第十八話 真実 ①
「わあ──いッ! お父さぁ──ん!!」
救出した子供達を護りながら帰還した達也を真っ先に出迎えたのは、満面に笑みを浮かべたさくらだった。
随分と待ち侘びていたらしく、脱兎の如き勢いで駆けて来るや、体当たり同然に抱きついて来たものだから、達也としては苦笑いするしかない。
「おっとっと! さくらぁ……少々お転婆が過ぎないかい? 女の子なんだから、ユリアお姉ちゃんを見倣って、もう少しお淑やかにしないと……」
苦もなく愛娘を抱き止めた達也は説教するのだが、その口元は笑み崩れており、その物言いは穏やかだ。
どうやら、小言の効果は端から期待できそうにもなく、案の定、父親の抱擁を満喫するさくらは、自分の欲求を満たすのが最優先らしく、素知らぬ顔で喜びを露にするばかり。
「えへへ……おてんばでいいんだもんッ! さくらはお父さんに抱っこしてもらう方が、ずう~~っと嬉しいんだも~~ん!」
ニコニコ笑顔でお小言を完全スルーした愛娘は、父親の胸に顔をグリグリと押し付け、置いてきぼりにされた鬱憤を晴らすかのように甘えるのだった。
そんな彼らを唖然とした顔で見ていたシレーヌと子供達だったが、城門の方角から聞こえて来た自分達を呼ぶ声に気付いて一斉に視線を移す。
そこには、彼らの親兄弟らが歓喜を弾けさせて駆けて来る姿があり、シレーヌをはじめ子供達も破顔するや、嬉し涙を溢れさせて全力で駆け出すのだった。
その子供達の姿を優しい視線で見送る達也だったが、遅れてやって来たユリア、ティグル、そしてマーヤに囲まれてしまい、残念ながら、獣人親子達の感動の抱擁シーンは見損なってしまったのである。
◇◆◇◆◇
「もうぅっ! お父様は何時も何時も無茶ばかりなさって! もしも万が一の事があったら、お母様がどれほど悲しまれるか……聞いているんですか? お父様!」
魔法を解かれ、止められていた時間を取り戻した子供達やシルフィードのクルーは、都市の沖合に艦を停泊させて上陸していた。
ユスティーツの仲介もあり、アルカディーナの長老達から事の経緯を聞かされた彼らは大いに憤慨し、当事者である達也へ剣呑な視線を向けているのだ。
弱者を救うためとはいえ、自分の身の安全は一切合切顧みず、無自覚に危険に首を突っ込む能天気な父親の蛮行に腹が立つやら呆れるやら……。
それ故に誰よりも達也の身を案じるユリアは、この場に居ないクレアに成り代わって……という大義名分の下、無自覚な父親を説教しているという訳だった。
(……俺、人助けをしたんだがなぁ……)
理不尽な境遇に疑問を感じながらも、一々御尤もです、と殊勝に頷いて見せ、ユリアの怒りを和らげようと腐心する達也。
流石に哀れだと同情してくれたのか、エレオノーラが苦笑いしながらも助け舟を出し、また、彼女をフォローする様にヒルデガルドも言葉を重ねてくれた。
「もうそれ位で許してあげなさいな。心配で仕方がないのは分かるけれど、貴方達のお父さんは、虐げられている者を見捨てられない困った性質なんだから」
「達也が好んで貧乏くじを引くのは今に始まった事じゃないが……理不尽な災禍に遭っている者達がいれば放ってはおけない。それが子供であれば尚更なんだよん。それは、ユリアっち……君が一番良く知っているのではないかい?」
年長者二人からの仲裁とあっては、ユリアも矛を収めるしかない。
ヒルデガルドから指摘された通り、達也の無私の献身を誰よりも尊いと思っているのは他ならぬユリア自身なのだから、ここが良い潮時だと判断して彼女達の忠告に従った。
「お、御二人がそう仰るのなら仕方がありませんね。今回はこれ位で許してあげます。でも、今後あまりにも危ない真似が過ぎるのであれば、次はお母さまに報告しますからね!」
眉根を寄せてきつく釘を刺すユリアは照れ隠しにそっぽを向くや、隣でハラハラしながら成り行きを見守っていたマーヤを抱き締め、心の安寧を求めて末妹の頭を撫で撫でする。
「あわわわ……ユリアお姉ちゃぁん……くすぐったいよぉ……」
「はあぁ~~マーヤは抱き心地が良くて、とても癒されます」
すっかり抱き枕と化した妹と戯れながら幸せそうに微笑む姉。
生真面目なユリアの意外な一面と、短期間で姉兄に馴染んでいる末娘の幸せそうな表情を見た達也は、思わず口元を綻ばせてしまう。
すると、苦笑いを浮かべたエレオノーラが、弛緩した雰囲気を振り払うかの様に口調を改めて問い掛けて来た。
