第十七話 未来を護りし者 ①
交渉が始まって早くも二時間が経過しているが、実りある進展があったとは言い難い状況だった。
達也の要望は、たったひとつ……。
自分を含め仲間達とその家族約四千名を、このアルカディーナで受け入れて貰いたい。
ただそれだけなのだが、それが一番難しいのだと、長老達は一様に苦渋の表情を浮かべ、その理由を並べ立てた。
「散逸してはおりますが、我々も僅かに残された記録や伝承に接していますので、先祖達がどのような目に遭って来たのか……住人達はよく知っております」
「残念ながら、我々が人間に対して懐くイメージは、この世のどんな恐怖にも勝るものなのです。そして、それは決して間違ってはおらんでしょう?」
「空飛ぶ巨大船……あの力を使われれば、我らなど赤子の手を捻るが如くに蹂躙されてしまうじゃろうて……じゃが、それでも家族を護ると息巻く連中が、武器とも呼べぬ粗末な剣や槍を手にして城門の内側で待ち構えておる」
「この星から無条件で去らぬと言うのなら、貴方を人質にして仲間の方々を捕縛して皆殺しにしろと殺気立っていてのう……辛うじて抑えてはおりますが、いつ暴発してもおかしくはない状況なのです」
そう説明する彼らの顔には焦燥と疲労の色が濃く滲んでおり、ユスティーツの御告げに従う所か、真っ向から無視する同胞らの数の多さに長老連の思惑は初手から躓いたのだ。
あわよくば、来訪者の力を借りて、現在頭を悩ませている難題を解決できないかとの目論見は頓挫し、却って住人同士の不和を招いて分断をも生みかねない窮地に陥る始末。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
長老たちが妙案だと信じたプランは、圧倒的な科学文明の力を目の当たりにした住人達が懐いた畏怖の前に雲散霧消したのである。
とはいえ、そんな内幕を暴露して人間達に付け込む隙を与えれば、どんな悲惨な目に遭うか分かったものではない。
結局のところ、不確定な未来の難題は先送りにしてでも、現状のささやかな平穏を護るしかないと結論付けたのだ。
「貴方様の要望を我々が受け入れたと知れば、住人達は暴動を起こし、我々を含めて貴方をも排斥しようとするでしょう……その愚挙の果てに報復を受けたアルカディーナが滅亡するのも避けられないでしょうが……止める術はありますまい」
長老達の言い分を黙って聞いていたオウキが、代表して皆の総意を述べた。
その顔には徒労感という名の暗い影が差しており、それは他の長老達も概ね同じ様相を呈している。
余所者である自分の存在が彼らの日常に波風を生じさせ、住民同士の不和を招くのは達也にとっても本意ではない。
だが、単に住人達が人間を恐れているからというだけでは、頑ななまでに来訪者を拒む理由としては、些か弱いようにも思う。
然も、その態度からは何かに逡巡する様子が見受けられ、彼らが全ての手札を晒していないのは明白だと達也は確信した。
(やはり……得体の知れない『破滅』という二文字が鍵なのだろうな)
それが何を意味するのかは分からないが、これ以上腹の探り合いをしても時間の無駄だと判断した達也は、アルカディーナが抱える難題を解決する道を提案した。
「オウキ殿。あなた方は何に脅えているのですか? 私はユスティーツ様から、『この星は緩やかな破滅に向っている』と伺いました。具体的な内容は話して貰えませんでしたが、あなた達アルカディーナの方々にとっては、生存権を左右しかねない重大な危機ではないのですか?」
「そ、それは……」
核心を衝かれた長老が双眸を見開いて困惑するのを無視した達也は、真摯な瞳で居並ぶ長老連を見据えて懇願した。
