第一話 神将は難題を抱えて前を向く ③
銀河連邦軍基地アスピディスケ・ベースでは、神将位下賜に関する事案の折衝が合意に至り、厳粛な雰囲気の中で調印式が執り行われていた。
双方で妥結された内容を記した公文書に、達也と三巨頭の全員が調印を済ませれば、最高評議会の布告によって始まった一連の騒動にも漸く終止符が打たれる。
今回下賜された【神将】という称号を最初に授与されたのは、一千五百年以上も昔の、銀河連邦開闢時に名を成した若き軍人だったという。
彼はその卓越した軍才を駆使して劣勢だった七聖国軍を勝利に導き、反連邦派の諸国家を話し合いのテーブルに着かせた英雄だった。
艱難辛苦の末に現連邦評議会の礎を築いた功績を称えられ、初代【神将】の称号を授けられたというのが、今日に至るまで民衆らに人気のある娯楽大作などで語られる筋書きだ。
だが、実に不思議な事に、銀河連邦史に燦然と輝く偉業を成し遂げた人物であるにも拘わらず、彼のプロフィールを含めて公式な記録は一切残っていない。
辛うじて銀河連邦将官史の中に記載されている、ランツェ・シュヴェールトという名前だけが、初代【神将】の情報の全てだった。
このミステリアスな人物像も相俟って、彼は未だに衰えぬ人気を勝ち得ているのだが……。
また、彼に関する情報が途絶えているのには別の理由も存在する。
称号と共に恩賞として彼に下賜されたのは、銀河系中心部に近い恒星系を丸ごとという破格の領地だった。
しかし、彼の死後まもなくして近隣に発生した複数のブラックホールの影響で、その恒星系の星々は生物が生存できない死の星に成り果ててしまい、然も、突然の自然変異だったため、主星の生存者は皆無だったといわれており、これにより初代神将について語り継ぐ術は完全に失われてしまったのである。
その後、追い打ちを掛けるかの様に、恒星系全域が暗黒物質や様々な粒子が吹きすさぶ磁気乱流宙域に変貌して、この千年間ほどは人類が足を踏み入れられない、打ち捨てられた宙域と化していた。
銀河連邦憲章には、この恒星系を【神将】が受け継ぐべき領地と定められている為、二代目と三代目、そして、慣例に従って達也にも褒賞としてその恒星系が下賜されたのである。
しかし、実情は幻の領地と呼ぶに等しく、二代目と三代目【神将】は早々にこの遺産を放棄し、代わりに天文学的な資金と武装戦力を要求して評議会の承諾を取り付けたのだ。
それが原因となって、銀河連邦の屋台骨を揺るがすほどの騒乱が勃発し、多くの犠牲を出す事態に発展したのは、まさに悲劇だったと言う他はないだろう。
付け刃で脳内にインプットした情報を思い返す達也は、それとなく、テーブルを挟んで居並らぶ銀河連邦軍幕僚部の面々を観察する。
彼らの大半は何かしらの形で面識がある高位士官ばかりだったが、その中に一人だけ初見の若い青年士官が混じっているのに気付いた。
ラインハルトにも負けず劣らずの眉目秀麗な顔立ちに、軍服の上からでも分かる鍛えられた肉体の持ち主。
モナルキア元帥に複数の公文書を差し出しているのを見れば、軍政部所属の軍人だと思われるのだが、官僚軍人にしては実戦部隊の熟練士官に近い雰囲気を纏っているのが気になる。
そんな達也の視線に気付いたモナルキア元帥は、意味ありげに口元を綻ばせた。
「儂の配下にしては随分と若いじゃろう? こう見えても筆頭補佐官を任せておる優秀な男でのぉ……ほれ、黙って突っ立っとらんで、大元帥閣下に挨拶ぐらいせんか。馬鹿者めっ」
自分の事を話題にされているにも拘わらず、端正な顔をピクリともさせない筆頭補佐官に苛立ったモナルキアが促すや、叱責された青年士官は斜め後ろに半歩下がり、主の横に立ってお手本の様な流麗な仕種で敬礼をして名を名乗った。
「ローラン・キャメロット中佐であります。非才の身ながら、モナルキア元帥閣下の補佐官を拝命しております。高名な白銀大元帥閣下に拝謁の栄誉を賜りまして、真に恐悦至極であります」
「閣下御自身が、優秀な配下の先任参謀達ではなく、若い貴方を補佐官に起用したのだ……その事実だけでも貴君の優秀さが窺い知れるね」
