第十六話 アルカディーナ ③
惑星の大きさは地球の約三分の二程度しかなく、目立つ大陸は四つだけ。
独立した島々と小規模な諸島群は散見されるものの、このアルカディーナが圧倒的な海洋惑星なのは上空からも充分に窺い知れた。
「さて。交渉に臨む前に少し聞かせて欲しい事があるんだが……いいかな?」
先程から右肩の上に鎮座し、何故か不気味なほどに御機嫌な精霊少女にお伺いを立てる達也。
「うん? 何よ? 私で良いのなら答えてあげるわよ」
まだまだ硬さが残る声音だが、ポピーは嫌味を言うでもなく了承してくれた。
随分とフレンドリーになった彼女の変化に、達也は小首を傾げざるを得ない。
先程までのやり取りで、何が彼女の態度を軟化させたのか、とんと思い当たる節がないのだ。
尤も、ポピーが懐く想いを知らない達也にそれを察しろというのは、土台無理な話でしかないのだが……。
しかし、当面の懸案事項は、この星の住人と友誼を結ぶ事なのだから、自分達を受け入れて貰える様に説得する為の情報は多いほど都合が良いのは確かだ。
それ故にポピーが態度を軟化させたのを奇貨とし、ユスティーツから与えられた試練を果たすべく、達也は意識を切り替えた。
「この星の住人は二十万人位だと君は言ったが、閉鎖された環境下で他者との交流がなかったとはいえ、あまりに人口が少な過ぎるのではないかな?」
先程は同じ内容の問い掛けを拒絶したポピーだったが、今回は拍子抜けするほどあっさりと答えてくれた。
「ユスティーツ様がチラリと仰っていたでしょう? 『この星は緩やかな破滅へ向かっている』ってさ。ここ五十年位でこの星の環境は徐々に変化しているのよ。気象変動による災害が頻発し、突発的に次元の裂け目が顕現しては多大な被害を齎している……そして何よりも先史文明の遺産が長い年月の間に変調をきたし、この星に災禍を振りまいているのよ」
「先史文明の遺産って……十万年も太古のシステムが、未だに生きて稼働しているというのかい?」
俄かには信じ難いその話に疑問を返すと、ポピーは不機嫌そうに頬を膨らませてジト目で睨みつけて来る。
「私が嘘を吐いているとでも? いいのよ。信じられないって言うのなら、これ以上は何も教えてあげないけど?」
「そ、そんな事は思ってないさぁ! つまり、その変調をきたしている先史文明の遺産とやらを正常化させさえすれば、『緩やかな破滅』は回避できると考えて良いのかな?」
胡乱な目で睨まれ、慌てて誤魔化し笑いを浮かべる達也に、ポピーは肩を竦めて鼻を鳴らす。
「ふんっ……私達精霊はあんな機械文明とは相容れない存在ですからね。アンタの質問に返す答えは持ち合わせていないわ……ただ、教えてあげられるのはひとつだけ。あれはランツェとセレーネが、死ぬ間際に最後の力を使って封印したもの……という事だけよ」
そう説明されても、漠然とし過ぎていて詳細を把握できないが、問題を解決する鍵が先史文明アルカディーナの遺産にあるのは間違いないと確信できた。
だとしたら光明はある筈だ。
相手が機械であるのならば、如何なる問題にも対応可能な最強の手札を達也は握っているからだ。
(ヒルデガルド殿下ならば未知の技術であれ、嬉々として解析に取り組んでくれるだろうし……)
狂喜し高笑いと共に遺跡に突撃していくマッドサイエンティストの妖しい笑顔を脳裏に思い浮かべた達也は、背筋に冷たいものが走った気がして危険な妄想を打ち消した。
(しかし、この娘が頻繁に口にする、ランツェとセレーネという英雄達の身に何があったのかな……千五百年前の出来事が、名前しか残っていない彼らの不可思議な歴史の真実を詳らかにしてくれるのかもしれない)
そんな漠然とした事を考えながらも、先史文明の遺産の弊害については、今ここで詮索しても仕方がないと判断して質問の矛先を変える。
「なるほど。遺跡が残っているのならば、住人の許可を貰って調査してみようか。幸いあの船には銀河系一の科学者が同行しているからね。性格と食い意地は最悪だが、トンデモ発明家でもあるから……うん……意外に頼りになる人物なんだよ」
「それ、少しも褒めてる様に聞こえないんですけどぉ? まさか興味本位で適当に弄り倒した挙句に『壊しちゃいましたぁ~~てへっ!?』とか言わないわよね? 万が一にもそんな事になったら、代わりにアンタに責任を取って貰いますからね」
重苦しい圧力を感じて冷や汗が止まらない達也は、その可能性を完全には否定できず、引き攣った笑みを浮かべるしかない。
