第十七話 未来を護りし者 ③
「化け物と聞いてはいたが鬼が出るとはな……此処はつくづくファンタジーの世界なんだな」
溜息交じりに複雑な心境を吐露した達也だったが、眼前に対峙する巨躯の怪物から理解可能な言語を返され驚いてしまう。
『オニ? オニトハ、ワレノコトカ?』
ひどく無機質だったが、そこに高い知性の存在を感じた達也は、敵に対する警戒レベルを一段階引き上げた。
「話が通じるようで助かったよ……さて質問の答えだが、鬼というのは私の生まれ故郷の伝承に登場する超常者でね。総じて、悪さを働いては人間に災厄を齎す者達を指す名称なんだが……」
『フン、クダラナイ。ワレハ、ワレナリ。ソレヨリモキサマハ、ワレノジャマヲ、スルツモリナノカ?』
「邪魔と言われたら身も蓋もないが……この子達を貴様にくれてやる気はないな。その点は否定しないよ」
その返答の刹那、鬼が放つ波動に苛烈な憤怒が滲む。
「だが、アルカディーナと交わした約定を、関わり合いのない私が勝手にぶち壊したとあっては貴様も収まりがつかないだろう? だから提案だ……馬鹿げた約束は白紙に戻して話し合いをしないかい?」
『ハナシアイ? グフフ……キサマハ、ワレニ、ナニヲ、サシダストイウノダ?』
血のような真紅の瞳を爛々と輝かせ、耳元まで裂けた唇の端を吊り上げた鬼は、眼前の小さき存在を見下して言葉を吐く。
だが、達也は彼の問いを鼻先で嗤うや、平然と拒絶して嘯いた。
「馬鹿を言うな。貴様に与える物など何もありはしないさ。それでも敢えてと言うのならば……亡者の住処に続く黄泉路の片道切符をくれてやる。それを持って貴様のあるべき場所に帰るがいいっ!」
その傲慢なまでの物言いを受けた鬼の形相が怒りに歪んだ。
『ワレガ、ソンナフザケタハナシヲ、ショウチスルト? ソイツラハ、ヒトリノコラズ、ワレノエサダ! スベテヲクライツクスマデ、ニガシハシナイ』
「その醜い我欲が貴様の正体ならば、私も遠慮なく戦える……さっき教えてやった鬼の住処は地獄の底だ! 直ぐに俺が送り返してやるッ!」
互いの激情を口にした瞬間に死闘の火蓋は切られた。
一息で大きく踏み込んで来た鬼の巨躯が眼前に肉薄したのと同時に、空気を斬り裂く凶悪な戦斧が達也の頭上目掛けて降り落とされる。
身体を僅かに捻ってその凶刃を躱すや、足元の地面が爆発したかのように弾け、破砕した土塊が周囲に撒き散らされた。
しかし、対する達也も敵の一方的な攻撃を黙って許すほどお人好しではない。
舞い上がる粉塵を斬り上げるように、右手に顕現させた炎鳳を一閃させて反撃に転じた。
惜しくもその斬撃は相手を捉えるには至らなかったが、その鋭い剣先を躱す為に、鬼は大きく跳躍して後退を余儀なくされる。
再び距離を置いて対峙する二人……。
初手の攻防で相手の力量が尋常ではないと気づいた達也と鬼は、慎重に間合いを計りながら好機を窺う。
(……ハヤイ……ダガ、アノ、チイサナカラダデハ、チカラハ……ナイハズ……)
(あの巨大な戦斧を自在に操る膂力は侮れないが、それ以上に厄介なのは敏捷さだな。肉達磨のような図体であの動き……油断したら一瞬で叩き潰されるぞ)
幾分甘い見立ての鬼と、最大限の警戒を胸に刻む達也。
互いを見据えてタイミングを計った両者が地を蹴ったのと同時に、周囲は暴風が鬩ぎ合う修羅場へとその様相を変えていくのだった。
◇◆◇◆◇
動体視力には自信があるシレーヌだが、眼前で繰りひろげられる疾風荒れ狂うが如き戦いは、肉眼で捉えるのが困難なほどに苛烈だった。
思いがけず救けに来てくれた人間と恐ろしい化け物の死闘は、目まぐるしい攻防を繰り返しながら、何時終わるとも知れずに激しさを増していく。
