第二十四話 悲報に接して……
【グランローデン帝国】
「そんな馬鹿なっ!? あの御方が容易く死ぬはずが……」
俄かには信じられない悲報に接した第十皇子セリスは驚愕して椅子から立ち上がったが、言葉が続かず絶句するしかなかった。
皇帝の信を得た重臣しか入室を許されない政務室に帝国の政治と軍事を司る面々が参集しており、その場で情報部から齎された『神将白銀達也死す』との報告が俎上に載せられ、冒頭のセリス皇子の台詞に繋がったのである。
「何かの間違いではないのかっ? あの御方は連邦の大元帥ではないか? それが味方に誅殺されるなどという馬鹿げた話が……あの時の陛下との会談は……」
「セリス! 落ち着きなさい! 陛下の御前で皇子が無様に取り乱したとあっては帝室の威信に傷がつく……少し頭を冷やして控えるがいい」
余りに突飛で不可解な情報に驚倒したセリスはすっかり取り乱してしまい、思わず不都合な真実を吐露しかけてしまう。
しかし、長兄であるリオン皇太子から強い口調で叱責され、辛うじてその言葉を呑み込んだ。
「友邦であるバイナ共和国の悲願を挫いた憎き男だが、我が帝国が殊更に騒ぎ立てる必要はないと考える。黙殺して然るべきかと……」
口を噤んで俯いた弟を一瞥した皇太子が、静謐な声で己の意見を口にしたのを皮切りに各重臣達が議論を始めた。
概ねリオンの意見に賛同する者が多かったが、これを奇貨とし、地球統合政府に対する懐柔工作を本格化させるべきだと主張する者達も一定数存在している。
一段高い場所で彼らの舌戦に聞き入るザイツフェルト皇帝は、眉間に皺を刻んで瞑目したまま微動だにせず、その心中を推し量るのは長年仕えた重臣といえど容易ではない。
しかし、皇帝と達也の会談に立ち会ったセリスは、朧気ながらではあるが、父の心中を察して哀切の情を禁じ得なかった。
(やはりユリアの事を悔いておられるのだろうか……しかし、何処まで不運が付き纏うのか……良き家族に巡り逢い、漸く闇の底から抜け出せたというのに……)
嘗て【災厄の魔女】と呼ばれて忌み嫌われた妹。
生きることに鬱屈し絶望に瞳を暗くしていたユリアが、再開した時には見違えるほどの意志の輝きを宿し、皇帝である父にも臆せずに自身の想いを述べていた。
その変貌ぶりにセリスは心底驚かされてしまい、白銀達也とその家族が妹を闇の中から救い上げてくれたのだと知った時は、喜びと同時に心からの感謝の念を懐いたのである。
しかし、卓越した能力を誇った【神将】でさえも、多勢に無勢では為す術もなく敗れ去るしかなかったという現実に、彼は落胆を覚えずにはいられなかった。
付き従っていた者達も全員が異次元空間に呑まれて安否不明……。
そう聞かされたセリスは幸薄い妹を憐むしかなく、無情な現実を儚み、胸の中で哀切の吐息を漏らしたのである。
◇◆◇◆◇
【アスピディスケ・ベース 航宙艦隊統括局総司令部】
航宙艦隊幕僚本部総長をつとめるガリュード・ランズベルグ元帥は、西部方面域派遣艦隊再編成の陣頭指揮を執っている最中に悲報に接した。
側近からの報告を最初は何かの冗談だと一笑に付したが、同じ情報が立て続けに齎されるに至って、もしやという思いが募る。
おまけに軍内部に於いても不確かな情報が錯綜しており、状況を打開する為にも、ガリュードは方々に幕僚を派遣して正確な情報を集めるように命じたのだ。
その結果。
白銀達也がエンペラドル元帥率いる親衛艦隊と交戦に及んだ挙句に、家族や彼を慕って付き従った民間人共々宇宙の藻屑と成り果てたという無慈悲な現実を再確認し、愕然としたのである。
