第二十話 決別 ①
十人目の敵を戦闘不能に追い込んだのと同時に、耳を劈く乾いた連射音が夜気を切り裂く。
アイラがサブマシンガンを装備していない以上、それが敵側が放った銃声なのは明白であり、ラルフは眉を顰めて舌を弾いた。
(救援は間に合った筈だが!?)
僅かに残った敵は、隔絶した装備の性能差を見せ付けられて戦意を喪失したらしく、我先にと逃げ出していく。
埠頭周辺の脅威を排除したと判断した歴戦の指揮官は、バイザーのズーム機能を起動させ、銃撃音がした方向へ視線を向けるや、口元を強張らせてしまう。
暗視機能のお蔭で鮮明に判別できる映像には、地に蹲った志保とアイラが悲痛に満ちた表情で何事か連呼している様子が映し出されており、その腕の中には弛緩した彼女の母親らしき人間の姿も垣間見える。
大凡の状況を把握し、地を蹴って駆けだしたラルフは、声を荒げて救命医療機の緊急出動を要請した。
「こちら航空隊のビンセント中佐だ! 負傷者が出た! 至急エアレーザーCSを寄越せッ! 大至急だッ!!」
『えっ!? 状況、状況を詳しく……』
だが、用件だけを一方的に捲し立てた所為か、面食らった通信担当オペレーターが詳細を問い返して来る。
その呑気な対応に焦れたラルフは大音声一喝し、オペレーターを黙らせた。
「グダグダ喧しいぃッ! さっさと言われた通りにしろッ!」
その剣幕に戦いた担当士官が短い悲鳴を漏らすのを無視して急制動を掛けるや、蹲る志保達の傍に駆け寄ったが、美緒の惨状を目の当たりにして息を呑んだ。
銃弾に蹂躙された腹部からは大量の鮮血が溢れて地面に血溜まりができており、その表情からも生気は失われている。
彼女が息絶えているのは一目瞭然であり、美緒の遺体に取り縋って慟哭する志保とアイラの姿が哀れで仕方がなく、ラルフは臍を嚙む思いだった。
彼自身は美緒と特に親しかったという訳ではないが、物腰の柔らかい常識人だとの印象を懐いてもいたし、頻繁に自宅に招待して貰っては、美味しい手料理を振る舞ってくれるとアイラも喜んでおり、秘かに感謝もしていたのだ。
そんな女性が物言わぬ骸と化している……。
長い戦場暮らしで嫌というほど味わって来た大切な者達との死別。
何時しか諦念の果てに哀惜の情にも慣れてしまったラルフにとって、美緒の死もこれまでに経験したものと何ら変わるものではなかった……それなのに……。
いつも強気で自分の節を曲げない頑固な女……。
その見本のような志保とアイラが揃って遺体に取り縋り、まるで幼い子供の様に泣きじゃくっている。
その光景が堪らなく腹立たしく、そして切なく思えてしまったのだ。
(俺はこいつらのこんな姿を見たい訳じゃないっ!)
