第二十七話 共生 ①
九死に一生を得てアルカディーナ星にたどり着いた翌日、バラディース都市部で生活する人々は皆で協力し、住居の後片付けや市街地の清掃に励んだ。
昨夜遅くに達也直々の艦内アナウンスがあり、まずは死者への哀悼の意を示した後、辛苦を共にした住人達へ謝罪と感謝の言葉が伝えられ、皆が希望を懐くに足る情報が開示されたのである。
それは、この星こそが目指した新天地であり、現状では敵からの追撃を心配する必要はなく、当面の危地は脱したとの事だった。
この朗報と新天地で始まる新生活に希望を懐いた住人達は歓喜し、誰もが明るい表情で作業に勤しんだのである。
◇◆◇◆◇
「この度は命を救って頂き心から感謝致します……あなた様のお蔭で、これからも娘と共に生きて行くことができます。ありがとうございました」
自動制御機構付き車椅子に身を委ねる美緒が、目の前のベッドに横たわるラルフに上品な所作で頭を下げて謝意を告げる。
銃撃による傷口も塞がり、車椅子での移動なら良いという主治医の許可が下りたのが、つい先程の事だ。
早速戦闘で負傷入院したラルフを見舞いたいと娘に懇願した美緒だったが、漸く対面できた恩人が眼前で横たわる痛ましい姿を見て表情を曇らせてしまう。
一方で、深手を負ったラルフはまだ身体を起こせず、真紅の髪の毛と髭の間から覗く双眸の辺りを朱に染めながらも、恐縮した風情で頭だけを小さく下げて謝意を返した。
「とんでもない……貴女の強い想いが、死神の手を振り払った結果ですよ……私の手柄じゃない。それに態々御足労させてしまい本当に申し訳ない」
そう謙虚に答えた彼は、介助のために美緒の背後に立つ志保に視線を移し、もう一度頭を下げる。
「あの時、怒鳴りつけてくれてありがとう。弱気になっていたとはいえ、我ながら愚かな真似をしようとした。思い止まれたのはおまえのお蔭だ……心から感謝している」
「ふっ、ふふん! もっと盛大に感謝してくれても構わないのよ? 何だったら、これからは私を、『志保様』と呼んでくれても良いんだけどぉ? ん? どうよ、赤髭サンタ君!?」
思ってもいなかった感謝の言葉を告げられ盛大に狼狽した志保は、それを悟られまいと、態と得意げに鼻を膨らませるや、上から目線の尊大な態度を装う。
照れ隠しに此処までするかと自分でも呆れはしたが、素直に『どういたしまして』と言うのも何だか気恥ずかしい。
しかし、ラルフは苦笑いしただけで何も言わなかったが、娘が調子に乗って巫山戯ているのだと憤慨した美緒は厳しい声で叱り付けた。
「何て言い種ですかっ! 失礼な物言いは母さんが許しませんよっ、志保!」
叱責されてバツが悪そうな態度を装う志保は、苦笑いを浮かべて舌を出し惚けたフリをする他はない。
好敵手(?)であるラルフから真顔で礼を言われて戸惑い、気恥ずかしくて堪らないのだとは口が裂けても言えないからだ。
すると隣にいたアイラが、ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべて『や~~い! 怒られたぁ~』とでも言いたげな顔を向けて来たので、『こいつめ!』とばかりに志保は妹分のオデコを指先で突く。
そんな穏やかな雰囲気にも拘わらず物憂げな表情を浮かべた美緒は、溜息交じりに愚痴とも懇願とも取れる言葉を零し、大いに娘を慌てさせるのだった。
「はあぁ……一体どこで育て方を間違えたのかしら? 天国のお父さんに何と詫びればいいのか……志保、貴女も少しはクレアさんを見倣ってお淑やかになさい! そして、せめて私がお父さんの所に逝くまでには、お婿さんを見つけて頂戴ね……でないと心配で心配で死にきれないわ」
「ぶふッ!!?」
選りにも選ってラルフやアイラの面前で想定外の反撃を喰らった志保は、狼狽し取り乱さざるを得ない。
「なっ!? 何を言っているのよ母さんッ! 実の娘に向かってその言い種はないんじゃないの!? 失礼にも程があるわよッ??」
隣で盛大に吹きだすアイラを羞恥で真っ赤に染まった顔で睨みつけながら、猛然と母親へ抗議する志保だったが……。
「何が失礼なものですか……この儘では本当に誰からも相手にされずに寂しい人生を送る羽目になりますよ? 女だてらに格闘技の達人というだけでも不利なのに、御料理は上達しないし掃除も下手……そのうえ性格まで捻くれているなんて……」
憤慨する娘には御構いなしに美緒の嘆き節は続く。
アイラはお腹を抱えてしゃがみ込むや、懸命に声を押し殺しながらも目尻に涙を浮かべ、くぐもった忍び笑いを漏らす。
その姿が腹立たしい志保は思わず声を荒げようとしたのだが、ベッドに仰向けで横たわるラルフが顔だけを背け、両肩を小刻みに震わせている様子を目の当たりにして愕然とするのだった。
(こ、こいつ笑っているッ!?)
