第十九話 哀哭 ②
「確かに嫌な風向きではあります。統合政府や省庁は相変わらず反白銀一色ですが、憶測塗れのニュースの所為か、庶民の感情に些か変化が見られますな」
顎に手を当てるイェーガーが所見を口にすると、神妙な面持ちで頷くラインハルトも、柔らかい口調で言葉を続ける。
「詮索されて困る訳ではありませんが……ユリアさんの身の安全を考えれば、帝国皇帝と面会した件は伏せておいた方が良いでしょう。況してや、我々の方から殊更に情報を発信する必要はないと思います」
愛娘の身を第一に気遣ってくれるふたりに、クレアは心から感謝した。
グランローデン帝国皇帝と白銀達也が秘かに通じているのではないか……。
そんな出所不明の怪情報が、複数のメディアを通じて実しやかに流布され続けている。
未確認情報だと断りを入れているものの、新進気鋭の白銀達也に後ろ暗い思惑があるのではないか?
そんな論調に誘導したいという意図は明白であり、そこに得体の知れない悪意の存在を疑わずにはいられなかった。
帝国皇帝と面会したのは事実だが、その経緯を言い訳がましく説明する必要はないし、憶測のみの風聞など無視して構わない……。
無責任で悪意ある一方的な報道に不信感を募らせるイェーガーとラインハルトは、そう結論付けたのだ。
ふたりから同意を得たクレアは、ユリアを晒し者にせずに済むと胸を撫で下ろしたが、その顔には疲労の色が濃く滲んでおり、彼女の体調を心配するイェーガーが遠慮がちに懸念を示す。
「随分とお疲れのようですが……無理をなさっているのではありませんかな?」
「船務参謀の仕事まで引き受けてもらっていますからね……仕事は適当に部下達に任せて構いませんよ。無理をして倒れられては元も子もない……」
老将に続いてラインハルトも表情を曇らせるが、その心遣いに感謝しながらも、持ちまえの責任感の強さ故に彼らに甘えるのを良しとはしないクレアは、戯けた仕種でガッツポーズを決めながら微笑む。
「この程度なら大した事はありませんわ。それに、子供達が達也さんを困らせていないかとか、クルーの方々に迷惑を掛けていないかとか考えだすと、心配で心配で気が気じゃありませんもの……何かに没頭している方が気楽なのです」
その母親らしい答えに目を瞬かせた二人が思わず顔を見合わせて苦笑いするのを潮時と思い、クレアは敬礼して辞去の許しを乞う。
「それでは! 私は新しく越して来られた方々との面談もありますので……これで失礼致します」
そして、引き留められる前に踵を返すや、そそくさと艦橋を後にしたのである。
そんな彼女の背中を見送るイェーガーが小さく溜め息を吐けば、ラインハルトも苦笑いするしかない。
「似た者夫婦とはよく言ったもんだ……自分を労わらないのは、褒められた行為ではないのだがね」
「あの達也の奥方ですからね……頑固者同士で相通じるものがあるのでしょう……それとなく気を付けるようにオリヴィアに言っておきますよ」
頭の中のメモ帳に愛妻への伝言を書き込んだラインハルトは、表情を改めて声を潜めるや、老練な参謀長に問い掛けた。
「今回の降って湧いたような報道。裏で暗躍しているのは地球統合政府や軍関係者ではなく、銀河連邦評議会か軍ではないでしょうか?」
イェーガーも厳しい表情で小さく頷き、その問いを肯定する。
「十中八九間違いあるまい。確証のない噂レベルの話であっても、使い方次第では人を殺せるのだからね……恐らく情報局も絡んでいる筈だよ」
「しかし、分かりませんね。いくらこの星が達也の母星だといっても、拠点として永住する訳ではないのですよ? 不都合な噂で評判を落とした位で、一体全体何が変わるというのか?」