「娘デレする気持ちは分かるけれど喫緊の案件が先よ。それで? 彼らとの交渉は上手くいきそうなの?」
「残念ながら難しいだろうな……見ての通り彼らは亜人の末裔だ。初代神将ランツェ・シュヴェールトが獣人だったという事実を踏まえれば、千五百年前に何があったのか推察するのは容易い……銀河連邦樹立に貢献した英雄に人間達がしたであろう仕打ちを思えば、アルカディーナの人々が我々を警戒する気持ちは理解できる」
達也の言葉の端々には悔恨の情と諦念が色濃く滲んでいて、それを察したヒルデガルドとエレオノーラは、渋々ながらも、その言を受け入れるしかなかった。
「そうか……それは残念だったねぇ。光明が見えたと思ったんだが……」
「仕方がないわ。無理やりに共存を強いても、反発を招くのは必至ですものね……後から押し掛けた我々に、先住する彼らの暮らしを壊す権利はないのだから」
結局、調査行は無駄足に終わったと、彼らが結論付けようとした時だった。
オウキを筆頭にして、アルカディーナの長老達が揃って近づいて来るのに気付いた達也は、子供達を背に庇って彼らと向かい合う。
この場に上陸しているのは、ヒルデガルドとエレオノーラ以外は白銀家の子供達だけで、シルフィードの指揮代行は教育を兼ねて詩織に託し、万が一荒事が発生したならば適切に対処せよと厳命してある。
そのために他の乗組員は第一級戦闘態勢を維持しており、蓮も艦載機に搭乗して待機しているのだ。
いざとなればさっさと逃げ出せばいいと身構える達也らだったが、ほんの三mほど離れた場所に立ち止まったオウキら長老達が、一斉に両膝を附いて頭を地に付したのを見て度肝を抜かれてしまう。
彼らが揃って土下座する光景に面食らい唖然としていると、オウキが顔を上げて意外にも穏やかな声音で礼を述べた。
「白銀達也様。この度は子供達を救けて戴き、アルカディーナ全ての民になり代わって厚く御礼申し上げます。然も、我々では太刀打ちできなかった化け物も倒して戴いたとシレーヌより聞きました……これで、子供達を犠牲にしなくて済みます。本当に、本当に……」
オウキは感極まったのか、途中から再び顔を地に伏せ咽び泣く。
他の長老達も想いは彼と同じらしく、顔を伏せたまま肩や背中を小刻みに震わせて泣いているようだ。
その光景が余りにも切なくて、達也は『やはり来るのが遅すぎたか』と忸怩たる想いを懐かずにはいられなかった。
彼らとて好き好んで罪もない子供を生贄に差し出していた訳ではないだろうし、断腸の想いで泣く泣く送り出したのは容易に想像できる。
だから、これ以上の断罪は必要ないと強く思ったのだ。
「もう充分です。これ以上御自分達を責めて苦しむ必要はない。死んでいった者達もそんな事は望まないでしょう。同胞を護る為に犠牲になった尊い彼らの魂が安らかである様に……皆で祈ってあげて下さい」
その言葉に打たれて落涙するオウキは、達也の手を握り締めて何度も頷く。
暫しの時が経過し、一同が立ち上がるのを見計らっていたかの様に眼前の空間が金色に輝くや、光の粒子を纏ったユスティーツが顕現した。
「ポピー。御苦労様でした……それから白銀達也様。同胞達の窮地を御救い戴いたばかりか、災厄の存在をも討ち果たして貰い、心から感謝いたします」
「礼には及びません。私は人として当然の事をしたまでですから……ただ、感謝して戴けるのであれば、次に訪ねて来た時には人間との交流を考えて欲しい。種族など関係なく、誰もが手を取り合って生きて行ける世界を、私達は創りたいと思っているのです」
大精霊の謝意に決意を以て応えた達也だったが、彼の言葉に狼狽したのは他ならぬオウキらアルカディーナ達だった。
「お、お待ちくださいっ! 貴方様がこの星に来られたのは、御自身の望みを叶える為に、拠点となる場所が必要だったからではないのですか?」
「確かにその通りですが、何かあれば儲けもの……その程度の淡い期待でしたからね。まさか、星が丸ごと偽装されているとは思ってもみませんでしたが」
苦笑いしながら頭を掻く達也は、サバサバした表情で微笑んだ。
「この星系を下賜された云々は、我々銀河連邦側の都合に過ぎません。此処は今もランツェ・シュヴェールト殿の領地であり、あなた方アルカディーナの民が暮らす場所なのです……後から来た余所者がでかい顔をして権利を主張するような真似はできませんよ」