そう察した志保は、込み上げて来る羞恥に煽られて怒りを爆発させた。
「赤髭のクセにッ! 何を笑ってんのよぉぉ──ッ! アンタなんか傷口が破けて死んじゃえばいいんだぁッ! 馬鹿ァッ!!」
腹立ち紛れにそう罵声を叩きつけた彼女は、踵を返し部屋を出て行こうとする。
そんな志保の背にアイラは懸命に笑いを堪えながら声を掛けた。
「ちょ、ちょっと、志保ったら!? 小母さまを放り出して何処に行くのよ?」
「その見倣うべき腐れ縁様から仕事を頼まれているのよっ! アイラ、そこにいる失礼なオバサンを病室に放り込んでおきなさいっ! いいわねッ!」
そう悪態をついた志保は足音も荒々しく病室を後にしたのである。
◇◆◇◆◇
この日の初会談は、アルカディーナ側の代表者達をバラディースに招く形で開催された。
オウキを筆頭に五名の長老連と、シレーヌら若手の代表者五名の合計十名が来訪し、出迎えた達也側は昨夜打ち合わせをしたメンバーからクレアを除いた五名と、ラインハルトにヒルデガルドを加えた合計七名が顔を揃えた。
そして、この星系の実質的な支配者でもある精霊を代表し、オブザーバー的役割を期待されたユスティーツが同席している。
「おや? バルカ君の姿が見えませんが……彼は欠席ですか?」
艦首部分の最上階にある瀟洒な展望ルームには大型の長テーブルが設えられており、上座にユスティーツ、左右にそれぞれの参加者が並んで席に着いた。
達也とヒルデガルドを除けば双方とも初対面の相手ばかりであり、まずは簡単な自己紹介から会談は始まる。
そんな中、若手のリーダー格であるバルカが居ないのを不思議に思った達也は、自己紹介が終わるのを待って長老連のリーダーであるオウキに訊ねた。
異界から紛れ込んだ鬼との騒動の際に、粗暴な態度で達也に絡んで来た男こそがバルカであり、後で聞いた話ではアルカディーナ若手グループのリーダー格として警邏を担当する自治組織を率いていると聞いていた。
「彼は若手から信望が有ると聞いていましたので、是非この会談に参加して貰いたかったのですが……」
落胆の色を含んだ達也の言葉に、渋い表情を浮かべて返答を躊躇うオウキに代わって、末席に控えていたシレーヌが、不機嫌な表情を隠そうともせずにキッパリと言い切る。
彼女は仲間の身代わりになって鬼への供物に志願した娘であり、危うい所を達也に助けられた子供達の中のひとりだ。
「アイツは若手のリーダーでも何でもありません。ですから此処には来ませんし、その資格もないのです。仕事もせずに日がな一日ふらふらしているゴロツキを集めてお山の大将を気取っている馬鹿ですので」
そのあまりにも辛辣な物言いに驚倒した長老らは、窘めるかの様に険しい視線でシレーヌを睨んだが、彼女は素知らぬフリをしてそっぽを向いてしまう。
(触れては不味い事を聞いてしまったかな……しかしなぁ……)
シレーヌがバルカを嫌っているのは一目瞭然なのだが、オウキら長老連の反応はやんちゃ坊主を持て余しているといった風にしか見えず、必ずしも彼が必要とされていないとは思えないのだ。
実際の所、鬼から指定された森の奥まで子供達を連れて行く役を担っていたのは、自分達の身にも危険が及ぶ可能性を承知した上で、敢えて嫌な役目を引き受けていたとも考えられる。
仮にそうなのだとしたら、粗野な言動とは裏腹に大した義侠心の持ち主なのではないか……。
達也にはそう思えて仕方がなかったのだ。
「そうですか……ならば今度ゆっくり時間をとって彼と話をしてみよう。これから我々は助け合って生きて行かなければなりません……それには、お互いを理解する事が絶対に必要だからね」
本人抜きの場で議論するのも不毛だと思った達也はシレーヌにそう告げて問題を棚上げしたが、諭された彼女が申し訳なさそうに俯いた姿を見たサクヤや由紀恵は、好意的な視線を彼女に向けるのだった。
「それでは早速だが、現状のあなた方の生活状況から御説明願えませんか?」
ラインハルトからの質問を受けたオウキは、軽く咳払いをして意識を切り替え、都市の状況や自分達の暮らしぶりについて要点を説明する。
