第十六話 アルカディーナ ②
意に添わぬ成り行きに憤慨する精霊ポピーは、不機嫌な表情を取り繕いもせずに達也の右肩の上で胡坐をかいている。
そんな彼女の剣呑な雰囲気に気まずさを感じながらも、達也は惑星アルカディーナに降下する為に小型シャトルの発進準備を急いでいた。
(まったくぅ~~ッ! 何で私がこんな奴の案内をしなきゃならないのよっ!? 大体ユスティーツ様も大概だわっ!『傍に居ればその真意に思い至る』とかって、全然意味が分からないからっ!)
彼女にとって人間とは嫌悪の対象であり、忌むべき存在でしかない。
嘗て、このアルカディーナ星を武力を以て蹂躙したばかりか、敬愛して已まないランツェ・シュヴェールトの想いを踏み躙った憎むべき者たち……彼らに対する怨嗟の情は、今日に至るまで些かも薄れてはいないのだ。
それなのに、ユスティーツの命とはいえ、その人間の手助けをしなければならないとは……。
儘ならない仕儀に内心で盛大に悪態をつくが、絶対的存在である精霊女王に逆らう度胸も覚悟もないポピーは、渋々ながらも命令に従うしかない。
それでも人間と慣れ合う気など更々ない彼女は、達也に対して頑ななまでに完全無視の姿勢を貫いているのだ。
「さて。説得に廻らなければならない場所は、何か所ぐらいあるのかな?」
何処か遠慮がちな達也の態度さえもが癇に障ったポピーは、不機嫌さを滲ませた声で吐き捨てた。
「一か所だけよ……」
「ひとつ? 大陸規模の陸地は複数あるし、諸島群も点在しているじゃないか? 国がひとつな筈はないだろう? それとも、連合制を敷いていて中央政府に話をすれば済むのかな?」
怪訝な顔でそう問い返す達也へ、苛立ちを含んだ尖り声を返すポピー。
「一か所だけよ! 今やこの星にアルカディーナは二十万人位しか存在しないわ。国なんて御大層なものはないのよっ! 理由が聞きたければ、ユスティーツ様にでも訊ねなさい……ふんっ!」
(たったの二十万? 長い時間外界から隔絶されていたとはいえ、幾ら何でも……人口の増加を阻む要因があるのか、それとも減少を助長する何かがあるのか?)
思ってもみなかった事実を告げられた達也は、あれこれと考えを巡らせるのだが、情報が皆無では正しい推測を立てるのは難しい。
それ以上に困ったのは、案内役を務めてくれているポピーの非協力的な態度だ。
彼女の協力無くしては碌な情報が得られず、肝心な時に判断を誤る恐れがある。
達也は不貞腐れている精霊様の御機嫌を取るべく、わざと気安い口調で話しかけ、関係改善の切っ掛けを得ようとを試みた。
「折角ユスティーツ様が取り持ってくれたんだ……そろそろ機嫌を直してくれないかな? そんなふくれっ面のままでは、君の可愛らしさが台無しだよ?」
「えっ!? か、可愛い──ッて!! そ、そんなミエミエのお世辞に釣られると思ったら大間違いなんだからねッ! 馬鹿にしないでッ! ふんッ!」
可愛いと言われて相好を崩しそうになったものの、土壇場で我に返ったポピーは白い歯を剥き出しにして怒りを露にする。
(危なかったわぁっ! こ、狡猾な手段を平然と……こ、こいつ、人畜無害な顔をして侮れないわ!)
ポンコツ精霊の面目躍如たるポピーを擁護する訳ではないが、彼女が釣られそうになったのは、精霊が純真で無垢な存在であるという以上に、達也自身にも原因があるといえた。
生き物が発する感情をある程度正確に察する能力が精霊にはある。
喜怒哀楽はもとより、邪な我欲や邪念などの下心を、相手がどんなに取り繕い隠したとしても、無意識の内に身体から滲み出る色彩で判別できた。
それ故に極悪な人間である達也ならば、当然の如く寒色系のオーラが纏い付いていると思っていたポピーは、意に反して彼の周囲に拡がる暖色系の柔らかい色彩を目の当りにして驚き、ひどく狼狽してしまったのだ。
(こいつ、人間のくせに全く邪気を感じさせないなんて信じられない!? でも、惚けた顔で私を誑かすつもりならお生憎様よ! 絶対に騙されたりはしないんだからねッ!)