「ふむ……確かに実害はないに等しいが、声望を貶めるのが目的ならば、噂レベルの与太話でも充分ではないかな? 事前に種をバラ撒いておけば、然るべき時に、最も効果的な場所で疑惑という名の水を撒きさえすれば、不信という種は芽吹くものだからね」
「然るべき場所……統合政府……いや、ま、まさかっ、銀河連邦評議会ですか?」
凡そ考えられる最悪のケースが脳裏に浮かび、ラインハルトは絶句してしまう。
その問いを頷く事で肯定したイェーガーは、ひどく重い声で促すのだった。
「至急探りを入れてみるが、炎が燃え盛ってからでは手遅れになりかねないぞ……最悪の事態を想定して、いつでも出航できるように準備を整えておいた方が良いだろうな」
◇◆◇◆◇
(ふう~~駄目ね。疲労が顔に出るようでは、まだまだだわ……)
体調を気遣ってくれるのはイェーガー達だけではない。
年長者である由紀恵やバーグマン伯爵夫人のマリエッタはもとより、サクヤにも心配を掛けてしまっている。
『大した事はありませんわ。今年の夏は目が廻るほど忙しかったので、夏バテ気味なだけですから、どうか心配なさらないで下さい』
そう言い訳をして誤魔化してはいるが、何時まで通用するかは怪しいものだ。
彼女達の猜疑に満ちた表情からは、仕事や家事ができない様ベッドに括りつけてでも休ませる……。
そんな剣呑な雰囲気さえ漂い始めているのだから、クレアにしてみれば彼女らの好意を有難いと思う反面、己の不甲斐なさに恥じ入るばかりだった。
(強制的に休養させられる前にシャンとしなきゃ……でも、この感じは……)
家族同然の人々に心配を掛けているのは申し訳ないと思いつつも、クレアは最近感じている身体の不調が以前に経験したものと同じであると思い至り、少なからぬ戸惑いと共に淡い期待と喜びを胸の中に懐いてもいた。
(早めにお医者様に診て貰った方が良いかしら……)
右手を腹部に当て口元を綻ばせていると、通路で鉢合わせした女性士官から声をかけられたクレアは、瞬時に生真面目な表情を取り繕う。
「あっ! 丁度良かったですわクレア閣下。今しがた入管ゲートに──っ?」
船務全般を担当しているその女性士官は、瞬間移動したのかと見紛わんばかりのクレアに両肩を鷲掴みされ、伝えるべき用件を途中で放棄せざるを得なかった。
唖然としながらも敬愛する上官の顔を見れば、美しい顔を真っ赤に染めた彼女は何処か切羽詰まった笑みを浮かべており、戸惑いは増すばかりだったのだが、周囲を慮る様な低い声で語り掛けられて更に面食らってしまう。
「先日の就任時の挨拶の折に、ちゃんと御願いした筈ですよね? 『中将』とか『閣下』は厳禁だと……」
辛うじて聞き取れたクレアの言葉を理解した女性士官は、乾いた笑い声を零すしかなかった。
「あっ……そ、そう言えば……あは、あははは……」
掴まれている両肩をキリキリと圧迫されている彼女は、同姓ですら見惚れる美しいクレアの何処にこんな馬鹿力が……。
そう戦いたものの、それを口にしたら拙いと本能で察し無言を貫く。
だから、クレアは切羽詰まった表情で再度懇願するのだった。
「二度とは言いませんよ! 『船務長』でも『班長』でも『さん』でも『ちゃん』でもいいの! ううん。いっそ呼び捨てでも構いませんから、階級や敬称で呼ぶのは止めて下さいっ! 本当に恥ずかしいんですからね!」
その真剣な様子に女性士官は苦笑いするしかない。
(何故にそこまで恥ずかしがるのやら……少しぐらい偉そうにしても、不快に感じたり文句を言う人など誰もいやしないのに)
