第二十三話 牙剥く毒蛇
「おのれぇぇ──ッ! 最後の最後まで儂に逆らうかあぁぁ───ッッ!」
集中砲火を受け船体を火の玉に変えたシルフィードは、それでも何かに憑かれたかのように漆黒の宙空を疾駆する。
己が乗艦目がけて突っ込んで来る敵艦に恐怖するエンペラドル元帥は、顔を引き攣らせ、怨嗟を滲ませた声音で喚き散らした。
「撃てッ! 撃てッ! 撃てぇ──ッ! さっさと叩き墜とさんかぁッ!」
メインスクリーンの遠隔映像で捉えていた敵艦が、今や肉眼で視認できる距離にまで接近しているのだから、その恐怖は筆舌に尽くし難いものがあるし、味方戦艦群が釣瓶撃つ圧倒的な砲火をものともせず、炎を纏った巨躯を猛進させるその姿はまさに悪鬼そのものだとしか思えない。
七聖国程ではないが、大国の高貴な貴族の嫡男として生まれたエンペラドルは、軍籍を得た以降も、その家名と政治的な才覚を駆使して今の地位に上り詰めた。
それ故に実戦経験には乏しく、この様な修羅場に身を置くのは初めてだ。
だからこそ眼前に迫り来る敵意の塊を前にし、死の恐怖に怖じけたのも已むを得ないといえるが、指揮官の恐怖は部下達に伝播し、その結果、恐慌をきたす者が続出して艦隊行動にも悪影響が及ぶのは当然の帰結だった。
だが、ほんの数分前まで艦橋に充満していた高揚感は跡形もなく消失し、幕僚達でさえ恐怖と焦慮に翻弄されて表情を強張らせている中で、キャメロットだけは顔色一つ変えずに泰然と佇んでいる。
(さすがは【神将】と謳われた御方だ……私の予想通り見事な奮戦です。しかし、本当に惜しい……貴方がもう少し欲深な人間だったならば……)
白銀達也という人間の才能を惜しみ、その突出した軍人としての能力に魅せられたキャメロットは、本気で共闘を考えた時期もあった。
だが、清廉で融通の利かない白銀達也が、己の野心の為に清濁併せ吞むような行為に同意する筈がない。
同志でもある部下達にそう説得されて諦めざるを得なかったのである。
(白銀元帥閣下。貴方は燃え盛る艦の中で何を御考えですか? 人生の最期に何を思われるのでしょうか?)
柄にもなく感傷的になっている自分に気付いたキャメロットは、ほんの僅かだが口元を緩めてしまう。
白銀達也に対する身上調査で分かった事は数多いが、中でも公正無私の精神と、責任感の強さが尋常でないのは際立っていた。
だからこそキャメロットは、眼前に迫り来る炎の棺桶と化した敵艦に居残ったのは白銀達也本人だと信じて疑わなかったのだが、既にこの時、スタンガンで昏倒させられた達也は強制的に退艦させられた後であり、事態はキャメロットの知る由もない所で、大きくその流れを変えていたのである。
フレデリック・イェーガーの介入という想定外の事態により、白銀達也が危地を脱していた……。
この事実を見過ごした事が後に大きな誤算となって我が身に返って来ようとは、傑出した策略家である彼をして夢想だにしなかったのである。
「だ、駄目ですッ! 敵艦止まりませんッッ! 衝突コースッッ!!」
断末魔の悲鳴にも似たオペレーターの絶叫に、エンペラドルをはじめ艦橋に居並ぶ将兵らの顔が恐怖に歪んだ。
炎の塊と化したシルフィードの残骸が目に見えない力に押されたかの様に残された僅かな距離を駆け抜け、本懐を遂げようとしたその瞬間!
