第二十二話 逝く者と遺されし者達 ③
「ふんっ! 頑丈な移民船とはいえ、陽電子砲の集中砲火には耐えられまいて……しかし、白銀めが不在では些か興が削がれるのう」
エンペラドル元帥はそう独白して鼻を鳴らしたが、言葉の内容程に不満を懐いている訳ではなかった。
それは彼の愉悦に歪んだ表情からも明らかで、そんな領袖の心情に阿る周囲の幕僚達も顔を見合わせて笑みを交わし合う。
本命の白銀達也を血祭りにあげる前の景気づけ……彼らの顔にはそう書いてあるようにも見えたが、元帥の背後に控えるキャメロットは、そんな愚者らを意識から排除し、一切の感情を切り捨てた表情のまま心の中で毒を吐いた。
(愚かな……白銀達也がこの場に居れば、結果的に我らが勝利したとしても、此方の損害も相当なものになるというのに……)
この無知蒙昧な連中が自分の部下だったなら、容赦なく排斥するのだが……。
そんな苛立ちを腹の底に呑み込んだ彼は、敢えて沈黙を貫いた。
謀は此れからが本番であるし、何よりもあの神将と謳われた男が仲間の窮状を放置する筈がない。
あの男ならば、万難を排してでも必ず救援に駆け付けて来る。
それが、自身を地獄に誘う罠だと分かっていても……。
それはキャメロットの願望ではなく、彼の実績に基づいて導き出された揺るぎない確信に他ならない。
(良将の下には良い部下が揃うものだ……倍する敵戦力を相手取り、たった二機の損害だけで敵をほぼ殲滅せしめた。あの航空隊は手負いとはいえ危険すぎる……迂闊に仕掛けぬ方が無難か)
敵ティルファング隊の奮戦は想定外だったが、現在進行中の作戦には何ら支障を及ぼすものではなかった。
神将白銀達也が銀河連邦に対して造反を目論んでいる……。
そんなあやふやな情報を流布して評議会を扇動した上で地球統合政府を撹乱し、然も彼に非があるかの如く非難の声を上げさせた。
それによりエンペラドル派に対する人身売買疑惑の追及は棚上げされ、領袖である元帥も彼の派閥も息を吹き返したのだ。
目下連邦評議会は混乱を極めており、白銀達也に対する査問会の開催が審議されている中、評議会への招致が満場一致で可決された。
それに伴う白銀達也捕縛の任が、汚名返上を名目に掲げたエンペラドル元帥率いる親衛艦隊に与えられたのである。
(招致の為の説得とは名ばかりの方便……親衛艦隊を動かす名目になりさえすればそれで良い……尤も、この愚かな連中に深い考えなどありはしないだろうがな)
艦体前衛部に展開した戦艦群艦首陽電子砲が最終準備を終えたとの報告が、旗艦艦橋に齎される。
間もなく眼前で繰りひろげられるであろう、最強兵器を肴にした饗宴を前にして無邪気に燥ぐ者達に対し、キャメロットは侮蔑の感情しか懐けなかった。
そんな不快な思いは別にしても、彼の計画は概ね順調に推移している。
後は主役の登場を待つばかり……。
そう考えた刹那、嗜虐的な笑みを浮かべたエンペラドルが右腕を高々と上げた。
陽電子砲の準備が整い、まずはオードブルから平らげようか……。
そんな浮薄な思いを滲ませた元帥の右腕が勢いよく振り下ろされる。
「一気に揉み潰してしまえぇ──ッ!」
圧倒的強者である自軍の勝利を称えるかの様な喚声が艦橋に響き渡ったが、同時にオペレーターの悲鳴がその愉悦の声を上塗りした。
「十一時方向ッ高熱源反応ありッッ! 我が前衛艦隊に向け猛進中ッ!」
まさしく絶妙のタイミングと言うべきか、五隻の戦艦群が一斉に放った必殺砲のエネルギーと襲来したエネルギーがぶつかり合い相互干渉を引き起こす。
同質のエネルギが交錯した宙域では壮絶な衝撃波が荒れ狂い、無防備な親衛艦隊戦艦群を呑み込んだのである。
「オダス並びにキューンハイトは接触し炎上中ッ! その他の艦も艦首陽電子砲に深刻なダメージありッ!」
