第十九話 哀哭 ④
「何だって俺が? あの暴力女のボディーガードをしなきゃならんのだ?」
助手席でブツブツと不満を垂れ流す父親へ非難げな視線を投げたアイラは、車のハンドルを操作しながら冷然と言い放つ。
「志保にセクハラしたんでしょう? 罪を償う機会を与えて貰ったんだから、感謝しなさいよ」
「ばっ、馬鹿もんッ! あれは不可抗力だっ! 俺はだなぁ……」
「はいはい! 見苦しい言い訳はいいから……ほら、到着ぅ~~~」
濡れ衣だと憤慨して語気を荒げる父親をあしらうアイラは、志保が住まうマンションの裏手の車道に小型軍用車両を止めた。
既に陽は落ち、街灯が煌々と灯っているとはいえ周囲には人影もなく、まだ午後七時半ばの時間帯にしては随分と閑散としている。
文句に取り合わなかった所為か、苦虫を嚙み潰した様な顔で腕組みをして不貞腐れている父親の様子に苦笑いするアイラだったが、中層階にある志保の住居と思しき場所に目をやり、その不自然さに気付くや顔色を変えて叫んだ。
「父さんっ! 何か変っ! 志保の部屋の明かりが消えているっ! クレアさんに聞いた通りならとっくに帰宅してる筈だし、小母様も不在なんて在り得ないよ!」
「偶には外食でも……と思い立ったんじゃないのか?」
一瞬で軍人の顔つきに戻ったラルフが無難な選択肢を提示するが、娘は困惑した顔を左右に振って言下に否定した。
「濃い味付けが苦手な小母様は外食が嫌いなのっ! それに凄く料理上手だから、志保も滅多に外で食事はしないと言っていたわ」
その言葉に頷いて瞬時にコンバットスーツを起動させたラルフは、頭部ガードのバイザー内蔵のセンサーで真っ暗な部屋を窺う。
熱源探知センサーには生物の反応は感知されず、アイラの懸念が正鵠を射ている可能性は高く、何か不測の事態が起こったと判断したラルフは位置情報システムを起動させた。
要塞内や障害物の多い戦場に於いて、味方の位置を把握する為の必須アイテムでもあり、彼らが纏うコンバットスーツからは、このシステムだけに反応する特殊な電波が随時発信されている。
これによって仲間同士の効果的な連携を可能にする優れ物だった。
バイザーに表示されるアイランド北部周辺地域の地図が表示され、そこには明滅する光点が三つ確認できる。
二つはラルフとアイラのものであり、残る一つが……。
「車を出せッ! 北西に位置する港湾部のD埠頭の倉庫街に反応があるッ!」
父親の叱声と同時にアクセルを目いっぱい踏み込んで車を急発進させたアイラは、港湾地区を目指して軍用車両を疾駆させながら、志保と美緒の無事だけを祈るのだった。
◇◆◇◆◇
現代では岸壁に接岸した船舶から積み荷を降ろすのも、倉庫への運搬と保管作業を受け持っているのもAI制御された多数の無人リフト機であり、港湾地区周辺は昼間でも人間の姿は疎らだ。
それが、船舶の出入りもなくなり、管理会社の終業時間を過ぎた夜間ともなれば尚更で、申し訳程度に点在する街灯の灯火が、却って怖気を誘う雰囲気を演出していた。
埠頭入り口から突堤に向って伸びる直線のメインストリートを無造作に歩く志保だが、周囲への警戒は疎かにしていない。
(複数の熱源反応……ざっと二十人か……たった一人相手に仰々しいこと)
展開させたヘッドガードのバイザーに表示される光点座標を把握するや、素早くシステムをカットしリストガード形態に戻す。
左右の倉庫街の狭い路地に一定間隔で人員が配置されており、正面の突堤部に殊更大きな熱源がひとつと、小さな熱源が六人分確認できた。
ひとつは母親の美緒だとして、残る五つは敵だと判断して間違いないだろう。
(たった一人の敵にこの重包囲網……殿下。貴女の開発したこいつは、大層な脅威だと認識されたようですよ)
リストガードを軽く撫でた志保は内心で笑みを漏らし、ヒルデガルドに惜しみない称賛を贈る。
捕らわれている母親の無事だけが案じられたが、早瀬諒次以下、統合軍空間機兵隊員と並んで立っている美緒の姿を確認して、ひとまずは胸を撫で下ろした。
