第九十話 デッドライン ⑤
『全艦突撃せよ!』
達也が発した檄を受諾したエレオノーラが総攻撃を下命した時、ラルフ指揮下の航空戦隊は革命政府軍艦隊の後背に展開しており、アスピディスケ・ベースは目と鼻の先にあった。
後方へ退避する敵機動部隊を優先的に撃破するべく、敵陣深く進攻した結果ではあるが、それを僥倖だったと素直には喜べない理由がある。
この時点での烈風隊の主兵装は対艦ミサイルであり、堅固な要塞を攻略するには余りにも火力不足だからだ。
せめて熱核弾頭装備のミサイルでも搭載していれば話は別だが、今更母艦に戻って兵装転換をしている余裕など有る筈もなかった。
当然だが、蓮の疾風も搭載火器の性能は烈風と大差はない。
主兵装のビームライフルは強力だが、嘗ての鉱石採掘惑星を軌道要塞へ改造したアスピディスケ・ベースの強固な外殻を破壊するには心許ないのが実情だ。
況してや、ヒルデガルドが苦心して開発した強固な装甲で守られた梁山泊軍艦艇とはいえ、我が身の損害も顧みず、ただ只管に攻撃に専心する死兵の群れが相手では、苦戦を強いられるのは免れないだろう。
(ならば、AIに乗っ取られた敵護衛艦を一隻でも多く撃破するしかない!)
だから、そう判断した蓮は、味方艦隊援護の為に愛機を反転させようとしたのだが、それに待ったを掛けたのは、他でもいない戦隊指揮官のラルフだった。
『蓮! 成すべき事を間違うなッ! 白銀提督の命令は本部要塞の破壊だ!』
「しかしっ! 我々の兵装では、あのデカブツ相手に有効なダメージを与えるなど不可能ですッ! だったら、突撃する艦隊を援護した方が……」
『御託はいいから! これを見ろッ!』
ラルフの怒鳴り声に思わず顔を顰めたが、情報表示の為のスクリーン機能を有しているヘルメットのバイザーに映し出された見取り図を見た蓮は、それが何であるか一瞬で理解した。
二分割された図面の一方は、アスピディスケ・ベースの東ブロックにある一点を赤い点滅で表示したもの。
もう一方は、その内部構造の詳細が記されたデーターベースだった。
「こ、これは排熱ダクトですか?」
『そうだ! アスピディスケ・ベースの主動力炉の格納ブロックから外部へと続く各種ダクトは大小無数にあるが、東ブロックへと続くコイツは直径50メートル。人型の疾風ならば動力炉まで辿り着ける筈だ!』
つまり、直接的手段で要塞を攻略する術はないが、心臓部である動力炉ならば、脆弱な武装しかない疾風でも破壊は可能だとラルフは言っているのだ。
そして、彼らが置かれている状況を鑑みれば、その判断は正しいと蓮も認めざるを得なかった。
味方の航空戦力も既に半減しており、本気の敵艦隊相手では自軍艦隊を援護するといっても焼け石に水でしかない。
ならば、独自に要塞攻略戦を敢行するべきだとのラルフの決断は、決して的外れでも無謀なものでもなく、それが艦隊司令部の思惑も加味した上でのものならば、軍人として経験が浅い蓮に異を唱える術はなかった。
『ミュラー副司令官とグラディス艦隊司令官の狙いは、西ブロックにある艦船用のドッキング・ベイが集中しているダイヤモンド・ポートだろう。あの奥には要塞の機能を司る情報システムの中枢コントロール区画がある。大和級の艦首陽電子砲〝建御雷“ならば、コントロールブロックごと粉砕できる筈だ』
(そうか……東西両ブロックから弱点を急襲すれば、如何に堅固な要塞でも攻略は可能な筈だ……縦んば破壊には至らなくとも、指揮系統を掌握しているコンピューターシステムさえ潰せば……)
ラルフの言葉から瞬時に現状打破の為の最善手をシミュレートした蓮だったが、それが容易な事ではないのも簡単に想像できた。
動力炉へと続く排熱ダクトの内部構造を見る限り、不規則な機動も可能な疾風ならば、突破は然して難しくないと思われる。
敵の進攻を阻害する目的でダクトそのものが歪曲した構造になっているとはいえ、人型の疾風には何の障害にもならないのは自明の理だ。
