第二十二話 逝く者と遺されし者達 ⑤
「提督っ! 敵艦隊に動きありッ! 前面に展開していた戦艦群が後退し、中軸前衛を構成する二個支援艦隊が押し出してきました。メテオーア級護衛艦五十隻で構成されている模様!」
損傷を受けた戦艦部隊に代わって突出してきたのはミサイル巡洋艦で編成された打撃艦隊だが、総合的火力では戦艦に劣るとはいえ、実弾兵器による飽和攻撃には侮れないものがある。
「戦艦群に搭載された艦載機隊を再編制してバラディースへ向ける腹積もりか……敵航空戦力の襲来が予想される。充分留意するようにとラインハルトに知らせてやれ。バラディースはどうなっている?」
「進路をエスペランサ星系に向けて加速を開始しました。星系の外縁部までの道程は、単独転移を一度敢行すれば約十時間で踏破可能かと思われます。また、直掩のティルファング隊も稼働機は全機出撃し迎撃任務につく模様!」
バラディースが地球を出航する際に発したSOSは、エスペランサ星系に蔓延する特殊な通信阻害粒子の影響受信するまでにかなりの時間を要した。
しかし、その所為で出立が遅れた分、星系の近隣宙域で再会を果たせたのだから不幸中の幸いだったとも言えるだろう。
尤も、双方の位置を把握していなかった両艦が無事邂逅できたのは、偶然という名の幸運に助けられた部分は大きいのだが……。
何にせよ、迫り来る追撃艦隊を打ち破る以外に生き延びる道はないのも事実だ。
ゾロゾロと敵を引き連れた儘ではアルカディーナ星に逃げ込めないし、そもそもエスペランサ星系の秘密を銀河連邦に知られる訳にはいかない。
となれば、何らかの方策を以て敵を振り切るか、痛撃を与えて追撃を断念させねばならないのは自明の理だ。
それが如何に困難か達也は承知していたが、だからといって消沈して諦めるような人間でもない。
(こちらの航空戦力を消耗させて艦載機群の波状攻撃で脚を止める。あり来たりの戦術だが、数で圧倒できる側には有効な手段だ……となるとミサイル巡航艦部隊は我が艦への牽制が目的か……)
既に敵の行動に意識を集中している達也は、活路を開く為の最善手を模索する。
「ユリア。間もなく敵の攻撃が始まるが、君は本艦に命中するミサイルだけを迎撃してくれたらそれでいい。接近してくる艦艇には絶対に手を出さない様に……約束してくれるかい?」
敬愛する父親の懇願にユリアは僅かに不満げな表情を浮かべた。
「そんな中途半端な事では……全ての敵を排除しろと仰って下さい」
「駄目だ! 指揮官である私の命に従えないと言うのであれば、即刻退艦して貰うしかないが、それでも構わないかい?」
その毅然とした物言いにユリアは返す言葉を失くしてしまう。
父の言葉を受け入れるのは躊躇われるが、傍に居るには受け入れざるを得ない。
そんな葛藤のなかで俯き唇を噛む少女は不意に優しく頭を撫でられ、ハッとして顔を上げた。
そこには何時もの優しげな微笑みと、何処か悲しげな表情が綯交ぜになった父の顔があり、その口からは切ないまでの心情を滲ませた言葉が零れた落ちる。
「分かってくれ。明確な意思を以て相手を殺すのは軍人だけでいい。君の力に頼っておきながら、『何をキレイ事を』と非難されるだろうが……大切な娘を憎しみの連鎖に巻き込みたくはない。身勝手な言い分かもしれないが理解しておくれ」
切々と語られる言葉にユリアは頷く以外に選択肢はなかった。
【災厄の魔女】と忌み嫌われた自分を受け入れたばかりか、慈しんでくれた全ての人々を護りたい……。
その為ならば他者の命を滅すのも厭わない……。
そんな悲壮な決意をしたものの、心の何処かで人を殺すという禁忌に恐れを懐いていたのも偽らざる事実だった。
その本心が分かるからこそ、達也は愛娘の心を護ろうとするのだ。
その深い想いに気付いたユリアは、不承不承ながらも達也の指示に従うと約束したのである。
「ありがとう。ユリア」
そう謝意を口にした達也だったが、キレイ事で己を正当化する自分に忸怩たるものを懐かずにはいられなかった。
状況を打開する為ならば、大切な娘までをも戦場に駆り立てて恥じない……。
そんな非力な自分が情けなくて、堪らないほどの嫌悪感に苛まれてしまう。
(それでも……この急場を乗り切るしかないんだ)
そう己に言いきかせた瞬間、クレアの切ない眼差しが脳裏を過ぎったが、悔恨の念を胸の中に封じた達也は、逡巡する想いを振り払って戦闘開始を下命した。
「厳しい戦いになるが、撤退の成否は我らの奮戦如何に掛かっている。主砲による反撃は全て実砲弾。余剰のエネルギーは艦の動力とシールドに集中させて防御力を上げろ。敵からのミサイルは秘匿兵器の迎撃に任せ、突出して来る敵艦艇に火力を集中させる! 全艦戦闘開始!!」
