第九十二話 変われない者が得た希望の光 ①
「我がアマテラス共生共和国軍は残存艦隊の集結が完了したのち即刻撤収いたしますわ。正式な戦後処理は、他の七聖国代表者の御方々が御参集なさる場で改めて。貴国の御厚情と御協力に心から感謝申し上げます」
テベソウス王国現最高責任者との緊急会談で、停戦に関する暫定的な合意を得たクレアは、シャトルのコックピットシートに身体を委ねて小さな溜め息を零す。
アスピディスケ・ベースが沈黙し、双方の航宙艦隊が戦闘を放棄してから一時間ほどが経過したが、主戦場となったダネルは、今も混迷の最中にあった。
惑星極北地域で発生した大爆発によって次世代高性能AI テミストリアが消失したのはほぼ確実で、それは、その支配下にあった全ての人工知能群が沈黙した事からも明らかだ。
これによって、銀河系の命運を懸けた戦いは白銀艦隊を主力としたアマテラス軍の勝利、延いてはフェアシュタント同盟の勝利で幕を閉じたのだが、革命政府軍と梁山泊軍双方共に指導者クラスの高級将官を多数失っており、停戦交渉すら儘ならないほどの混迷を極めている。
しかし、無秩序な状況を放置すれば不測の事態が発生する恐れもあり、生存者の中では最上位者であるクレアが、率先して事後処理に奔走しているのだ。
当然だが、戦後処理を行うには相手が必要で、当事者とはいえアマテラス単独で如何にかなるものではない。
となれば、その重責を現場の軍人に負わせるのは酷であり、譬え形式的なものであったとしても、それに相応しいのはテベソウス王国を於いて他にはなかった。
王国にしてみれば、我が国こそが被害者だとの思いはあるだろうが、七聖国最高評議会の首長を務めた現国王が、貴族閥首魁だったモナルキアを支持した事が革命政府の台頭を助長したのは確かなのだから、無関係だと強弁するのは無理があるのも事実だ。
既に王家は求心力を喪失しており、国王代行の任を委ねられた現宰相は、それらの点を考慮して停戦交渉の席に着いたのである。
(テベソウス王国の了解は得られた……戦闘終結と各方面域での戦闘中止命令は、セリス君とフーバー参謀長が上手くやってくれる筈……今できる事はこれで精一杯ね。正式な戦後処理はランズベルグとファーレンを軸にした七聖国評議会へ御任せするしかないわ)
革命政府軍艦隊を率いていたニクス・ランデル司令官は、心神喪失状態で指揮を執れる状態ではなく、現在は参謀長のジャスティーン・フーバー大将が司令官代行を務めており、各地の友軍艦隊や拠点司令部へ停戦と武装解除を受け入れる様にと説得に当たっている最中だ。
また、フェアシュタント同盟に対しては、ランズベルグ皇王家とは昵懇の間柄でもあるセリスが交渉役を引き受けてくれたこともあり、各地で停戦に移行する動きが加速しているとの報告が齎されていた。
今後の各国の状況や主張を見極めた上で本格的な戦後処理が論じられる場が設けられるだろうが、それぞれの思惑や利害が複雑に絡み合うであろう修羅場に、建国して間がない新興国の新米大統領の出番など有る筈もないだろう。
今回の停戦交渉役は飽くまでも便宜的なものであり、戦争当事国の責任者としての義務でしかないのだから、本交渉の場は実績と名声を有するランズベルグ皇国とファーレン王国が主導するのが相応しいとクレアは考えていた。
(この場で私にできる事は全て終わったわね……あとは速やかに生存者を回収してセレーネへ帰還するだけ……)
対外的案件には一応の目途がついたものの撤収作業は遅々として進んでいない。
ラインハルトやエレオノーラを筆頭に、各艦隊司令部を構成していた高位士官らの大半を喪い、指揮系統が混乱しているのは梁山泊軍艦隊も同じだ。
とは言え、いつまでもこの宙域に留まっていては、何かしらの野心があるのではないかと勘繰られる恐れもある。
譬え、それが難癖レベルのものであったとしても、本格的な戦後処理が議論される場で俎上に上げられる様な事になれば、アマテラスが被る不利益は看過できないものになるだろう。
当然だが、勝利者の立場にあるフェアシュタント同盟内部で、論功行賞を巡って熾烈な駆け引きが繰り広げられるのは確実だ。
そんな煩わしい展開を回避する為にも、早急に残存戦力を纏めて撤収を完了させなければならないのだが、胸が引き裂かれんばかりの焦慮に苛まれているクレアは千々に心を乱しており、その心情を顔にこそ出さないものの、明らかに精彩を欠いていた。
(達也さん、お願いだから無事でいて……私との約束を守るって言ったじゃない)
彼女が心を乱している原因は唯一つ。