「あぁ! あの大陸よ! 南部の突き出た半島に住人達の都市があるわ」
唐突にポピーから指摘された方に視線をやると、中央部に勇壮な山脈地帯を擁した緑の大陸を視認できた。
かなりの高高度を飛行している為か容易く大陸の全貌が見て取れる。
(オーストラリア大陸より多少小さいかな……山脈地帯から流れ出る河川や森林地帯も多くて自然に恵まれている)
雄大で生命力に溢れる大自然を目の当りにした達也は、脳裏を過ぎった精霊女王の言葉との乖離に疑問を懐かずにはいられなかった。
(星の命運を左右する問題を抱えている様には、とても見えないんだが……)
漠然とした不安を感じながらも、達也はポピーの案内に従ってシャトルの機首を下げ、陸地へと降下を開始したのである。
◇◆◇◆◇
ポピーは半島と言ったが、指定された場所は幅十㎞、岬の先端部分までが二十㎞程度しかない海に面した狭い平地でしかなく、大陸全体から見れば、ほんの僅かな空間に住人達の都市がひっそりと存在しているに過ぎなかった。
一部の港らしき場所を除いて、海岸線と森林地帯に面した場所に高さ三メートルほどの土塁が築かれているのは、何らかの外敵から身を護る為の物なのか……。
然も、気になったのはそれだけではない。
上空から見た限り都市部に高層建築物は確認できず、建物も土壁造りの二階建てがせいぜいという代物ばかりなのだ。
言い方は悪いが、都市というよりも広大な集落と評した方が適切だと思った達也は小首を傾げてしまう。
「彼らは私達精霊の恩恵を享受しないと、日常生活すら儘ならないからね」
等と意味不明の台詞を得意顔で宣う精霊少女の言葉に、謎は深まるばかりだが、それ以上の詮索はせず、都市の城門から少し離れた場所にシャトルを着陸させて、アルカディーナの大地に降り立ったのである。
◇◆◇◆◇
固く閉ざされた城門前で達也を出迎えたのは、十名の老人たちだった。
ゆったりした裾の広いローブ風の衣服を身に纏い、如何にも代表者然とした風格を持つ人物ばかりである。
しかし、何よりも達也を驚かせたのは、彼ら全員が亜人と呼ばれる獣人で構成されているという事実だった。
フードを外した面立ちは普通の人間と大差なかったが、獣人の特徴である耳と、目立つ尾の存在が、普通の人種ではないのを雄弁に語っている。
その瞬間に頭の中で複数のピースが組み合わさって形を成し、ひとつの仮説へと辿り着いた達也は、震える声で澄まし顔のポピーに問い掛けた。
「初代神将だった英雄ランツェ・シュヴェールトは、亜人だったのかい?」
その質問を予期していたポピーは頷き、淡々とした口調で答えを返す。
「その通りよ。ランツェは獣人だった……そして、彼らの自由を獲得する為に命を賭して戦ったのよ……どう? 幾つかの謎が解けたんじゃないの?」
値踏みするかの様な物言いが気になったが、彼女の問い掛けには頷く他はなく、胸の中に広がる不快な感情に眉を顰めていた。
「あぁ、そうだね。銀河連邦設立に貢献し、多大な功績を残した彼に関する記録が失われている理由が漸く分かったよ。混乱の最中で失われた訳ではない。狭量な人間の醜い自尊心の犠牲となって葬り去られたんだ……何と愚かな事を……」
苦渋に顔を歪め、忌々しげに言葉を絞り出す達也の様子を見たポピーは、秘かに歓喜して小躍りしたい衝動に駆られてしまう。
彼の船に獣人女性達が乗船しているのは早い段階から気付いていたのだが、彼女達が他の人間達と同じ様に大切に扱われてるのが信じられず、ポピーはひどく混乱したのだ。
更に、マーヤという幼い獣人少女を養女として引き取ったとの、乗員同士の会話を盗み聞きした時には一体全体何の冗談かと思ったのだが……。
白銀達也と言う人間を知れば知るほど、彼にとって亜人は差別すべき対象ではないのだと気付いたポピーは、超越者から託された言葉の意味を悟ったのである。
(これが……ユスティーツ様が仰っていた真実なんだわ)
だからこそ、人間でありながら、獣人に対する不当な偏見を持っていない達也に好意を懐いたのだ。
しかし、それとは対照的に、出迎えに出た顔見知りの長老達に対しては、純粋な憤りを覚えずにはいられず、彼らの鼻先へ詰め寄ったポピーは文句を捲し立てたのである。
「ちょっとアナタ達! これはどういう事よ? ユスティーツ様から事前に御告げがあった筈よ! なのにどうして城門を閉ざしてこんな門外で彼を出迎えるのよ?然も、城壁の上に兵士を待機させて弓を構えさせるなんて失礼じゃないのッ!」