「ジェーニオより緊急電であります。『我、機関にダメージあり。後方への退避を要請する』以上であります!」
楽勝モードから一転して修羅場と化した状況が信じられず、エンペラドルは怒りに顔を紅潮させ歯噛みするしかない。
そんな時、戦場に新たな参入者の登場を告げる報告が齎された。
「同じく十一時方向宙域に艦船の反応ありっ! 距離三千五百! こ、これは……シルフィードです! 白銀艦隊旗艦弩級戦艦シルフィードですッッ!」
オペレーターの恐懼した声音に煽られたかの様に艦橋の戦意が高まる。
エンペラドルや貴族出身の幕僚達にとって、白銀達也は平民出身の目障りな存在でしかない。
そんな男が栄えある自分たちを差し置いて位階を極めたのが不満でならず、断じて認められないと息巻いているのは紛れもない事実だし、だからこそ、並々ならぬ憎悪を懐き、達也を葬ろうと躍起になっているのだ。
そんな中にあってキャメロットは、自分でも気付かぬうちに口元に微かな笑みを浮かべていた。
そして、言葉にはできない真摯な想いを、最も敬愛する敵へ贈ったのである。
(待ち侘びましたよ……大元帥閣下。どうか私めの期待を裏切らない御活躍を……そして、私の野望の為に存分に道化を演じて下さいますように……)
◇◆◇◆◇
「シルフィードですっ! 達……いえ、白銀提督の艦が来援しました!」
危うく夫の名を呼びそうになり、辛うじて自制したクレアだったが、言葉に滲む喜びまでは隠しきれなかった。
そして、彼女の歓声を受けた艦橋の面々は一気に活気づく。
「ミュラー司令。此方からコンタクトを取りましょうか?」
しかし、緊張が緩んだからか、硬さがとれて口調が滑らかになったクレアからの意見具申を、ラインハルトは小さく頭を振って退ける。
「止めておきましょう。我々が使用している機材は親衛艦隊と同系統の代物ですからね……絶対に盗聴解読されないとは言い切れません……注意するに越したことはありませんし、この状況であれば、達也の方から誰か連絡員を寄越す筈です」
そう言われて己の浅慮に気付いたクレアは、慌てて頭を下げ謝罪した。
「申し訳ございません……愚かな進言をいたしました……」
「そんなに畏まる必要はありませんよ。それより敵艦隊の様子はどうです?」
そう問われて慌てて機器を操作しようとした彼女を志保がフォローし、素早く、そして的確な報告を返す。
「突出して陽電子砲の発射体勢に入っていた敵戦艦群は、エネルギーの相互干渉によって全艦がかなりの損害を被った模様です……後続艦隊との間で暗号電波が飛び交っていますが……解読致しましょうか?」
「いえ、結構です……これだけの戦力差ですからね。いちいち敵の損害まで把握する余裕は我々にはありません。それよりも直ぐに退避行動に移ります。進路は達也からの使者が伝えて来るでしょう」
ラインハルトがそう言うや否や、バラディースの巨大な船体は加速を始めた。
それと同時に随伴する護衛艦隊旗艦グリュックからの秘匿通信を手早く解析したクレアが、その内容を報告する。
「グリュックのイェーガー閣下からの通信です……『損害の深刻な二隻の護衛艦は乗員を退艦させた後、遠隔操作にてバラディースの盾として使用せよ。なお本艦の指揮は艦長に引き継ぎ、自分はシルフィードに移乗す』との事です」
ラインハルトは大きく頷くや、力強い声音で下命した。
「さあっ! 全力で逃げるぞ! 面舵二十! 艦隊進路二〇三三! 燃料を惜しむな。推力全開! シルフィードが敵を牽制しているうちに距離を稼ぐ! それからグリュックにはシルフィードとバラディースの中間に位置し、万が一の時の救助に備える様にと伝えろ!」
生か死か……苛烈を極める逃避行は始まったばかりだった……。