打算も何もない彼の言葉を聞いたオウキらは、目の前の人間が、誰よりも清廉な心の持ち主なのだと改めて理解する。
アルカディーナの民は、人間に対する憎しみや嫌悪感を千五百年もの昔から連綿と受け継いで来たが故に、人間との接触を忌避して外界との関係を絶ち、隠れ里の様なこの星でひっそりと生きて来た。
しかし、彼らが初めて目の当たりにした白銀達也という人間は、伝承に謳われた悪鬼羅刹の如き存在ではなかった。
滅び去るよりはマシだと苦渋の決断をし、断腸の想いで子供達を生贄に差し出し続けた地獄のような日々。
誰もが絶望と諦めの中で見て見ぬ振りをする中、異邦人である彼だけが、子供達を護る為に戦ってくれたのだ。
アルカディーナの屈強な戦士達が束になっても敵わなかった化け物相手に単身で挑み、遂には討伐を成し遂げて子供達を救い出したのだから、それはアルカディーナの民の未来をも護った行為に他ならなかった。
だが、この偉業を成した対価として彼は自身の要望を強要できたにも拘わらず、そんなものは何一つ望まずに自ら身を引くと言う。
その至誠に触れたオウキは、胸に拡がる熱い想いに衝き動かされ、両手で達也の手を包み込むや、深々と頭を垂れて懇願するのだった。
「それは違います。貴方様は危険も顧みず御自身の命を懸けて我々の苦境を救って下さいました。この御恩に報いずに貴方様を拒絶したとあっては、誇り高きアルカディーナの名に泥を塗ってしまいましょう。始祖ランツェ・シュヴェールト様からも御叱りを受けるのは必定……」
一旦言葉を切った彼が達也から離れて一歩下がるや、他の長老達がオウキの背後に並んで彼に倣う。
「どうか我々アルカディーナの民に! 貴方様の大望を叶える為の御手伝いをさせて下さいませ! 今後は白銀達也様を盟主と仰ぎたいと思います」
この唐突な申し出に達也は面食らってしまった。
ヒルデガルドとエレオノーラまでもが言葉を失い、唖然した顔で立ち尽くしている姿を見れば、オウキの言葉を聞き違えた訳ではないのだと辛うじて理解できたのだが……。
「し、しかし……その決断が、この星に無益な戦火を齎し、アルカディーナの民を苦しめるかもしれないのですよ? 不調をきたしている先史文明のシステムについては、我々で可能な限り対処します。そうすれば、今まで通り平穏に暮らせるではありませんか?」
血相を変えて言い募る達也。
その真摯な厚情がオウキらアルカディーナの胸を打つ。
自分達が正しい道を選択したのだと確信した彼らは、白銀達也という人間をこの星に導いてくれた、英雄ランツェと竜母セレーネの御霊に心からの謝意を奉げた。
「誇りや矜持を投げ捨てては生きていけません。それに貴方様が目指される世界は、嘗てランツェ・シュヴェールト様が夢見て渇望されたものと同じです。誰もが手を取り合って生きて行ける世界……それを実現するのは英雄の血を引くアルカディーナの民の責務であり、同時に宿願でもあります」
「し、しかし……」
「これ以上は何も仰らずに我々の決意を御受け下さい。貴方様の御息女が英雄の血を引く尊き御子であるのは、大精霊様より聞いております……アルカディーナの民千五百年の願いが叶う時が来たのです。どうか我らの想いを叶える機会を御与え下さいますよう……伏してお願い致します」
思いの丈を尽くしたオウキが再度跪くや、他の長老達も彼に倣う。
余りにも都合が良すぎる展開に困惑する達也に、ユスティーツは柔らかく温もりに満ちた言葉で決断を促した。
「さくらさんの存在はアルカディーナの民にとって願いでもあるのです。幼い我が子の幸せだけを願い、秘かにこの星から落ち延びさせたランツェとセレーネの想いの結実でもあります」
「私もこの子らの親ですから、御二人の気持ちは痛いほど分かりますが……」
尚も躊躇う達也が瞑目し呟くと、ユスティーツは小さく頷いて言葉を重ねる。
「さくらさんの存在だけで民が心変わりした訳ではありません。貴方の無私の行動が、アルカディーナの民の心を掴んだのです。ですから遠慮なく彼らの想いを受け取って下さい。貴方の目指すものは、嘗てランツェが望んで得られなかったもの。それを掴む為ならば我々は喜んで協力します」
大精霊はそう約束して深く一礼したのだった。
このアルカディーナとの奇跡の邂逅が、彼らの運命を大きく変えていくのだが、人の出逢いというものは、不思議な縁によって導かれているのだと、達也は改めて考えさせられたのである。




