第二十話 決別 ③
「あの“蘇生剤”というアイテムは、二十年ほど昔に銀河ネットワークの闇ルートに出廻った非合法品だったらしいんだ」
「や、闇ルートって……そんな胡散臭い物を?」
母の命を救ったスーパーアイテムの意外な出自を知った志保は、開いた口が塞がらないといった風情で呟いた。
そもそも“蘇生剤”なる大袈裟な名称を賜った医療アイテムは、隣接する星系国家と長年泥沼の紛争を繰り広げた専制君主制国家が独自に研究開発した代物だといわれている。
文字通り死者を蘇らせる秘薬だと持て囃されたが、その効果は極めて限定的であり、逼迫した戦況も相俟って粗悪乱造が横行し、当初見込まれていた成果を残すには至らなかった。
それ故に開発国の敗戦を以て紛争が終結したのと同時に、“蘇生剤”も時代の徒花として闇に葬られてしまったのだ。
「その紛争終結から数年後。『死者さえ目覚めさせる妙薬』とか何とかいう陳腐なキャッチコピー付きで闇ネットに出廻った品物だったのよ。その大半が詐欺紛いのインチキ商品だったけれど、『正真正銘の亡国の試作品』という代物を、父さんの親友が手に入れたの」
何時しか、講談師宛らの語りを披露するアイラの明るさに救われた気分の志保だったが、話の中の『父さんの親友』という部分に意識を惹かれた。
「その……赤髭の親友って?」
話の途中に腰を折るのは悪いと思ったのだが、妙に気になって問うと、アイラは寂寥感を滲ませた表情で哀惜の言葉を零す。
「幼馴染だって聞いていたわ……ふたりとも十五歳の時に母国の軍隊に志願入隊したらしいけど、上官との折り合いが悪くて数年で退役し、航空傭兵団【ヴォルフ・ファング】を起ち上げたのよ。父さんが団長で、彼……レックス・ウェルーバーが副団長。私も随分と可愛がって貰ったのを覚えてる」
志保にとって、親友はと問われて真っ先に頭に思い浮かぶ人物はクレア以外には存在しない。
だが、自分の愚かな行動の所為で、彼女とその周囲の人々にも多大な迷惑をかけてしまった……。
そんな自責の念に駆られる志保は、胸中にこびりついた悔恨の情に苛まれて臍を嚙むしかなかったが、これ以上無様な姿をアイラには見せられない……。
そう、自分自身を戒めて表情を取り繕った。
「優しくて気配り上手なウィーバー副団長は、ガサツな父さんには無くてはならない相棒でさ……勿論、戦闘機乗りとしての腕前も一流だった。そんな彼が購入したのよ“蘇生剤”……父さんは『馬鹿々々しい』って呆れていたけど、彼は『万が一にも効果があれば儲けもんだろう?』って笑ってた」
「それで、その副団長さんは今はどうしているの?」
「五年前……商用船団護衛の依頼の最中、海賊艦隊との交戦中にルーキーを庇って戦死したわ。皮肉なものよね……折角の“蘇生剤”も、愛機が爆散して骨も残らないんじゃ、役にも立ちゃしない……」
当時の悲しみを思い出したのか、アイラの顔に憂いが滲む。
自分の浅慮を恥じ入るしかない志保は、慌てて謝罪した。
「ご、ごめん……無神経な事聞いちゃったわね」
「ううん……私達戦闘機乗りには当たり前の事だもの。それに、もう五年も経っているからね……気持ちの整理はついているわ。でも、驚きだったのは、彼の形見を父さんが後生大事に持っていた事かな。彼のお墓に一緒に埋葬したとばかり思っていたから」
そう言って最後は笑を見せる彼女の心根の強さを目の当たりにした志保は敬意を払うのと同時に、父親のラルフにも言葉では言い表せない程の感謝の念を懐いた。
(口では厳しい事を言っても、赤髭の行動には相手を思いやる心遣いがあった……私なんか、彼の足元にも及ばないわね)
今更だが、散々醜態を晒したとの自覚があるだけに、とっくに呆れられてしまっただろうとは思う。
しかし、だからといって与えられた厚情を無視して良い理由にはならず、キチンと謝罪して感謝の気持ちを伝えるべきだと志保は心に刻んだのである。
そんな事を考えた時だった。
「志保っ!」