◇◆◇◆◇
バラディースが撤退行動に移ったのと時を同じくして、シルフィードの戦闘艦橋に呼び出されたイローニア・ヤーデ特務少尉は緊張に顔を引き攣らせていた。
エスペランサ星系への探査行に赴いたシルフィードの乗員に選抜された彼女は、密航した白銀家の子供達を発見捕獲するという快挙(?)を成し、それを機に実直で几帳面な性格を達也に気に入られ、何かとこき使われている士官だ。
しかしながら、如何に緊急時とはいえ、船務全般が主任務の彼女が、艦の中枢である戦闘指揮艦橋で冷や汗を流しているのには訳があった。
「……という訳で、気安く通信を交わす訳にはいかなくてね。不本意かもしれないが、バラディースのラインハルト宛ての伝令を君に託したいのだが……」
常識的に考えれば、自分のような下っ端士官に艦隊司令官が頭を下げるなど絶対にあり得ない。
それにも拘わらず、その白日夢を目の当たりにしているイローニアは卒倒寸前だったが、此処で尻込みをしては、退役する恩人を追いかけてまで白銀軍に移籍した意味を失くしてしまう……。
そう考えた彼女は己を叱咤し、ギリギリの所で踏みとどまった。
「あ、頭をお上げ下さい、提督っ! 私などがお役に立てるのならば、身命を賭して任務を遂行する覚悟です!」
声を強張らせながらも心を奮い立たせた彼女は命令を受諾して敬礼する。
達也は柔和な笑みを浮かべて今一度彼女に感謝を伝えると、今度は先程から瞑目して微動だにしない愛娘に声を掛けた。
「ユリア? さくらは……いや殿下は何と言っているのかな?」
過去に精神体としてさくらに同化していたユリアは妹と意志を交わす能力を持っており、今回の窮地に際し有効な打開策がないか、さくらを通じてヒルデガルドに意見を求めていたのである。
敬愛する父親の声に瞼を震わせた彼女は両の瞳を開き、ヒルデガルドからの伝言を伝えた。
「お待たせいたしました。ヒルデガルド殿下からは『何が何でもエスペランサ星系の近くまで逃げて来い。後はボクに任せろ』とのお言葉を戴きました」
その返答を聞いた達也は顔を綻ばせ、良くやったと愛娘の頭を撫でる。
彼女の擽ったそうで、それでいて幸せそうな表情を見たイローニアは、少しだけユリアを羨ましいと思ったのだが……。
「聞いた通りだ。今後はエスペランサ星系を目指して全力で逃げるようにと、ラインハルトに伝えてくれ。併せてアルカディーナ星の事も説明し……まだ希望はあるのだと伝えて欲しい」
尊敬する指揮官からの懇願となれば、軽薄な感情など一瞬で吹き飛んでしまい、彼女も表情を引き締めて任務受諾の礼を尽くした。
「お任せください。必ず提督の御言葉を伝えます! では、直ぐに出立致します」
「うん、よろしく頼む。真宮寺准尉にバラディースまで送らせる。後部ハンガーに急いでくれ。間も無く本艦は戦闘に入るから、その前に発つように」
「了解いたしました! 皆様の御武運を御祈り致しますっ! ではっ!!」
足早に艦橋を出て行くイローニアの背中を見送った達也は、艦内通信でハンガーに待機している蓮を呼び出す。
「はい。真宮寺准尉です……乗機の準備は整っておりますが……」
そう告げる蓮の顔にもイローニアに負けず劣らず緊張の色が濃く浮かんでいる。
正直な所、実戦経験のない教え子を戦況が厳しい戦場に送り出すのに躊躇いがないと言えば嘘になる。
だが、味方艦隊を取り巻く状況が逼迫しバラディースが危機に瀕している以上、そんな甘い感情は捨てるしかない。
だから、達也は努めて平静を装いながらも、祈る様な気持ちで言葉を掛けた。
「今そちらにヤーデ特務少尉が向かった。彼女が到着次第バラディースに送り届けてくれ。その後はラインハルトの指示に従って行動するように」
「はいっ! 了解いたしました!」