その死者の中にはランズベルグ皇国第一皇女サクヤ・ランズベルグも含まれており、孫同然に慈しんで来た彼女の死に涙を堪えられなかった。
また、本国皇王家の混乱ぶりを思えば、暗澹たる想いを懐かざるを得ない。
「レイモンド皇王は気丈に振る舞っていますが、憔悴し切っているのは隠しようもありませんわ……ソフィア王妃は寝込んでしまい、当分は立ち直る事さえ難しいでしょう」
日頃の気丈さは影を潜め落胆の色をありありと浮かべたアナスタシアが、掠れた声で皇宮の現状を説明する。
気落ちする愛妻を抱き締めてやれない歯痒さに、ガリュードは臍を噛むしかなかった。
本国との専用秘匿回線を使用しているので盗聴の心配はないが、交信記録は残るため、長い時間のやり取りは軍政部に無用な不信を懐かせる可能性がある。
ガリュードは私心を押し殺し、冷静な声で重大な機密事項を愛妻に伝えた。
「実は今回の戦闘で軍令部総長エンペラドル元帥も艦と共に戦死を遂げている……シルフィードの体当り攻撃に巻き込まれ、最後まで陣頭指揮を執った挙句の爆死という報告だが、胡散臭い話だと私は思っている」
夫の言葉にスクリーンの向こう側にいるアナスタシアの顔が驚愕に歪んだ。
「陸に艦隊勤務を経験しておらず、実家の金と権力を頼みにし、政治的な駆け引きを駆使して出世した輩では、白銀達也という男をどうにかできる筈もない……そもそも、爆沈する可能性がある艦に留まり、最後まで指揮を執る気骨など持ち合わせてはいない……そんな男だよ、エンペラドルはね」
聡いアナスタシアは、そう断言する夫の真意に一瞬で思い至った。
「それでは裏で糸を引いた者が他にいると? ゲルトハルト・エンペラドルを手玉に取り達也を貶めた者……モナルキア派の仕業を疑っておられるのですね?」
「それしか考えられないな……達也もエンペラドルも、モナルキアにとっては厄介極まりない政敵だ。獣人密売スキャンダルで窮地に立たされていたエンペラドルを焚き付け、達也と噛み合わせ共倒れさせる……使い古された策だが有効であるのに変わりはない」
夫の推論が決して的外れな妄想でないのは充分に理解できるアナスタシアだが、それ故に新たな懸念に顔を曇らせてしまう。
「まんまと宿敵を葬ったモナルキア派が次の標的にするのは……あなた……」
愛妻の不安げな表情を見たガリュードは、涼し気な微笑みを浮かべて彼女に安堵するよう伝えた。
「心配しなくていい、シア……私は頑丈だからね。簡単に始末されるような無様な真似はしないさ。出来るだけ踏み止まって時間を稼ぐ……だから……」
アナスタシアの双眸に何時もの力強い光が戻る。
夫の秘めた想いを誤たずに察した彼女は、一度だけ頷いて自分が成さねばならない事を口にした。
「お任せ下さい……彼らの魂胆は分かっておりますわ。達也の叛逆行為を論って最高評議会に足枷を付け、身動きを封じた隙に評議会を牛耳って、自らの支配力を拡大させる腹積もり。皇王家に成り代わって私が事にあたります。そうそう奴らの好きにはさせません」
「助かるよ、シア。毎度毎度苦労ばかり掛けてしまうが許して欲しい。くれぐれも身辺警護は厳重にしておくれ……君が我が皇国の最後の砦だ。それに、君を失おうものならば……私も生きてはいけないからね」
「あなたこそ……御身お大切に。無事の御帰りを皆でお待ちいたしております」
胸を過ぎる不安を押し殺すアナスタシアは優雅に一礼して見せるのだった。
◇◆◇◆◇
【地球・上海ローズバンク邸】
「そうか……分かったよ。すまないが暫く情報収集を続けてくれ。うん、来週には一度ロンドンに戻る……あぁ、宜しく頼む」
長年懇意にしている政治家からの連絡だったが、残念ながら有益な情報は得られなかった。