とはいえ、先ほどセンサーに感知された大きめの熱源が自律型の人型機動ロボだと知った志保は、表情を押し殺したまま心の中で舌を弾く。
その黒光りする機体は要塞攻略戦を想定した強襲タイプの人型無人兵器であり、高さ三メートル弱の小型ながら右腕に三十㎜ガトリング、左腕には高出力ブラスターを装備した拠点突破に特化した兵器だ。
銀河連邦軍が正式採用している同兵種と比較すれば、悲しいかな性能面では数段劣るものの、兵士一人相手に投入するには大袈裟すぎる代物だった。
「さあ、要求通り来てやったわよ。さっさと母さんを放しなさいッ!」
「相変わらず太々しい女だ。そのリストガード、例の試作品を引き渡すのが先だ!母親を五体満足で返して欲しければ……分かっているよな?」
圧倒的に不利な状況である筈の志保が、妙に落ち着いている様子に苛立ちを覚えた諒次は、舌打ちして恫喝する。
すると、両肩を竦めて鼻を鳴らした志保は、鈍い銀光の腕輪を両腕から外して無造作に放り投げた。
既に陽も落ち、漆黒に彩られた夜空をバックに放物線を描く獲物を、諒次は嗜虐の笑みを浮かべて見つめ両手で受け取ろうとするが、それが仇になる。
意識を逸らしたのは彼の部下達も同じであり、志保への警戒心が完全に薄れてしまったのだ。
その一瞬の隙を待ち侘びていた志保は、獰猛な肉食獣の如き動きで地を蹴るや、獲物目掛けて疾駆する。
その瞬発力の前には十メートル以上あった両者の距離など無いに等しく、諒次が異変に気付いた時には、美しい顔を憤怒に染め上げた猛獣が眼前に迫っていた。
「なあ──ッ!?」
「シロウトじゃあるまいしッッ! 戦場で余所見してんじゃないわよッ!!」
渾身の右ストレートが、嘗ての上官の左頬にクリティカルヒット。
翻筋斗打って後方に吹き飛ばされた諒次は、そのまま勢い余って落水し盛大な水飛沫を上げる。
漸く状況に意識が追い付いた部下達がハンドガンの銃口を向けようと身構えるが、既に手後れだった。
一瞬早く宙を舞って落ちて来たユニットを手にした志保の肢体を驚異的な性能を誇るコンバットスーツが包むや、その恩恵を遺憾なく発揮した彼女は、母親を拘束する空間機兵二人を至近距離からのインパクト・カノンで薙ぎ払う。
そして、自由の利かない美緒を抱え、全力でその場を飛び退いた。
その刹那、静寂を斬り裂くような銃火器の砲声と共に、彼女達が居た場所に着弾する機銃弾の雨霰!
三十㎜ガトリング砲の銃撃で粉砕されたコンクリートが激しい粉塵を巻き上げ、周囲の視界を奪う。
(走行車並みの装甲を誇る機動ハンター……パンツァー・カノーネ……懐に飛び込んでインパクト・カノンを全力で叩き込むしかないわね)
立ち込める粉塵に紛れて路地に飛び込んだ志保は、油断なく周囲を窺いながらも母親を拘束する猿轡と拘束バンドを外してやる。
「あっ、ふうぅ……し、志保、これは一体全体……」
漸く戒めを解かれたものの、事情を把握できない美緒は恐怖と不安に顔を歪め華奢な身体を震わせた。
そんな母親の不安を宥めるかのように、志保は内心の危機感など微塵も感じさせない穏やかな微笑みを浮かべて懇願する。
「母さん、ごめん。今は説明している暇はないの。私が奴らを片付けるから此処から動かずに隠れていて頂戴」
機先を制したとはいえ、厄介な機動兵器は健在だし、敵対する空間機兵の大半は無傷で包囲網を狭めて来ている筈だ。
ふたりして固まっていれば、たちどころに重火器の餌食にされかねないし、数を頼りに包囲されれば、戦えない母親を抱える志保に勝ち目はないだろう。
(血路を開いて逃げるしかない……その後は……)
自身の先行きに思いを馳せた志保は、口元を皮肉げに歪めるしかなかった。
軍に反抗した時点で何処にも行き場はないに等しく、この窮地を凌いで逃げ切れたとしても、その先に待っているのは軍法会議の被告席ぐらいのものだ。
(けれど……それでも構わないわ! 腐りきった上層部の薄汚い思惑に唯々諾々と従うぐらいならば!)