達也は素直に思った事を口にしたが、キャメロット中佐は相好を崩すでもなく慇懃に頭を垂れた。
ほんの短い会話であったが、彼の如才ない立ち居振る舞いの中に得体の知れない思惑が在るような気がした達也は、その正体を探るように目を細める。
だが、調印式が終わって退出するまでに不審な点は見出せず、気の廻しすぎだったかと、思わず苦笑いするしかなかった。
(気のせいだったかな……一瞬だが彼の瞳に剣呑な光が見えた気がしたが……)
どうにも釈然としない気分だったが、確証もなく相手を貶めるような迂闊な真似はできないし、必要以上に相手を警戒させない為にも、それ以上の詮索は諦めるしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
アスピディスケ・ベースにて調印式が終わったのと同じ頃、銀河系中心域と西部方面域の境界線上を航行するランズベルグ皇国皇族専用艦と、地球の伏龍士官養成学校の双方に於いて人生の岐路に立たされ思い悩む者達がいた。
超長距離転移用のゲートから通常空間へと出たらしく、軽い眩暈を覚えたサクヤは、小さく左右に頭を振りながら大きく息を吐く。
「大丈夫ですか? 超長距離転移は余り経験していないから辛いでしょう?」
「い、いえ。じきに慣れますわ大伯母様。でも態々規制の厳しい軍専用のゲートを使わなくても良かったのでは?」
若干の非難を含んだ言葉でそう問われたアナスタシアは、半倒しにしたシートに背中を預けたまま眉根を寄せてサクヤを諭した。
「長距離転移用のゲートは軍の専用ではありませんよ……我々七聖国と連邦評議会の政府関係者には使用が認められているのですからね」
「それはそうですが……銀河連邦評議会に加盟している国々でさえ、許可がなければ使用できないと聞いていますし、民間の船舶に至っては、中距離転移用のゲートまでと決められているとか。まるで我々だけが特権を甘受しているようで……」
不公平な制度が気に入らないのか、珍しく批判的な物言いの第一皇女にアナスタシアは軽く鼻を鳴らして忠告する。
「銀河連邦軍が長距離転移用のゲートを独占しているのは、銀河系の何処で騒乱や事件が勃発しても、可能な限り短時間で艦隊を派遣する為に必要だからです。それを他の国軍にも使わせた日には、反乱を起こした軍が短時間でテベソウス王国本星ダネルを急襲するのも可能になるでしょう……そのような事態を許せば、銀河連邦評議会の中枢が壊滅する懸念を排除できませんからね」
至極真っ当な理由で諭されたのだが、サクヤは曖昧に頷くしかなかった。
彼女とて尊敬する大伯母の言い分が正しいのは充分に理解している。
それでも子供が拗ねて反抗するような真似をしたのは、この航海が少しでも長く続いて目的地に着くのが遅れれば良いと、埒もない事を考えていたからだ。
拉致同然に本国から連れ出された挙句、恋い焦がれている男の居る星が行き先となれば、自他共に認める小心者のサクヤが狼狽するのも無理はない。
(大伯母様の勢いに負けて船に乗り込んでしまったけれど、一体全体どんな顔をして達也様に御会いすればいいのかしら……然も、つい最近になって奥様を迎えられたと聞いたし……あぁっ!? いっそ今からでも引き返せたら……)
考えれば考えるほどネガティブな思考に溺れ、身の置き所もない羞恥に苛まれてしまう。
内心の動揺が顔に出ないよう極力平静を装ってはいたが、老練なアナスタシアを誤魔化せる筈もなく……。
「……今からでも逃げ出したい……そう考えている顔ね」
唐突に本心を言い当てられたサクヤは、華奢な肢体を大袈裟な程に震わせ、その指摘を己の態度で肯定してしまう。
「貴女のような世間知らずの小娘の考えなどお見通しですよ。しかし、お前という娘は……政務や会議の場では果断な決断ができるのに、どうして自分の事となるとウジウジ、フニャフニャして煮え切らないのかねぇ……『達也様を愛しています』と言っていたのは嘘だったのかしら?」