他ならぬ最愛の夫の所在が確認できていないからだ。
現在も達也との連絡は取れておらず、その安否さえ確認されていない。
ダネル極北地域の一部は大規模な地殻変動を伴う災害に見舞われており、それがテミストリアと、器たる基地施設の崩壊に伴うものであるのは疑い様もなかった。
それは、取りも直さず達也が勝利したという事実に他ならないのだが、当の本人が未だに帰還しないとあっては、良くない想像ばかりが脳裏を過るのも、妻である彼女ならば無理もないだろう。
基地周辺は現在も連鎖的に爆発が続いており、その影響で活性化した火山の噴火に伴う火砕流によって何人も寄せ付けない地獄絵図と化している。
生還を信じてはいるが、それでも不安は大きくなるばかりで、許されるのならば今すぐにでも飛んで行きたいと心底そう思う。
だが、同時に分かってもいるのだ。
職責を蔑ろにして私事を優先させても夫は喜ばない事を……。
(兎に角、地上部隊の撤収を急がせよう……そのあとは……)
諦める訳にはいかない……そんな想いを強くするクレアだった。
※※※
王都にある重要施設の攻略に当たった部隊が集結しているのは、ジュリアン奪還作戦の舞台となった王立総合病院に隣接する広大な草原だ。
上空から見る限り既に七隻のイ号潜が待機しており、その周辺は生還を果たした将兵らでごった返している。
その様子を見たクレアは、安堵して胸を撫で下ろした。
(簡単な報告は受けていたけれど、将兵らの人的損失は想定よりも格段に少なかったようね。本当に良かったわ)
残る懸念はジュリアン奪還部隊に同行した子供達の安否だけだったが、その不安は杞憂に終わる。
着陸したシャトルから降機したクレアを出迎えてくれたのが、他ならぬユリアとティグル、そして囚われていたジュリアンだったからだ。
「お母さん! 無事でよかった! 心配していたの」
「俺も安心したぜ、ママさん。宇宙は激戦だったと聞いたからさ……」
駆け寄って来た子供らを抱き締めたクレアは、その温もりに安堵した。
「あなた達も無事で良かったわ。ジュリアンも……心配していたのよ」
柔らかい微笑みを将来の娘婿殿へ向ければ、当の本人は苦笑いして頭を搔く。
「御力添えに感謝します……ですが、まさかユリアやさくらちゃんに助けられるとは思ってもいませんでしたから、少々驚かされましたよ」
目で確認できる範囲では怪我を負った様子はなく、長期間に及んだ監禁の影響も思った程ではないようだ。
そう察して胸を撫で下ろしたクレアは、再会の喜びもそこそこに現在地上部隊が置かれている状況の説明を求めた。
本来ならば指揮官であるセルバ・ヴラーグ大将か、空間機兵団トップの志保から直接説明を受けるべきだが、早期の撤収をと厳命した手前、負傷者の収容で多忙を極めているヴラーグの手を煩わせるのは忍びない。
また、志保には気軽に声を掛けられない事情もあった。
何と言っても、大切な家族であるラルフとアイラを同時に喪ったのだ。
その喪失感と悲嘆が如何ばかりかは察して余りあるし、無二の親友だと自負するクレアでさえ、何と言って声を掛ければ良いのか分からなかった。
だから、ユリアやジュリアンから話を聞く事にしたのである。
「ジュリアンと共に救出したマチルダ嬢は、ヒルデガルド殿下が付きっ切りで治療に当たられているわ。最優先で収容した一番艦が間もなく離陸する筈……そのままセレーネへ急行して殿下のラボで本格的な治療を行うそうよ」
「ヴラーグ大将麾下の陸戦隊は、重傷者こそ多かったものの戦死者は想定を大きく下回ったそうです。また、革命政府軍の各部隊も停戦命令に粛々と従い、武装解除にも応じていると聞いています……クレアさんの呼びかけが効いたようですよ」
ジュリアンからの誉め言葉は気恥ずかしかったが、撤収に際しては特に問題点は見られず、マチルダの件も事前に簡単な経緯を聞いていた事もあり、ヒルデガルドに一任して大丈夫だと判断した。
また、複数の敵機甲部隊と直接戦ったティグルも掠り傷程度でピンピンしており、子供らに関する事で残された懸念は、あと一つとなる。
「頑張ったそうね……どこも怪我はしなかった? さくら」
既に陽は傾き始めていて、薄いオレンジ色へと様相を変える草原に立ち尽くしている愛娘は、北方に拡がる蒼穹を見つめて微動だにしない。
そんなさくらの心情が痛いほど分かるクレアは、愛しい娘の身体を背後から抱きしめて、その耳元で囁いた。
「お父さんが嘘を言った事があるかしら? きっと大丈夫……いつもの様に笑顔で帰って来てくれるから、私達は一足先に宇宙へ戻りましょう」
