第十二話 創造されし者達 ②
GPOに引き渡されたグラーニ伯爵の身柄は本部へ移送される事になった。
船倉に捕らわれていた獣人女性達は、銀河連邦管轄下の東部方面域の居留星から連れて来られた者達だと判明し、違法行為の痕跡が残る船は証拠物として押収されたのだが、彼女らの保護に関してはやんわりと拒絶されてしまう。
(無理もないか。伯爵の後ろにはエンペラドル元帥が控えている……亜人売買は、銀河連邦の理念に反する重罪だ。罪を免れる為に連中がどんな手段に打って出るか分からないからな)
デリケートな対応を求められるGPOの立場を慮った達也は、一時的にではあるが、彼女達の身元保証人を引き受けた。
いずれ元の居留星に戻れるように手配するつもりだが、思わぬ時間を浪費した事で調査行の日程が押し詰まっていた為、彼女達を白銀家の庇護の下でバラディースの住人として登録し、シルフィードへの乗艦を許可したのである。
◇◆◇◆◇
艦内の慌ただしさに興味を惹かれたさくらは、同じ方向に向かう乗員らの後について艦載機格納庫の入り口にやって来ていた。
「ほよぉ~~?」
小柄な身体の利を生かして林立する大人達の足の間を潜り抜ければ、視界が開けて一際広い空間へと出る。
数機の勇壮な戦闘機が並ぶ光景に目を輝かせるさくらだったが、広い室内の隅で肩を寄せ合い、震えている女性達の姿を目にして小首を傾げてしまった。
一様に濃い脅えの色を表情に滲ませている彼女らは、エレオノーラから話しかけられても弱々しく首を左右に振るばかりだ。
その輪の中に自分と同い年位の少女を発見したさくらは、胸中に芽生えた好奇心を我慢できずに庫内へと足を踏み入れた。
目当ての少女は元より、女性らの容姿が自分とは異なるという点は取るに足らない事であり、寧ろ『新しい友達が増えるかも』という期待感に、さくらは胸を弾ませていたのである。
※※※
「駄目ね……すっかり脅えてしまっているわ。居留惑星から連れて来られたみたいなんだけれど、どうも身内に売られたらしくて……私達の事もルーズバックと同じではないかと疑っているのよ」
溜息交じりにお手上げのポーズを取るエレオノーラ。
「そうか。仕方があるまい。銀河連邦の保護下にあるとはいっても、充分な支援が成されている訳じゃないと聞いている。何一つ不自由のない生活が保障されている我々に、已む無く身内を売らねばならない人々を責める資格はないからな」
この世界に存在する獣人……いわゆる亜人と呼ばれる者達は、ファンタジー小説や映像コンテンツに登場する人と獣の特徴を併せ持ったキャラクターと見た目には大した変化はない。
違う点を挙げるとするならば、物語の登場人物とは異なり、亜人という種の原点が、狂気に満ちた人間の思惑に翻弄された悲劇にあるという点だけだろう。
脅える彼女らの不安を如何にして払拭するかと大人たちが思案する中、さくらは身を寄せ合う獣人達の隅で蹲る少女の元へ床を這う様にして近づいて行く。
当然ながら、その少女や周囲の獣人女性達は、幼いとはいえ人間のさくらを見て脅えの色を露にする。
「ねぇっ! あなたのお名前は何て言うのぉ? わたしはさくらっ! 白銀さくらって言うんだよぉ!」
しかし、獣人の少女と仲良くなりたい一心のさくらは、無邪気な笑みを浮かべて語り掛け、躊躇いもせずに手を差し出した。
だが、その指先が触れようとした刹那、恐怖に耐えられなくなった少女は、悲痛な叫び声を発して反射的にさくらを拒絶したのだ。
「い、い、いやあぁぁっ! 近寄るなぁぁ──っ!」
「ばっ、馬鹿ぁっ! さくらっ離れろッッ!」
獣人に手を伸ばす妹に気付いたティグルが叫んだが遅い。
重なり合う悲鳴に一驚して顔を上げた達也が目にしたのは、獣人たちの傍にいる愛娘の姿と、宙に舞う微かな血飛沫だった。
恐慌をきたし夢中で振り払った獣人少女の爪先が、さくらの頬を微かに傷つけてしまったのだ。
頬に感じる熱さに戸惑いながらも、獣人少女の悲痛な想いが傷口から心へと流れ込んできたのを理解したさくらは、その痛ましい記憶を共有して茫然と立ち尽くすしかなかった。
貧しい暮らしだったが、優しい父母に慈しまれて過ごした掛け替えのない日々は唐突に終わりを告げた。
訳も分からない儘に銃で追い立てられ、父も母も狩人の凶弾の犠牲になり、自分だけが捕らわれてしまった。
反抗すれば殴られ……泣けば殴られ……容赦ない虐待を受けて身も心もボロボロになった。
『お父さんを返して!……お母さんを返して!』呪文のように心の中で繰り返して悲鳴を上げるが、それで何かが変わる訳でもない……。
誰も救けてはくれない……もう嫌だっ! もう死んでしまいたいっ!