「そ、そのような言い方をなさらなくても……仕方がないではありませんか。あの御方は先日めでたく奥様をお迎えになられたとの事。今更私が何を言っても手遅れですもの」
最初は抗議の色合いを含んでいた声音が徐々に弱々しくなり、最後は投げやりな物言いに変わってしまう。
そんな彼女を見たアナスタシアは再度鼻を鳴らして言い放った。
「貴女の父である現皇王陛下が、何人の側室を抱えているか知らない訳ではないでしょう? そもそも、達也に苔むした【神将】などという称号を授けたのは、他でもない貴女との身分の釣り合いをとる為ですよ」
非常に悪い顔をして微笑む大伯母の口から飛び出した卒倒物の言葉に、サクヤはその美しい眼を見開いて驚きを露にする。
「【神将】位に付随して下賜される恒星系は、現在は人が立ち入れない状況です。しかし、辞退さえしなければ、有名無実とはいえ領地持ちの貴族に変わりはない。そうすれば、辺境伯爵……いわゆる《大伯爵》の称号を得られますからね……」
大伯母の恐ろしい所は自分の本心を他人には悟らせず、誰も気づかない内に実利を掌中に収めてしまう怜悧さだと、サクヤは改めて思い知らされた。
「貴女も知っての通り、貴族位を持つ者で領地を下賜されているのは全体の四割程でしかない。残りはそれぞれの王家や家門から爵位と家柄に応じた俸給を与えられているに過ぎないわ」
師である大伯母の意図を察したサクヤは震える声で問うていた。
「つ、つまり……たとえ名目上であれ、広大な領地を持つ辺境大伯爵ならば、私の嫁ぎ先として不足はない……と?」
「その通りよ……達也が軍制改革を、延いては銀河連邦という古い組織を改革していくには貴族閥に敵対するだけでは駄目なの。貴女を娶る事で彼は七聖国の一翼を担うランズベルグ皇国の縁者になるのです……この意味を貴女なら理解できるのではなくて?」
大伯母であり師でもあるアナスタシアが、権謀術数に長けた傑物なのは承知している。
しかし、今回の【神将】騒動に於いて、『贔屓している男を猫可愛がりする為に権威ある称号まで与える耄碌婆さん』と嘲笑する人々を欺いて、達也の傍に自分を送り込む算段をつけるなんて……。
些かも衰えない、いや文字通り老獪さを増したアナスタシアの戦略眼に、サクヤは驚嘆して言葉も出なかった。
確かに第一皇女であるサクヤが達也と婚姻を結べば、彼の立ち位置は辺境大伯爵に留まらず、白銀家は七聖国ランズベルグ皇国の公爵家として名を成し、その当主である達也を平民出身と侮る者はいなくなるだろう。
また、側近と呼べる人々に軍人が集中している達也にとって、政治経済に通じている彼女の存在が大きな助力になるのは言わずもがなだ。
そして、何よりもサクヤ自身が単に伴侶として彼の傍に居るだけではなく、その能力を駆使して想い人を手助けできるのだと気付き、胸の内を満たす歓喜に奮えているのだから、まさに妙手だと言うしかなかった。
しかし、しかしである…………。
「でっ、でも……達也様と奥様の仲は頗る良いと聞いています。そんな御ふたりの間に割り込むような真似をして嫌われでもしたら」
自分よりも相手の立場や想いを慮り、消極的になってしまうサクヤの悪い癖が顔を覗かせてしまう。
アナスタシアは溜息を漏らしはしたが、サクヤの優しい心根を責めはせず、その代わりに最も効果的だと確信している言葉を投げ掛けた。
「そうかい。ならば無理強いはしませんよ。だけど貴女は皇王家の第一皇女です。このまま伴侶を定めずに生きていくなど許される筈もないわ……そう遠くない未来に他家の嗣子と婚姻を結ばねばならないのだけれど……」
俯いて顔を伏せていたサクヤの両肩が小さく跳ねた、それを見てほくそ笑むアナスタシア。
「皇王家が決めた相手に身も心も奉げ、残りの人生を供にする覚悟が貴女にあるのですか?」
不意打ち同然に耳朶を打った大伯母の言葉に心が震えた。
それが自分にとっての現実だと理解しながらも、敢えて考えないようにしていた未来予想図。
(達也様以外の殿方の下に嫁ぐ? その御方と契りを交わして子を生す?)