自分の能力が絶対なのは疑う余地もないが、先入観で凝り固まった心では真実を受け入れられず、頑ななまでに達也を拒絶するポピーだったが……。
「馬鹿にしている訳じゃないよ……私の物言いが気に障ったのなら謝るからさ……実は君を見ていると娘のさくらとそっくりだと思ってね。つい……」
そう言って涼しげな微笑みを浮かべる達也の顔を見た彼女は、一瞬だが、ドキリと胸を弾ませてしまう。
それは直前まで懐いていた嫌悪感や猜疑心ではなく、ずっとずっと昔に懐いていた木漏れ日のような幸せな温もり。
(ランツェ……)
今は亡き朋友とは似ても似つかない人間が大切な想い出の主と重なって見えてしまい、ほんの数瞬の間ではあったが見惚れてしまうポピー。
直ぐに正気に返ったものの、込み上げて来た気恥ずかしさに動揺し、激しく頭を振り回して幻想を追い払った。
だが、そんな自分を不思議そうに見ている達也と視線が合うや、更に胸の動悸が激しくなってしまうのだから始末が悪い。
何とも言い表しようもない歯痒い感情を持て余したポピーは、不可思議な現象を誤魔化すかの様に鼻を鳴らして悪態をついた。
「ハンッ! アンタ、目が悪いんじゃないの!? あんなチンチクリンのガキと、私が似ているなんて本気で言ってるの? 全然ッ! 笑えないんだからねッ!」
(チンチクリン……って……ポピーの方が断然小さいと思うが……)
達也は得意げに胸を張るポンコツ精霊に心の中でツッコミを入れたが、何処となく彼女の態度が軟化した様にも見えたので素知らぬ顔で会話を続けた。
「チンチクリンはヒドイなぁ。まだ五歳だからね、これから大きくなれば、君のように素敵で可憐な女性になるさ」
「ふんっ……アンタ、他人から親馬鹿って言われるでしょう?」
「実はそうなんだよなぁ。父親ならばこれが普通だと思うんだけど……何で責められるのか納得がいかないのさ」
「自覚すらないんだ……ふふふ、救い様がないわね……はっ!???」
頻りに嘆く達也の仕種が可笑しくて、思わず和んでいる自分に気づいたポピーは、慌てて好意的な態度をかなぐり捨て噛みつくような勢いで非難の声を上げた。
「あ、あっぶないわぁッ! 危うく術中に嵌る所だったじゃないのぉ! アンタ、これまでにその手で大勢の人を騙しているんじゃないでしょうね!?」
「ちっ! 残念無念。でも、人を詐欺師みたいに言うのは止めてくれないかな? 地味に凹むから……あぁ、それからさっきの笑顔も素敵だったよ。ポピー」
その爽やかな達也の顔に、『このポンコツ精霊め』という侮蔑の二文字が書いてあるのを看破したポピーは、癇癪を爆発させて地団太を踏んだ。
「し、舌打ちした上に、取って付けたように褒められたって嬉しくも無いしぃ! 信じられる訳がないでしょぉ──がっ! くうぅぅぅ~~~!!」
「ごめん、怒らないでくれよ……私は君とも仲良くしたいんだ。色々と教えて貰わないと住人との交渉も儘ならないからね……反省しているから許しておくれ」
達也は笑いながら謝るが、人間如きに嘲笑われた儘では精霊の沽券に関わる。
ポピーは傲慢な人間に天誅を加えるべく、封印していた禁じ手を解禁した。
「ふ、ふん! 交渉もなにも……アンタに課せられた試練なんか全然チョロいもんじゃない。ユスティーツ様は否定的に仰っていたけど、この星の住人達にとってランツェ・シュヴェールトは、安住の地を齎してくれた偉大な英雄なのよ」
ポピーは、殊更に大袈裟な身振り手振りで得意げに語って見せる。
「英雄ランツェと竜母セレーネの間に生まれた御子ニーニャの血族……その素性を明かすだけで、住人達は一人残らず、あのチンチクリンさくらに平伏すに決まっているじゃない! 然も真偽はユスティーツ様のお墨付きよっ!? これ以上に簡単な試練があるのなら教えて欲しい位だわ!」
