第二十二話 逝く者と遺されし者達 ④
「ひどく乱暴な真似をするじゃないか? これでは『グランローデン帝国と気脈を通じている』という、君への疑惑を裏付けるに足る暴挙だと謗られても仕方がないのではないかね?」
穏やかな声音だがエンペラドル元帥の顔には嗜虐の色が浮かんでおり、望み通りに推移する展開に喜悦し、勝利を確信しているのは明らかだった。
だが、そんな挑発にも顔色ひとつ変えない達也は、肩を竦めて淡々と言い返す。
「また随分と陳腐な濡れ衣ですね。先に陽電子砲を発射したのは其方でしょう? バラディースには無辜の民間人も大勢乗っていますので、当方としては已むを得ない自衛行為だと主張せざるを得ませんよ」
ユリアの安全を確保する為に帝国皇帝ザイツフェルトと会談した件を論い、『白銀達也に叛心有り』と声高に主張して、都合の良い大義名分を得るのが相手の魂胆だと察しはついたが、それ以外にも腑に落ちない点が達也にはある。
(会談の段取りを頼んだクラウス・リューグナーが情報を漏らしたのは仕方がないとしても、帝国側の欺瞞工作が鮮やかだった点を鑑みれば、密会の証拠は何もないはずだ……だからこそ『疑惑』と事実を暈しているのだろうが……)
「私に対する疑惑など所詮は名目に過ぎないのでしょう? 要は私が目障りな存在で邪魔になった。ついでに御自身の派閥に降り懸かった亜人密売疑惑を有耶無耶にしたい……そんな思惑なのではありませんか?」
「おやおや……かなり恣意的で乱暴な推測じゃないか。そんなヘボ探偵紛いの推理では、下賜された【神将】の名が廃るのではないかね?」
元帥は言下に否定したが、彼の驕慢な物言いこそが、達也の言葉が正鵠を射ているのを証明したも同然だった。
「我が親衛艦隊が相手では万に一つも勝ち目はあるまい? 月並みなセリフで実に恐縮だが、今すぐ抵抗を止めて武装解除に応じて欲しい。そうすれば相応の扱いをすると約束しようじゃないか……大元帥閣下、御決断は如何に?」
勝ち誇り居丈高に振る舞うエンペラドルの台詞からは一片の誠意も感じられず、降伏した途端に騙し討ちに遭う最悪の未来しか思い描けない達也は、今更ながらに貴族閥に対する認識が甘かったと後悔するしかなかった。
しかし、政治的駆け引きでは一日の長があるエンペラドルの力を侮っていたのは間違いなく己の失態だが、だからと言って、此処で全てを諦めるつもりもない。
(所詮は何処まで行っても茶番でしかないのだろうな……我々を生贄にして復権を果たす腹積もりか……弁明も降伏も意味がないのならば、俺は最後の瞬間まで全力を尽くすのみだ)
精強無比と言われた親衛艦隊相手に一戦して血路を切り開く。
無謀は承知の上で戦い抜くしか未来へ続く道はないのだ。
ならば、たとえ嘗ての同胞らが相手であっても、大切な者達を護る為ならば捻じ伏せてでも排除する……。
そう覚悟を決めた時、達也はメインスクリーンの映像に違和感を覚えた。
それは、その場に居る筈がない人間を見つけたが故の違和感であり、その存在を認識した事で、今度こそ黒幕の正体を察したのである。
(そうか……政治的謀略が得意なエンペラドル元帥の策謀だとばかり思っていたが、元帥閣下の方が上手く利用されているのかもしれないな……真の黒幕はこいつだったか……)
嗜虐的で下品な笑みを浮かべる元帥と幕僚らの中にあって、能面が如きポーカーフェイスを崩さない青年士官……。
無言で佇むローラン・キャメロット中佐に達也は皮肉げな笑みを投げた。
「これはこれは……こんな場所で軍政部総長モナルキア元帥閣下の懐刀である貴方に相見えるとはね。両派閥が共闘する理由は何もないと思っていたが、宗旨替えでもしたのかい?」
その挑発的な物言いにも動じたふうはなく、寸分たりとも表情を変えずに無言を貫くキャメロットに代わって、エンペラドルが上機嫌で嘴を差し挿む。
