第二十二話 逝く者と遺されし者達 ⑥
「敵艦隊前衛に動きあり! 左右に分散展開していきます。しかし、これは……」
練達のオペレーターが困惑して言葉を濁すぐらいだから、実戦経験に乏しい詩織では、敵の意図を看破できずに戸惑うのは仕方がないだろう。
(ここは一気呵成に攻勢に転じる局面じゃないの?)
一時的に後退して陣形を立てなおすにしては各艦の行動に一貫性がなく、徒に戦場を混乱させているようにしか見えない。
しかし、僅かな敵失も、今の白銀軍にとっては有難いものなのは確かだ。
戦況を膠着させてバラディースが退避する時間を稼ぐ……その当初の目的は、達也とエレオノーラが連携した見事な指揮によって成し遂げられつつある。
恒星や惑星が周辺宙域に及ぼす影響や、敵艦隊との軸線上にあるデブリ帯などの障害物の所為で艦砲の軌道計算は厄介を極め、高性能の演算機でさえ秒刻みで変化する弾道予測を正確に弾き出すのは容易ではない。
だが、そんな常識など何処吹く風と言わんばかりの達也は、当たり前の様な顔をして奇跡を体現して見せるのだった。
オペレーターが読み上げる測定値を聞いただけで、砲塔の旋回値から上下角までを瞬時に指示するのだから、敵にしてみれば堪ったものではないだろう。
然も、その指示は正確無比であり、全弾が過たず敵艦に命中しているという事実に至っては、脱帽ものの快挙だと言う他はなかった。
(本当に凄い……現代の戦闘艦艇の装甲が実弾による撃ち合いを想定していないとはいえ、破壊力では格段に劣る実砲弾で敵を撃破し、艦隊そのものの動きを封じるなんて……このまま敵艦隊が混乱してくれれば、それだけバラディースが退避する時間を稼げるわ)
常人とは次元が違う達也の能力に舌を巻く詩織だったが、敵艦隊の意図を察せられない己の未熟さが歯痒くて仕方がない。
しかし、教え子から羨望の眼差しを向けられている達也は、平静を装いながらも内心では舌を弾いていた。
(焦れて辛抱し切れなくなったか……ここで旗艦のお出ましとはな……欲を言えばもう少し時間を稼ぎたかったが……)
敵の前衛艦隊が不規則な動きで左右に散り始めたのは、旗艦である弩級戦艦と、お供の残存戦艦群を前線に押し出す為のものだろう。
(被弾によるダメージは許容範囲だが砲弾はほぼ撃ち尽くし、あとはビーム兵器に頼るしかない……エネルギーを喰い合って脆弱になったシールドでは戦艦クラスの砲撃を防ぐのは無理だな)
一番嫌なタイミングで最悪の駒をぶつけて来る敵……ローラン・キャメロットという男の優れた戦術眼に感嘆した達也は、だからこそ、疲弊したシルフィード一隻で、これ以上戦闘を継続するのは不可能だと判断せざるを得なかった。
(この辺りが潮時だが……生存者を退避させる時間を稼ぐ為にも、あと少しだけ足掻く必要があるか……)
万策尽きる中でも眉ひとつ動かさない達也は、冷然と最後の命令を下す。
「旗艦と残存戦艦部隊の火力で圧倒する腹積もりなのだろう。馬鹿正直に敵の思惑に付き合う必要はない……総員に退艦を命じる。エレン、君が指揮を執り速やかにグリュックに移乗。以後はバラディース司令部の命に従え……本艦は私が預かる」
エレオノーラ、詩織、ユリア、そして艦橋で奮戦していたクルー全てが指揮官のその言葉に息を呑んで固まってしまう。
しかし、間髪入れずに怒気を滲ませた罵声を叩きつけたのは、他でもない艦長のエレオノーラだった。
「馬鹿な事を言わないで! 部下の自裁は絶対に許さないクセに、自分は別だなんて戯言を言う気なのッ!?」
「早合点するな。折角敵の御大将がノコノコ前に出て来てくれるんだ。一発強烈なパンチをお見舞いすれば脚止めにはなる。それに俺一人ならば脱出は容易だ。直ぐに後を追うから先に退艦してくれ」
まるで『散歩に行く』とでも言わんばかりに軽口を叩く達也だったが、満身創痍のシルフィードが敵の強力な艦砲の集中攻撃を受ければどうなるか、そして責任感が強い指揮官が何をしようとしているのか、長い付き合いのエレオノーラに理解できない筈がない。
