第十五話 精霊さん、こんにちわ!? ②
ポピーは自分の失態に歯噛みしながらも、人間達の驚きと好奇の視線に晒されて激しく憤っていた。
いや、人間に対する怒りを思い出したという方が正解か……。
人間という存在に最後に接したのは実に五百年以上も前であり、その時にやってきた者達は、ポピーら精霊の存在には気付きもせず、間抜け面を晒してスゴスゴと帰って行っただけだったので、その滑稽さが勝って腹も立たなかった。
しかし、今回の人間共のなんと狡猾な事か……。
自分を拘束する見た目は幼い子供が、ニヤニヤと悪魔じみた笑みを浮かべているのにすら嫌悪感が募る有り様なのだ。
尤もそれは、失態を犯した自分を正当化しようとする悪足掻きに過ぎず、ポピーの中で事実が大きく歪曲されている感は否めないのだが……。
自我を得て上位精霊に昇華してから既に二千年以上の時を経たが、下位精霊だった頃を含めれば、それこそ気の遠くなるほどの年月を過ごして来た。
その時間の中で人間に接したのはホンの短い間でしかないが、その中で嫌というほど思い知らされた彼らの奸悪さに、ポピーは激しい嫌悪感を懐くに至り、それは今も彼女の中で燻ぶり続けている。
(人間なんか狡賢くて強欲で、残忍な存在で……だから絶対にこれ以上の情報を与えちゃダメ! 滅びゆく運命にあるとはいえ、ランツェの愛したこの星を、再び人間なんかに蹂躙させる訳にはいかないんだからッ!)
そう決意を新たにするポピーだったが、そう思う反面、心が騒めく不思議な感覚に戸惑いを感じてもいた。
それは決して不快な物ではなく、寧ろ、歓喜を伴なう懐かしい想いにも感じられてしまい、困惑は大きくなるばかりだ。
しかし、自分を包み込んでいる少女の温もりによって、その感覚が想起されたとは絶対に認めたくないポピーだった。
(とっ、とにかくっ! そんな些末な事はどうでもいいのッッ! これ以上は何も喋っちゃダメ! 私の存在を抹消されても喋らないんだからねッ!)
だから、その謎の感情は取り敢えず完全に無視した大精霊は、眼前の危地を脱すべく悲壮な決意を以て黙秘を貫こうと誓ったのだ。
しかし、彼女は知り得なかったが、この時代の科学力を以てしても、精霊というファンタジーな存在をどうこうできるものではないのだが……。
※※※
「ねえぇ~~ポピーちゃん? 無視しないでよぉ。お話しをしようよぉ」
猫撫で声で御機嫌を取ろうとするさくらだったが、自称大精霊様は不機嫌な面相で明後日の方向を向いた儘、徹底抗戦の構えを崩さない。
「なんだコイツ? チビのクセに生意気だなぁ……喰っちまうか?」
ティグルが牙を剥いて物騒な台詞を宣った時だけは、流石に小さな身体を震わせて冷や汗を流した(ビジュアル的に)のだが……。
「ヒドイ事を言っちゃダメェ──ッ! ポピーちゃん恐がってるよっ! この娘にらんぼうしたら、さくらが許さないからねぇッ!」
妹の叱責を受けた竜種が残念そうな顔で引き下がるのを横目で見て、あからさまに安堵する大精霊だったが、彼女は一向に態度を改めようとはしない。
そんな子供達のやり取りを見ていた周囲の大人達は漸く再起動を果たし、互いに困惑した顔で非現実的なファンタジー世界の住人を凝視するのだった。
「ボクも三百年以上生きているけどねぇ……こんな不可思議な存在がこの世に実在しているなんて……初めて知ったよん」
茫然とした顔つきながら発言するのはヒルデガルド位で、謹厳なエレオノーラや艦橋に居合わせたクルー達は、面食らって言葉も発せられないでいる。
幼竜であるティグルを初対面の折に追い回して抱き締めた詩織でさえも、想像の埒外の存在に戸惑って立ち尽くすのみだ。
そんな彼らの中で誰よりも早く現実を受け入れたのは、他ならぬ達也だった。
(さて……これが夢でないのならば、この大精霊様は我々にとって吉となるか? それとも凶か?)