階級が低い者達にも気さくに接し、頻繁に絶品手作りスイーツを振る舞うクレアは、他の部署の女性士官達からも絶大な支持を得ている。
そんな彼女にも、こんな子供っぽくて可愛らしい一面があるのだと知って得をしたと内心で喜んだ女性士官だったが、用件を伝え損ねているのに思い至り、必死で懇願を繰り返すクレアを宥めに掛かった。
「わ、分かりました以後気をつけますから……それよりも先ほど入管ゲートから、統合軍の遠藤志保中尉殿が船務長に面会を求めて来艦されたと連絡がありました。取り敢えず第一応接室に御通しするようにと伝えております」
クレアはその伝言を聞いて表情を改めたが、親友のアポなしの来訪に思わず首を傾げてしまう。
(平日の夕方に訪ねて来るなんて……然も軍施設の方に? 何時もなら自宅に顔を出すのに……)
事前に何も聞いていなかったクレアの胸中に一抹の不安が過ぎる。
「そう。ありがとう。私も直ぐに行きますから、何か冷たい飲み物を用意する様に当直の方に御願いして下さい」
笑顔を取り繕い女性士官にそう頼んだクレアは、得体の知れない不安を胸の中に懐いたまま歩き出していた。
◇◆◇◆◇
「なっ、何て馬鹿な事を……」
前触れもなく訪ねて来た志保から、方面指令部に呼び出された顛末を聞かされたクレアは絶句する他はなく、そう呟くのが精一杯だった。
元銀河連邦宇宙軍軍人であるバラディース乗員の心情に配慮し、私服で来艦するのが常だった志保が、軍服姿で神妙な顔をしているのを見た段階で嫌な予感はしていたのだが……。
クレア自身も嫌という程に身に染みている地球統合軍の愚昧さに怒りを禁じ得ないが、それ以上に親友の浅慮が悔やまれてならない。
だが、ふたりは長い付き合いの腐れ縁でもあり、士官学校入学の日から今日まで喜びも苦しみも共に分かち合って来た仲だ。
それ故に志保にとってクレアの反応は充分に予想の範疇だったし、それを意外だとは思わなかった。
「まあ、そんな訳でさ……昔の男との確執が原因だから、私の自業自得……決してアンタ達には迷惑を掛けないわ。だから、これを……」
腕に装着していたコンバットスーツユニットを解除した志保は、眼前のテーブルの上に丁寧に置く。
今後予想される軍とのトラブルが、白銀家やヒルデガルドに及ばないようにするには、この試作品を早々に返還しておく方が良い。
そう判断して司令部を辞したその足でバラディースを訪れたのだ。
その銀光に輝く腕輪を見て我に返ったクレアは、彼女にしては珍しく声を荒げて親友を詰っていた。
「あれほど殿下が念を押したじゃないの! 万が一の時は引き渡しを拒むなと……それなのにっ! どうして!? どうして意地を張ったの!?」
その剣幕を肩を竦めてやり過ごした志保は、妙にサバサバした表情で淡々と言葉を返す。
「何でだろうねぇ。恥知らずで無神経な軍のやり方に辟易したから……嘗ての上官が犯した卑劣極まる行為が許せなかったから……そして、そんな男の本性も見抜けず、熱をあげていた私自身の馬鹿さ加減が許せなかったから……かな」
「そ、そんな……」
「反発した理由なんか挙げればきりがないわ。でもねクレア。私は欠片ほども後悔していない……御厚情を掛けて下さった殿下には申し訳ないけれど、あんな腐った連中に唯々諾々と従うなんて真っ平御免なのよ」
そう言う志保の顔には憂いの色はなく、清々しいまでの覚悟が垣間見えた。
だが、無謀な戦いに身を投じようとしている親友の身を案じるクレアには、到底容認できる事態ではない。
(何とか説得しなければ……志保ばかりが貧乏くじを引くなんて、そんな馬鹿な事があって堪るものですか!)
そう思い定めたクレアは、感情を静めて腐れ縁の親友を見据えるのだった。