唇を噛むや次元収納庫を解放したラルフは、長さ十五㎝ほどの金属製丸筒を取り出すや、美緒に縋って泣くだけのアイラの襟首を掴んで引き剥がし、既に息をしていない彼女の傷口に、その筒の先端を押し当てた。
「なっ、何をするのッ!? やめてぇッ! 母さんに触らないでぇぇ──ッ!」
母に触れようとする彼の手を振り払おうとしながら、涙でグシャグシャになった顔で懸命に訴える志保。
そんな彼女をラルフは激しい声で一喝した。
「駄々を捏ねるんじゃねえッ! まだ死んだと決まった訳じゃないんだッ!」
鬼気迫る形相に気圧されし怯んだ志保に構わず、押し当てた金属筒の底部を覆うカバーを外して晒された突起部を押し込む。
しかし、沈黙した儘の遺体には何の変化も見られない……。
一秒……二秒……そして三秒が経過した瞬間だった。
何の前触れもなく、美緒の身体が地面の上で大きく跳ねたのだ。
「くぁ……あ……ぁっ……」
完全に停止していた筈の心臓が頼りなげではあるが鼓動を取り戻し、微かな呻き声が朱唇から零れた。
「かっ……母さ……ん? 母さん、母さんッッ!?」
母親の頭を抱き締め感涙する志保は、目の前で起きた正真正銘の奇跡が、悪魔の御業でも構わないと心底思った。
しかし、その奇跡を演出した赤髭悪魔は、その程度の結果には満足できず表情を険しくして舌を弾く。
(蘇生後の拍動が弱すぎるッ! これでは……)
一刻も早く本格的な治療が必要だと判断したのと同時に、バイザーのモニターにラインハルトの姿が映し出される。
ラルフに怒鳴り付けられた担当士官では埒が明かないと思った副司令官が、険しい顔つきで現状の確認を促して来た。
「状況はどうなっていますか?」
「敵の指揮官を含め十六名の統合軍空間機兵を排除した……殺ったのは俺だ」
「と、父さんっ!? それは、私がっ!」
ラルフの返答にアイラが目を剥いて抗議するが……。
「黙れッ! この場の最上級者は俺だッ! 下っ端が嘴を差し挿むなッ!」
敵の指揮官を殺したのは自分だと主張するアイラだったが、父親の有無を言わせぬ圧力の前に言葉を失くしてしまう。
今回の件で地球統合政府や軍が態度を硬化させるのは確実だろう。
批判の矢面に立つのは自分だけの方が都合が良い。
そう判断したラルフは、全ての罪を被る決意をしたのだ。
「ミュラー閣下。全ての責任は上官たる俺に帰する筈です。地球側からの犯人引き渡し要請があれば私が応じます。そのおつもりで……それよりも早く救援機を! 蘇生剤の効き目が弱くて負傷者が危ない!」
「既にエアレーザーは発進して急行中です。あと一~二分で到着する筈ですから、負傷者を収容し全員で至急バラディースに帰還してください」
「受け入れてくれるんですか?」
ラルフが問うたのは志保と美緒母娘の処遇に他ならない。
二人は今回の事件の生き証人であるし、志保に至っては現役の地球統合軍士官でもある。
無様な醜態を晒した事件を闇に葬る為にも、地球側が身柄の引き渡しを要求して来るのは、火を見るよりも明らかだ。
厄介な対立を回避するのならば、彼女達を見捨てて知らぬ存ぜぬで押し通すのが最善の選択だが、そんな安易で愚かな道をラインハルトは選ばなかった。
「当然ですよ。それとも、ふたりの保護を拒絶した挙句に達也とクレアさんの双方から怨まれろと? あの夫婦を敵に廻すぐらいなら、地球統合軍全軍を相手にした方が気が楽ですよ。それから、貴方に楽をさせる気もありませんので、引き渡しの件もあり得ません」
軽く微笑んだラインハルトの映像が切れるのと同時にアイラが絶叫する。
「父さんっ! 来たよっ! エアレーザーッ!」
「急いで着陸誘導しろ! 母君を収容したら直ぐに帰艦するッ!」
垂直離着陸機であるエアレーザーを誘導すべく駆け出した娘を一瞥したラルフは、母親を腕に抱き蹲った儘の志保の肩に手を置いて言葉を掛けた。
「さあ! グズグズしている暇はない。一刻も早く御袋さんをバラディースに連れて行くぞ。今ならまだ間に合う筈だ」
だが、志保はふるふると頭を振るや、掠れた弱々しい声で申し出を拒絶する。
「……いい……私達は残るから……アンタ達だけで行って……」
「なっ!? 何を馬鹿な事を言っとるんだッ!? 冗談言っている場合じゃないだろうがッ!」
彼女の真意が理解できずに思わず声を荒げてしまうラルフ。
