第九十話 デッドライン ④
もしも本当に〝戦神″なるものが実在するのならば、それは余りにも気紛れで恣意的なものだ、そう語る歴史家は枚挙に暇がない。
勝利を得んと千辛万苦して戦場で足掻く矮小な人間らを、まるで盤上の駒を引っ繰り返すかの様に想定外の危地へと追いやるのだから、その評価も強ち間違いではないのかもしれない。
そして、銀河系の未来を左右するこの瞬間にも容赦なく発揮された神々の気紛れは、生存している全ての将兵らへ残酷な決断を強いるのだった。
※※※
【革命政府軍艦隊旗艦 ガイスト・ノーヴァ】
「駄目ですッ! 全てのシステムがダウン! リブート(再起動)不能! こちらからの指示を受け付けません!」
「主機関停止ッ! 非常用補助システムも反応なしですッ!」
「全ての搭載火器も沈黙しました! 管制AI反応なしッ! 原因は不明ッ!」
「状況混乱! 他の僚艦全てが本艦と同じ異変に見舞われています!」
「艦隊内で共有されている非常時通信システム以外は全システムが沈黙しました!この儘では我が艦隊は格好の的でしかありませんッ!」
戦闘艦橋を飛び交うオペレーターたちの悲鳴が、この異変が予め想定されていたものではなく、突発的なイレギュラーであるのを如実に物語っている。
そして、狼狽を余儀なくされたのはキャメロットの最側近だったランデル司令官も同じだが、その反応は極めて緩慢なものだった。
艦隊のトップたる者が逆境にあって惚けるなど資質を問われて然るべき失態ではあるが、主と仰いだキャメロットと、戦友でもあり掛け替えのない盟友でもあったオルドーを同時に喪ったのだから、その胸中は察して余りあるだろう。
生粋の武人であるランデルにはキャメロットの悲願が成就される事のみが重要であり、敬愛する主の自我がテミストリアのコアと融合した時点で全ての目的が成就したともいえる。
それ故に茫然自失の体で立ち尽くし、艦隊を襲った異常事態にも十全たる対応ができないでいたのだが、艦隊幕僚トップであり、叩き上げの将官でもあるフーバー参謀長の反応は素早く、一切の躊躇はなかった。
「これは一体全体どういう事ですか!? このような事態はテミストリア覚醒後の想定事案にも記されていませんでしたぞ? ランデル司令! 御説明頂きたい!」
色を失った瞳で此処ではない何処かを見ているランデルの将官用コートの胸座を掴んだ彼は、上官への敬意も幕僚として遵守するべき規範意識も投げ捨てて語気を荒げていた。
それは、数多の死線を潜り抜けて来た古強者特有の第六感が、この先に待ち受けているであろう危機的状況を察知したからに他ならない。
(テミストリアが真の覚醒を果たした後の対応は想定されていたが、自軍の戦力が行動不能に陥るなどという話はなかった。だとしたら、これはテミストリアにとっても想定外の事態があったという事なのか?)
それが如何なるものかは分からないが、胸中に拡がる嫌な予感は膨らむばかりでランデルの胸座を締め上げる両手にも自然と力が入ってしまう。
すると、心ここに有らずといった体のランデルが、まるで譫言を呟くかのように途切れ途切れの言葉を零した。
「全ては我が軍の苦戦が原因だ……弱小勢力でしかない白銀艦隊など脅威ではなかった筈なのに……これほど手子摺るなど完全に想定外だ……だから、テミストリアはジェノサイドモードを起動させて反乱分子の一掃を決断したのだろう……」
辛うじて聞き取れたのは其処までで、既に正気を失いつつあるランデルは、意味不明の独り言を繰り返すのみの抜け殻と化してしまう。
(ジェノサイドモード? この異変は全てテミストリア主導によるものなのか? だが、友軍の形勢が不利になったとはいえ一体全体なにをしようというのか?)
これ以上は何を聞いても無駄だと判断したフーバーは、ランデルの言葉から迫り来る危機の正体を見極めんとしたが、断片的な情報ばかりで判断がつかなかった。
相変わらずシステムの復旧はならず、引っ切り無しにスピーカーを震わせる僚艦からの通信は、まるで迷子になって泣き叫ぶ子供の如き様相を呈している。
だが、不安に苛まれるばかりの時間は唐突に終わりを告げた。
『梁山泊軍全ての残存艦隊へ告げる! 可及的速やかにアスピディスケ・ベースを破壊せよッ! 先頃猛威を振るったB兵器(細菌)搭載のユニコーンをダネル各地へバラ撒く気だ! 一般人への虐殺を許してはならない。断固阻止せよッ!』
それが、宿敵である白銀達也からのものだとは皮肉以外の何ものでもなかったが、状況を共有するのに敵も味方もないとフーバーは割り切る。
況してや、彼自身も軍人としての矜持を投げ捨てた訳ではなく、罪もない民間人を犠牲にする愚行に同調する気は微塵もなかった。
(ならば、やるべき事は一つしかないではないか!)