御伽噺の世界の存在に触れ、然も会話まで交わせる愛娘に対する謎は脇に置いておくとしても、この大精霊を名乗る少女が自分達に接触して来た理由は何なのか?
なぜ? という疑問が脳内を駆け巡る中、スクリーンに大写しにされている惑星サルバシオンに視線は向けられる。
「ふむ……ポピーさんだったね。貴女はどうして態々我々の様子を見に来られたのかな?」
礼を失しないよう丁寧な口調で語り掛けたのだが、自称大精霊は盛大に鼻を鳴らして顔を背けてしまう。
その仕種は拗ねた子供そのものであり、さくらと姿がダブって思わず口元を綻ばせたのだが、その態度が癇に障ったのか、ポピーから剣呑な視線で睨まれた達也は慌てて表情を取り繕わざるを得なかった。
(取り付く島もないな……何かを隠しているのは間違いないようだが……)
そう確信した達也は質問する矛先を変更し、邪険にされても諦めずに話しかけている愛娘に問う。
「さくら。その精霊さんは隠れていた時に何か言ってなかったかい?」
父親から訊ねられた少女は空中に視線を彷徨わせながら、記憶の断片をつらつらと口にした。
「えぇ~~っとねぇ……『人間にはわからない』とか『あきらめて帰れ』とか言ってぇ~~、『きゃはははは』って変な笑い声をあげていたよぉ」
その途端に憤慨したポピーが目を剥くや、唯一自由な両脚をバタバタさせて猛然とさくらに食って掛かる。
「ばかぁ──ッ! なんでバラしてるのよ! 然も、変とは何よ! 変とはっ? 精霊の中でも一二を争うほど【優雅で華麗】と言われる私に対して失礼でしょうがぁぁッ! むきぃぃ──ッ!」
彼女のその剣幕に驚いたさくらは、申し訳なさそうに「ごめんなさぁ~~い」と謝ったのだが……。
(絶対に噓八百ね……どこが優美で華麗なのかしら?)
(ただの自意識過剰のホラ吹きじゃん?)
(……おいしそうな、羽虫さん……)
吠えまくるポピーに冷たい視線を投げるユリア、ティグル、マーヤは、それぞれに脱力ものの感想を胸の中で呟く。
激昂したポンコツ大精霊は気付いていなかったが、今の咆哮は周囲の大人達にもハッキリと聞こえており、彼女の言が何らかの欺瞞工作の存在を示唆しているのは明らかだと判断するに充分な役割を果たしていた。
達也はヒルデガルドらと顔を見合わせて頷き合うや、微かに芽生えた希望に胸を膨らませてオペレーターに命令する。
「サルバシオンの周囲の宙空をスキャンして、時空間に不安定な場所がないか調べてくれ。おそらく複数の次元境界線や狭間がある筈だから見落とさないように」
その命令を聞いたポピーは己の失態に歯噛みしながらも、両の眼を見開き達也を睨みつけて悔しげに呻いた。
「あ、アンタっ! くうぅ──っ!」
怒りに彩られていた彼女の双眸に悔恨の情が滲むのを見た達也は、自分の予測が正しかったのを確信する。
そして僅か数分後には、その憶測を裏付けるオペレーターの驚愕した声が艦橋に響き渡ったのだ。
「観測結果が出ましたっ! こ、これはッ!? サルバシオン周辺に無数の次元の裂け目が確認できます! 一つ一つは幅数千m、長さ千km程度ですが……一定の間隔を保ちながら、かなりの数が存在しています!」
息を呑むオペレーターの報告に理解が追い付かない面々にも分かる様に、眼前で繰り広げられる現象をヒルデガルドが解説した。
「おそらく何かしらの方法で別次元に実在する惑星への結節点を開放し、その映像を拡大投影してサルバシオンを覆い隠しているんだろうね。あの視認している惑星に向わせた探査機は帰還できないだろう……なんせ、あの星は此処から遠く離れた別の次元にあるのだから」
彼女の予測を裏付けるように、探査機のコントロールが失われてロストし、回収が不可能になったとの報告が齎される。
「こんな離れ業を実現させるオーバーテクノロジーにも驚きだが、短時間とはいえ通信やデーターの遣り取りを損なわせない技術には興味津々だよ……それとも、この奇跡はそこの大精霊君の仕業なのかなぁ?」