幸いにも、ビームディフェンダーは全機が健在だし、対艦用マイクロミサイルも幾許かは残っており、ダクト内部三か所にある隔壁や迎撃システムにも充分に対処できる。
つまり、排熱ダクトの外口部に到達して其処から侵入さえできれば、高い確率で勝利を掴む事が可能なのだ。
だが、しかしである。
その外口部までのルートを如何にして切り拓くかが、最大の問題だった。
厄介なナイトメアはその大半を始末したとはいえ、要塞には予備戦力が温存されている可能性は極めて高いし、巨大な構造物であるが故に対空火器の配備数も半端ないのは言わずもがなだ。
しかし、その困難な作戦を成す以外に残された術がないのならば、躊躇う必要はないというのが全員の総意だった。
万が一にもダネルへの攻撃を許し大勢の民衆が虐殺されれば、これまでの苦労が全て水泡に帰してしまい兼ねない。
その結果として今次大戦の正当性すらもが疑われる様な事態になれば、戦後世界は混沌としたものとなり、政治的混迷は避けられないだろう。
それが新たな紛争へと発展したのでは、何の為に大勢の人間が命懸けで戦ったのかさえ分からなくなってしまう。
だから、如何に困難であっても尻込みする理由はない!
そう決意した蓮は、眦を決して言い放つ。
「やりますッ! 要塞内部へ突入して動力炉を潰しますッ!」
その力強い言葉に滲む覚悟を察したラルフは、自分の娘と同い歳の若者へ世界の運命を託さねばならない己の非力さに歯噛みする思いだった。
だが、そんな感傷に浸っている暇さえないのだ。
残存艦隊はエレオノーラの武蔵を先頭に突撃を開始しており、敵AIを攪乱する為にも遅滞は許されなかった。
譬え、その所為で、苦楽を共にして死線を乗り越えて来た仲間達へ死を強要する事になったとしても……。
『よしッ! 蓮、お前は一切の反撃はせずに排熱ダクト外口部へ辿り着く事だけに専心しろ。他の奴らは全力で疾風を護れ! 己の身を盾にしてでも護り抜け!』
余りにも突飛で理不尽としか思えないラルフの命令に鼻白む蓮だが、戦友たちが要塞へと機首を向けた隊長機を追って愛機を疾駆させれば、彼らに続く以外に取るべき道はなかった。
想いを託す者達と託された者が、一陣の突風となって要塞へ迫る。
だが、此処が正念場だと判断したのは敵AIも同じであり、虎の子のナイトメア部隊二百機を惜しげもなく投入するや、苛烈な対空砲火による弾幕を張り巡らす。
何の小細工もなしに真正面から激突した烈風隊とナイトメア部隊の戦いは熾烈を極め、潰し合いの乱戦へと様相を変えていく。
機体性能では優位に立つナイトメアだが、所詮は積み重ねたデーターと常識的な戦術論に拘泥するAIが操る人形に過ぎないのだ。
たった一機の仲間を護る為だけに命すら投げ出すと決めたラルフ達とは、覚悟という一点に於いて、その戦いぶりには天と地ほどの差があった。
それが、死地が変遷する戦場に一筋の活路を作り出したのである。
『蓮! 敵機には目も呉れるなッ! 弾幕を掻い潜る事だけに集中しろッ!』
複数のナイトメアを相手取って奮戦するラルフの檄に、そして一機、また一機と戦場に散っていく戦友らの想いを無にしない為にも蓮は吠えた。
「ポピー! あとの事など考えなくていいッ! 力を貸してくれ! 動力炉までの道を俺に見せてくれッ!!」
その血を吐くような言葉に滲む覚悟を敏感に察したポピーは、ほんの刹那の間だが感慨に胸を熱くして言葉を詰まらせてしまう。
自力では引き出せない超常の力に依存するという事は、自らの命と引き換えにしても構わないと言っているに等しく、それは『あとの事など考えなくていい』という彼の言葉にも色濃く滲んでいた。
その純粋なまでの使命感と自己犠牲の精神は、永遠の刻を経ても変化する事がない自分達精霊には最も縁遠いものだろう。