左舷を固めていた戦艦が身を挺して旗艦と炎塊の間に割って入り、文字通り盾となって敵の特攻を防いだ。
その衝撃でシルフィードだった物体が紅蓮の爆炎をあげて宙空に爆ぜた。
盾代わりとなった戦艦一隻では勢いを完全には止められず、爆発に巻き込まれた艦首に亀裂が入って自らも炎を吹きだす。
然も使用可能なスラスターを全力稼働させたにも拘わらず、体当たりされた勢いを相殺できずに押し切られ、自らの船体を旗艦にぶつけてしまった。
艦全体が激しい衝撃に襲われ、けたたましい非常警報が鳴り響く事態に陥る。
それは艦橋も例外ではなく艦長以下幕僚達は、艦内の主要セクションから矢継ぎ早に報告される被害状況に半狂乱の体で対応を余儀なくされた。
キャメロットの視線の先には専用シートから転げ落ちて床に尻餅をつき、恐怖と怒りに歪んだ顔で意味不明の言葉を喚き散らしている元帥の姿がある。
側近たちが差し出す手を振り払い何とか自力で立ち上がった総領の下に歩み寄ったキャメロットは、低く抑えた声で進言した。
「閣下。我々の思惑通り白銀達也大元帥は死にました。しかし、捕縛に至らなかった経緯を評議会に追及された時に有利になるよう、本艦をアスピディスケ・ベースに帰還させる必要があります。親衛艦隊に此れだけの損害を与える程の抵抗をしたのは、後ろ暗い何かが白銀閣下にはあった……そう主張する為の証拠として」
「う、うむっ! 確かにその通りだ」
頼りにする腹心の落ち着いた態度に触発されたのか、蒼白だったエンペラドルの顔に少しだけ朱が戻る。
そしてキャメロットの意見具申に大きく頷いて見せるや、自艦の惨憺たる有り様に動揺を隠し切れない艦長を睨みつけた。
「さ、幸い動力炉と機関部に損害はありません。この場を後退し消火と損害部分の応急修理に全力を尽くせば……なんとか……」
どれほど狼狽していても、長年傍に仕えて来た艦長は、エンペラドルが望む答えを間違わずに口にする。
状況は厳しいと言わざるを得ないが、これ以上の誘爆を抑えられれば……。
いや! 出来る筈だと艦長は自分に言いきかせた。
「ならば此処は、艦長と幕僚のお歴々に任せて閣下は退艦し、後方に待機している護衛艦に移られた方が良いと愚考いたします……閣下こそが此れからの銀河連邦に無くてはならない御方なのですから」
その耳障りの良い言葉に機嫌を良くしたエンペラドルは、満面に笑みを浮かべて何度も頷くや一際大きな声で命令した。
「よいかっ! この艦は白銀めを討伐せざるを得なかった証拠として評議会に見分させる! 何としてもアスピディスケ・ベースまで回航させよッ! 儂は白銀党の残党殲滅の為に後方の護衛艦群を率いて追撃するっ!」
「閣下。既にシャトルの準備は整っております。時を許せばバラディースへの追撃は難しくなりましょう……どうかお急ぎください」
キャメロットの進言を受けたエンペラドル元帥は、数人の最側近のみを引き連れて足早に艦橋を後にしたのである。
◇◆◇◆◇
同時刻。キャメロットの指示を受けていたランデル中佐は、僚艦三隻と共に逃走するバラディースの追撃に移っていた。
(残存の護衛艦一隻と共に転移をしたようだが、損害の影響なのか短距離を跳ぶのが精一杯のようだな……トレースは完璧だ。逃がしはせんッ!)
そう意気込み、体当り攻撃の余波を受けて混乱している前衛艦隊を迂回し追撃に入ろうとした時だった。
「艦長! 十時方向に浮遊物……シルフィードの残骸と思われますが、艦政本部に登録されているデーターに合致する物がありません」
この曖昧な報告を寄越した部下に出鼻を挫かれたランデルは、思わず怒鳴り付けようとしたのだが、ある事案に思い至り、辛うじてその怒声を呑み込んだ。
(まさか……シルフィードに搭載されていた、秘匿兵器の残骸なのではないか?)