マッドサイエンティストの面目躍如たる予測を述べ、凄艶とした視線をポピーに絡み付かせるヒルデガルドは、ひとつ咳払いして言葉を重ねた。
「無数の次元境界線が存在する中で、僅かばかりの隙間が無数にある理由は一つしかないよん。恒星からの熱量や恩恵を本物のサルバシオンに取り込む為さ」
自慢げにそう断言して寂しい胸を張るヒルデガルドの言葉を受け、達也が結論を口にする。
「つまり、視認できる惑星は虚像であり、その下にサルバシオンの実相が隠されているという事か……少しだけだが明るい兆しが見えたかな」
その言葉にブリッジに集う面々が瞳を輝かせる中、唯一悲鳴を上げたポピーが、拘束された身体を捩って抗いだした。
不意の抵抗に驚いたさくらが思わず手の力を緩めたために、精霊少女は束縛から逃れて空中を舞う。
だが、彼女は逃げる所か挑み掛かるかの様に達也の肩口にしがみ付くや、必死の形相で懇願したのである。
「御願いだからっ! このまま帰って! ランツェとセレーネが愛したこの星を、これ以上悲しみで汚すような真似はしないでッッ!」
「ランツェ? 君が言うのは初代神将位を下賜された、ランツェ・シュヴェールトの事かい?」
ある意味では想定内の人物だが、その名を耳にした達也は困惑して小さな精霊に問い返さざるを得なかった。
先程までの不遜な態度は消え失せ、ポピーから向けられる真剣な眼差しには哀惜の情すら浮かんでいる様にも見える。
そんな、豹変した彼女の姿を見れば達也も戸惑うしかない。
彼女の言を受け入れ、この場を立ち去るのが正しいのだろう……。
しかし、それが許される筈もないのは、誰よりも達也自身が身に染みている。
だから、自分にも護らなければならない人達の想いがあるのだと自分に言い聞かせた達也は、必死に懇願を続ける精霊に心から詫びるしかなかったのである。
「ごめんよ……真実を確かめずに引く訳にはいかない。私の自己満足の為に大切な家族や仲間達に苦難の道を歩ませられないからね。怨むなら私だけを怨んでくれ」
ポピーはその無情な言葉に絶望し、怨嗟を込めた視線を達也に投げて歯軋りする他はなく、廻り出した運命の歯車を止める術は、如何に精霊であっても持ち合わせていなかったのだ。
◇◆◇◆◇
比較的安定している次元断層と断層の狭間にシルフィードを突入させて、本物の惑星サルバシオンに降下するよう達也は下命した。
『無人探査機で安全を確認してから』と渋るエレオノーラの言を退けたのは、ポピーの悄然とした様子から、この決断が彼女にとって如何に都合が悪いのか察せられたからだ。
そして、その結果が…………。
「大気中の成分は……窒素78%、酸素21%、二酸化炭素0.1%。こ、この星は人類が生存可能な水惑星ですっ!」
オペレーターの興奮した声に艦橋の彼方此方で歓声が上がる。
次元の狭間を抜け、分厚い雲海を突破した先に拡がるのは、地球に勝るとも劣らない美しい星の姿だった。
子供達は瞳を輝かせて燥ぎながら、眼下に拡がる蒼海と点在する島々の姿に歓声を上げ、確認できる幾つかの大陸に羨望の眼差しを向けている。
「こんな辺境までやって来た甲斐があったわね。これならば領地として申し分ないんじゃないの?」
「主星と同じく他の惑星もカムフラージュされている可能性が高まったね。早急に調査するべきだよん! 資源調査は最優先で頼むよ! 資材を自前で調達できるのならば、サクヤ姫の負担も大幅に減るからねぇ」
エレオノーラとヒルデガルドが興奮気味に語り合うのを、ポピーは苦々しい思いで見ているしかなかった。
(私がドジだったばかりに……ごめん、ラン……ごめんね……セレーネ……)
後悔と慚愧の狭間で彼女の胸に去来したのは、千五百年前に共に戦い、この星を勝ち取った勇敢な英雄達の姿であり、その未来を託して命を散らした、在りし日の彼らの笑顔だった。