詰られた志保は辛うじて息をしている母親の上半身を強く抱き締め、涙で湿った声を絞り出した。
「迷惑掛けちゃうもの……クレアに。それだけは……それだけは嫌なのよ」
自分の浅慮が招いた厄介事に親友を巻き込みたくない。
そう頑なに言い張る志保だったが、いきなり胸倉を掴まれて美緒から引き剥がされてしまう。
「な、何をするのよッ! 返してっ! 母さんを返してよッ!!」
慌てて取り縋ろうとするが、鬼の形相のラルフに再度胸元を締め上げられ、引き摺り起こされて怒鳴り付けられた。
「五月蠅いッ、この馬鹿娘がッ! 瀕死のお袋さんを救えるのはバラディースだけなんだよッ! 母親を見殺しにする気か? キサマはぁッ!」
罵倒された志保は顔を歪めて唇を噛むしかない。
そんな彼女をラルフは乱暴に突き飛ばすと、地面に横たわる美緒の身体を軽々と抱き上げ、嗚咽を洩らしながら項垂れる志保に言い放った。
「残りたいのならお前ひとりで残ればいい。だがな、お前が此処で死んだりしたらクレアさんは悲しむぞ! 親友なんだろう? 彼女はお前に助力するのを迷惑だと思う女性なのか? 腐れ縁の親友って奴は、そんな薄っぺらいもんじゃないだろうがッ!」
吐き捨てる様に捲し立てたラルフは美緒を抱えたまま、着陸した救援機に向って駆け出す。
そんな彼の背に手を伸ばした志保は虚しく空を彷徨うその感覚に恐怖し、我慢できずに唇から本音を零していた。
「まっ、待ってぇ! い、行くから……私も母さんと一緒に行くからぁぁ!」
その姿は何時もの颯爽とした彼女のものではなく、まるで親と逸れて泣きじゃくる幼い子供の様だ。
母親と離れたくない……これからも一緒に生きていきたい……。
その一心でふらふらと立ち上がった志保は、頼りない足取りでラルフの後を追うのだった。
◇◆◇◆◇
由紀恵が責任者を務める幼年保育園は、開園したばかりとはいえ、百人を超える零歳から五歳までの子供達で賑わっていた。
以前営んでいた養護院が廃院された時に様々な理由から手元に残った七人の子供らもバラディースの環境にすっかり馴染み、アルエット・イェーガー校長が運営する初等教育学校へ元気に通っている。
由紀恵や正吾夫妻は元より、同行して来た保育士や子供達は白銀家の館に間借りして生活を共にしていた。
本来ならば、爵位持ちの貴族本邸に他人が同居するなど在り得ないのだが……。
『お願いしますから一緒に住んで下さい……こんな大きな御屋敷を戴いても、住むのは私達家族とサクヤ様にマリエッタさんだけなんですよ? 閑散とし過ぎていて薄ら寒いんですぅ』
そう必死に懇願したのは他ならぬクレアだった。
都市部には空き物件がゴロゴロしており、悪く言えば半ばゴーストタウン状態だった為、当初は大人数で住める住宅をと考えていた由紀恵達だが、この熱心な? いや、執拗な勧誘に折れて同居を承諾したのだ。
そんな事情もあり、豪奢ではあるが寂寥感漂っていた館が漸く華やかに彩られて、クレアは心から安堵したのである。
そして、彼女の下に騒動の顛末が知らされたのは、皆で夕食の団欒を終え、秋江らと他愛もない会話を楽しみながら後片付けをしていた時だった。
「それで志保はッ!? 小母さまの容態はッ!?」
立体モニターに映るラインハルトからの報告に一驚したクレアは、焦りを滲ませた声で問い返す。
『重症です。腹部に銃弾を受けて一時は心肺停止状態になりましたが、ビンセント中佐が《蘇生剤》を所持していたようで……何とか命を繋いでいます』
「そっ、そんな……」
急展開する事態に戸惑うクレアは呆然と呟くしかない。
『現在エアレーザーに収容して応急治療を施している最中ですが、本艦に帰艦次第緊急手術が必要だと中佐から要請が出ております。私の一存で遠藤志保中尉共々に受け入れを許可いたしました……急を要していたとはいえ、貴女の裁可を仰がなかった事をお詫びします』
畏まるラインハルトの言葉に我に返ったクレアは強く頭を振る。
「いえ。あなた様の御厚情に感謝致します。彼女達を失っていたら、私は私でいられなかったでしょう……兎に角、直ぐに私もブリッジに行きますので、小母さまの治療に全力を挙げるよう医療スタッフに伝えて下さい」
そう伝えたクレアは、由紀恵とサクヤに後を託して館を飛び出した。
心を侵食する得体の知れない闇に戦きながら……。