耳に馴染んだ澄んだ声音で名を呼ばれ、思わず顔を上げて声のした方向を見る。
視線の先に佇んでいたのは、この世で最も大切な親友だった。
「クレア……」
神妙な表情で立ち上がった志保に駆け寄ったクレアは、普段冷静な彼女にしては珍しく狼狽を露にして矢継ぎ早に質問する。
「小母さまの容態はどうなの? ドクター達からは何か話があった?」
そう問われたものの手術は未だに継続中であり、志保もその答えを持ち合わせてはおらず口籠るしかなかったが、ふたりが揃うのを見越したかのように手術終了を告げる低いブザー音が廊下に響いた。
三人が治療室のドアに視線を向けるや否や、強化合金製の扉が左右に開いて主任ドクターが姿を現す。
そして、やや疲労が滲んだ顔に笑みを浮かべて朗報を告げたのである。
「手術は成功しました。二十四時間程は生命維持ユニットで経過観察が必要ですが、問題がなければ通常の病室での療養に移行できる筈ですよ」
「ああぁ! ありがとう……ありがとうございます! 何とお礼を言えばいいのか……私……」
母親の無事を知って感極まった志保は、両の瞳から大粒の涙を溢れさせて何度も礼を言う。
アイラは両手で顔を覆って咽び泣き、クレアも安堵し笑顔で謝意を伝えた。
「ありがとうございました。患者は私にとっても母同然の方です……美緒小母さまの命を繋いで下さり、心から感謝申し上げます」
実質的な雇い主であるクレアにまで頭を下げられた彼は、ひどく恐縮した風情で小さく頭を振って微笑むや、歓喜に咽び泣く志保を励ますかのように真摯な想いを語った。
「貴女のお母様が一命を繋いだのは奇跡ではありませんよ。お母様の人柄が多くの人々を魅了した結果なのです……だから、その感謝は私達にではなく、ご友人方にこそ伝えてあげて下さい」
その言葉の真意が理解できない志保は、思わず顔を上げてドクターを見る。
「ビンセント中佐が使用した蘇生剤が正真正銘の本物だったという幸運……そして何よりも心肺系に過度な負担を強いる劇薬を投与したにも拘わらず、お母様の心臓がそれに耐え切ったという幸運……ヒルデガルド殿下が開発投与したナノマシンのお蔭……いや、人と人の繋がりという縁が、お母様の命をこの世に繋ぎ止めたのでしょう……私にはそう思えてなりません」
彼の言葉に心を揺さ振られた志保は、滂沱の如く溢れ出る涙を堪えられない。
ヒルデガルドやラルフとの出逢いが、自分が過去の妄執に拘泥して引き起こした悲劇から母親を救ってくれた……。
その事に思い至った志保は、嗚咽で震える背中にそっと手を添えてくれたクレアの励ましに抗し切れず、腐れ縁の親友に縋って泣き伏すのだった。
◇◆◇◆◇
夜明けを待って地球を発ち、先行している調査隊との合流を目指す。
そう医療スタッフへ告げたクレアは、志保を伴なって休憩室に場所を移した。
ふたりだけで話せるようにと気を利かせたアイラは、予想される地球統合軍からの武力行使に備える為に配置に戻っており、既にこの場にはいない。
自販機でブラックコーヒーを二つ買ったクレアは、窓際に立って暗い海を眺めている志保にひとつ手渡した。
「ありがとうね。そして、ごめん……あんたには迷惑ばっかり掛けちゃった」
神妙な顔つきで頭を下げる親友からそう言われたクレアは、口元を綻ばせて左右に首を振る。
「なにを水臭いことを言っているのやら……腐れ縁の親友なんでしょう私達は? だったら、謝ったりしないで」
「でも……私が変に意地を張ったばかりに……」
「構わないわ。あなたの気持ちも分かるから。それに、悠也さんが死んだ時は私の方が世話になったわ。志保が懲罰覚悟で調査してくれたからこそ、あの事件の真相を詳らかにできた……だから、お互い様よ」
何時もと変わらない微笑みを浮かべる親友の姿に、志保は今日までの月日に想いを馳せる。
出逢って以降十年の歳月を共に過ごして来たが、クレアの優艶な心根だけは少しも変わらず、安堵すると共に心からの感謝の念を懐かざるを得なかった。