「私にあなた達の手助けをさせて下さい! あなた方と我々の先人達の間に不幸な行き違いあったのは事実なのでしょう……だが、千五百年を経た今、その恩讐を水に流して助け合うのは可能ではありませんか?」
その申し出に長老達は明らかに動揺し、互いに視線を交わし合う。
それは代表者である彼らだけに限った事ではなく、弓を構えたまま城壁の上から此方を窺っている兵士達も同じだった。
隣り合う者同士で顔を見合わせ、囁くような声で何事か話し合っているのだが、彼らの様子を見る限り否定的な雰囲気は感じられず、寧ろ、好意的に受け止めてくれた様にさえ感じられる。
だから、ここが正念場と思い定めた達也は説得を重ね様としたのだが、思い掛けない援軍の出現に言葉を呑み込まざるを得なかった。
「アンタ達もいい加減にしなさいよぉッ! 黙って聞いていれば、あ─でもない、こ─でもないと、愚にもつかない言い訳を並べて何をどうしようっていうのよ? この人間は、自分が危険な目に遭うと分かった上で協力を申し出てくれているのよ? それなのに、当のアンタ達が尻込みするなんてっ!」
柳眉を吊り上げて憤りを露にするポピーが、猛然と長老連へ食って掛かる。
「自分達で問題を解決する力も知恵もないのは棚に上げてさ! 何でもかんでも、運命だ! 宿命だ! と言い訳して目を逸らすっ! アンタ達なんか、ランツェやセレーネが護ろうとしたアルカディーナじゃないッ! そんなに滅びたいのなら、さっさと滅んでしまうがいいわッ! 馬鹿ぁぁ──ッ!」
余程焦れていたのか辛辣な罵倒を浴びせたポピーは、最後には狼狽する長老達に向けて涙声で絶叫した。
老練な彼らも、ランツェ・シュヴェールトの名を出されては弱い。
精霊少女の激しい叱責に身を竦め、所在なげに視線を逸らす者が続出する。
「ありがとう……だが、私に助力したとユスティーツ様に知られたら、君が叱られはしないかい?」
気遣うように達也が訊ねると、顔を真っ赤に染め慌ててソッポを向いた精霊少女は、如何にも仕方がないと言わんばかりに悪態をつく。
「か、勘違いしないでよねッ! 別にアンタの肩を持った訳じゃないんだから! 煮え切らない此奴らにイラついただけで……だいたい、その程度でユスティーツ様に叱られる筈がないじゃない!」
その様子から完全に照れ隠しなのは明らかなのだが、やぶ蛇になりかねないので、達也は深く追求して墓穴を掘るような真似はしなかった。
だから、敢えて一言だけ呟くに止めたのだ。
「ツンデレ……?」
しかし、その言葉を聞き咎めたポピーは、見る見るうちに表情を険しくして達也に詰め寄るや、癇癪を爆発させて捲し立てた。
「何よっ! その意味不明の言葉はっ!? アンタ、私を馬鹿にしたでしょう? そうなのねっ? いい度胸じゃないのよぉっ! 喧嘩なら買ってあげるわよッ! 死にたくなければ『ツンデレ』の意味を説明しなさぁ──いッ!」
「こらこら! そんなに顔に引っ付かないでくれ。私は褒めたんだよ……さっきの言葉の意味は『純情な照れ屋さん』なんだぞ。可憐な君には似合いの言葉じゃないか……どうだい嬉しいだろう?」
「絶対に嘘だぁぁぁ──ッ! ニヤニヤと人を馬鹿にしたような顔で説明されて、誰が信じるっていうのよ! さあ! 真実を白状しなさいッ!!」
「本当だってば、疑われるなんて心外だなぁ~~『ツンデレ』って、地球では最高の褒め言葉なのになぁ……」
「むきぃ──ッ! まだ言うかあぁぁぁッ!」
張り詰めていた空気が二人の巫山戯たやり取りで弛緩したからか、長老達の硬い表情も幾分か穏やかなものへと変化した。