「拡大した映像をスクリーンに出せ」
白銀達也の名を遍く銀河に知らしめたバイナ共和国との戦闘で猛威を奮い、今回もミサイルによる波状攻撃を完全に防いで見せた謎の秘匿兵器。
それが本物であるならば、残骸であってもその価値は計り知れない。
そして、ランデルの勘は、まさに正鵠を射ていたのだ。
ほぼ無傷で浮遊している球状のメカを解析した結果、ビット兵器である可能性が極めて高いという回答が得られたのである。
「進路変更! 後方で混乱している他の連中に気付かれぬよう、僚艦の陰に隠れて我が艦で回収する」
喜色を露にして命令を変更する艦長に副長が遠慮がちに口を挟んだ。
「し、しかし、残敵の追撃を急ぎませんと目標が……」
「白銀達也は死んだっ! 残った敵はスクラップ間際の護衛艦一隻と図体ばかりがでかい移民船だ。少しぐらい捕捉するのが遅れても問題ではないだろう。それよりもあの秘匿兵器を持ち帰る方が重要だっ! キャメロット様に良いみやげになる。さあ! 愚図愚図するなっ! さっさと回収して奴らを追うぞッ!」
部下からの意見具申を煩わしげに首を振って退けるランデル。
他の部下からもそれ以上の異論は出ず、艦隊は追撃を一時中断して進路を変更するや、魅惑の宝箱を目指すのだった。
◇◆◇◆◇
(これ程の損害を被るとは思わなかったが、白銀を抹殺できたのだから良しとせねば……後は【神将位】を下賜した最高評議会と、それに追随して承認した評議会の落ち度を糾弾する機運を高める……『白銀達也の裏切り行為』を世論に訴え煽れば造作もなかろう)
損害著しい旗艦から後方の護衛艦へと司令部を移すべく、エンペラドルと少数の側近達は、シャトルが用意されている格納庫に急いでいた。
配下のスキャンダルを追及されて窮地に陥っていた自派の復権を図る……。
その目的を最高の形で成した彼は、喜悦に顔を緩めて今後の展開を夢想した。
(七聖国と評議会を黙らせて主導権を握りさえすれば、ガリュードの奴はもとよりモナルキア派を一気に始末するのも不可能ではない……それを成せれば銀河連邦は儂のものとなるのだ)
甘美なまでの未来予想図に酔い痴れるエンペラドルは、信頼と称賛を込めた視線で眼前を歩く男の背中を見つめた。
モナルキア元帥の腹心であるローラン・キャメロットが此方に寝返った瞬間から事態は好転し、長年切望して来た輝かしい未来にあと一歩で手が届くのだ。
(重用した側近が裏切っているとはモナルキアの奴も思いもしまい……本当に良い拾い物だったわ。モナルキア派を一掃した暁には、早々に階級を引き上げてやらねばな。儂の右腕として軍政部か航宙艦隊の総長ポストを与えても良かろう)
今回の手柄に対し相応しい褒賞は何が相応しいか?
そんな思案の最中に高級将官専用機が用意されている格納庫に到着したエンペラドルは、そこで想定外の事態に出くわして狼狽を露にした。
格納庫には一機の連絡シャトルがエンジンを起動させた状態で待機していたのだが、その前には複数の青年将校達がビーム仕様の突撃小銃を構えて整列しており、彼らの銃口が自分達に向けられているのを見たエンペラドルは声を荒げてしまう。
「なっ、なんだ! これはッ!? 無礼な真似は許さんぞッ!!」
明確な殺意を察して逆上した元帥が怒りを露にするが、青年将校達の所まで歩を進めて振り返ったキャメロットの様子に異変を感じて眉を顰めた。
相変わらず心の中を窺わせない彼の表情には、微かだが嘲笑の色が浮かんでいる様にも見え、それが何を意味するか看破したエンペラドルの顔が驚愕に歪んだ。
「貴方様の出番は此処で終了です。この上は先に冥府に向かった白銀大元帥閣下を御慰めするべく、黄泉路を共になさるのが最後の御奉公でございましょう?」
「おっ、おのれえぇぇ──ッ! 裏切り者めがぁぁぁッッ!」
恭しく一礼するキャメロットに怨嗟に満ちた罵声を浴びせた刹那!