(敵旗艦に体当りをかましてバラディースが逃げる時間を稼ぐ……確かに残された方法はそれしかないわ……でも、それは艦長である私の役目よ)
部下に犠牲を強いるのを良しとしない矜持は痛いほど分かるが、白銀達也という存在を失うのは全ての希望が潰えるのに等しく、断じて認められるものではない。
何より、この男を死なせでもしたら、クレアや子供達に会わせる顔がなくなってしまうではないか。
だが、焦慮に駆られたエレオノーラが身代わりを志願しようとするよりも早く、ユリアが悲鳴を上げた。
「お父さまッ! 馬鹿な事を仰らないで下さいッ!」
親子の契りを結んで日が浅いとはいえ、達也の本心を正しく察した彼女は悲憤に顔を歪め、振り向いた父親に縋りつこうとしたのだが……。
その伸ばされた手が彼に届く前に事態は急変する。
「ぐうぅッッ! かぁッ……」
突然呻いて身体を仰け反らせたかと思うと、苦悶に顔を歪めた達也が膝を折って床に崩れ落ちた。
その背後に立っていたのは憮然とした表情を纏うイェーガーであり、険しい視線で倒れ伏す達也を睨みつける。
ひらひらと揺れる鬼参謀長の右手に握られているのは、一昔前に銀河連邦軍高官に支給された、小型だが強力な護身用のスタンガンだった。
「お、お父さまァッ!?」
父親の異変を見て仰天したユリアは、血相を変えて昏倒した達也に縋りついたが、直ぐに気を失っているだけだと分かって胸を撫で下ろす。
しかし、その傍らに立つ老将は、そんな少女を優しげな眼差しで見つめながらも、自らの手で失神させた達也に痛言を浴びせたのだ。
「可愛い愛娘をどこまで悲しませれば気が済むのか。何時まで経っても艦長時代の気分が抜けない馬鹿な奴だ……エレン、この阿呆が目覚めたら君から厳しく言ってやりなさい『貴方の理想に共感し夢を託した我々全員の骨を拾うまで、白銀達也は死ねないのだ』とね」
想定外の展開に面食らったエレオノーラが茫然と立ち尽くす中、彼はガリュード艦隊時代を彷彿させる覇気を以て艦橋の面々を叱りつけた。
「何をグズグズしておるかッ! 提督の命令は『総員退艦』だっ! さっさと命に服さないかッ! この艦は退職金代わりに私が拝領する……御許し頂きたいと、後で提督に口添えを頼む」
大恩ある上官が達也の身代わりになって死ぬ覚悟を決めた……。
そう理解したエレオノーラは血相を変えて頭を振り立てるや、イェーガーに詰め寄って声を荒げたのだが……。
「承服できませんッ! このシルフィードの艦長は私です! 艦と共に血路を切り開くのは私の役目……」
「嘴が黄色い小娘が一人前の口を叩くなっ! 私に意見するなど百年早いっ! 君らの様な若者が、年寄りよりも先に死んで良い道理がないだろうが!」
峻烈な怒声に打たれたエレオノーラは、息を呑んで立ち尽くしてしまう。
ガリュード艦隊時代から何度も叱責され小言を頂戴したが、頭ごなしに怒鳴りつけられたのは初めてで、それが彼の覚悟を如実に物語っているのだと悟った彼女は反問する言葉さえも失ってしまった。
すると、イェーガーは一転して柔和な笑みを口元に浮かべ、教え子を労わる様に懇願したのである。
「君らの死に場所は断じて此処ではない……これからの世界は君達若者が切り拓いて行くべきものだよ。達也を助けてやってくれ……それに、年寄りには花を持たせるものだ。違うかい?」
何の未練も後悔もない清々しいまでの微笑みを目の当たりにしたエレオノーラは、説得するべき言葉を失い唇を噛むしかなかった。
だが、生き残れるか否かの瀬戸際にある現在、無情だが逡巡している暇はない。
だから、込み上げて来る悲憤を堪えるエレオノーラは、沈痛な声音を振り絞ってイェーガーに問い掛けた。
「奥様……アルエット様に御伝えする言葉はございますか?」
