第九十二話 変われない者が得た希望の光 ③
「まぁ、今頃はセレーネに残った近しい者たちの傍で全員が目を覚ましているはずよ。美緒と春香には散々美味しいものを御馳走になったから、志保と詩織たちには特別にサービスしておいたわ」
そう得意げに語る大精霊の突拍子もない話に唯々愕然とするしかない達也だったが、それが軽口やジョークの類でないのは直感で理解できた。
なぜならば、普段はどんなに巫山戯ていても、生物の根幹である命に関する事にだけは最大級の敬意を払う。
それが、彼女たち精霊にとって譲れない信条だと知っているからだ。
だからこそ、戦死した仲間たちが蘇生したという荒唐無稽な話も受け入れられたし、表情にこそ出さなかったが、喜ばしい事だと感謝もしていたのである。
だが、死者を蘇らせる様な奇跡の御業を代償もなく行使できる筈がない。
その程度の事は達也にも想像できた。
超常の存在ならば、運命の天秤すら自在に操れるのかもしれない。
その恩寵を得て仲間が死の淵から蘇ったのだから、感謝して然るべきだろう。
だが、とてもではないが、その事実を手放しで喜ぶ気にはなれなかった。
だから、得体の知れない焦燥感に衝き動かされた達也は、心の奥底で急速に膨らむ不安を直にポピーへぶつけたのである。
「有難いことだ……そう感謝するべきなのかもしれないがな……何の代償もなしに神の御業に等しい奇跡が齎される筈はないよな?」
その質問に対する返答は予想が付いていたが、それでも、問い質さずにはいられなかったという事実が、達也の苦衷を如実に物語っていた。
そして、そんな相棒の苦しい胸中を察したポピーは、どこか諦観を滲ませた顔で苦笑いするしかなかったのである。
「アンタのそういう所が大っ嫌いよ……普段は鈍感なくせに、いざという時だけは妙に勘が良いんだからさ……本当に憎ったらしいったらないわ」
「おい! 巫山戯ている場合じゃないだろう! まさかとは思うが、君達の存在を犠牲にして、何かしらの秘術を使ったとか言うんじゃないだろうな? そんなのは余計な御世話だ! やめろ、今すぐ元に戻してくれ!」
最悪の予想が的中して居ても立っても居られなくなった達也は、まるで悲鳴にも似た叫び声で捲し立てるが、そんな彼を見つめる大精霊は、実に屈託のない微笑みを浮かべて淡々と説明を始めた。
「奇跡の正体は『祝福』という名の秘術……私達上位精霊が生涯で一度だけ使えるものよ。死した生物の蘇生に限らず、ありとあらゆるものの再生が可能。発動条件はユスティーツ様の承認と上位精霊全員の賛同。そして、代償は行使した精霊らが内包しているエネルギーの全て……つまり、私達自身ね」
「ば、馬鹿な事を! 君達を犠牲にして蘇生できたからといって、誰が喜ぶというんだ? 命の尊さに人間も精霊もないだろうが! 俺達はセレーネで、アマテラスという国の下で共生していかねばならない仲間なんだぞ……その大切な仲間の命と引き換えにして全うする人生に、どんな意味があるというんだ!?」
まるで、大した事じゃないと言わんばかりの物言いに激昂した達也は益々語気を荒げるが、その表情に切なさを滲ませたポピーは、嘘偽りのない真意を吐露する。
「大切な仲間だからこそよ。何よりも、達也……アンタを悲しませたくはなかったから。譬え、戦いに勝利したとしても、犠牲になった仲間への罪悪感で苦しむ……白銀達也はそーゆう奴だもん。だから、放っておけなかったのよ」
いつもの無遠慮で明け透けな態度からは想像もできない殊勝な物言いに虚を衝かれた達也は、咄嗟に言葉を返せなかった。
「でも、ごめんね。全員は救済できないの……魂のないモノへ自らの未来を託そうとした敵対者は勿論、帝国の兵隊さんも秘術の対象にはならないわ……セリスには申し訳ないけれど、私達にも色々と制約があるのよ」
つまり、蘇生されるのは梁山泊軍の旗の下で戦った者のみという事だ。
救済される側の人間がその結果に異を唱えるのは筋違いだし、況してや、全ての命を救って欲しいと願うのは傲慢だと言わざるを得ないだろう。
その程度の分別は達也にもあるし、元より死を覚悟して臨んだ戦いなのだから、奇跡に縋ってまで摂理を歪めようとは微塵も思っていなかった。
この戦いは人間同士のエゴのぶつかり合いでしかないし、譬え、その結果による災禍が如何に重かろうと、それは人間自身が受け入れて清算するべき問題なのだ。
決して他者へ転嫁して良いものではないし、剰え、精霊らを犠牲にしてまで生き長らえるなど、達也には到底受け入れられるものではなかった。
「余計な事を……日頃は暴虐無人で自分勝手なくせに……なぜだ……なぜ相談してくれなかったんだ!?」
「それは無意味な問いね。私達は人間の思惑には縛られない存在よ。アンタが言った通り自分勝手に振る舞うのが信条ですもの……だから、何もいわなかったのよ。そして、アンタ達を死なせたくない、そう思ったから秘術を行使した……それだけの事よ」
その言葉からは後悔も悲嘆も感じられず、唯々穏やかな慈愛に満ちている。
それが、達也には堪らなく悲しかった。
この世界で悠久と呼ぶに等しい刻を経た彼らが、自分勝手で矮小な人間らの命と引き換えに失われるなど、銀河世界にとっては余りにも大きな損失だろう。
(それだけの対価を払ってまで、生かされる価値が俺たちにあるのだろうか?)