行動という言葉が何を意味するのか分からない蓮ではない。
これまで経験してきた訓練や試験とは違う……実戦という名の本物の殺し合いが始まるのだ。
しかし……。
「真宮寺准尉。今日がおまえの初陣になるのは確実だ……本当はもっと楽な戦場で経験を積ませてやりたかったが……俺が不甲斐ない所為で苦労を掛けてしまう……済まないな」
悔恨の情を滲ませた達也の言葉に蓮は狼狽せずにはいられなかった。
「そんなっ! 提督は何も悪くありませんよ。何時でもどんな状況でも僕は全力を尽くすだけです! それしか能がありませんから!」
慌てて言い募ると、敬愛する司令官は一瞬だけ安堵した様な表情を浮かべてから謎めいた台詞を口にする。
「そうか……おまえの奮戦を期待しているよ。但し此れだけは忘れるな。おまえの後ろに何があるのか常に自問自答するといい……その答えを見つけられたならば、活路は自ずと開ける筈だ」
投げ掛けられた言葉の意味が完全には理解できない蓮は、達也の真意を問い返そうとしたのだが、伝令役のイローニアがハンガーに駆け込んで来たのと重なってしまい、言葉を呑み込まざるを得なかった。
(いよいよ初陣を迎えるんだ……)
不安と高揚という相反する感情が綯交ぜになり、心臓の鼓動が一気に跳ね上がった気がするが、そんな感傷を振り払った蓮は眦を決して再度敬礼するや、愛機へ向って駆けだした。
そして、艦橋では教え子を見送った達也が小さな溜め息を漏らしており、そんな司令官をエレオノーラが意地の悪い顔で揶揄う。
「結婚して随分と人間が丸くなったんじゃないの? 昔は『初陣なんか誰でも経験する麻疹のようなものだ』とか何とか言ってたくせに」
彼女の言葉にブリッジの其処彼処でくぐもった忍び笑いが漏れる。
エレオノーラの隣に控えている詩織やユリアまでもが笑みを浮かべてるのを見た達也は、不本意そうに顔を顰めて命令を伝えた。
「エレン。済まないが操艦指揮は君に任せる。戦闘指揮は俺が執るから航海艦橋は放棄して、全ての人員を此処に廻してくれ……忙しくなるからな」
「いいわ。任せておきなさい。ただし下手な指揮をしたら唯じゃおかないからね」
そう言って達也からの申し出を受諾した彼女は、詩織に視線をやって告げた。
「いいこと如月准尉。貴女は経験が足らず未熟だから、今回の戦闘では任せるべき場所がない」
役立たずだと告げられ悔しさに歯噛みする思いだったが、エレオノーラの指摘が正しいのは、誰よりも詩織自身が一番理解していた。
だから、黙って頷くしかなかったのだが……。
指導役でもある練達の艦長は周囲の人間には聞こえない小さな声で、この戦闘中に詩織が成すべき事を示したのである。
「でも焦る必要なんかないわ。その代わり今回は達也の力を……【神将】と呼ばれる男がどれ程の者なのか貴女自身の目で確かめなさい。それが何時か貴女の財産になる筈だから」
そう言って茶目っ気たっぷりにウインクするエレオノーラ。
一瞬だけ驚きに双眸を見開いた詩織だったが、彼女なりの心遣いが嬉しくて直ぐに微笑みを浮かべて頷いた。
「白銀提督っ! 銀河連邦宇宙軍親衛艦隊旗艦より入電です。通信回線を開くように要求していますが……」
通信担当オペレーターが怪訝な顔をしながら指示を求めて来た。
「ふん……既に戦端は開かれたと思っていたんだがな……どうやらあちらさんには何か言いたい事でもあるらしい。尤も此方としては僅かな時間でも稼げるのならばありがたいが……」
圧倒的に不利な状況だが、やるべき事はひとつしかない。
仲間全員を希望の新天地に導く……ただそれだけだ。
達也は改めて決意を強くしオペレーターに頷いて見せた。
日雇い提督の生涯に亘る戦歴の中でも最も熾烈といわれた撤退戦は、正に目前に迫っていたのである。