既に逃げようという気力もなく、悄然と空中を浮遊していると、憎みても余りある人間が近寄って来るのに気付いたが、秘密が露顕した今となっては、何もかもが億劫で文句を言う気にもなれない。
このまま、あの人型の竜種に喰われて消滅させられるのもいいか……。
自暴自棄になってそんな事を考えていると、すぐ傍に立ったその人間が遠慮がちに言葉を掛けて来た。
「君にとっては不本意な結果かもしれないが、我々はこの星を悲しみで汚すつもりはないし、乱暴な真似もしないと約束する。だからこの星に知的生命体……住人が居るのならば引き会わせて貰えないだろうか? 我々は御願いするしかない立場だが、何もせずに諦める訳にもいかないんだ」
先程と同じ言葉を繰り返す彼の物言いに嘘はない。
ポピーは達也の穏やかな波動を感じて不覚にも無条件でそう思ってしまった。
まるで嘗ての盟友ランツェ・シュヴェールトが蘇ったかのような錯覚すら懐いてしまい、激しく頭を振り立てて世迷い事を追い出す。
「嫌ですぅぅ──ッ! 真っ平御免よッ! それ以上私に近づいたら痛い目に遭わせるんだからねッ!」
先程までの虚無感は何処へやら、精一杯の虚勢を張って威嚇するポピーに、達也は困った顔をしたが、それでも優しさを湛えた視線で彼女を見る。
その表情が敬愛するランツェの面影と重なって見えたポピーは、自分の目や頭がおかしくなったのかと混乱し、益々意固地になってソッポを向くしかなかった。
「困ったなぁ……やはり嫌われてしまったようだな」
達也がお手上げのポーズをすると、敬愛する父親に不遜な態度をとる者に怒りを募らせる子供達が、不穏な空気を漂わせて歩み寄って来た。
「へえ~~確認したいのだけれど、お父さまをどんな痛い目に遭わせようと言うのかしら?」
「自意識過剰じゃなくて、ただの馬鹿だったな……いっそのこと喰っちまうか?」
「おいしそうな羽虫さん……」
ユリア、ティグル、マーヤは怒りを隠そうともせずにポピーに詰め寄るや、剣呑な顔つきで威嚇する。
「な、何よ! やるならやってみなさいよ! 絶対に呪ってやるんだからねぇ!」
精一杯の虚勢を張るポピーは最後まで抗う意志を明確にしたが、さくらはそんな彼女を庇って姉兄の前に立ちはだかった。
「いじめちゃダメだよぉッ! この子は優しい精霊さんだもんッ! だからケンカしちゃダメなのぉ──ッ!」
言葉尻は強いものの、眉毛は八ノ字状態で表情には明らかに不安が滲んでいる。
大切な妹にこんな顔をされては、ユリアもティグルも矛を収めるしかない。
マーヤに至っては、さくらに抱きついて嬉しそうに顔を擦り寄せる始末であり、実に穏便に争いは回避されたのである。
そんな子供達の様子に大人達が安堵して微笑んだ瞬間。
『寛大な御心に感謝致します……』
何処からともなく幻想的な柔らかい声が響いたかと思うと、さくらの眼前の空間が発光して優美な女性がその姿を顕現させた。
その美しさと慈愛に満ちた表情には、神聖なまでの威厳が窺え、彼女がポピーを凌ぐ超越者であるのは一目瞭然だ。
「ユ、ユスティーツ様ぁぁぁッ!??」
彼女を見て一番驚いたのはポピーに他ならず、その可愛らしい目玉が飛び出すのではないかと思うほどに驚愕して口をパクパクさせている。
そんなポピーに嫋やかな微笑みを向けてから、ユスティーツと呼ばれた存在は、さくらの前に移動して恭しく腰を折り頭を垂れた。
『悠久の時を経て我々が待ち望んだ日が遂にやって参りましたわ。よくぞお戻り下さいました。英雄ランツェ・シュヴェールトと竜母セレーネの間に生まれし御子ニーニャ様の血を引く少女よ……我々アルカディーナは、心から貴女様の御帰還を歓迎いたします』
彼女の口から飛び出した爆弾発言に一同は耳を疑ってしまう。
謎が謎を呼び、事態はいっそう混迷の度合いを深めるのだった。
◎◎◎