「現在我々は二十万を少し超える仲間達と、この城塞都市のみで生活を営んでおります。白銀様に退治していただいた災厄の暴威もあって、活動範囲は極々限られており、日々の食料の確保にも困窮する有様で……」
そこで言葉を切った長老に代わってヒルデガルドが口を挟んだ。
「彼らの営みは狭い世界で完結しているんだよん。政治形態は長老連を頂点とした合議制を採っており、司法、立法、行政に至る全てを兼務している。但し、それらを受け持つ実働部隊は地区の代表者の寄り集まりだったり、自警団モドキの脆弱な警察機構であったりで、とても心許ないものなのさ」
「なるほど……では、経済活動の実相や日々の食料は、どの様にしておられるのでしょうか?」
そのサクヤの質問には、唯一の女性長老ナトゥーラが丁寧に答えを返す。
「公営の直売所以外で個人商店等を営んでいるのは、代々親から技術を受け継いだ者達だけであります……需要が多いとは言いかねるのが実情で、他の住民は海洋に船を出しての漁と森林での食料採取に従事しております」
「それらの収穫物を公営の直売所で販売するのですか? すると、品々を贖う為の貨幣を流通させているのでしょうか? それとも公平に配給等の制度を採用しているのですか?」
「労働の対価として、僅かばかりですが、長老部から賃金を支給しております……しかしながら、この都市の中でしか流通いたしませんので……」
責められている訳でもないのにナトゥーラは恐縮し、申し訳なさそうに声を潜めてしまう。
サクヤは笑顔で、『大丈夫ですよ』と彼女に返しながらも、想像していた以上に閉鎖的で小規模な経済活動の実情に思案を巡らせ、発展への道筋を模索する。
(貨幣経済が根付いているとはいえ、狭い彼らの世界の中だけで完結しているから発展性は皆無……形骸化している経済を活性化させるには、新たに人口を増やしてインフラを整備し、産業振興を図るしかないのだけれど……それには……)
思考に没頭する彼女に代わり、今度は由紀恵と慎治が続けて質問した。
「幼年教育を含む未成年者の学業制度、並びに成人の為の就業学習などはは、どの様になっているのでしょうか?」
「それと水道や電気等の家庭用インフラは? 遠目に見ただけだが、都市の建築物は土壁造りの平屋が多いように見受けられる。この近辺では大きな災害は起きないのかい?」
「代々伝わっている言語の読み書きと簡単な計算……それ以外は、この星の歴史や精霊様の存在について……その程度は……」
レベルの高い質問に戸惑うオウキは、しどろもどろになりながらそう答えるしかなかった。
バラディースに来艦した際、その圧倒的な未来都市に度肝を抜かれた彼は、この世界とは隔絶したテクノロジーを持つ来訪者との格差に気後れしたのだが、それは他の長老連も同様だ。
だから萎縮する彼らに代わって、それまで黙っていたユスティーツがフォローし、慎治の問いに答えを返す。
「先史文明が隆盛であった頃とは違い、現在は我々精霊が環境をコントロールしております。大気を司る者たちが気候を定期的に変動させ、雨の恵みを齎し、災害を抑制します。火や明かりも、それぞれの精霊がアルカディーナの各家に平等に分け与えていますわ」
それを聞いて大いに感嘆した慎治だが、同時に不安も覚えざるを得ない。
(つまり、精霊たちに見限られでもした日には、たちどころに生活インフラが崩壊するって事じゃねえか……大問題だな、こりゃあ……)
白銀家側のメンバーが一様に難しい顔をするのを見たオウキらアルカディーナ達は、不安げな顔で互いを見やるしかない。
そんな陰鬱な雰囲気の中、達也は一同を見据えて口を開いた。
「問題が多々あるのは覚悟していたさ。でも障害は一つ一つ解決していけば良いのだから気に病む必要はないよ。だが、それ以前の問題として、これだけは皆の肝に銘じていて欲しい。俺達が目指すのは共存共栄の社会ではなく共生する未来だ!」
その強い声音には達也の譲れない想いが滲んでおり、その想いの強さに皆が気圧されるのだった。




