第二十一話 虎口 ②
「許可はできないよ、ユリア。君もさくら達と一緒に此処に残るんだ」
欠片ほどの情も感じられない冷然とした声で達也は眼前の愛娘に言い放った。
日頃から子供達を猫可愛がりしている彼からは想像もできない厳しい物言いに、メインブリッジに居合わせた者達は緊張した面持ちで様子を窺うしかない。
バラディースからの緊急暗号通信を受けて、居残り組との合流を図るべく急遽出航する、と達也が決断した時に騒動が勃発したのである。
「ならば私も同行させて下さい。万が一の時には、お役にたてる筈です」
澄んだ瞳に決意の色を滲ませたユリアが、そう申し出たのが発端だった。
シルフィードには、ユリアだけが起動させられる対空迎撃システムが搭載されており、その性能は既に実証済みだ。
先の土星宙域でのバイナ共和国軍との戦闘中に起こったアクシデントに対応し、その圧倒的な武威を以て、窮地に追い詰められた白銀艦隊を救う大殊勲を挙げたのは記憶に新しい。
しかし、そのシステムは彼女にとって陰惨な過去を想起させ得る代物でもあり、精神と肉体の双方に過度の負担を強いる諸刃の剣でもある。
それ故、可愛い娘を再度危険に晒すかもしれない愚行を達也が容認する筈もなく、父娘の間で押し問答が続いているのだ。
「折角アルカディーナの方々に受け入れて戴いたのです。お母さまやバラディースの皆様方を一人も欠く事なく、この星に御迎えしなければなりません」
「だからと言って、最悪戦闘になる可能性もあるのだから、君を連れて行く訳にはいかない。私が不甲斐ないばかりにユリアには苦労ばかり掛けているが、父親として愛しい我が子達には平穏に生きて欲しい……そう願うのは私の身勝手な想いなのかな?」
自分の身を案じてくれる父の想いが嬉しくて、ユリアは頬を上気させ、柔らかい微笑みを浮かべて声を弾ませる。
「その御言葉だけでとても嬉しいです……ですが、お父さまが私達に偽りなき至心を注いで下さいますように、私にとっても家族は掛け替えのない大切な存在です。万が一にも失う訳にはいきません」
ユリアの真摯な想いが籠った視線には不退転の決意が滲んでおり、それは周囲の空気を圧する力に満ちていたが、それでも、達也は小さく左右に頭を振って愛娘の請願を拒んだ。
「君の気持ちは本当に嬉しい……だが、戦場という魔物は人を最低のエゴイストに変えてしまう。前回は機械が相手だったが、恐らく今度は生身の人間が相手になるだろう。そんな愚かな行為に君を加担させるなど断じて認められない」
「で、でも……」
「私はこの両手を……数え切れない程の人間の血で汚して生き残って来た」
目の前に持ち上げた自身の両手を見つめる達也の表情には、切ないまでの虚無感が滲んでおり、その口から零れ落ちる言葉に有無も言わせぬ説得力が加わる。
「だからといって後悔はしていないし、間違っていたとも思ってはいない。だが、それは軍人という生き物の身勝手な矜持に過ぎないんだ。そんな業を君に背負わせたくはないし、君の手を汚す位ならば私が全てを引き受ける……それが軍人であり父親でもある私の本心だよ」
だが、その真摯な言葉でもユリアの決意を叛意させるには至らず、却って彼女を頑なにさせただけだった。
「この手を血で汚すなど如何ほどの事がありましょうか? 何の希望も……生きる理由も見いだせない虚しい生に比べたら、遥かにマシだと思います」
「ユリアっ!」
暴論に等しい娘の言葉に思わず声を荒げた達也だったが、ユリアは微塵も気後れせず想い込めてを懇願する。
「私は幸せ者です。『忌み子』と蔑まれた私が、こんなにも素敵な家族を得て皆から愛されているなんて……本当に夢のよう。それだけではありません。新しく得た人生で知り合った方々からも慈しんで戴けるのです。ですから、私も大切な家族や仲間を護りたい……それが、たったひとつの私の願いなのです」