自分の頑迷さが招いた結果とはいえ、今更矜持を曲げる気もないし、大切な母親まで巻き込んだ連中を誰一人許す気もなかった。
(明日の事は明日考えれば良い……今は母さんを護る事が最優先だわ。ごめんね、クレア。アンタの気遣いを無駄にして……命があれば何時か償いに行くから)
右前方五十メートルに機動ロボを盾代わりにした空間機兵が二人。
他の兵士達も確実に包囲網を狭めて来ており、もはや一刻の猶予もない。
最も厄介な機動兵器を真っ先に潰す……。
そう覚悟を決めた志保が正に路地から飛び出そうとしたその瞬間!
大光量のヘッドライトをアップさせた車両が、轟音を撒き散らしながら倉庫街の入り口に現れたかと思えば、メインストリートを爆走しながら一直線に突っ込んで来たのだ。
敵か味方か判断に躊躇する志保だったが、ヘッドガード内に鳴り響いた喚声に、思わず顔を顰めて怒鳴り返していた。
「志保! デカブツを始末するからッ! 小母さまをガードしてよッ!」
「興奮して吠えるな馬鹿っ! 鼓膜が破れたらどーすんのよッ!?」
思わぬ救援に破顔する志保の苦情も何処吹く風とばかりに、アイラはアクセルを目一杯踏み込んで車両を更に加速させた。
乱入者に対する防衛システムが作動し、パンツァー・カノーネのガトリング砲が火を噴くや、その銃弾が装甲の前面を激しく叩いて火花を散らす。
「急くんじゃないわよ! 直ぐに熱いキスをくれてやるからッ!」
数百メートルの距離を瞬く間に疾駆し、弾丸と化した鋼鉄の塊が抜群のハンドル捌きに導かれて特攻する。
志保が母親を庇って地に伏せたのと、アイラが運転席から車外へ飛び出したのは同時であり、間を置かずに激突した二つの物体が、縺れ合うように地に崩れるや、轟音と共に爆発して周囲は大火球に包まれた。
その煽りを真面に受けた敵は、激しい爆発の衝撃に成す術もなく吹き飛ばされ、指揮官同様に真っ暗な海へとその身を躍らせたのである。
「無事なのっ? 小母さまに怪我はない?」
空中から降下して来たアイラは息急き切って訊ねたが、頼りない足取りながら、志保に支えられて立ち上がった美緒を確認して胸を撫で下ろす。
「助かったわアイラ。でも、まだ他にも奴らの仲間が……」
「心配いらないわ。そっちは父さんが片付けている筈だから」
得意げに破顔するアイラの言葉に志保は顔を顰めてしまう。
「赤髭も来てるの? アイツ格闘戦は素人同然じゃない。フォローしないと」
何時も軽く手玉に取っているラルフの技量を知る志保は、万が一にも彼が怪我をしては申し訳ないと思い、援護に向かおうとしたのだが……。
「そんなの必要ないわ。私達がクレアさんから受けた命令は志保のガード……然も貴女や小母さまに害を及ぼす者がいれば、全力で排除して良いとお墨付きを貰っているもの」
「ク、クレアったら……あいつ、結婚してから性格が乱暴になってない?」
別れ際に見せた親友の不安げな顔を思い出した志保は、感謝と呆れが入り混じった複雑な心境を吐露するが、アイラはニコリともせずに冷然と答えを返す。
「護りたい者を護る為には覚悟が必要だって分かっているのよ。白銀達也の奥様だもの……枷が無い以上、父さんも全力で戦えるわ……だから敵には同情するしかないわね」
自分より七歳も年下の少女が纏う殺気に瞠目した志保は、息を呑んで言葉を失くしてしまう。
アイラにとって実戦とは命のやり取りに他ならず、その事実に改めて思い至った志保は、己の未熟さを痛感せざるを得なかった。
軍人としての自分は覚悟という一点に於いて、この少女にさえ及ばないのだと。
そんな感傷を懐きながらも熱源探知システムでサーチすると、周囲に展開していた光点が次々に消滅して行く様子が確認できた。
どうやらラルフの実力を見縊っていたようだと悟った志保は、照れ隠しに内心で盛大に悪態をついてしまう。