人間が持つ炎を纏った不思議な剣と、化け物が振るう凶悪な戦斧が数え切れないほど何度も打ち重なり、派手な剣戟の音が喧しい位に周囲に響き渡る。
(この御方は本当に凄い……)
暴威を振るう化け物を相手取って一歩も引かない人間の戦いぶりに、シレーヌは瞠目せざるを得なかった。
身体能力に優れたアルカディーナの戦士達でさえ、あの化け物相手に数合さえも切り結べずに惨殺されてしまったというのに……。
然も、体格に劣るあの人間が流麗な動きで化け物の猛威に伍しているのだから、彼女が見惚れてしまうのも無理はなかった。
(でも、俊敏で戦闘勘が良いだけじゃない。あの化け物に力負けしていないからこそ互角に戦えているんだわ……こんな素晴らしい戦士が人間だなんて……)
感嘆して息を呑むシレーヌは、隣で戦況を見つめている精霊少女に視線をやる。
普段から陽気で人当たりの良いポピーは子供たちの間では人気者であり、彼女も物心がついた頃からずっと可愛がって貰ってきた。
ポピーが語る英雄達の物語は何時の時代でも子供達に夢を与えてきたし、それは今も変わらない。
ただ、彼女の話の中に登場する人間は悪役以外の何者でもなく、その存在が好ましい対象として語られる事はなかった。
それは、ポピーが人間を毛嫌いしていたからであり、彼女の口から『大嫌い』という言葉を聞いたのも一度や二度ではない。
だからこそ、心配げな表情で人間の戦士を見つめているポピーの姿に、シレーヌは驚きを覚えずにはいられなかったのだ。
(ポピー様はあの方の名を白銀達也と仰った……そして今も心配げな視線で彼を見つめている……あの人の勝利を願っているの?)
彼の伝説の英雄ランツェ・シュヴェールトと竜母セレーネと共に在って、戦い続けた精霊こそがポピーだとシレーヌは知っている。
だからこそ、卑劣な裏切り行為を働いた挙句に、ランツェとセレーネを死に至らしめた人間をポピーは憎んでいた筈なのに……。
「どうしてあの御方を連れて来たのですか? あれほどまでに人間を憎んでいらした貴女様が……なぜ?」
ポピーは激しさを増す戦いを見据えた儘シレーヌの問いに答えを返す。
「勘違いしないでシレーヌ。私は今でも人間なんか大っ嫌いだわ。でも、アイツは何かが違うのよ。子供達を救出する代償を幾らでも要求できた筈なのに、アイツは欠片ほどの見返りも求めなかった。嘗てのランツェがそうだったように……だから信じてみたい……そう思ったのかもしれないわね」
彼女の口から語られた真実を聞いたシレーヌは再び目頭を熱くした。
無力な同胞を責める資格が自分にないのは、充分過ぎるほど理解している。
親と引き離され、泣きながら森の奥へと連れて行かれた子供達の姿を、慚愧の念に苛まれながら何度見送っただろうか……。
子らと引き離され、地に崩れ落ちて悲嘆に暮れる親達の姿から目を逸らし続けた同胞の中には、確かに自分も居たのだ。
だからこそ、罪悪感と無力な自分に耐えられなくなったシレーヌは、自ら生贄に志願して罪を償おうと決意したのである。
それが虚しい自己満足でしかないと分かってはいても、そうする事で何かが変わるのではないか……。
そんな淡い期待を懐いたのも事実だ。
しかし、実際に何かが変わった訳ではないし、変える力など自分にはなかったと思い知らされただけだった。
だが、精霊少女が導いて来た人間が見込み通りの者であるのならば、希望もまた失われてはいないのかもしれない。
そう気付いたシレーヌは、目に映る希望の存在に精一杯の想いを託すのだった。
その彼女の願いに触発されたかの如く、戦況が終幕に向けて大きく動き、同時に人間の戦士に向けた精霊少女の絶叫が響き渡る。
