第十三話 悪意の胎動 ①
銀河連邦軍という巨大な組織に於いて、軍政部総長カルロス・モナルキア元帥の影響力は絶大なものがある。
花形部門である航宙艦隊統括本部や軍令部と違い、裏方としての地味な役回りが多い軍政部は、血気に逸る若手士官が好んで配属を希望する部署ではない。
しかしながら、兵站全般から装備の開発、方面各基地の管理や敵地に於ける占領政策の施行等々、軍の根幹に関わる重要な権限を多く握っているのも事実だ。
また、士官下士官の査定権も掌握しており、定期昇給や昇進を管理し教育部門も管轄下に収めているとなれば、その重要性は言わずもがなである。
実際に軍政部の許可がなければ、護衛艦一隻真面に動かせないのが現実であり、軍内での発言力は他の部署を凌駕していると言っても過言ではなかった。
そのトップであり、貴族閥二大巨頭の一人であるモナルキア元帥は、久々の朗報に接し珍しく上機嫌だった。
とは言え、飽くまでも上っ面だけのものではあるが……。
「くっくっくっ。今頃エンペラドルは歯噛みしておろうよ……ルーズバックの様な我欲塗れの単細胞を側近にした、彼奴の自業自得じゃがなぁ」
敵対派閥を率いる軍令部総長エンペラドル元帥の腹心が、獣人密売容疑でGPOに検挙されたというニュースは、その日のうちにアスピディスケ・ベースにも齎されていた。
当然ながら、モナルキア元帥派にとっては【棚から牡丹餅】の歓迎すべき敵失であり、重臣の醜聞で動揺するエンペラドル元帥派を切り崩す絶好の機会が到来したと側近達は息巻いている。
「事実はどうであれ、獣人売買は銀河連邦の理念に泥を塗る行為。我が身の保身を含め、エンペラドル派の連中は対応に汲々としておりましょう」
「然りっ! 作戦立案と艦隊への命令権を握っているというだけで、我ら軍政部の救けがなければ何もできない木偶のくせに、日頃から大きな顔をしおってぇッ! これぞ天罰でありましょう!」
「とは言え、GPOも本気で貴族連合に楯突く勇気はありますまいよ。時間稼ぎの後に証拠不十分で有耶無耶に……そんな所ですかな」
「それでも奴らの勢いを削ぎ、先行きに不安を覚える連中を取り込む好機だっ! 拮抗している勢力の天秤を、我が方に傾けるチャンスには違いないっ!」
威勢の良い台詞を並べて意気上がる側近達を好々爺然とした笑みを装って観察していたモナルキアだが、その軽薄さを目の当たりにして落胆すると同時に、激しい憤りを覚えずにはいられなかった。
(愚か者共が浮かれおって……エンペラドルの敵失は歓迎できるが、ルーズバックの不法行為を暴いたのが、あの白銀達也だという事の重要性を誰も理解しておらんとはな……彼奴めの名声が高まるのは何とも拙いっ! あやつが台頭すれば我らの覇道にも禍根を残すやも知れぬというのにっ!)
先日の会談以降、達也の能力と為人を知った老元帥は、彼がエンペラドル以上の難敵になり兼ねないとの危惧を懐いていた。
(あのガリュードが後継者と認めただけはある……油断してよい相手ではない……それなのにっ! このボンクラ共ときたらっ!)
敵対陣営の不運を嘲笑うだけの部下達への失望と苛立ちは募るばかりだ。
(士官学校を出ていないとか傭兵上がりだとか、その様な些事であの男を判断するのがどれほど危険か……こいつらはまるで分かってはいない。調子に乗って第二のルーズバックになられても厄介じゃ……少々お灸を据えておくか)
エンペラドル派の二の舞いは御免だと考えたモナルキアは、箍が緩むのを恐れて厳しい言葉を口にしようとしたのだが……。
それまで側近達の馬鹿騒ぎに加わらず、瞑目していた筆頭補佐官ローラン・キャメロット中佐が、領袖の鬱憤を慮って口を開いた。
「閣下。確かに今回の件はエンペラドル派にとっては痛手でありましょうが、愚かな側近の頸を挿げ替えれば有耶無耶にできる……所詮はその程度の話であります」
気分良く盛り上がっていた古参の側近達は、その熱気に冷や水をかけた新参者を睨んで、あからさまに不機嫌な顔を晒す。
この筆頭補佐官の実家は半ば没落した弱小貴族であるため、古参の側近からは『貴族と呼ぶのも烏滸がましい』と冷笑されていた。
また、彼がとんとん拍子で出世できたのは、士官学校の席次が断トツのトップであったのと、見目麗しいその容姿をモナルキア元帥が気に入ったからだと、下衆な憶測を口して憚らない者もいる有り様だ。
言わば早過ぎる栄達を妬まれているのだが、その彼を取り立てた本人は一転して相好を崩すや、上機嫌でキャメロットへ下問し卑小な者達を黙らせた。
「ほう……その物言い。何か妙案があるのじゃな?」
「はっ……恐れながら閣下に意見具申させて戴きたく……」
「構わぬ。申してみよ」
キャメロット中佐は席を立ち、冷然とした表情のまま抑揚のない声で献策する。
「今回の件。炎が鎮火する前に利用させて貰いましょう。銀河連邦を閣下の御威光の下に統べる為にも、エンペラドル元帥と白銀達也大元帥……御ふたりには早々に舞台から退場して戴きたいと考えております」
彼の言葉に側近達は大きくざわめくが、それは決して好意的なものではない。
キャメロットに対し嫉妬心を懐く彼らは、領袖であるモナルキアの前で大言壮語を吐いた新参者を冷笑と共に鼻先で嗤ったのだ。