血で血を洗うだけの愚かな争いを賛美する気はないし、醜いエゴを剥き出しにした人間同士の戦いを肯定する気にもなれない。
しかし、それでも、達也とクレア、そして彼らを取り巻く人間達に出逢えて良かった……そう思わずにはいられなかった。
だからこそ……。
「希望を見せてくれてありがとう。アンタ達を選んだのは間違いじゃなかったわ。だから悔いのない戦いをしなさいッ! 自らが望む未来の為に!」
そう告げた大精霊は、遥か昔に交わした約束を果たさんと、この戦場に存在する全ての精霊らへ行動を促すべく秘めた力を解き放った。
その意味深な台詞に言い知れぬ不安を覚えた蓮だが、覚醒して苦痛と背中合わせの無敵モードが発動したが故に追及する機会を逸してしまう。
しかし、もはや彼是と詮索している時間はなかった。
一刻も早く外口部から侵入して要塞の心臓部である動力炉を破壊しなければならないし、加護によって強化された能力を維持できる時間は短い。
だから、全ての雑念を頭から追い出した蓮は、間断なく浴びせられる対空火器群からの砲火を躱し続け、ただ只菅に愛機を疾駆させた。
緩やかに流れる視界の中で飛び交う弾幕の僅かな隙間を縫う様に潜り抜ける間にも、仲間達の末期の声で耳朶を嬲られる。
視覚と聴覚から伝わる情報の差異はキリキリと頭を締め付け、まるで脳が悲鳴を上げているかの様な断末魔の苦しみに苛まれてしまう。
だが、それでも蓮は歯を食いしばって懸命に耐えた。
(もう少しだ! あと、ちょっと────ッ!!!?)
もはや周囲の状況も仲間達の安否すら分からなくなった中、漸く外口部の目前まで迫ったが、まるでその努力を嘲笑うかの様に外環を構成する岩石壁の亀裂に潜んでいたナイトメアが眼前に飛びだして来た。
(回避も迎撃も間に合わないぃぃ──ッ!!)
敵のビームガンの銃口が不気味な熱を帯びていると察した瞬間〝万事休す“の文字が脳内で踊ったが……。
『野暮な真似をしてんじゃねぇ──よッ!!!』
ラルフの大喝がレシーバーを震わせたのと、進路を阻んでいたナイトメアが忽然と消失したのは同時だった。
無慈悲にも人の限界を超えている視力は、横合いから飛び出して来たラルフ機がナイトメアに体当たりした瞬間を余さずに捉えてしまう。
「た、隊長おぉぉぉ──ッ!?」
『活路は頭上にある! 希望を捨てるなよッ! あとは頼────』
最後の言葉は激しい衝撃音と不快な雑音の嵐で掻き消されてしまう。
その喪失感と悲しみは半端なものではなかったが、だからこそ今ここで脚を止める訳にはいかない。
ごちゃごちゃになった感情を胸の奥底に押し込んだ蓮は、開かれた道の前に拡がる開口部へと愛機を躍らせた。
ダクトは左右上下へと歪曲しており、迎撃用の小火器群も健在だったが、無人機並みの機動力を誇る疾風の前では無力でしかない。
行く手を阻む最後の隔壁をミサイルで吹き飛ばすや、途端に視界が開けた。
そして、そこに鎮座する巨大な構造物を捉えた瞬間、激しい衝撃が要塞の心臓部を揺らすのを知覚する。
それが、艦隊の攻撃が功を奏し、要塞の情報システムへ痛撃を与えた証だと確信した蓮の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
だったら、成すべき事は一つしか残っていない。
「多くの仲間達が死んでいった……その黄泉路を照らす送り火になるがいい!」
何も惜しむものはなかった。
帰路の安全を確保する為の武器も無用だ。
だから、蓮は疾風の武装を全開放して無差別に解き放った。
頑強な合金で建造されているとはいえ、所詮は唯の機械だ。
戦艦とは比較にならない脆弱な動力炉と付随するシステム群は、数多のミサイルと飛び交うビームディフェンダーの攻撃により壊滅的打撃を受けてしまう。
そして、自らを炎の塊と変えた動力炉の断末魔は、目も眩む閃光となって周囲の全てを苛烈な熱量の大渦へと呑み込んでいくのだった。