少女の悲鳴にも似た慟哭が頭の中で木霊するのを知覚したさくらは、その声の主から視線を外せなくなってしまう。
目の前で震える少女の瞳は恐怖に塗り潰されており、溢れた涙で顔を濡らしながら、必死に救いを求めている様にしか見えなかったからだ。
そして、その少女の哀れな姿に、心の奥底に沈んでいた悲しい記憶が呼び覚まされるのだった。
※※※
「てめぇぇ──っ! さくらに何をしやがるッッ!」
大切な妹を傷つけられたティグルが黙っている筈もない。
獣人とはいえ相手はまだ幼い少女であるにも拘わらず、その魂を凍らせるような雄叫びを上げて怒りを露にした。
「ひいぃぅッ!!」
その獰猛な覇気を真面に受けた少女は恐怖に顔を引き攣らせ、喉の奥から声にならない悲鳴を漏らして身体を強張らせてしまう。
それは傍に居る獣人の女性たちも同様で、竜種であるティグルは絶対的捕食者に他ならず、その姿が如何に子供の其れであっても、彼女達の目には怒れる巨竜にしか見えないのだ。
その竜が猛り狂って突進してくれば、恐慌をきたした彼女らは、隣り合う者同士で抱き合い、震えながら死を覚悟するしかなかったのである。
しかし、そんな獣人達を敢然と庇う者がいた。
両手で頭を抱え床に蹲る獣人の少女の前に自らの幼い身体を投げ出し、仁王立ちになってティグルを遮ったのは、他でもないさくらだった。
「この子達に手をだしちゃダメェ──ッ! らんぼうしたら、ティグルでも絶対に許さないからぁッ! だから怒っちゃダメなのぉッ!」
右頬の傷口から鮮血を滴らせる少女が円らな両の瞳いっぱいに涙を溜め、激情を露にして吠えたのだ。
然しものティグルも、その剣幕に虚を突かれて蹈鞴を踏むしかなかった。
「だ、だって……そのチビが先に手を出したから……」
「ちがうよっ! この子は恐かっただけなんだもんっ! 悲しくてっ! とっても寂しかっただけなんだもんッ!!」
懸命に言葉を紡いで訴えるさくらを、獣人達は唖然とした顔で見つめている。
まさか、こんな幼い人間の少女が、激情する竜を押し留めてくれるとは思ってもみなかったのだから、その反応も当然だろう。
それは達也ら格納庫にいた面々も同じであり、今更介入もできずに事の成り行きを見守るしかなかった。
そんな衆人環視の中でさくらは背後を振り返ると、蹲ったまでで半べそを掻いている獣人の少女を優しく抱き締め、涙声を震わせて必死に懇願する。
「この子はさくらと同じなの……達也お父さんと会う前の……寂しくて……悲しくて、いつも泣いていたさくらと同じなんだもんっ! だから許してあげてよぉ! さくらは痛くないからぁ! 全然平気だからぁッ! おねがいだからぁ、この子を叱らないでぇぇ──ッ!」
妹に泣かれたのではティグルも怒りを収めるしかない。
それを知ったさくらは安心したのか、腕の中で震える少女にありったけの想いを伝えたのである。
「もうだいじょうぶだよぉ。もうひとりぼっちじゃないよ……さくらがお姉ちゃんになってあげるからぁ……だから寂しくないよぉ」
辛うじて言葉に出来たのはそこまでだった。
込み上げて来る感情に衝かれたさくらは声を上げて泣き出してしまう。
そして抱き締められた少女も、さくら縋りついて泣きじゃくるのだった。
◇◆◇◆◇
「しかし……さくらっちは最強だねぇ。あっという間に彼女達の信頼を勝ち取ってしまうんだからねぇ」
「えぇ……全く殿下の仰る通りですわ。私達大人は面子丸潰れですね……ですが、あの娘の純真さは見倣わなくてはいけませんわ」
格納庫での騒動が終息した後、達也らは全乗員共用の大食堂でテーブルを囲んで夕食を共にしている。
ヒルデガルドとエレオノーラが優しげな視線を向ける先では、真新しい支給品の軍服に着替えた獣人女性達が、先ほどまでとは打って変わってリラックスした様子で食事をしている姿があった。
そんな彼女たちの中心には満面に笑みを浮かべているさくらと、彼女に寄り添う獣人少女が仲良く同じメニューの食事を食べており、それを取り巻く獣人女性達は優しげな視線を二人の少女に向けている。
『ねえっ!? いいでしょう、お父さん? この娘……マーヤをさくらの妹にするのっ! ねぇ! ねぇ! いいでしょう?』
切ない表情でそう懇願して来た愛娘の必死な姿を達也は思い出していた。
頬の傷の手当もそこそこに、マーヤと名乗った獣人少女の手を引いて訴えて来たさくら。