思惑通りの結果を得た達也はポピーに感謝するや、間髪入れずに居並ぶアルカディーナ達へ想いの丈を込めた言葉をぶつけたのだ。
「どうか私にチャンスを下さいっ! 同じ時間を生きる我々が人間だ亜人だと反目する理由はない! 共に助け合って生きて行く……我々はそれができる筈です! だから、あなた方が抱えている問題を解決し、私達人間種が共存に足る資格があるのだと証明させて下さいッ!」
言うべき事を全て言った達也は腰を折って深々と頭を下げた。
(これ以上説得を続ける材料はない……彼らが受け入れてくれないのであれば、我々の方が引き下がるしかあるまい)
そう覚悟したのと同時に野太い蛮声が浴びせられ、耳朶を揺さ振られる。
「おう、おうっ、おうッッ! 薄汚い人間如きが綺麗事を並べて、年寄り共を誑かそうたって、そうはいかねえぞッ!」
声のした方に振り向けば、深い木々が密集する森林地帯から出て来たと思われる、二十名ほどのアルカディーナ達が屯しているのが目に入った。
彼らは猜疑心に満ちた視線を達也に向けて敵意を露にしている。
見たところ比較的に年齢が若い者達の集団だったが、彼らの中心に陣取っているリーダーらしき男は、二メートルを超える身長と鍛えられた筋肉の持ち主であり、居丈高に声を掛けて来たのもこの男だと直ぐに分かった。
その男性獣人が達也に向って歩を進めると、他の仲間達も警戒の色を濃くしながら彼に付き従う。
目と鼻の先ほどの距離まで接近した彼は、初めて目にする人間という存在を値踏みするかの様な視線で上から下まで観察して嘯いた。
「これが人間か……どうにもヒョロヒョロした頼りない野郎だぜ! どうせ、そこのチンチクリン精霊が手引きしたんだろうが……英雄の血を引く誇り高いアルカディーナが、卑怯な人間共と仲良くするなんて在り得ねえ! 足元が明るいうちに、とっとと帰りやがれッ!」
自分よりも体格に劣る達也を侮ったのか、殊更に威圧的な態度で罵声を浴びせて来るリーダーに、濡れ衣を着せられたポピーが激怒して喰って掛かった。
「バルカっ! アンタ何様のつもりなのさ? 私を侮辱するのは全ての精霊を敵に廻すのと同じよっ!?」
「うるせえぇ──ッ! 裏切り者は引っ込んでいろぉッ!」
その余りの剣幕に腰砕けになったポピーは、顔を引き攣らせながら達也の背後へ逃げ込むや、恨めしげに彼を睨みつけるしかなかったが、バルカを見据えて一歩前に出た達也が、そんな精霊少女を擁護する。
「裏切り者呼ばわりは彼女に失礼だ。ポピーはこの星と君達の行く末を、誰よりも憂いているのだから……それから、誤解のないように言っておくが、全ての人間が悪者であるかの様に言うのは止めて貰いたいね」
「ア、アンタ……」
まさか庇って貰えるとは思ってもいなかったポピーは、臆しもせずにバルカの前に立つ達也を困惑と喜色が入り混じった瞳で見つめてしまった。
一方のバルカは貧弱で格下だと侮った相手に窘められ、激昂し吠えたてる。
「生意気を言うんじゃねえよッ! 誇りも矜持も持ち合わせない卑怯で姑息な人間風情が! 丁度良いぜ、英雄達の無念を俺様が晴らしてやらあぁッ!」
戦意を露にしたバルカに触発されたのか、仲間達も剣呑な表情で身構える。
取り乱す長老達を後目に、まさに両者共に一触即発といった空気が周囲に満ちていく……その時だった。
堅く閉ざされていた城門が、音を立てながら僅かに開いたかと思うと、その隙間から飛び出して来た獣人女性が、何度も躓きそうになりながらも騒動の渦中目指して駆けて来るや、両者の間に割って入ったのだ。
何事かと誰もが身構える中、その中年の獣人女性は悲しみと心労が濃く滲んだ顔を歪めてバルカの足元に取り縋るや、慟哭して彼を詰ったのである。