「口先だけで能がないモナルキアの阿呆や、無知蒙昧な古参貴族が支配する軍政部には勿体ない逸材なのだよ……そんな彼が無能共を見限って私の下に馳せ参じるのは当然ではないかね?」
得意げに語る元帥の滑稽さが、達也にはいっそ哀れに思えてならない。
序列に五月蠅い両貴族閥で重要なポストを容易く手にしたこの青年士官が、本意を隠してエンペラドル派に潜り込んでいる理由は容易に想像できる。
(敵対する派閥を利用したのは親衛艦隊という有益な駒が必要だったから……軍政部に自前の戦力がない以上、軍令部を巻き込むのは当然か……だが、それだけではあるまい。あわよくば俺とエンペラドルを争わせて共倒れに追い込むぐらいの事は平気で考えていそうだな)
初対面の折に彼に感じた漠然とした警戒感が、潜在的な敵に対する警鐘だったと気付いた達也は、今更ながらに自分の迂闊さに歯噛みする思いだった。
「それは羨ましい。優秀な人材は望んだからといって簡単に手に入るものではありませんからね……尤も、『狡兎死して走狗烹らる』という故事もあります。御気を付けなさいますように」
無意味だとは思いながらも、『利用されているのは、貴方達の方ですよ』という忠告を口にしてみたが、案の定、辺境惑星の故事など知る由もない元帥以下幕僚達は怪訝な顔をするだけだった。
このタイミングでキャメロットの真意を追求し、企みを詳らかにするメリットは何もない。
彼がどの様な思惑を秘めているにせよ、確たる証拠が何もない以上は、全てが悪足掻きに過ぎないと切って捨てられるのがオチだろう。
それ故、これ以上の話し合いは不毛だと判断した達也は、会談を打ち切ろうとしたのだが、それまで沈黙を守っていた当のキャメロットが唐突に話し掛けて来たものだから、再び彼を見据えて正対するしかなかった。
「白銀閣下……貴方は優秀過ぎる。然も、如何なる地位も名声も容易く手に出来るというのに、平然と無欲を貫いて動じる事もない……野心無き英雄は強欲な愚者より始末が悪いものです。同じ道を歩めぬ以上、舞台から御退場願うより他に選択肢はありません。誠に残念であります」
それは、彼が白銀達也という人間に懐く潜在的畏怖であり、また覚悟の上の宣戦布告に他ならない。
だから、キャメロットの真意を正確に理解した達也は、これ以上野暮な腹の探り合いを続ける必要ないと改めて判断したのだ。
互いの想いの深さは、戦場で証明すればいい。
そう思い定めた達也は意味深な笑みを浮かべ、戦意を露にして言い放った。
「過分な評価は有難く受け取っておくよ。後は戦場で……互いに存分に語り合おうじゃないか!」
◇◆◇◆◇
イローニア特務少尉をバラディースまで送り届けた蓮は、そのまま防空隊に編入されてハンガーで待機するよう命じられた。
既に一戦交えた防空戦隊とは違い、次戦が初陣となる蓮の機体には修理も補給も必要なく、やたらと五月蠅い心臓の鼓動を持て余しながら、コックピットに籠って出撃の時を待っている。
二十五機しかいないティルファング隊は、優勢な敵航空戦隊相手に奮戦し撃退に成功したが、味方にも二名の戦死者と多数の負傷者が出ており、戦況を楽観できる状況ではない。
しかし、そんな不利な戦況すらも、今の蓮にとっては大した問題ではなかった。
達也から直々に厳しい指導を受けて来たものの、果たして今の自分の技量が実戦で通用するのか否か。
場数を踏んだパイロットを相手にして真面に戦えるのか否か。
初陣を前にして不安ばかりが募り、緊張も相俟って何もしていないのにパイロットスーツの中が汗で湿るのが分かる。
そして何よりも、生まれて初めて人間相手に殺し合うという圧倒的なリアリティが蓮の身体と心を固く冷たくさせていた。
(分かっていた事じゃないか。どんな形であれ、戦場に出れば命のやり取りをするしかないんだ)