これしかないと言わんばかりに胸を張るポピーは、その笑顔の仮面の裏に嘲弄に歪む素顔を隠し、馬鹿な獲物が罠に掛かるのを今か今かと待ち侘びていた。
(本当はユスティーツ様の言葉が正しいのだけれど、人間は我欲が強く見栄っ張りだから、英雄という言葉を殊更に有難がる存在なのよねぇ~~この男だって安易に英雄効果に飛びつく筈よ。でも、今や住人達にとってはランツェも御伽噺の主人公でしかないし……)
目の前の愚かな人間が手軽な手段を選択するのを期待しながらも、嘗ての盟友の偉業が彼らの子孫達にさえ忘れ去られていく現実に思い至った瞬間、達也を貶めんと高揚していた気分が急速に冷めていくのをポピーは感じてしまう。
(ランツェやセレーネの名前を出した所で、胡散臭いと呆れられるだけだもんね……それに今日は住人達も大変な日だから、それ所じゃない筈だし)
自分の娘が英雄の血を引く者だと誇らしげに語る達也と、呆れて罵声をぶつける住人達の姿を幻視したポピーはほんの僅かに口元を緩めたが、直ぐにきゅっと唇を噛み締めて顔を歪めた。
自分が大切に想う者達の記憶がその偉業と共に風化し、歴史という時間の狭間に埋没していく。
いけ好かない人間を罠に嵌めて嘲笑いたいという矮小な思いを懐いた代償が、無残に色褪せた現実を再認識させられる事でしかないのならば、それは酷く悔しくて残酷な結末だと思わざるを得ない。
しかし、心の中に拡がる苦い想いに葛藤するポピーだったが、達也の返答を聞いて思わず双眸を見開き、驚きを露にした。
「その方法は選択できないよ……お願いだから、さくらが英雄の血を引く娘だというのは伏せておいて欲しい」
「ど、どうしてっ? 絶対に彼らを説得できるのに!?」
尚も血相を変えて食い下がる精霊少女に、達也は何処か寂しげな笑みを向ける。
「あの娘はまだまだ子供だ。分別もつかない幼子に、自らの未来を左右しかねない重い運命を背負わせる訳にはいかないよ。まして父親たる自分が己の目論見を果たす為に子供を利用するなんて、絶対に許されない。それに……」
「そ、それに……何なのさっ!?」
「私の願いはね。この星で平穏に暮らす人達に少なからず不本意な未来を強要するかもしれない……それなのに彼らが大切にしている想いにつけ込み、己の意を押し通すような真似はしたくないよ。彼らとの共存を望むのならば尚更だ……だから、そこに英雄の名前は必要ない。必要なのは私自身の想いの強さなんだからね」
目の前の人間の愚直さを目の当りにしたポピーは、唯々呆れる他はなかった。
何と融通の利かない人間なのだろう。
自分の望みを叶えるためならば、虚飾の言葉を弄す者は大勢いるというのに。
利用できるものは何でも利用する……そんな誰もがやっている事さえ当然の如く拒絶する馬鹿正直な人間がいたなんて……この男はまるで……。
(……ランツェ……ううん、違う……でも……)
達也の真摯な想いが、彼女の中で永遠に輝き続ける人物と全く同じであると気付いたポピーは、その在り得ない妄想に狼狽してしまった。
だが、その困惑は次第に別の感情へと変化していって……。
「ふ、ふんっ! 折角の私のアドバイスを無視するなんて本当に馬鹿ね! まぁ、そこまで言うのなら好きにすればいいわ。説得に失敗した時は大笑いしてやるんだからッ!」
自ら演出した策謀が外れて残念だと思う以上に、ほっと安堵している自分に気づいたポピーは、取り澄ました顔でそう言うや、ヒラヒラと舞い上がって達也の頭の上にチョコンと腰かけた。
そして、ご機嫌な声音で発破を掛けたのだ。
「さあ、時間はないわよ! さっさと出発しなさい。日が暮れちゃうでしょう?」
態度を豹変させて語りかけて来る精霊の手のひら返しに困惑しながらも、達也は機体を発進させてアルカディーナの蒼穹にその第一歩を記すのだった。