◇◆◇◆◇
「くぅ──ッッ!!」
急旋回の度に襲い来るGに耐えながら蓮は眼前の敵に追い縋る。
各種ジャミングシステムの発達により、中長距離からの攻撃が効果を成さなくなった現在では、前時代的な近接格闘戦が制宙戦闘の主流だ。
上下左右に機体を振り回し懸命に逃げる敵機を照準器のど真ん中に捉えた瞬間にトリガーを引き絞る。
胴体下のガトリングポットが咆哮を上げ、牙と化した無数の弾丸が敵に吸い込まれるように命中し、敵機は爆散して漆黒の宙空に無情の炎環を咲かせた。
(……また、重くなった……)
命火にも似た炎の真円が闇に呑まれるように消えていく……。
敵だった者の末路を目の当たりにすれば胸が軋むが、大切な者達を護るためならば仕方がない……。
そう自分を叱咤しながらも、トリガーを引く指先には、敵を屠る度に正体不明の不快な感覚が絡み付く気がしてならない。
傍から見ている分には、彼の初陣は獅子奮迅の活躍だと評する素晴らしいものだといえるだろう。
日頃から達也直々の指導で鍛え抜かれた彼の技量は、本人が自覚しない儘に練達の域に達しており、刹那の間を逃さない動体視力と射撃センスは、まさに神懸かっていると断言してもいいレベルだ。
それ故に、初陣でありながらも既に五機を撃墜するという快挙を成し遂げているのだが、華々しい戦果とは裏腹に、彼の表情は硬く険しいものへと変化していく。
『バラディース司令部より防空戦闘中の全機へ。補給が必要な機は逐次補給に戻られたし。着艦には三番ゲートを使用せよ。繰り返す……』
クレアのナビゲーションがレシーバーに流れたが、その美しい声音に聞き惚れる余裕などなく、辛うじて燃料と機銃弾の残りを確認した蓮は戦闘を継続する。
既に戦闘開始から三時間以上が経過しており、その間に襲来した敵六十機の猛攻をバラディースは良く凌いでいた。
巨艦の空きスペースを改装して設置された膨大な数の対空銃座の弾幕と、激戦を生き残ったティルファング隊の連携は敵機の接近を容易には許さずに、本丸である巨大移民船は、然したる被害を被る事なく逃避行を続けている。
アイラを筆頭にティルファング隊の奮戦もあって、敵攻撃隊はその数を三分の一まで減らしていたが、味方も既に五機が脱落していた。
然も、損害を考慮するならば、敵はとっくに撤退していてもおかしくはないのに執拗な攻撃を繰り返すばかりで退く気配はない。
その所為もあってか、戦いの終わりが見えずに苛立ちばかりが募る。
(しつこいッッ! これ以上無駄に回避に時間をとられたら、バラディースが敵の護衛艦に追い付かれてしまう)
シルフィードが善戦しているお蔭で現状で敵艦隊接近の報は入ってはいないが、一旦接敵されれば敵の圧倒的な火力の前に生き延びる術がないのは明らかだ。
そんな目に見えない恐怖に焦燥感を煽られ唇を噛んだ時だった。
『抜かれたッッ! 誰かッ!!』
味方の悲鳴に耳朶を叩かれた瞬間、蓮は右翼下方を猛進する敵ティルファングを視界に捉えた。
激しい弾幕に怯みもせずに一直線に突き進む敵機の先にあるのは、巨大移民船の頭脳たるメインブリッジ。
被弾したその機体は既に赤黒い炎を吹きだしており、体当たりを許せば司令部に壊滅的な被害が及ぶのは容易に想像できた。
「やめろおぉぉぉ──ッッ!!」
雄叫びを上げた蓮は激昂する感情の儘に愛機を反転させ、被弾し速度を落とした敵の背後に追い縋り、燃え盛る機体が照準器からはみ出すほどまでに肉薄する。
使命感と罪悪感の狭間で葛藤して一瞬だけ懊悩したが、大切な者達を護りたいという一念だけが、トリガーに掛けられた指を引き絞らせた。
激しい振動とともにガトリング砲が吠え、断末魔にあって最後の足掻きを見せる敵機を破砕し爆散させる。
だが、皮肉な事に卓越した蓮の動体視力が仇になってしまう。
宙空に爆ぜる敵機と擦れ違う刹那、彼のずば抜けた視力がコックピットの惨状を余す所なく捉えてしまったのだ。
後部エンジンの爆発により膨らむ火球の中、突き上げる衝撃にキャノピーが吹き飛ぶや、炎に包まれたパイロットが宙空に弾き出された。
その一部始終がコマ送りの映像の様に目に焼き付けられていく。
そして爆圧で破砕したヘルメットがその役割を放棄して、無残にもパイロットの素顔が曝け出されてしまう。
それは綺麗に切り揃えられた金髪を真空の闇に溶かす少女の顔。
その光景を目の当たりにした蓮は驚愕に双眸を見開き息を呑むしかなかった。
自分と大して変わらない年齢の女性パイロット。
その視点の定まらない見開かれた双眸に宿るのは、最後の想いが叶わなかったが故の無念か、それとも邪魔をした自分に対する怨みなのか?