彼らに向けられた銃口が一斉に火を噴き雄叫びを上げた。
耳障りな連続音を伴なう無数の凶弾が、元帥ら幕僚達の身体を貫きハチの巣へと変え、一瞬の後に一人の例外もなく物言わぬ骸と成り果ててしまう。
「仕上げの用意は出来ているか? それから追撃隊はどうなっておるか?」
一方的な虐殺にも眉ひとつ動かさないキャメロットが抑揚のない声で訊ねると、側近の一人が簡潔に答えた。
「爆薬は艦の要所に仕掛けております。それからランデル指揮する四隻の護衛艦群が既に追撃を開始しており、間を置かずに敵を捕捉するものと思われます」
そう言いながら彼は小型の起爆装置をキャメロットに手渡す。
「うむ……ならば長居は無用だ。直ぐにシャトルに乗り込みたまえ」
最後に彼がシャトルに乗り込むと、開放された外部隔壁から機体が漆黒の宙空へと滑り出る。
同時にキャメロットは躊躇いもせず起爆装置のスイッチを押した。
次の瞬間に艦内の至る所で爆発が起こるや、連鎖するかのように立て続けに誘爆が起き、その紅蓮の炎は旗艦ばかりか周辺の艦艇をも巻き込んで一際大きな炎輪を咲かせ、多くの命を呑み込んでいく。
自他共に銀河連邦宇宙軍の重鎮だと認めるエンペラドル元帥は、奇しくも達也が予言した通り、毒蛇に噛まれてその生涯を終えたのである。
◇◆◇◆◇
一方ランデル中佐指揮する追撃艦隊は緊急転移を敢行したのが功を奏し、逃亡を続けるバラディースをレーダーで捉えられる距離にまで追い詰めていた。
(この先は……そうか、レーダーが役に立たないエスペランサ星系に逃げ込んで、我々をやり過ごそうという魂胆だったか……なんと浅はかなっ!)
確かにあの難所に逃げ込まれたら発見は困難を極めたかもしれないが、その前に捕捉された以上、彼らの運は尽きたと言っても過言ではないだろう。
そう確信したランデルは、一気にケリをつけるべく全艦に攻撃を下命した。
「全艦最大戦速で突撃せよっ! 損傷著しい護衛艦など蹴散らして一気に移民船を葬るぞ! 今回の件の生き証人は一人とて残すなという命令だ。我らの悲願の為に全てを無に帰せッ!」
四隻の刺客が一斉に艦速を上げて猛追を開始する。
双方の距離が瞬時に詰まるが、敵の残存護衛艦が反撃に転じる素振りはない。
バラディースに随伴しながら懸命に逃走するばかりだ。
高出力を誇る三蓮ビーム砲の射程まであと僅か……。
ランデルが勝利を確信し口角を吊り上げ右手を振り上げた。
この手が降ろされた時、各艦の主砲が一斉に火を噴き敵を殲滅する……。
彼がその至福の光景を幻視した瞬間だった。
「きょ、強大な重力震動を探知ッ!? こ、これはっ? 一瞬で測定値が振り切れましたッ! 計測不能ッ!」
オペレーターの絶叫と同時にバラディースの進路前方の宙空が大きく歪んだかと思うと、漆黒の闇に亀裂が入り茶褐色の空間が顕現し拡大していく。
「いっ、異次元との結節点が崩壊しましたっ! 巨大な次元断層ですッ! 開口部より膨大なエネルギーを感知っ! 強力な重力波来ますッッ!!」
絶望を色濃く宿した悲鳴へと変貌したその声に耳朶を叩かれたランデルだったが、追撃を諦め切れずに逡巡し、その所為で緊急事態への対応が遅れてしまう。
そうこうしているうちに敢えなく重力波に捕らわれた艦が、崩壊を始めた異次元への開口部に引き寄せられ始めた。
もはや一刻の猶予もない!
このまま艦諸共に次元断層に呑まれてしまえば、生還すら不可能になる。
「ぜ、全艦っ! 転移、転移だぁ──ッ! 何処でもいい! 緊急転移をしろ!」
「し、しかし! 座標計算もなしでは──ッ!?」
「馬鹿めがッ! そんな暇があるものかッ! 異次元に呑まれて朽ち果てたいのか貴様はあぁぁぁッ!」
四隻の追撃艦は災禍を逃れたい一心で、何の準備もしない儘に転移を強行したが、まさに艦が転移に入る刹那にランデルは確かに見た。
激流に翻弄される木の葉の如く、その巨躯を回転させながら次元断層に呑まれて行く移民船と護衛艦の姿を。
(こ、これでいい。どんな結果であれ、奴らを葬ったのに変わりはないッ!)
そう自分に言いきかせた瞬間に強烈な浮遊感と衝撃を受け、それ以降は追撃対象の末路など考える余裕もなく、ランデルは自分達の無事を願うしかなかった。
そして、三日後に生還を果たした彼から齎された『白銀達也死す!』との報が、瞬く間に銀河中を駆け巡ったのである。
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