長い月日幽閉同然の扱いを受けていたにも拘わらず、グランローデン帝国十八姫の高潔な魂は、些かも、その光を失ってはいなかった。
ユリアの心情は充分に理解できたし有難いとも思ったが、だからといって戦闘すら予想される航海に同行させるなど言語道断だ。
だから、尚も説得しようとしたのだが、思わぬ所から援護の声が上がり、達也は喉まで出掛かった言葉を呑み込まざるを得なかった。
「達也おとうさん。さくらはティグルやマーヤとお留守番してるからぁ……ユリアお姉ちゃんのお願いを聞いてあげてよぉ」
本当は自分もついて行きたい……。
そんな想いを滲ませたさくらが取り縋って来るや、半ば涙声で懇願されたのだ。
義妹の背後に立つティグルは仕方がないとばかりに肩を竦め、マーヤはさくらの服を握り締め、何度も頷いては義姉の決意を後押しする。
子供らが揃ってユリアの味方に付いたのを機に形勢は達也の不利へと傾く。
そのタイミングを見計らったかのように、今度はエレオノーラの口からトンデモ発言が飛び出し、劣勢に立たされた達也は目を丸くして憤慨するしかなかった。
「私は艦長として、この艦のパフォーマンスを最高の状態にキープし、戦闘能力を維持する責任があるわ。ユリアは同行させるべきよ。これは艦長としての意見具申だからね」
「エレンっ!」
しれっとユリアの肩を持つエレオノーラを睨みつけたが、今度はヒルデガルドから揶揄うような声が投げ掛けられた。
「達也ぁ~~君はユリア君を子供扱いするけど、彼女は実質十五歳だよん。自分の進路を自分で選択できる年齢じゃないか。君が十五歳の時に何を考えていたか思い出してごらんよ?」
痛い所を衝かれた達也は、口をへの字に曲げ不快な表情を浮かべるしかない。
両親を殺した海賊に復讐する……。
その一念に固執し、由紀恵や養護院の人々の想いすら踏み躙って地球を飛び出した……それが十五歳の自分の全てだった。
(偉そうな事を言う資格は俺にはないか……だが……)
それでも納得できずに葛藤していると、不意に手を引かれて驚いてしまう。
手元に視線をやればユリアの小さな手で右手を握られており、そして少女は柔らかい笑みの儘、小動もしない決意を口にしたのだ。
「連れて行ってください。弟妹達の想いと一緒に……私は白銀達也の娘でありたいと思っています。お父様と一緒ならば、何も恐れるものはありません」
浮かべる微笑みとは裏腹に、峻烈な覚悟を秘めた双眸を目の当たりにした達也は、愛娘の一途な想いを知って溜め息を漏らすしかなかった。
「まったく。君は頑固だな……一体全体、誰に似たのか」
今は亡きユリアの両親……尊い彼らの存在を想いながら愚痴を零した達也だったが、その台詞を耳にした愛娘は、今度こそ幸せに彩られた可憐な微笑みを浮かべて声を弾ませたのだ。
「当然です。私は達也お父さまとクレアお母さまの娘ですもの」
その言葉を聞いた達也は、苦笑いして自らの完敗を認めるしかなかった。
こうしてシルフィードは、運航に差し支えない最低限度の乗員以外のメンバーをアルカディーナ星に残し、バラディースとの合流を目指して出航したのである。
◇◆◇◆◇
一方、然したる妨害もなく太陽系を離脱したバラディースは、銀河連邦宇宙軍が管轄する長距離転移用のゲートを避け、民間共用の一般ゲートを利用しながら航海を続けていた。
立て続く陰湿な工作に銀河連邦が絡んでいると推察される以上、用心するに越した事はないし、軍専用ゲートを使用した挙句、駐留警備艦隊に拘禁される様な事態に陥れば目も当てられない。