敵対する相手の命を奪う事に対する畏れと、自分の命が潰えるかもしれないという恐怖……。
本来ならば犯してはならない禁忌を前に葛藤するのは、人間ならば至極当然だと言わざるを得ないが、幸か不幸か戦の女神は、高尚な悩みに浸る時間を蓮に与えてはくれなかった。
「蓮っ! あぁ、良かった。こんな所にいたんだね」
何処か硬さを含んだ声で不意打ち同然に名前を呼ばれ、懊悩していた蓮は驚いて肩を跳ねさせてしまう。
声の主を捜して周囲に視線を走らせるより早く、アイラが機体内蔵式のラダーに足を掛けてコックピットによじ登って来た。
「ど、どうしたんだよ? そっちは機体の整備や補給は終ったのか?」
目と鼻の先にあるアイラの紅の瞳に射竦められた蓮は、辛うじてそう問うたのだが、彼女の端整な美貌が切羽詰まっている様に見え、自分達が置かれている状況の厳しさを痛感して思わず掠れた声を重ねていた。
「そんなに悪い状況なのかい?」
「最悪に近いわね……味方の稼働機はアンタを含めても十四機だけよ。敵は恐らく六十機ほどの残存戦力を保持している筈だわ」
厳しすぎる現実を突き付けられた蓮は、息を呑んで表情を固くしてしまう。
「おまけに父さんも重傷で飛べない。『傷口を縫い合わせれば出撃できる』なんて馬鹿を言うから無理矢理麻酔で眠らせたけれど、エースでもある指揮官を欠いている私達の方が圧倒的に不利だわ」
技量でも精神面に於いても部隊の支柱たるラルフの離脱は痛手であり、実戦経験のない蓮ですら、それが戦況を左右する致命的な要因になると理解し、暗澹とした想いを懐かざるを得ない。
一方のアイラも、不安げな視線をこちらに向けている蓮の事情は百も承知しており、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
初めての戦場……。
そして生身の人間を相手取っての初めての殺し合い。
口で言うほど気安い状況でないのは彼女自身も良く分かっていた。
本来ならば、もっと楽な場面で初陣を飾らせてやりたかったが、逼迫した戦況がそれを許してはくれないのだ。
だから、白銀達也を師と信奉する同じ仲間として、無理を承知の上で懇願せざるを得なかったのである。
「初陣の蓮にこんな事を言うのは酷だって分かってる。でも、それでも! お願いだからトリガーを引くのを躊躇わないでっ!」
「ア、アイラ……」
「私達が戦って勝たないとこの船に乗っている大勢の人達も死んじゃう。それだけは嫌……絶対に受け入れられないの。志保も美緒小母さまも、戦う事しか能がない私を一人の人間として認めて可愛がってくれた……そんな素敵な人達を私は誰一人死なせたくないのよっ!」
その鬼気迫る表情には、愛する人達を護りたいという想いが色濃く滲んでおり、それを察した瞬間に達也の言葉が脳裏に蘇り、蓮は漸くその意味を理解できた。
『おまえの後ろに何があるのか……常に自問自答しろ』
敬愛する恩師が掛けてくれた言葉が脳内で何度も木霊し、その度に緊張で委縮していた心が軽くなっていく気がする。
(俺は馬鹿だ……こんな当たり前の事を忘れていたなんて。大切な人達を護る為に戦う! その為に軍人になったんじゃないか。今ここで尻込みしたら死んだ親父に会わせる顔がなくなってしまう!)
そう自分自身を叱咤した蓮は、悲痛な表情で自分を見ているアイラに僅かに頭を下げて謝意を示した。
「自分の事にばかり囚われて余裕を失くしていたよ……大切な事を思い出させてくれてありがとう。ペーペーの俺が役に立てるかは分からないけど全力を尽くす!」
その決意を受けて破顔したアイラが掲げた右拳に自分のそれを打ち付ける蓮。
そして、それが合図だったかのように、スクランブルを告げる警報がハンガーに鳴り響くのだった。




