したが、サクヤは慎重な姿勢を崩さず、敢えて質問を重ねた。
「それは公の力を頼みにした社会主義的なものなのでしょうか? そうなのだとしたら、余りに荒唐無稽な絵空事だと言わざるを得ません。人の善性を否定する気はありませんが、同時に悪徳と性悪を無視するのも感心しませんわ」
アナスタシアに師事しただけあって、語られた理念の矛盾点を端的に指摘して、遠慮なく厳しい言葉を投げ掛けるサクヤ。
すると、小さく頭を左右に振った達也は、穏やかな笑みを浮かべ口を開いた。
「俺もそこまで呑気な理想主義者ではないよ。自助と公助のバランスをとることは大切だし、資本主義社会に於いて、ある程度の格差が出るのは当りまえのことさ。だからこそ、人種や出自による機会の平等を損なわない様な社会にしたい。そして『権利を主張する前に義務を果たす』、という当り前のことを皆が大切してくれるのならば、俺はそれだけで良いと思っているよ」
(理想主義者ではないと仰ったその口で、この様な想いを発言されるとは……)
十代の少年が懐く様な理想論を平然と口にして悪びれもしない想い人に呆れながらも、サクヤ自身も妙に清々しい気分を得て胸の中が熱くなってしまう。
「徹頭徹尾、理想だらけの御意見だと思いますが……それを成す困難さは承知なされておられるようですので、これ以上は追及しないで差し上げますわ」
そう軽口を叩いたサクヤは居住まいを正すと表情を改め、その理想の根幹を成す重大事を問い掛けた。
「もう一つだけ御存念をお聞かせください。目指すべき社会の形は理解致しましたが、それは、どの様な国家形態を土台にして実現されるおつもりですか?」
だがその彼女の問いに達也は苦笑いするや、一転して戸惑いを露にする。
「俺は現状で建国する気など更々ないよ……考えてもみてくれ。こんな妄想だらけの世迷いごとを皆が受け入れてくれるとは限らないし、中には呆れてしまって、『馬鹿々々しい』『寝言は寝て言え』と拒んで承服しない人間だっているはずさ。そういう人々を説得するにせよ、諦めて袂を分かつにせよ、その後、彼らが生きていく環境は整えなければならないからね……簡単にはいかないさ」
「おいおい……幾ら個々の生き方を大切にすると言っても、そこまでの自由裁量を認めて、本当に上手く纏まるのか?」
驚きを露わにした慎治が率直な疑問を口にする。
「それはやってみなければ分からないよ慎ちゃん。だが、折角、真っ新な状態から世界を構築できるんだ……五千人にも満たない我々と二十万のアルカディーナ達。ファーストコンタクトを果した両者が、互いを理解し認めあえないのならば全ては御破算だ。俺は最初からそのつもりだよ」
その覚悟を目の当たりにして喉を鳴らしたのは誰だったのか……。
地球の自然環境に照らし合わせれば丁度爽秋の頃である今、硬質ガラスを通して降り注ぐ柔らかい陽光が達也の顔を照らす。
会談に参加している者たちは、その顔に滲む彼の強い想いを察して息を呑むしかなかった。
「英雄伝説や俺に対する恩義などは一切抜きだ。一人一人が白紙の状態から自分の未来を考えて決めて欲しい。その結果、望まぬ選択をしたからといって、迫害したり不利益を被る様な仕打ちはしないと誓うし、この星を出て行けとも言うつもりもない……互いの存在を認め合う……共生とはそういった物だろう? だから、今は国家など時期尚早だ……いずれ必要になった時に、その時代を生きる者達が決めれば良い事さ」
全てをゼロからスタートさせる……この言葉は、参加者全員に好意的に受け取られた。
勿論、オウキ以下アルカディーナ達も同様であったし、特にシレーヌら若者は、無限に飛翔する未来を夢見て高揚した面持ちで達也を見つめるのだった。