「どうしてシレーヌをっ! どうして私の娘を生贄にしたんだよぉッ? あの娘は今回の貢ぎ物には選ばれなかったじゃないかあぁ──ッ!?」
バルカのズボンを引き裂かんばかりに握り締めた女性は、号泣しながらも必死の形相で訴えるが、忌ま忌ましげに舌打ちしたバルカは乱暴に女性を突き放す。
「俺の知った事かよぉっ! 選ばれたガキの身代わりになると、アイツが自分から言いやがったんだ! 仕方がねえだろうがッ! 今更グズグズ言うんじゃねえ!」
「ち、ちくしょぉぉ──ッ! あたしの娘をッ! シレーヌを返せぇぇ──ッ!」
母親はその場に両膝から崩れ落ちて悲痛な叫び声を上げるのだが、周囲の者達は誰もが彼女から目を逸らし、沈痛な面持ちで俯くばかりだ。
だがそんな中にあって、生贄とか貢ぎ物とかいう物騒な言葉を耳にした達也は、泣き伏す母親や周囲のアルカディーナ達の様子から、この地で尋常ではない事態が起こっているのだと察してしまった。
然も、快活なポピーまでもが辛そうに顔を顰めたのを見て、その危惧が的外れではないと確信したのである。
「これはいったいどういう事なんだい? 君は事情を知っているんだろう?」
問われた精霊少女は一瞬だけ逡巡したが、達也の真剣な眼差しに負け、後悔を滲ませた暗い顔を俯かせて消え入りそうな声で答えた。
「局所的な次元崩壊が起こっているという話はしたわよね……もう三年前になるのだけれど、この大陸の最高峰ベルク山脈の頂に、開いた次元の狭間からバケモノが現れたのよ……」
「バケモノ? 異世界の住人という事か?」
「ええ。でも、住人なんて可愛いものじゃない! 正真正銘の怪物よ。奴の所為でこの大陸に点在していた多くの集落が壊滅し、たくさんのアルカディーナが犠牲になったわ!」
その時の凄惨な光景を思い出したのか、ポピーは苦悶の表情で唇を噛んだ。
「辛うじて生き残った者達は最後に残ったこの都市へ避難し、土塁を築いて防御に徹したけれど……森の恵みがなくてはアルカディーナは生きて行けないのを知ったアイツは、日々の糧を得ようと森に入る者達を狩って餌にするようになったのよ」
「対抗する手段は何もなかったのかい?」
顔つきを険しくする達也の問いに悄然として首を振る精霊少女。
「勿論討伐隊を編成して戦ったわ。でも、まるで歯が立たないのよ! 死者が増えるばかりでどうしようもなくて、私達精霊が仲介役になって両者が話し合ったの」
「話し合うって……そいつには知性と自我があるのかい?」
「うん……嫌になるくらい悪賢い奴だったわ。結局、森林地帯の大半を奴の縄張りとして明け渡した挙句、毎月十名程度のアルカディーナを貢物として差し出せば無差別的な襲撃はしない……奴はそう言ったの。その代わり生贄の対象は若い女や子供だけという要求まで……」
圧倒的な暴虐の前に屈せざるを得なかった無念が、ポピーの言葉の端々に滲んでおり、それを黙って聞くしかない長老達は、青褪めた顔で俯き無言で立ち尽くすしかない。
つい先程まで威勢の良かったバルカやその仲間達までもが、苛立たしげな表情で沈黙しており、誰も彼もが恐怖に縛られて理不尽な運命の前に膝を屈しているのは明らかだ。
そして、娘を生贄にされた母親の号哭だけが、救いを求めるかの如く周囲に伝播するが、それは、空しくも無慈悲な静寂に呑まれて消えていくのみだった。
だが、その母親の哀哭の叫びは、それを無視できない者に確かに届いたのだ。
「ポピー。生贄に選ばれた者達が連れて行かれた場所は何処だ?」
声を掛けられて顔を上げた精霊少女が見たのは、その身に謹厳な雰囲気を纏って表情を一変させた人間。
〝神将″白銀達也に他ならなかった。
 