「ない! 別れは結婚した時に告げてある……だが、そうだな……『ありがとう』とだけ伝えてくれたらそれでいい。さあ急ぎなさい。間もなく敵の体勢が整う……その前に提督を御連れして退艦したまえ」
決然と行動を促すイェーガーに最上級の敬礼を返したエレオノーラは、強い声で部下達を叱咤する。
「総員すみやかに退艦せよ! デール、ニッキー、提督をシャトルに運んで頂戴。負傷者も忘れずにっ! 急ぎなさいっ!」
そう叫んだ彼女は部下が達也を担いで退出したのを見届けてから、自らも負傷者を搬送するべく艦橋を飛び出していった。
その後ろ姿を満足げな顔で見送ったイェーガーは、沈痛な面持ちで視線を向けて来るユリアに気付いて口元を綻ばせる。
「あ、あの……フレデリックおじ様……わ、私……」
円らな両の瞳を涙で濡らす少女が、悲しい想いを言葉にできずに持て余している様子がいじらしくて胸が痛む。
だから、この娘が辛い想いに囚われないように……。
ただそれだけを願ってイェーガーは最後の言葉を贈った。
「余り父上を困らせてはいけないよ。あいつは不器用で融通が利かないからね……君達の身に危害が及べば、本気で自分の命と引き換えにしてしまう。だから、自分の身を大切にしなさい。そして家族を慈しみなさい。それが君の人生を豊かなものにしてくれるから」
ユリアにとってイェーガーは、歴史を教えてくれた素晴らしい教師だ。
その彼から貰った温かい言葉が胸に沁み入るからこそ、今この時にヒルデガルド謹製の腕輪をしていない事が悔やまれてならず、まさに臍を噛む思いだった。
獣人であるアルカディーナ達の信頼を得たとはいえ、彼らの全てがそうだと考えるのは早計だと言わざるを得ないだろう。
だが、中には長老連の裁可だからと、上辺だけは賛同したフリをしている者達が居てもおかしくはないのだ。
そんな者達が自分達の意見を押し通す為に、居残り組に危害を加えるような事があれば、苦労して得た未来への希望が台無しになってしまう。
ヒルデガルやティグルがついている以上滅多な事はないと思うが、自らを守る術を持たない幼いマーヤの身を案じたユリアは、自分の腕輪を託してシルフィードに乗艦したのだった。
(あの腕輪さえあれば……フレデリックおじ様を連れて転移出来たのにっ!)
絶望の嘆きに心が軋み涙が溢れて止まらない。
だが無情にも、ユリアには感傷に浸る時間は残されていなかった。
だから、イェーガーが口にした一言一句を忘れない様に心のノートに書き留めたのだ。
「はい。御言葉を胸に刻んで忘れません……そして、ありがとうございました」
瞳からあふれ落ちた涙を拭って、健気な言葉を返す少女を満足げな顔で見やったイェーガだったが、不意に思い出したように言葉を重ねた。
「あぁ。そうだ。私の蔵書は君に進呈しよう。興味を引いた本は好きに持って行くといい……さあ、時間がない。早く行きなさい」
ユリアは哀惜の情に顔を歪ませるや、深々と頭を垂れ謝意を示す。
そして未練を断ち切るように踵を返し、部下達に担がれて退出した父親を追って艦橋を後にしたのである。
人生の最期に縁を結んだ教え子の背中を見送るイェーガーは、最後の時に穏やかな心持ちでいられるのが嬉しく、相好を崩して呟いた。
「これでいいでしょう? ガリュード閣下。次代を担う若い芽を残せたのです……お褒め頂けますでしょうか? ふふっ、後は少しでも彼らの活路を拓いてやるだけです。どうか御力を御貸しください」
最早今生では再会は叶わない唯一人の主に向けてそう独白した彼は、主操縦席に腰を据えた。
前方の空間に転映されたスクリーンには、いよいよその姿を現した敵旗艦と無傷の戦艦群の威容が映し出されている。
イェーガーは人生の最期を飾ってくれる敵を双眸に捉えるや、口角を吊り上げて不敵に微笑んで見せた。
四機の動力機関がたたき出す力の全てを推進力とシールドに注ぎ、敵艦との短い距離を疾駆する……。
ただそれだけの簡単な仕事だ、と自分に言いきかせたのと同時に警告音が鳴り、開放された後部発着口から連絡シャトルが離艦するのを確認した彼は、そっと安堵の吐息を零した。