嚇怒したポピーの非難を耳にした達也が顔を上げ城壁に視線を投げると、そこには彼女が言う通り、数メートル間隔で二十人程の獣人男性達が、整然と並んで矢を番えた弓を構えている姿があった。
ポピーは彼らを兵士と言ったが、粗末な革製らしき胸当てを纏っただけの姿は、達也が日常的に接している兵士と比べると、余りに貧弱でみすぼらしいと言わざるを得ない。
とはいえ、その兵士達が顔を緊張に強張らせる様子は、その物々しい雰囲気と相俟って、弥が上にも周囲の緊張を高めてしまう。
その一方で精霊から罵倒された長老らは何かを言いたそうな素振りを見せるのだが、困惑が勝って中々言葉に出来ないでいる。
そんな彼らの煮え切らない態度に業を煮やしたポピーが、再び怒声を上げ様としたのだが、それを穏やかな声で諫めたのは他ならぬ達也だ。
「それ位で許してあげなよ。亜人と呼ばれる人々が味わった悲惨な歴史を鑑みれば、人間に嫌悪感や警戒心を懐くのは当然だよ」
古くから銀河史の汚点と揶揄されながらも、未だに異人種に対する偏見を根絶できない人間の一人として、達也は己の無力を恥じ入るしかなかった。
「まして、難題を持ち込もうとしているのは私の方だから、招かざる客が歓迎されないのは当然さ。私は気にしていないから君も怒りを収めて欲しい……それから、私に代わって怒ってくれてありがとう。嬉しかったよ」
当事者の達也からそう言われてしまえば引き下がるしかなく、長老達をひと睨みしたポピーは、再び彼の肩口に舞い降りた。
すると、彼らの中でも一際老齢の獣人が恐縮した面持ちで前に出るや、軽く一礼して謝意を示す。
「我々の苦衷を察して戴き、皆に成り代わって感謝いたします……お恥ずかしい話ですが、大精霊様よりの御告げがあってからというもの住人達の動揺は激しく……中には徹底抗戦を主張する過激な若い衆もおりまして……」
「それは私どもの気遣いが足らなかった様ですね。誠に申し訳ありませんでした。驚かせるつもりはなかったのですが……」
そう言って謝罪する達也に、長老はいやいやと首を左右に振る。
「そちらの所為ではありませんよ……御覧の通り、我々には貧弱な武器しかなく、あのような巨大な空飛ぶ船に抗う術はありませんからな……絶望して自暴自棄になる者が出るのも仕方がありません」
「改めて誤解のないように申し上げますが、我々は皆さまの生活を脅かすつもりなど毛頭ありません。ただ、銀河連邦最高評議会より【神将】の称号を賜った者として、皆様にお願いがあって参った次第です……自己紹介が遅くなりましたが、私は白銀達也と申します」
達也の口から飛び出した、【神将】という言葉を耳にした他の長老達や、土塁の上の兵士達の間にざわめきが拡がる。
千五百年の時を経た今も、英雄ランツェ・シュヴェールトの名には特別な意味があるのだと、達也は同じ軍人として深い感銘を懐かずにはいられなかった。
「これは御丁寧に……私はオウキと申します。アルカディーナ長老部の長を務めており、後ろに控えておる他の長老達と共に、都市の運営を住人達から一任されているのです」
達也とオウキが穏便に挨拶を交わすと、周囲を包んでいた緊張感は急速に和らぎ、獣人達は一様に安堵した表情を浮かべたが、それでも、人間を城壁の中に招き入れるのには抵抗があるらしく、会談は城門前で行われると決まった。
「そちらの事情は充分理解できます。今日は天気も良いし……何よりも、陽射しは柔らかくて微風が心地良い。何も問題はありませんよ」
オウキが申し訳なさそうに切り出した提案を達也が快諾した事で、長老達の心証は大きく改善された様に見えたが、気を抜くには早すぎると、達也は自身を強く戒めた。
交渉の結果如何では、今後の進む道が大きく変化するため、何が何でも長老連をはじめ、アルカディーナ達を説得しなければならないのだ。
その交渉の鍵を握るのは、ユスティーツが口にした『緩やかな破滅』ではないかと達也は考えている。
それは、この地に住まうアルカディーナ達が直面している問題でもある筈だから、それを解決して突破口にするのは充分に有効だと思えた。
陸な情報もない不利な戦いだが負ける訳にはいかない……。
静かな闘志と決意を胸に秘めた達也は、長老達との交渉に臨むのだった。
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