脳裏に浮かぶ望まぬ将来像に激しい厭悪の情を懐いたサクヤは、その美しい顔を苦悶に歪めて呟いていた。
「……い、嫌…………絶対に嫌です…………」
辛うじて喉の奥から絞り出した掠れた言葉には、彼女の偽りない想いが滲んでおり、愛しい愛弟子が本心を吐露した事に安堵したアナスタシアは、咽び泣くサクヤの両肩を背後からそっと抱いて囁く。
「だったら、貴女が望む道を歩いて行きなさい……それがどんなに険しい道であったとしても、愛した人の隣ならば挫けはしないでしょう?」
その大伯母の言葉にサクヤは、小さくであったがハッキリと頷いた。
こうして苦労人の『日雇い提督』白銀達也は、またしても何も知らされないままに、嵐の真っただ中に放り出される災難に見舞われるのである。
◇◆◇◆◇
真宮寺蓮は本校舎の屋上、箱型の出入り口の壁に背を預けて座り込み、そこから見える洋上の巨大な構造物を飽きもせずに眺めていた。
今年は七月に入った早々に梅雨が明け、連日うだるような酷暑が続いている。
それでもこの場所は屋上に突き出た昇降口が御天道様を遮っており、比較的快適に過ごせるお気に入りの場所だった。
彼の視線の先にあるのは、伏龍とは目と鼻の先の洋上に浮かぶ巨大なドーム型の都市だ。
縦五㎞横幅三㎞、ドームの頂点から艦底部第三層の最下部まで八百mという常識の埒外の構造物。
これがドーム型都市などという可愛いものではなく、恒星間航行用の宇宙船だと知れば、事情を知らない者は間違いなく二度驚かされるだろう。
巨大宇宙船の名はバラディースといい、実質的な領地が与えられるまでの仮住まい用にと、銀河連邦最高評議会が神将提督白銀達也に与えたものだ。
その隣に寄り添うようにして停泊しているのは、土星海戦で名を馳せた彼の旗艦である弩級戦艦シルフィードに他ならない。
地球の技術では到底建造し得ない艦船の雄姿は、早くも近隣住民達の興味を集めていた。
この炎天下にも拘わらず岸壁は見物客が鈴なりになっており、おまけにバラディースの周囲を遊覧する観光船までが行き来するようになり、連日満員御礼の人気を博している有り様だ。
そんな光景を眺めるだけの無為な時間の流れに身を任せている蓮だったが、その茫洋とした表情とは裏腹に心中は決して穏やかではなかった。
それどころか、身を裂かれる様な焦燥感に苛まれて悩みに悩んでいるのだ。
(どうして俺は此処に居るのだろうか? 伏龍は、いや、統合軍という組織は俺の想いを託して戦える場所なのか?)
あの土星海戦の日から幾度となく繰り返した自問自答。
考えれば考えるほど答えは形を成さず、焦慮と憤悶に歯噛みする日々。
いっそ、このまま何も見ず、聞かず、考えない方が良いのではないかとさえ思ったのも一度や二度ではない。
それでも消せない想いがあると知った彼は、悩み惑いながらも重大な決断をしたのだ。
すると……。
「あぁ~~やっぱり此処だったかぁ! やっと見つけたよ蓮!」
詰る様な女の子の声に耳を打たれ、貴重なシンキングタイムが終ったのを悟った蓮は、そっと息を吐くのだった。