これで思い残す事は何もない……そう思ったのと同時に長年連れ添った古女房殿の顔が脳裏に浮かんだ。
少し不満そうな顔をする幻影のアルエットへ苦笑いを返すイェーガーは、自虐と反省を込めて呟いていた。
「私は本当に駄目な夫だったねぇ……今までも散々約束を破ってきたが、どうやら最後の約束も守れそうにはないようだよ」
地球を旅立つシルフィードにさくら達が密航したあの日、学校の校門で子供達の背中を見送りながら交わした妻との約束。
「教育三昧の老後も、新婚旅行のやり直しも、申し訳ないがあの世で再会するまで我慢して貰うしかないなぁ……許しておくれアルエット……」
最後に妻の名を呟いた彼は『仕方がないわねぇ~』……そう呆れながらも優しさを滲ませた瞳で微笑むアルエットを幻視して口元を綻ばせた。
しかし、それも一瞬の事であり、シャトルが遠ざかるのを確認するや、顔つきを謹厳な軍人のものに変えて操縦桿を握り締める。
イェーガーの想いを最後の力に変えたシルフィードは、その最後の命火を燃やし尽くすかの如く満身創痍の巨躯を疾駆させた。
煌びやかな無数の光の線状が宙空を交錯すること僅かに数分……。
一際大きな炎輪が闇の中に咲き周囲を明るく照らしだす。
それは、この戦いで命を散らした多くの者達が遺した、掛け替えのない希望の灯火だったのかもしれない。
◇◆◇◆◇
「うっ……あっ……はぁ……」
強い不快感と微かな痺れを感じて達也は意識を覚醒させた。
心地良いとは言い難い硬いリクライニングシートに座らされているのは分かったが、自分の置かれている状況が直ぐには理解できない。
「お父さまっ! あぁ……良かった……お目覚めになられて……」
憔悴しきった顔をしたユリアが感嘆の声を上げ、嗚咽を漏らしながら縋りついて来る。
その瞬間に混濁していた記憶が一気に蘇り、達也は弾かれたかの様に上半身を起こした。
そこがシルフィードを脱出した生存者でごった返す連絡シャトルのカーゴの中だと気付くや、まるで示し合わせたかの様に無言のまま前方に設置されたスクリーンを凝視している仲間達の視線を追う達也。
そこに映し出されているのは、鮮やかな紅の炎輪だけだった。
それが如何なる、そして誰の行動の結末であるのか達也は瞬時に理解した。
「イ、イェーガー閣下……? そんな……」
誰に問うた訳ではないが、語尾が震え上擦ったその言葉は、受け入れがたい現実に直面した彼の絶望に他ならない。
しかし、司令官が戦場で消沈するなど許される筈もなく、呆然とする達也に固い表情のエレオノーラがイェーガーから託された言葉を伝える。
「私達全員の骨を拾うまで、アンタは死ねないそうよ……」
そのひと言に、達也は悄然として唇を噛み締めるしかなかった。
「そうか……相変わらず厳しいなぁ……俺は神様じゃないというのに……」
顔を顰めて漏らすその嘆きに彼女は無言だったが、代わりにユリアが咽び泣きながら懇願する。
「お願いですから、二度とあんな真似はしないで下さい……お願い、うっ!」
最後まで言葉を口にできない愛娘を片腕でそっと抱いてやりながら、達也は無言で頷くしかなく、そんな彼にエレオノーラは事務的な口調で訊ねた。
「どうする? 敵の混乱を衝いてもう一戦仕掛ける?」
静かに首を振った達也は、その問いを否定する。
「いや……もう誰一人として無駄死にさせたくない……グリュックに移乗して全力で逃げる。先行しているバラディースを追うぞ」
エレオノーラが無言で頷いて席を立ち、コックピットに向かう。
達也はユリアの支えにも助けられて立ち上がるや、スクリーンの中で次第に小さくなる命火の残滓に向けて後悔と哀惜の念を込めて敬礼した。
己の油断の所為で無為に死なせてしまった者達を悼みながら……。
そして、彼らの想いを受け継ぐべく、その決意と覚悟を胸に刻むのだった。
◎◎◎