「あぁぁ────────ッッ!!!」
意識の底に焼き付けられた彼女の死相が何度も視界にフラッシュバックし、蓮は思わず言葉にならない悲鳴を上げるのだった。
◇◆◇◆◇
「おのれえぇ──ッ! たった一隻の敵に何時まで手古摺っておるのかぁッ!」
艦橋に轟くエンペラドル元帥の怒声に配下の幕僚達が右往左往している様子を、キャメロットは冷淡な眼差しで眺めている。
本格的に戦端が開かれてから既に四時間近くが経過しているが、白銀達也が指揮するシルフィードは瞠目に値する驚異的な粘りを見せ、元帥以下幕僚達を極限まで苛立たせていた。
(全く敬服するしかないな……散漫で稚拙な此方の艦隊行動に助けられているとはいえ、実弾射撃のみで牽制しながらも、二十五隻もの敵を大破撃沈に追い込んだ。勝ち戦のおこぼれに与りたい連中にしてみれば、己が被弾して元帥の覚えが悪くなるのは避けたかろうからな。積極的に前に出る物好きがいないのも道理か)
味方の不甲斐なさを内心で嘲笑いながらも、自身にとってはこの上なく好都合な展開にほくそ笑むキャメロット。
アスピディスケ・ベース最後の盾と呼ばれ、精強無比と謳われる親衛艦隊ではあるが、実戦経験が浅い貴族閥出身の指揮官達では、歴戦の【神将】白銀達也を相手にするには荷が重いと言わざるを得ないだろう。
弩級戦艦の強靭なシールドを警戒しミサイル攻撃を敢行すれば、厄介極まる秘匿迎撃兵器によって悉く撃破されて掠り傷ひとつ与えられず。
光学兵器による攻撃に切り替えれば、連携不足を露呈した艦隊行動の急所を衝かれ、実砲弾による砲撃で各個撃破の憂き目に遭う。
圧倒的に有利な状況であるにも拘わらず、万が一にも被弾し脱落するような事になれば現在の地位を剥奪されかねない……。
そんな思いが各艦長達の戦意を鈍いものにしていた。
戦後に待ち受ける処分を鑑みれば致し方ない事とはいえ、彼らの消極的な姿勢が戦闘を長引かせている原因に他ならないのだから同情の余地はないだろう。
総領たるエンペラドルは味方の不甲斐なさに切歯扼腕し、顔を赤らめ激しい檄を飛ばすが、『笛吹けども踊らず』のことわざの如く効果を得ず、反対に損害は膨らむばかり。
だが、キャメロットにとってこの展開は今後の謀略に必要不可欠なものであり、圧倒的に不利な状況で奮戦するも最後は抗しきれずに散る……。
そんな結末を彼は達也に求めているのだ。
そして、彼が待望する結末は刻一刻とその足音を大きくしており、直ぐ間近まで迫っていた。
(そろそろ潮時だな……白銀閣下感謝しますよ。貴方は充分に奮戦してくれた……お礼に【神将】の名に恥じない最期を用意して差し上げましょう)
それまで無言を通していたキャメロットは頃合いとばかりに、興奮するエンペラドルの耳元で悪魔の如くに囁いたのである。
「敵は疲弊の極にあり抵抗する術も残ってはいないでしょう。手柄惜しさに消極的な戦いしかできない愚鈍な配下達に閣下自ら範を示し、白銀達也を貴方様の御手で葬る……さすれば尊大なモナルキア派も閣下の言を無視できなくなります。ここは御自ら逆賊の徒に鉄槌を下すべきかと」
達也が看破したキャメロットの中に潜む毒。
その悪意という名の野望が露になったのだが、残念ながら苛立ちに嚇怒しているエンペラドルに彼の真意を見抜く余裕はなかった。
だから耳元で囁かれた甘言に酔い、栄光に包まれた未来を夢想したのである。
「良かろうッ! 儂自らが白銀を葬るのが奴に対するせめてもの情けであろう! 邪魔な前衛は退くが良い! 本艦の進路を妨げる者は白銀と共に滅び去る運命だと心せよッ!」
総領の指示に騒然となる幕僚達を尻目に、キャメロットは背後に控えている配下へ囁いた。
「仕上げに入る……事が成就したら直ぐにバラディースを追撃するようにと僚艦に伝えておけ……それから、このあとの手配はどうなっているか?」
「完璧であります。部隊の配備も完了。シャトルの用意も出来ております」
部下からの応諾に頷いたキャメロットは口の端を吊り上げるや、凡そ彼らしくもない笑みを浮かべるのだった。