慚愧の念に駆られた達也は、その胸に蟠る葛藤を言葉にしていた。
「なぜ、俺たちだったんだ? ランツェやセレーネの方が君らとの関係は深かったはずだし、あの怪物騒動の中で無情にも命を落とした子供らの方が、自らの都合で殺し合った俺たちよりも、救済されるに相応しかったはずだ」
その問い掛けの中にあった懐かしい名前にポピーは一瞬だけ悲し気な笑みを浮かべたが、ゆっくりと左右に首を振って口を開く。
「いくら私たちでも勝手気儘に力を行使できる訳ではないわ……どんなに好ましく想う者たちでも、正当な理由なくして救済は有り得ないのよ」
「正当な理由?」
「そう……確かにランツェは素晴らしい人物だった……誰にも優しくて、誰よりも責任感が強くて、そして強い正義感を持っていたわ……でもね」
ほんの僅かな間だが、言葉を切ったポピーの表情に濃い哀切の色が浮かぶ。
「最後には『我が子が生きる事を許されない世界など滅びてしまえばいい』と悲嘆した挙句に狂気に溺れてしまった……セレーネも、そして仲間たちも、そんな彼を止めようとはしなかったもの……」
切々と語られるポピーの言葉はもの悲しくて、彼女の無念が滲んでいるかの様に達也には思えてならなかった。
「生贄にされた子供たちには何も疾しい事はなかったけれど、絶望に心を折られたアルカディーナの大人たちに救済を受ける資格はないでしょう? 自分たちの安寧のために我が子らを贄にしたのだから……譬え、子供らを蘇らせても同じ事が繰り返されるだけよ……二度も絶望を味わわせるなんて残酷じゃない」
それは至極真っ当な言い分だとも思えるが、それならば、自分たちが救済の対象に選ばれた理由が益々分からなくなってしまう。
理想を貫くために戦いを選んだという点で、古の英雄たちと自分らに差異がないのは明らかだ。
況してや、バケモノと呼ぶに相応しい怪異の脅威に直面したアルカディーナらに、他の選択肢があったとも思えない。
そして、子供らを生贄にした非人道的な行為は糾弾されて然るべきなのかもしれないが、ならば、勝ち目もない強大な敵に徹底抗戦し、全ての民が死に絶えた方がマシだというのか……。
堂々巡りを繰り返すだけで何の答えも導き出せない無能な己に心底嫌気がさした達也は、自嘲めいた嘆きをポピーへぶつけた。
「君らの言い分は俺にも良く分かる……だが、我々だってこの手を血に染めて戦うという愚かしい選択をしたんだ。一体全体なにが……彼らと俺たちの何処に違いがあったというんだ?」
すると……。
「自分だけの為に戦ったんじゃないから……気付いていたかしら、達也。アンタの仲間たちは、人間の未来を切り開くという一念だけで皆が戦っていたわ。そこには欠片ほどの私欲もなく、自らの死をも厭わなかった。そして、それを最後の瞬間まで貫き通す者たちばかりだった……それが、私達がアンタらを選んだ理由よ」
そう告げたポピーの表情からは憂いの色は消え失せており、温もりと慈愛に満ちた微笑みへと様変わりしている。
それが堪らなく切なくて、様々な想いに胸を衝かれた達也は、その双眸から零れ落ちる涙を止められなくなってしまう。
その様子を見た大精霊の目にも涙が滲む。
「そして、精霊たちも仲間だと言ってくれたじゃない……そんな素敵な人々が護ろうとした未来を共有したい……そう強く思えたからこそ、秘術を行使する事に何の躊躇いもなかったわ」
「本当に馬鹿だな……やっぱり見る目がなかったと後悔しても知らないぞ」
「馬鹿はお互い様ですぅ──ッ! だから相棒なんじゃないの!」
何を言えばいいのかさえ分からない達也が憎まれ口を叩くが、それを軽く往なすポピーは、いつもの調子で戯けてみせる。
だが、それが合図だったかの様に唐突に彼女の身体が光の粒子を帯び始めたものだから、吃驚した達也は痛む身体に鞭打って右手を伸ばしていた。
「どうやら、時間切れのようね……お別れの時が来たみたい」
「お、おい! まだだ、まだ、陸な礼も言えていないんだぞ!」
狼狽して声を荒げる達也とは裏腹に、ポピーは泰然としたものだ。
そして、何も心配はいらないと、秘していた真実を告げるのだった。
「私たち精霊も他の生命体と同じよ……永遠を生きる事はできない。譬え『祝福』の秘術を使わなかったとしても、いずれは朽ちる運命……それは避けられないわ」