だが、言葉を飾る必要など何もなく、これまでがそうだった様に今回の件も全てを受け入れて共に笑顔を交わす……。
ただそれだけの事だと、ふたりは言葉にせずとも同じ想いを共有している。
そしてそれは、明日からの日々に於いても何ら変わらずに続いて行くのだろうと、ふたりは確信していた。
だから、コーヒー入りのカップを軽く触れ合わせる乾杯の儀式を以て全ての憂いを水に流し、微笑みを交わしたのである。
だが、厄介な事案は他にも残っており、表情を生真面目なものに変えたクレアは志保に告げた。
「もう分かっているとは思うけれど、私たちは間もなく地球を発つわ……これ以上居座っても事態は悪化するばかりだし、統合政府と争うのも本意じゃない。だからと言って、あなたや美緒小母さまを引き渡すなんて断じて承服できないから……。申し訳ないけれど、私達に同行して貰うしかないのよ。何時か必ず地球に戻れるよう手を尽くすからから……」
地球側との関係が拗れてしまった以上、不可避となった今後の状況を沈痛な面持ちで言い募るクレアだったが、サバサバした表情で口元を綻ばせた志保は申し出を躊躇いもせずに受け入れた。
「気にしなくていいわよ。母さんも一緒なら文句はないもの。それに政府にも軍にも愛想が尽きた。あんな馬鹿共の面子を立てる為に軍法会議行きなんて真っ平御免よ。そんな道を選ぶくらいなら、アンタの手下の方が遥かにマシだわ」
彼女の台詞の後半部分……。
そのかなり失礼な内容に不満げに頬を膨らませるクレア。
掛け替えのない親友が何時もの調子を取り戻しつつあるのは喜ばしいが、『手下の方が遥かにマシ』という台詞は酷すぎはしないか?
まるで白銀家が悪の秘密結社扱いされているようで、どうにも納得がいかない。
そこで、彼女はささやかな憂さ晴らしを決意し、手に入れたばかりの秘密兵器の使用に踏み切ったのである。
一方でそんな親友の不満には終ぞ気付かない志保は、今更殊勝な素振りで反省するなど照れ臭く、態と悪態をついていたのだが……。
『ま、待って……い、行くから……私も母さんと一緒に行くからぁぁ……』
鼻水を啜る情けない泣き声に耳朶をぶん殴られた志保は、双眸を見開くや、慌てふためいてクレアを見た。
視線の先では、うっとりした表情で情報端末を操作している腐れ縁の姿が……。
「あ、あんた……それ……いったい……」
羞恥に顔を真っ赤に染めて問い掛けて来た志保を無視したクレアは、妖艶な笑みを浮かべて甘ったるい声を奏でる。
「あぁ~~ん! 志保ったら! こんなにべそべそになっちゃってぇ……弱々しい乙女の真似もできるなんて流石に年の功だわぁ~。然も、捨てられて雨に打たれた子犬みたいで、とっても可愛いわぁ!」
明らかに揶揄う気満々の腐れ縁の挑発を受けた遠藤志保は完全復活を果たすや、語気を荒げクレアへ詰め寄った。
「クレアっ! それを寄越しなさいッ!! アンタ再婚してから格段に性格が悪くなったわよッ!? こら返せッ! 返せってばぁぁぁぁぁ!」
「嫌よ! 後で小母さまや真宮寺君達にも見せるんだから!」
「ふっ、巫山戯んなぁぁぁ──ッ!!」
東の水平線が徐々に白み始めるまで、ふたりのお巫山戯は続くのだった。
※※※
この日の早朝。
三隻の護衛艦を伴ったバラディースは、地球統合政府の勧告を拒絶して地球から出航。
厄介払いができて安堵したのか、イェーガーの予想通り、統合軍からの武力行使も統合政府からの妨害行動もなかった。
彼らは悠々と大気圏を突破し、達也との合流を果すため一路エスペランサ星系へと針路を取ったのである。
出航間際には今回の一連の騒動の顛末をビデオメッセージにして発信し、地球圏の隅々にまで拡散せしめた。
これにより民衆の疑念は錯綜し、地球統合政府や軍の対応の稚拙さに批判が集中するのだった。
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