艦の機能を取り戻し、白銀艦隊に協力してテミストリアの蛮行を阻止する。
惑星ダネルに息づいている全ての生命を守るにはそれしかないのだ。
譬え、その結果キャメロットの悲願が砂上の楼閣と成り果て、自分たちが信じた未来が失われるとしても、今を生きる多くの人々を犠牲にする訳にはいかない。
そう決断したフーバーは、指揮能力を失った司令官に代わって命令を発しようとしたのだが……。
「シ、システム再起動ッ! しかし、こちらからの干渉を受け付けません!」
「主電源回復、機関始動! ですが同じくマニュアルによる操作は不能ッ!」
「火器管制システム再起動! 目標は白銀艦隊ですッ!」
「AIによる完全支配下での戦闘モードに移行しました! 本艦の操作は不能! 艦隊全艦が同様の状況に陥っている模様ですッ!」
まるで彼の変節を嘲笑うかのように牙を剥き出したテミストリアが、一切の情を排除した最善策を実行に移したのである。
そこに人間というファクターが介在しない以上、AIに制御された兵器はまさに死兵同然だと言っても過言ではない。
自らがどれだけ被弾しようが、どれほどの損害を艦隊が被ろうが、その結果として数多の人命が喪われたとしても怯まずに戦い続ける。
そんな狂信者を相手にするのがどれほど厄介かは、軍人ならば誰もが承知しているし、目的達成の為ならば損害を厭わないAIの容赦のなさも、それに匹敵するものだと容易に想像できた。
(ダネルを死の星へ変えてAIによる支配を完成させる……あとは人間を排除した世界で機械による完全統治を実現させるのが最初からのシナリオかっ!? 穏健な統治への移行など都合の良い方便だったに過ぎないという事か……)
甘言によって騙されていたと知っても後の祭りだ。
譬え、悪意ある思惑がキャメロットらになかったとしても、その未来図に賛同して協力した自らの責任を放棄するなど許される事ではない。
ならば……。
唯一自由になる通信システムを起動させたフーバーは、断腸の思いを嚙み殺して最後の意志を表明するのだった。
「白銀艦隊へ警告する。我が艦隊の機能は全てテミストリアに支配されている! 今後の反撃が苛烈を極めるのは確実だっ! 白銀提督の命令を達成する気があるのならば一切の躊躇は無用! 立ちはだかる我が艦隊を薙ぎ払ってアスピディスケ・ベースを排除せよッ!」
◇◆◇◆◇
達也に続く敵指揮官からの勧告は、光明が見え始めていた戦局を根底から覆すに足るものだった。
敵艦隊将兵の戦意低下というアドバンテージが失われたばかりか、死兵と化した残存兵力全てを相手取りながら巨大要塞であるアスピディスケ・ベースを攻略するなど、とてもではないが正気の沙汰とは思えない。
だが、だからといって此処で引き下がる訳にはいかないのだ。
それは敬愛する司令官の命令だからではない。
軍人として、そして人間として絶対に譲れない想いを艦隊将兵全員が共有しているからだ。
「詩織さん、私への配慮は無用ですッ! 総攻撃をッ!」
大和艦橋でクレアが決意を露にして叫べば。
「全艦突撃せよッ! 恐らくタイムリミットは間近に迫っている筈よ! AI如きの尻に敷かれるのが嫌ならば、全力で敵艦隊を突破しなさいッ!」
「アスピディスケ・ベースへダメージを与えるには、大和級の艦首陽電子砲に頼る以外に術はない。対艦戦闘力に劣る母艦群は迎撃に徹して戦艦の傍を離れるな!」
エレオノーラとラインハルトも間髪入れずに檄を飛ばす。
それは捨て身の特攻を意味するものに他ならないが、梁山泊軍麾下全ての艦艇は一切の躊躇もなくアスピディスケ・ベースへの突撃を開始した。
己が信じる未来を手に入れる為に。
そして、自らが大切に想う人々が暮らす此の世界を守る為に。
果たして戦神が望むのは如何なる結末なのか……。
決着の刻は目前に迫っていた。