そう促されて小さく頷くさくらだったが、その反応とは裏腹に動く気配はない。
こうなった愛娘が梃子でも動かぬのは分かり切っているし、クレア自身も大統領としての責務は十分に果たしたとの思いもある。
だから……。
(最後の艦が出発するまでは、此処で達也さんを待ていても構わないでしょう……それ位の我儘は許されるわよね)
そう自己完結した彼女は、腕の中のさくらの温もりに心を委ねた。
見れば、ユリアもティグルも草原に腰を下ろしてニコニコと笑っており、長期戦の構えなのは一目瞭然だ。
当然ながら、恋人へ右に倣えのジュリアンもユリアの隣へ腰を下ろす始末。
そんな家族が愛おしくて堪らず、だからこそ北の方角へ視線を向けたクレアは、心から願って已まない想いを最愛の夫へと向けて解き放つのだった。
◇◆◇◆◇
「ちょっとぉ! 何を呑気に昼寝しているのよ!?」
(うるさいなぁ……眠いんだから仕方がないだろう)
「ほらほら! さっさと起きなさいよ、時間がないんだからねッ!」
その声と嫌味な物言いの主が誰なのかは確認するまでもない。
何だかんだで付き合いも長くなった自称相棒の精霊ポピーだ。
本当に騒々しい奴だ……。
そう呟きながら舌打ちした達也は、その自らが発した微かな音に促されて覚醒したのだが……。
「ぐぅッ!? はぁ……い、生きているのか俺は?」
目が覚めた途端に痛覚も蘇ったらしく、寝ていた方がマシだったと後悔するほどの痛みに悶絶した達也だったが、そんな事情などは何処吹く風と受け流す相棒は、やや呆れた顔で嘆息する。
「本当に運だけは強いわよねぇ。爆発の寸前に展開させたシールドが帆の代わりになって脱出できるなんてさぁ、今どき下手なB級映画でもやらないわよ」
「ず、随分な言われようだな……これでも重症なんだから、少しは労わってくれても良いじゃないか……結構頑張ったのだからさぁ」
B級映画とか何処で覚えた、そう突っ込みたくなるが、下手に喋るだけで容赦ない痛みに苛まれる現状では、余計な言葉を紡ぐ余裕はなかった。
「ふん! そんだけ軽口が叩けるのだから儲けものじゃないの! 目的は果たせたのだし、命もある……その事実の前には、労いの言葉なんか必要ないでしょう? アンタは本当に良くやったわ、達也」
「おや……珍しいじゃないか……君が褒めてくれるなんて天変地異の前触れじゃないのかい? それとも実は俺も死んでいて、ここは天国だったというオチかな?」
「やっぱり可愛くないわぁ──ッ! こんな男にベタ惚れのクレアの気が知れないわよ! 絶対に男運が悪いんだからね、アンタの女房はさ!」
キーキーと騒ぐポピーを宥めながら、達也は現状を知るべく意識を飛ばす。
幸いにも疾風は辛うじて生きており、幾つかの外部カメラも健在だった。
如何やら爆風で吹き飛ばされた際に大地が割れて出来たクレヴァスに落ちたらしく、それが功を奏して激しい爆炎の渦から逃れられたようだ。
おまけに途中で突き出した岩棚に機体が引っ掛かったお陰で、九死に一生を得たのだと分かった。
だが、それを素直に喜べないのも偽らざる本音だ。
(また生き延びたな……大勢の仲間に、そして顔も知らない敵に死を強要した当の俺が生き残るなんて……全く皮肉なものだ、つくづく嫌になる)
そんな虚しさが我慢できず、思わず素直な想いが口から零れ落ちてしまう。
「また大勢死なせてしまったな……それなのに何時も俺は生き残ってしまう。まさに死神だよ。本当に死すべきは、俺なのになぁ……」
それはクレアにも、そして親友のラインハルトやエレオノーラにも見せた事がない、ある意味で最も白銀達也らしいと言える弱さだ。
今回の戦いで、どれだけの命が喪われたかを考えるだけで恐ろしくなる。
その中には、親しく接して来た者達も多く含まれているだろう。
その事を思うだけで身が竦むし、罪悪感で気が変になりそうだった。
(いっその事、この儘この場所で朽ち果ててしまおうか……)
生きているのが不思議なほどの重傷だとの自覚もあるし、激戦の末の相討ちならば家族も許してくれるのではないか……。
そんな都合の良い身勝手な想いに流されかけた時だ。
やはり、空気も読まず、相手の心情に忖度しない大精霊が言い放ったのである。
「なにを大袈裟に悲劇の主人公を気取っているのよ? アンタの仲間は誰一人として死んじゃいないからね。ちゃんと生き返らせてあるから、安心なさい」
然も楽しいと言わんばかりに、ニヤニヤと意地の悪い笑みを口元に浮かべた精霊の言葉は、脳に染み入るまでに相当の時間を要するのだった。