その姿が、数か月前に『さくらのパパになって!』と懇願して来た時とダブって見えてしまい、その想いを無下にはできなかった。
(この娘は独りでいる寂しさを知っている……天涯孤独になったこの娘を見捨てられないんだなぁ……本当に優しい娘だ)
『また、相談も無く勝手な事を』とクレアに呆れられるだろうが、彼女は受け入れてくれるだろう。
そんな確信があったからこそ、達也はさくらの願いを承諾したのだ。
『マーヤ……もしも君さえ良かったら、僕の娘になってくれないかい?』
マーヤと名乗った獣人の少女は達也からの申し出に戸惑いながらも、養女になればさくらと一緒にいられると知って恐る恐るだが頷いてくれた。
それが他の獣人女性達の緊張を解し、シルフィードの乗員達に心を開く切っ掛けになったのだから、大人達がさくらを褒めるのも当然だろう。
すっかり打ち解け、時折笑い声さえ漏らすようになった彼女達を見て、達也らは一様に安堵して微笑みを交わしたのである。
「しかしねぇ。父親としては、娘の将来が今から心配で堪らないんじゃないの?」
揶揄うかの様な口調でエレオノーラからそう言われた達也は、眉を顰めて怪訝な視線を向けた。
「あの娘は、きっと好い女になるわよぉ~~クレアの遺伝子を引き継いでいるんですもの。美貌とスタイルは折り紙付き。あの性格だから愛嬌はあるし、何よりも、優しくて誰からも好かれるとくれば完全無双状態よね。骨抜きにされる男共が続出すること請け合いよ! お父様としては心配ですわねぇ?」
意地の悪い笑みを浮かべる彼女に、苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込む達也。
そんな父親を見たユリアやティグルも楽しそうに微笑んでいる。
「でもさぁ。確かにさくらは他の人間とは違う様な気がするんだよ……俺も初めて出逢った時、抱かれても嫌な気持ちにならなかったし」
ティグルがそう言えば、小首を傾げるユリアも思案顔で言葉を紡ぐ。
「私の時もそうでした……普通の人間が私の存在に気付く筈はないのに、さくらは自分の精神に寄生していた私に気付いて語り掛けて来ました」
二人の疑念を聞いた達也は、さくらの出生の秘密に想いを馳せずにはいられなかった。
長命種であるファーレン人のクラウス・リューグナーと、短命種である地球人のクレアとの間に生まれた子供がさくらである。
長命種と短命種の婚姻で子を生した例は銀河の人類史において皆無であり、長年の研究にも拘わらずその原因は解明されてはいない。
ただ、子供ができない医学的な根拠は何一つ示されてはおらず、迷信の如き俗説が多数流布されているのが実情だ。
それなのに、神の気紛れか悪魔の謀か、奇跡的に生を授かったのがさくらだ。
五体満足とは言えなかった彼女を救ったのは、実父のクラウス・リューグナーの機転であり、精神生命体にされ、死を待つばかりのユリアだった。(日雇い提督・第一部『忌み子』参照)
(それでも、命を繋いださくらと出逢い、俺は今を生きている……そしてあの娘を通じて結ばれた縁の何と多い事か……感謝しこそすれ、根拠もない不安に負けて彼是と詮索するべきではない)
さくらの出生の秘密を知っているのは、この場にいる者の中ではヒルデガルドとユリア、そしてティグルしかおらず、それ以外では実の両親であるクレアとクラウスだけだ。
余程の事がない限り秘密が表沙汰になる心配はなく、愛娘に余計な不安と混乱を与えない為にも真実を告げる必要はない……。
達也は心の中でそう自らに言いきかせるのだった。
「……お父様。彼女たち獣人について御存じの事があれば、私にも教えて下さいませんか?」
不意にユリアからそう懇願された達也は現実へと引き戻される。
聡明な愛娘の真意を窺うようにユリアの瞳を見つめると……。
「銀河連邦東部方面域に見られる種族……それ位しか知識が無くて……帝国領内には一人もいないと聞いていましたし」
単純な好奇心というよりも、実際に獣人の彼女達を前にし、さくらのように感性ではなく、正確な情報を知って誤解なく接したい……そんな想いを感じられた。
生真面目なユリアらしいと思えば、自然と口元が綻んでしまう。
「いいだろう……但し決して耳障りの良い話ではないからね。それ相応の覚悟をしなさい」
達也にそう念を押されたユリアとティグルは、表情を真剣なものへと改めて父親を見つめるのだった。