だから、艦単独による転移を増やし、可能な限り調査隊との早期合流を目指しているのだ。
それが、今の彼らに選択できる最善手だった。
※※※
バラディース護衛航空戦隊が溜まり場にしているメインハンガーは、各種航空機を二百機収容できるキャパシティを誇ってはいるが、現行の稼働機は僅か二十五機とあって、その広大なスペースを持て余しているのが実情だ。
そんな寂しげな場所の出入り口。
常に扉が解放されている付近は、何時もとは違う様相を呈していた。
こそこそと中の様子を窺う挙動不審な人物がひとり……。
ハンガー前の通路を行ったり来たりしているかと思えば、壁の陰に身を隠し中を覗き込んでは溜息を吐くその様子は、まさに不審者と断定するに充分だった。
愛機の整備に勤しむ航空隊パイロット達は、その存在に気付いてはいるのだが、敢えて見ないフリをして完全無視を貫いている。
なんせ、下手に彼女の機嫌を損ねた日には、マンツーマンでの格闘訓練の相手役に指名され、五体満足でいられなくなるのは火を見るよりも明らかだ。
だから、『触らぬ神に祟りなし』を貫く彼らの判断は、まさに正解だと言わざるを得ないだろう。
美女に絡むのならば、誰だって夢見心地の体験が良いに決まっているし、痛いのは御免被ると言うのが偽らざる心情だった。
(((無視だ! 無視ッ! 絶対に視線を合わせるなッ! 死ぬぞっ!)))
彼らの心の声が幾重にも重なって見えるのは幻か否か?
だが、そんな彼らの切ない心情にまで気が廻る程、今の志保に余裕はなかった。
(いないわねぇ……部下だけ働かせておいて、何処をほっつき歩いているのよ? 赤髭の奴)
地球を出発してから既に六日が過ぎているのだが、このバラディースに厄介になって以降、間が悪いのか一度もラルフと顔を会わす機会がないのだ。
一度は素直に謝罪して感謝を伝えようと決めたのだが、これが思ったよりも難事だった。
瀕死だった美緒が一命を取り留めた事もあり、片時も傍を離れずに看病していたとはいえ、時間が経つにつれて自分らしくもない醜態を晒してしまったという羞恥に苛まれ、会うのが躊躇われてしまったのだ。
しかし、漸くベッドに上体を起こせるまでに回復した母親から『直接お礼を申し上げたいから、御都合の良い時間に私から訪ねて良いか伺って来て頂戴』と頼まれてしまい、気乗りしない儘に此処まで来たという次第だった。
母親の懇願を無視する訳にはいかないが、ハンガー内に目当ての人物の姿は見当たらず、志保は美緒に悪いと思いながらも、ラルフと顔を合わさずに済んでホッとしたのだが……。
「何をコソコソやっとるんだ、おまえは?」
「ひゃんッ!?」
不意打ち同然に背後から声を掛けられた志保は、油断していた所為で素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び退いてしまった。
焦った顔で振り向けば、そこにはトレードマークの赤髭も見事なラルフが立っており、怪訝な顔をして自分を見ているではないか。
醜態を晒したと思って狼狽した志保は、羞恥に顔を赤くして俯いてしまう。
(な、何をやっているのよぉっ! ちゃんと謝罪して母さんのお願いを伝えないといけないのよ!)
その心の叫びとは裏腹に、喉の奥から言葉が発せられる気配はなく、自分らしくもない有り様に志保は歯噛みする思いだった。
そんな彼女に武骨だが気安い響きの声が投げ掛けられる。
「当直明けなんだが、少し付き合わないか? コーヒーぐらい御馳走するぞ?」
驚いて顔を上げた先には僅かに覗いた目元を綻ばせたラルフの笑顔があり、その表情の端々には不器用な彼なりに志保に対する気遣いが滲んでいた。
それを察した志保は意外なほど素直に頷き、彼のお誘いを承諾したのである。