「それでもっ! 俺たちの為なんかに力を使わなければ、もっと……」
言葉を続けられずに口籠る達也へ、優しい視線を向けるポピー。
「悲しまないで、達也。お別れするのは辛いけれど、私たちは何ひとつ後悔してはいないんだからね。寧ろ嬉しくて仕方がないくらいよ。だって、変われない私たちが変わる事ができるんですもの……その希望の光をくれたのは、アンタやクレアと子供たち、そして素敵な仲間たちなのだから」
「変われる? 希望の光を……俺たちが?」
その告白が抽象的すぎて困惑するしかない達也が問い返せば、ポピーはゆっくりと頷いてみせる。
「そう……朽ちた私たちの精神は、セレーネの自然と一体化して再生の時を待つのよ。そして、十年ほどで自我のない下位精霊として蘇る……でもね、そこから経験を重ねて上位精霊へ進化しても転生前の記憶は戻らない。それが『変われない者』という意味……」
「おい……それじゃぁ、ランツェたちや俺達との記憶も……」
「えぇ、全て無かった事になって過去の私が蘇るだけよ……でもね……」
絶句する達也から伝わって来る哀切の情を正しく感じ取ったポピーは、見惚れるような晴れ晴れとした笑みを浮かべて声を弾ませた。
「『祝福』を使った時だけは別。上位精霊へ進化して自我を取り戻した私たちは、転生前の記憶を残しているの……何も知らなかった私たちじゃない。アンタたちとの思い出を刻んだ魂魄を持つ私たちは、確かに変われるのよ……最高の宝物を……希望の光をありがとう、達也」
そう告げるや黄金色の粒子へと自らの姿を変えたポピーは、まるで抱き付くかの様に達也の身体を包み込んだ。
「礼を言うのは俺の方だ……ありがとう……君たちの想いに恥じない未来を築いてみせるから……だから……」
優しい温もりに包まれて感極まった達也は、胸の中から溢れ出る想いを最後まで紡げなかったが、それはポピーや精霊たちにとって、何よりも嬉しい手向けの言葉だった。
だが、最後が涙の別れなど自分たちらしくない……。
そう思った彼女は……。
「メソメソするんじゃないわよっ! 本当に情けない男なんだから! 遠い未来でアンタの子孫たちに出逢ったら言ってやろうかしらね。『アンタたちの御先祖様は英雄と呼ばれて踏ん反り返っていたけれど、嫁には頭が上がらずに完全に尻に敷かれてたダメ男だった』ってさ! きゃはははは!」
それが彼女なりの気遣いだと察した達也も、いつもの憎まれ口で応酬する。
「出鱈目を言うんじゃないッ! ウチは正真正銘の亭主関白なんだからな!」
そう言い放った刹那、一際輝きを増した黄金色の粒子の渦は達也から離れ、名残を惜しむかの様に一度だけ頭上を舞うや、遥か天頂の先に在る故郷を目指して飛翔して行く。
「ありがとう……君たちは掛け替えのない仲間だ。だから、今はゆっくり休んでくれ。君たちが再び羽ばたいた時に失望させないよう……俺たちも頑張るからさ」
その光条が見えなくなるまで暮れゆく蒼穹へと視線を釘付けにしていた達也は、瞳から溢れる涙を拭おうともせずに、心からの感謝と敬意を贈るのだった。
茫然と佇んでいた時間が長かったのか短かったのか、夕闇が迫って来ているのに気が付いた達也は、哀惜の念を吹っ切って気持ちを切り替える。
心を通わせた相棒との別れは辛かったが、まだ果たすべき約束が残っている以上は、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
未練がましくグズグズしていたら、きっとポピーは怒るだろう。
ならば、最後まで相棒が祝福してくれた〝白銀達也“のままでいよう。
そう己に言い聞かせた達也は、まるで労わるかの様な問いを愛機へ掛けた。
「もう少しだけ頑張ってくれるかい、戦友」
主からの問いに応えるかの様に〝疾風“は傷だらけの機体を微かに震わせる。
「そうか……だったら、帰ろう……クレアと子供たちが待っている……」
そう呟いた達也は、朦朧とする意識を奮い立たせるや、戦いの最中も途切れなかった愛娘からの思念波を頼りに帰路に就くのだった。
この日、銀河系の命運を懸けた戦いはフェアシュタント同盟の勝利で幕を閉じ、本格的な和平交渉と戦後処理が加速していく事になる。
そして、新秩序の構築へ向けて各勢力の駆け引きが始まるのだった。