「いけえ──ッ! 達也ぁぁぁ──ッ!!」
◇◆◇◆◇
両者一進一退を繰り返す激戦は何時果てるとも知れずに続く。
森の中にぽっかりと開けた空間で目まぐるしく攻守を入れ替えながら、達也と鬼は激しい剣戟を繰り広げていた。
その巨躯からは想像もつかない俊敏な動きで、重い戦斧を縦横に振るう鬼と、体格とパワーで劣りながらも、鍛え抜かれたテクニックと身体に沁み込んだ経験を駆使する達也は全くの互角だ。
(この図体でこの動き……獣人達が束になって挑んでも敵わなかったわけだ)
達也は内心で舌打ちしながら炎鳳を横薙ぎに一閃させたが、鬼はバックステップでその切っ先を躱した刹那、再度大きく踏み込んで叩きつけるように戦斧を振り下ろした。
それを炎鳳で受け止め、巧みに刀身を逸らして相手の得物を滑らせ、態勢が崩れた鬼に上段からの斬撃を返す。
しかし、驚くべき膂力で、地にめり込んだ己が得物を引き抜いた鬼は、雄叫びと共に炎鳳目掛けて戦斧を振り払った。
再び耳障りな衝突音が空気を斬り裂き、それは刃が交錯する度に激しさを増していく。
試作段階とはいえ、ヒルデガルド謹製のパワードスーツの性能と炎鳳の力で互角以上の戦いを維持しているが、時間の経過と共に蓄積する疲労を考えれば、体格に勝る鬼の方に分があるのは自明の理だ。
然も、パワードスーツの物理シールドを以てしても、あの戦斧の破壊力を完全に相殺するのは不可能だと内蔵AIからも警告されている。
達也に残された手札は、そう多くはなかった。
(この儘ではジリ貧だ……ならば体力が残っているうちに勝負に出るしかないな)
天性の戦術勘が『ここが勝負所』だと囁く。
達也は欠片ほどの逡巡も見せずに決断するや、残された手札で最後の勝負に出たのだ。
※※※
異形の殺戮者は全力で攻撃を繰り出すのだが、相手の変則的な動きに翻弄されて捉えきれず、苛立ちばかりを募らせてしまう。
如何なる敵をも容易く瞬殺して来た彼にとって、ここまで手古摺らされた相手は初めてだった。
しかし、強者のプライドを傷つけられて嚇怒したが故に、自分が力任せに戦斧を振り廻すだけの単調な攻撃を繰り返しているのに気づけない。
それが彼の命脈を絶つとも知らずに……。
斜め上方から渾身の力で振り下ろした刃を躱した敵が、滑るように背後に廻った瞬間を鬼は待ち構えていた。
激しい攻防の中で、何度も同じ動きで攻撃を回避する敵のパターンを見抜いた鬼は、敢えて同じ攻めで誘いをかけたのだ。
そして、まんまと思惑に嵌った敵の回避パターンを見切り、巌のような左の拳をバックブロー気味に叩きつけた。
思惑通りに必殺の拳が正確に敵の側頭部を捉えた瞬間、鬼は歓喜に口元を歪めて獰猛な牙を覗かせたが、同時に何か不確かな気配を感じて嫌な気分に胸を突き上げられる。
しかし、さして気にせずに勢いに任せてそのまま腕を振り抜くと、鈍い音と確かな手応えを残して敵の小柄な身体が派手に吹き飛び、広場と森の境目にある巨木に背中から激突し、そのまま地面に崩れ落ちた。
敵の手にあった武器も反動で飛ばされ、離れた場所にある別の木に突き刺さってしまう。
(オレノ、カチダ!)
嗜虐的な笑みを口元に浮かべた鬼は地を蹴るや、一気に間合いを詰めて蹲る敵目掛けて止めの一撃を大上段から見舞った。
寸瞬の後に得る筈の甘美な勝利を夢想して……。
だが彼が得た束の間の陶酔感は、激しい衝撃によって打ち破られてしまう。
絶体絶命だった筈の敵が半身の体勢のまま繰り出した拳が、在ろう事か、必殺の戦斧を強烈な衝撃を以て粉砕したのだ。
その伝播した力の奔流に耐え切れなかった鬼は、万歳の体勢を強いられたまま、無防備にガラ空きの腹部を晒してしまった。
その刹那ッ!