情報端末をテーブルの上に置いたアルバート・ローズバンクは、シングルソファーの背凭れに身体を預けて深い溜息を吐く。
娘婿である白銀達也が、敵対しているグランローデン帝国と気脈を通じて不穏な動きをしている……。
そんな根も葉もない噂が原因となって、娘や孫達が暮らすバラディースが地球を退去せざるを得なくなったのは、つい数日前の事だ。
余りに突然の事態にアルバートも妻の美沙緒も大いに憤慨し、知人の地区選出の議員を通じて統合政府に詰問状を提出した矢先……。
『銀河連邦評議会からの召喚命令を拒んだ白銀達也辺境大伯爵が、説得の為に派遣された連邦宇宙軍艦隊の要求を拒絶。激しい交戦の末に信奉者を乗せた移民船諸共に撃破された模様』
平日の正午前。銀河ネットワークのメディアが、このセンセーショナルな速報を傘下の媒体で一斉に流すや、全ての情報番組がこのニュース一色に塗りつぶされ、現在に至るまで手を変え品を変えた報道合戦が繰り広げられている。
青天の霹靂と評すには余りに残酷な報道であり、美沙緒はショックで倒れてしまい、医者を呼ぶ騒動になってしまった。
(無理もない……娘や孫たちが死んだと聞かされて平気でいられる訳がない)
医者が駆けつけて来た時には愛妻は意識を取り戻していたが、その無慈悲な現実を受け入れられないのか半ば錯乱した状態だった。
強い睡眠薬を注射して何とか眠らせたものの、つい先ほど覗いた時には苦し気な表情を浮かべ、時折何かを呟いており、その様子を目の当たりにすれば妻が不憫でならない。
当然アルバート自身も辛い気持ちを持て余していたが、だからと言って絶望した訳ではなかった。
(彼は……最愛の家族を易々と死なせてしまう様な間抜けではない筈だ。クレアや子供達も! そして婿殿も必ず生きているッ!)
あの頑固で意地っ張りな愛娘が愛した男が容易く死ぬはずがない……。
だから必ず娘達にも再会できる……。
そう何度も自分自身に言い聞かせるアルバートだったが、そんな彼と同じ想いを懐く者達は他にもいた。
【青龍アイランド・伏龍士官学校】
「神鷹っ! 親父達から何か連絡が入ったか!?」
自室のドアを乱暴に押し開けたヨハンは、部屋に入るなり焦りを含んだ声を張り上げたが、情報端末を凝視している神鷹は小さく頭を振ってその問いを否定した。
「駄目だね。父さん達が率いている方面軍には、ニュースで流れている程度の内容しか伝達されていないらしい。意図的に情報統制されている可能性があると父さんは考えているみたいだね」
「こっちも収穫なしだ。学校長に談判したが、この件について地球統合軍は関知しないと参謀部から通達があったそうだ。知らん顔して無視しろって事だろうが! これが命懸けで地球を護った人間に対する仕打ちなのかよっ!?」
興奮して憤るヨハンとは対照的に、神鷹は情報端末を操作しながら思案の色を濃くする。
「やはり不自然だよ……交戦に及んだのならば、シルフィードを撃破した際の映像が流されても不思議じゃないのに……それがない」
「つまり白銀教官は死んでないし、蓮や如月も無事だって事だよな!?」
ヨハンは性急に望む結論を口にしたが、神鷹は慎重な態度を崩さない。
しかし、共に学び絆を結んだ彼らの生存を疑ってはいなかった。
「今の段階では断言はできないけれど……あの白銀教官が簡単に死ぬ筈がないよ。兎に角もっと情報を集めよう。候補生の僕らにできるのは親友を信じて全力を尽くす……ただそれだけだからね」
日頃論理的な親友が珍しく感情が籠った台詞を口にしたのが嬉しくて、ヨハンは大きく頷くのだった。
◇◆◇◆◇
【惑星ヘンドラー・ロックモンド財閥本社】