(ちぇっ! 日頃は三味線を弾いていたってわけか。セクハラ赤髭サンタの分際で生意気な……)
しかし、ラルフに任せておけば残った敵も撤退せざるを得ないだろう、そう考えて安堵した志保の心に一瞬の隙が生まれる。
その頃になって漸く恐怖と緊張状態から解放された美緒は、娘達の会話に相好を崩す程度の余裕を取り戻していた。
愛娘である志保がどのようなトラブルに見舞われたのか分からないが、アイラを含め皆が無事であるのに安堵する。
しかし、小さく吐息を吐いて何気なく視線を巡らせた刹那……。
岸壁に蹲る人間の姿を見咎め、それが落水した襲撃者達のリーダーだというのは美緒にも察せられた。
然も、在ろう事かその男は不気味な形状のハンドガンを構え、その銃口を無防備に立ち尽くす志保の背中へ向けているではないか。
「し、志保ぉ──ッ!!」
反射的に娘の名前を疾呼するや、銃口の前に身を躍らせる美緒。
志保が装備しているバトルスーツの性能云々は、彼女にとっては与り知らぬ事であり、何よりも娘を想う母親の情が美緒を衝き動かしたのだ。
突撃小銃が火を噴いて乾いた連続音が静寂の闇間を斬り裂き、それと同時に呻き声を上げた美緒の身体が後方に弾け飛ぶ。
銃声に驚いて振り向いた志保は倒れ込んで来た母親の肢体を受け止め、その重みに顔色を変えて悲鳴を上げた。
「かっ、母さんッ!? 母さんッッッ!!」
咄嗟に抱き止めて支えたものの、苦悶に表情を歪める母親の無残な姿に狼狽する志保は、自身の右手に付着した赤い鮮血を見て絶句するしかない。
一方、この凶事を引き起こした犯人を視認した瞬間、脳天まで突き抜けた怒りで我を忘れたアイラは、咆哮を上げながら早瀬諒次目掛けて突進した。
「アアアァァァァ──ッ!!!」
声にならない憤怒の情を撒き散らし、レッグガードの限界性能を叩き出して肉薄するや、やり場のない感情の全てを拳に託して憎い敵に叩きつけたのだ。
「ひいっ……あえっ?」
恐怖に引き攣った表情で間抜けな声を漏らすしかなかった彼は、寧ろ幸運だったのかもしれない。
アイラが怒りに任せて全力で放ったインパクト・カノンは、脆弱な統合軍仕様のバトルスーツごと、彼の腰から上の肉体全てをミンチに変え、背後の波間にばら撒いてしまったのだから。
痛みを感じる間もなく、自分の死すら知覚できないままに逝けた事実を、幸運と言えるかどうかは賛否が分かれる所であろうが……。
興奮し荒い呼吸を漏らすアイラを正気に引き戻したのは、志保の母親を呼ぶ悲痛な叫び声だった。
「母さんっ! 母さんッ! お願いだから目を開けて! しっかりしてッ!」
我に返ったアイラも真っ青な顔で駆け戻り、懸命に美緒の名を呼ぶ。
「美緒小母さまっ! しっかりしてっ! 美緒小母さまぁぁッ!!」
その二人の声が届いたのか、美緒は薄く両の瞼を持ち上げて口元を綻ばせた。
「あ、あぁ……よかった……無事だったんだね……志保……」
「ええっ! 大丈夫よ、母さんのお陰でピンピンしてるわ! いいっ? 気持ちをしっかり持って! 直ぐに病院に連れて行くから!」
志保は懸命に言い募るが美緒の意識は既に混濁しており、目の焦点が合っていないのは一目瞭然だった。
それでも僅かな可能性に縋って母親を抱き上げようとした時だ。
「……もういいからねぇ……私は、もう充分幸せだったから。後はアナタの思う儘に生きなさい……お父さんと一緒に……い……いつまでも……見守……」
微笑みを浮かべて、途切れ途切れにそう呟いた母親の身体から力が抜けた。
「か、母さん? 母さんってば……いや、いやよ、いや、いやあぁぁ──ッ!」
「お、小母さま? 小母さまぁ──ッ!!」
実の娘と娘の様に可愛がっていた少女……。
惜しみない愛情を注いだふたりの絶叫をもってしても、再び美緒の瞳を開かせる事はできなかったのである。
◎◎◎