だが、そんな愚物らを一顧だにもしないモナルキアは、自身の懸念を察した有能な男の意見を了承し、この件に対する全権をキャメロットに委ねた。
「よかろう……思う儘に進めてみるが良い。この件に関して其方の言葉は儂の言葉と同じじゃ……成果を期待しておるぞ」
喜色を浮かべる元帥閣下に瞑目して一礼。
能面の如き表情を微塵も崩さずキャメロットは退出する。
背中に突き刺さる怨嗟の視線にも、動揺する素振りさえ見せない儘に……。
◇◆◇◆◇
総長室を辞したキャメロットは、その足で己の執務室へ戻った。
無駄に華美な他の古参連中のそれとは違い、殺風景なまでに飾り気のない部屋。
そこには執務机と収納棚。そして、こじんまりとした応接セットが申し訳程度に置かれているだけだ。
そんな室内には様々な階級章をつけた青年将校たちが屯しており、最上級の敬礼を以て入室して来たキャメロットを出迎えた。
彼ら三人は表向きは筆頭補佐官の配下を仰せつかった若手士官であるが、実際にはキャメロットを盟主と仰ぎ忠誠を誓った腹心らである。
軍政部での雑用から汚れ役の裏仕事まで、何でもこなす有能な者達であり、彼にとっては右腕に相当すると言っても過言ではない者達だ。
「ローラン様。エンペラドル閣下の反応は如何でしたか?」
三人の中でもやや年嵩の青年の問いに、キャメロットは執務机の椅子に腰を降ろすや、珍しく口元に笑みを浮かべた。
尤も、それはほんの微かにという程度ではあったが……。
「頭でっかちの古参連中に辟易としているようだった……まぁ、気持ちは分かるがね。家柄以外に取り柄のない愚物共だ。何かを期待する方が無理だろうに」
「あの連中の頭の中にあるのは金……女……出世……それしかない」
一番年少の青年が何処か億劫そうに嘯けば。
「そう言ってやるなよ。我々にとって無能な側近は歓迎すべき存在だ。いずれ役に立ってくれるのだからな」
残った一人が意味深な台詞を口にして含み笑いを漏らす。
すると、キャメロットは雑談を切り上げて彼らに本題を告げた。
「計画の第一段階を開始する。まずは邪魔なエンペラドルと白銀達也を抹殺する。エンペラドルはルーズバックの件で窮地に立っているから、これを上手く利用して罠に嵌める……私が直接相手をするから任せて欲しい。お前たちは白銀達也の件を軍内や評議会に噂として流布させてくれ……情報操作は情報局局長リューグナーがやってくれる」
三人は小さく頷いて了承の意を示したが、年嵩の青年が小首を傾げて疑問を口にした。
「エンペラドルは兎も角……白銀達也などローラン様がお気に掛けるほどの者ではないのでは?【神将】とやらに祭り上げられ、大金を手にして楽隠居を受け入れるような小者ですよ?」
「太陽系でのバイナ共和国との戦闘で名を馳せたとはいえ、相手が弱すぎて評価が難しいと専らの噂だ……ファーレンの変人殿下の力で勝ったようなものだとも言われているがね。くっくっくっ……」
「……どうでもいい……所詮は傭兵上がり……高邁な理想など持たない愚物」
他の二人も同調するように仲間の言葉を肯定したが、キャメロットが険しい表情をしているのに気付いた彼らは、己が失態を犯したのだと瞬時に察する。
すると、そんな彼らへ念押しするかの様に冷徹な声音が浴びせられた。
「無能で愚かな側近だと嘲られたくなければ、直ちに白銀達也に対する認識を改め給え……あれは軍人になるべくしてなった正真正銘の怪物だ」
滅多に他人を評価しない主が『怪物』と言い切ったことで、自分達の認識が甘かったと気付いた彼らも、姿勢を正して意識を切り替える。
「彼の軍歴と銀河系中をタライ廻しにされた二年間の戦績を分析して驚嘆したよ……高名な指揮官ならば、誰もが得意な戦術や好みの戦い方というものを持っている。程度の差はあれ例外はない……しかし、白銀達也にはそれがない」
キャメロットの謎掛けのような台詞に、三人は怪訝な表情を浮かべざるを得なかったが、それは次の主の言葉で驚愕に塗り替えられてしまう。
「あの男は常に最善手を選択して実行し、当然の如くに勝利を得るのだ。百の戦場があれば百通りの戦術を行使して勝つ……然も性質が悪い事に戦略面でも付け入る隙が無い……まさに【神将】なのだ。侮ってはならぬ。いいかね?」
そう強く念を押された三人は今度こそ誤解なく主の言葉を胸に刻んだ。
「今が千載一遇の機会なのだ……彼が我々を敵視していない今こそが、白銀達也というモンスターを葬る唯一無二のチャンスなのだよ。しくじれば我らの大望の最大の障害になるだろう……だから確実に計画を遂行せよ」
その執念にも似た決意に接した三人は想いを新たにして敬礼するや、先を競う様にして退出して行く。
そんな彼らの背中を見送ったキャメロットは小さく息を吐いた。
(自らを侮らせる事で敵の油断を誘う……それが貴方の手かもしれない。しかし、ただ一度の好機を私は逃さない。味方にできればとも考えたが、愚直な貴方が矜持を曲げる筈もない。所詮水と油ならば先手必勝。勝たせて貰いますよ……白銀達也元帥閣下)
敵方にありながら、彼ほど白銀達也という人間を評価している軍人は他にはいないだろう。
だからこそ、心の闇に芽生えた悪意は深く鋭く。
そして、怜悧な光沢を放つ程に研ぎ澄まされていくのだった。