市街地から少し離れた丘陵地帯を丸々買い取って建てた本社ビルは、地上五十階地下五階からなる荘厳な威容を湛えている。
銀河系内でも屈指の繁栄を誇るヘンドラー経済連合の中に在って、更に一頭地を抜く存在のロックモンド財閥は、今や実質的に銀河系の経済を掌握していると言っても過言ではない。
しかしながら、その偉業を果した若干十五歳の少年は、とても順風満帆な人生を謳歌しているとは思えない深刻な表情を浮かべていた。
場所はロックモンドタワー最上階。
財閥総帥ジュリアンと彼が最も信頼する腹心達は、全員が難しい顔をして巨大な大理石のテーブルを囲んでいる。
「さて。例の計画に重大な赤信号が灯った訳だが……まずは皆の意見が聞きたい」
何時もは、積極的に自分から方針を示して押し通すジュリアンが、珍しく居並ぶ重臣たちに献策を求めた。
銀河連邦評議会発の『白銀達也大辺境伯乱心の末に死亡』という情報が事実ならば、彼を全面的に支援して銀河連邦という巨大組織に改革という名の鉄槌を下すという壮大な計画が画餅と化すのは避けられない。
ロックモンドの組織力と経済力を以てしても、肝心要の旗頭になる人間を欠いては十全に力を発揮するのは難しく、貴族閥の専横を抑えるなど夢のまた夢だ。
「白銀伯爵の実質的な懐刀であるサクヤ・ランズベルグ様からは、共闘の御約束を取り付け、彼らの支配下にあった連合企業体は既に我が財閥の傘下に組み込まれております」
「ふむ。今の状態であれば、白銀伯爵がお亡くなりになったからといって、当方に不都合はございますまい?」
「そうだな……寧ろ、とばっちりを避けて素知らぬ顔で事態をやり過ごしさえすれば、優秀な系列企業体を無償で手に入れられるのだから、我々にとっては万々歳の結果となりますな」
盟友が災禍に遭い消息不明になっているのに、平然とした顔で無神経な物言いをする重役に苛立ちを覚えたジュリアンだったが、社長兼重役部門統括のランディウス・クレセントの発した言葉に思わず脱力するしかなかった。
「総帥は我ら凡夫の及ばぬ才を御持ちだが、爺のように世慣れてはおらぬのだ……冗談はそれ位にしたまえ」
どうやら先程の重役たちの言は本意ではなかったらしい。
「お、お前達……いい度胸しているな? この状況で巫山戯る余裕があるなんて」
ジュリアンが眉を顰めて詰問すると、ランディウスがニヤリと口元を歪め、やれやれといった風情で宣った。
「総帥が悪いのですよ。方針や御考えを変える気もないのに、我々を試す様な真似を為されるのですからね……憂さ晴らしに冗談のひとつも言いたくなったとしても仕方がありますまい」
彼の言葉に他の重臣達も口元を綻ばせて頷いている。
ジュリアンは小さく溜め息を吐いて見せたが、内心では、彼らの肯定的な反応に充分満足していた。
(白銀提督は必ず生きている……そしてユリアも……それ以外の真実などありはしないさ)
「ならば早急にプランを進める。ただし、連邦の情報部の動きには充分注意しろ。いつ白銀提督から連絡があっても良いように万全の体制を整えるんだ。特に新規に起ち上げる輸送部門は、早急に形を整えて活動を開始させるように手配してくれ。彼らと我がグループの隠れ蓑になる重要なセクションだから慎重にな」
総帥が決意を新たにして宣言するや、重役達は一斉に立ち上がりそれぞれの責務を果たすべく足早に退出して行く。
(ユリア……必ず逢いに行くから……それまで待っていてくれ)
ジュリアンは窓越しに見える雄大な星空にそう願うのだった。
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