「いけえ──ッ! 達也ぁぁぁ──ッ!!」
「来いッ! 炎鳳ッッ!」
絶叫が二つ重なったかと思えば眼前の敵が起き上がり、地を蹴って疾駆する姿を両の眼が捉える。
その動きはひどくゆっくりしているのだが、自分の身体までもが、反撃を急かす意志に反して鈍く緩慢な動きしかできない。
緩やかに流れる時間の中で彼に可能だったのは、巨躯を後退させるだけであり、それは絶望の瞬間の訪れを僅かばかり先延ばししたに過ぎなかった。
敵の獲物が主の声に呼応して自ら飛翔してその手に戻る。
そして、前傾姿勢のまま疾走する敵の腰溜めに構えた剣が、自分の腹部を貫き、切っ先が背中を貫通する激痛に仰け反った瞬間。
「こんな場所に彷徨い出た貴様も被害者だったのかもな……だから、苦しまずに黄泉路に送ってやる!」
哀切を帯びた声が耳障りに思えてしまい、鬼は雄叫びを上げて抗おうとしたが、腹部を貫いた剣から放たれた炎で一瞬のうちに全身を包まれれば、その煉獄の檻から逃れる術は残されてはいなかった。
既に痛みも熱さも感じず、ただ意識だけが奪われ視界が暗くなっていく……。
最後に彼の意識が捉えたのは、悲しげに歪んだ敵の顔だけだった。
◇◆◇◆◇
「ふうっ……今回も何とか博打に勝ったな」
鬼の攻撃を態と受け、その相手の力を利用して派手に飛ばされて見せれば、敵は必ず勝ち誇って雑な攻撃を仕掛けて来る。
その無造作な攻撃をコンバットスーツの武装インパクトカノンで弾いた隙に全力で特攻。
目論見通りの勝利だったが、達也に勝者の喜びはなかった。
足元に積もった灰……。
鬼だった者の残滓が、木々の隙間から吹き込んで来た微風に攫われ、蒼穹高く舞い上がっていく。
あの鬼とて望んでこの世界に来た訳ではないだろう。
そう思えば運命の皮肉を感じずにはいられず、達也は瞑目して頭を下げた。
しかし、そんな感傷など御構いなしに雰囲気をぶち壊す輩が一匹。
「やったじゃないッ! 褒めてあげるわよ! アンタっ!」
満面に笑みを浮かべたポピーが飛来し頭の上に陣取るや、燥ぎながらも無遠慮にペシペシと額を叩いて来る。
思わず鷲掴みにして地面に叩きつけてやろうかと思う達也だったが、無事だった獣人の子供達も近づいて来た為に取り敢えず我慢しておく。
どの子の顔にも、恐怖の残滓と濃い疲労の色が浮かんでおり、然も、人間である自分を警戒している様子がありありと見て取れ、ポピーに説明を頼むのが上策かと思った時だった。
「……た、救けに来ていただいて、あ、ありが……とう。ほ、本当にありがとう。私、シレーヌといいます……」
年齢は判然としないが、十代半ば位の年長の少女が恐る恐るといった風情で感謝を口にし頭を下げた。
礼を言われるとは思っていなかった達也は、肩に移動した精霊少女に『どういう事だ?』とアイコンタクトで問う。
そこには『私がフォローしてやったんだからね! 感謝しなさいよっ!』と胸を張り、ドヤ顔全開のボディーアクションで応じるポピーの姿……。
達也は渋々ながらも一礼して謝意を示し、彼女の虚栄心を満足させてから、困惑気味に立ち尽くすシレーヌら獣人の子供達に歩み寄る。
僅かに後退る年少の子供たちとは違い、逃げる素振りすら見せないシレーヌは、寧ろ、積極的に前へ出て達也と向かい合った。
「よく頑張ったね。でも、ごめんよ……もう少し早くこの星に来ていれば、多くの子供達を犠牲にしないで済んだ……どうか許しておくれ」
そう謝罪しながら丁寧に頭を下げる人間の言葉が胸に沁み入る。
今日まで、どれだけ多くの仲間の命が喪われただろう。
異形の怪物に挑んだ戦士達と、種族の延命の為にその身を奉げた、若過ぎるほどに若い無垢な子供達。
彼らの無念と味わった恐怖、そして生への未練……その心情を思い遣った彼女は、気が付けば両の瞳から滂沱の涙を溢れさせていた。
だがそれは、目の前の人間に対する怨嗟の想いから流れ出たものではない。
生贄を差し出さねばならない無慈悲な悪夢が終わったのだという安堵感。
そして、死んでいった者達の魂が、漸く報われたのだと思い至ったが故の清涙に他ならなかった。
自分達の為に命を懸けて戦ってくれた者をどうして非難できるだろう……。
シレーヌは達也に貰った言葉に心を揺さぶられ、涙に濡れた顔をクシャクシャにして彼の胸に縋りつくや、声を上げて感泣するのだった。
◎◎◎




