第九十話 デッドライン ③
(何て事だ……こうも容易くナイトメアが撃破されるとは……)
革命政府軍艦隊航宙母艦群を指揮するレクト・オルドー准将は、自軍を見舞った想定外の事態が信じられず、旗艦戦闘艦橋で茫然と立ち尽くすしかなかった。
全ては活躍を確信していた新兵器が、その真価の片鱗も発揮できない儘に無残な敗退を喫したのが始まりだ。
更に状況の把握も充分ではないうちに強行投入した第二次攻撃隊までもが同様の末路を辿ったのだから、艦隊司令部が混乱の坩堝へと叩き落とされたのも無理はないだろう。
そして、態勢を立て直す為に一時的後退を決断したものの、その退避行の最中に電探システムの不具合を衝いた敵航空戦力からの奇襲を喰らってしまい、今や彼が直卒している艦隊も壊滅の危機に瀕していた。
勿論、奇襲を受ける直前には多くのナイトメアが温存されてはいたが、それらを搭載した運用艦が真っ先に狙われたのでは、如何に高性能を誇る新型無人機動兵器といえども、母艦と運命を共にする以外に道は残されてなかったのである。
それでも辛うじて三百機ほどは発艦させられたが、物量と質の両面で白銀艦隊の航空戦力には及ばず、小隊単位での連携を活かす敵航空隊の戦術の前に次々と撃墜されていく光景は、まるで悪い夢を見ているようだと慨嘆するしかなかった。
そして、その非現実的な悪夢の中から抜け出せずにいるオルドーにも唐突な最後が訪れる。
「うわあぁぁぁ──ッ!!」
断末魔の悲鳴によって耳朶を叩かれたオルドーは、それが隣で懸命に指揮を執っていた艦長のものだと気付いて我に返った。
同時に彼の双眸が捉えたのが、梁山泊軍唯一の人型機動兵器〝疾風″だったのは、まさに運命の皮肉としか言いようがないだろう。
艦橋前面に肉薄した敵機が構えたビームライフルの銃口の鈍い煌めき……。
それが、オルドーが此の世で見た最後のものだった。
◇◆◇◆◇
「よしっ! 最後の主力母艦も潰した! あとはナイトメアの残存戦力だけだ!」
敵機動部隊旗艦らしき大型航宙母艦の艦橋付近を大破させた蓮は、小規模な爆発を誘発させながら船体を傾ける敵艦を見て歓声を上げる。
精霊らの協力もあり奇襲は絶大な効果を上げ、今や敵機動部隊には開戦前の威容など見る影もなく、その機能を完全に喪失したと言っても過言ではない。
だが、パイロットとしての経験が浅い蓮には、未だ刻々と変化する戦場の機微を読み取る余裕はなく、形振り構わずに目の前の敵を叩くだけの己の未熟さが歯痒くて仕方がなかった。
(この程度じゃ全然駄目だ。立ち位置と役割が違うとはいえ、主力艦を指揮している詩織との差は広がるばかりじゃないか!)
蓮が懐いた焦燥は的外れな代物だと断ずる他はないが、それも若さ故のものだとすれば、彼を責めるのは野暮だと言わざるを得ないだろう。
高速戦闘を強いられる中で眼前の敵に集中せざるを得ない戦闘機乗りと、戦闘艦の艦橋に陣取って戦場全体を俯瞰できる指揮官の目線が異なるのは自明の理だ。
勿論、明確ではないにしろ、戦況の推移ぐらいは蓮にも感覚的に察する事はできるが、己の生存を最優先にせざるを得ない彼と、自軍全体のバランスをも考慮しなければならない詩織との間に差がつくのは当然の帰結でしかない。
それは、ふたりが目指す軍人としての理想の差が生む結果であり、其処に優劣が存在する訳ではないのだが、戦場経験を重ねる毎に一端の指揮官らしくなっていく詩織の成長を目の当たりにすれば、蓮としては置いて行かれる様な焦りを覚えずにはいられないのだ。
(安っぽいプライドだってのは分かってはいるが……負けたくないじゃないか)
最愛の恋人が最大のライバルなのだから、まだまだ年若い彼が過度に意識するのも已むを得ないが、そんな若者の甘酸っぱい感傷を御目付け役の性悪精霊が見逃すはずもなく、肩の上に陣取るポピーから揶揄われてしまう。
「半人前以下のくせに戦闘中に恋人とイチャイチャする妄想に耽るなんて、アンタ大物になるわぁ~~! あとで詩織に報告しなきゃね!」
「そーゆうのを事実無根って言うんだ! ある事ない事をべらべらと喋ったら承知しないぞ」
努めて平静を装ったつもりだったが、声が上擦っていたのでは台無しだ。
だから、更なる嘲笑に見舞われると身構えたのだが、返って来たのは……。
「だったら、8時方向から急接近してくる木偶人形3機ぐらいは、自力で対処して見せなさいよね」
との警告だった。
その何処か楽し気な物言いが終わらぬうちにコックピット内に警報が鳴り響く。
だが、不意打ち同然の急襲にも蓮は微塵も慌てなかった。
〝疾風″は有人機であるが故に完全無人機のナイトメアに機動性で劣るのは仕方がないが、だからといって手に負えない代物かと問われれば、それは違うとの確信を蓮は得ている。
(まだまだ戦闘経験値の蓄積が充分ではないのか、刹那の判断が求められる場面での反応が鈍い……同じ未熟な新米が相手ならば、白銀提督に教えを受けた愛弟子としては負ける訳にはいかないじゃないかッ!!)
熱い闘志は生来のものだが、今の彼はそれだけではない。
銀河連邦軍時代に〝銀の弾丸″の二つ名で海賊連中を震え上がらせた達也の指導は伊達ではなく、その空戦技能は冷静な判断力という武器を得て先任のアイラですら舌を巻く域にまで達している。
本人に自覚はないものの、ラルフ率いる航空隊の中では次期エースとの呼び声も高く、高性能が売りのナイトメアとはいえ、アップデートが不十分な状態では既に蓮の敵ではなかった。
無人機特有の常軌を逸した加速に裏打ちされた突撃をロール運動だけで苦も無く躱すや、間髪入れずにビームディフェンサーを解き放つ。
複数のビームの牙が雨霰と放たれるが、撃破された他の機体から得られた情報によって進化している敵も容易には被弾を許さない。
しかし、傍目には俊敏で華麗な回避能力を誇るナイトメアも、蓮にとっては思惑通りに踊ってくれる道化師以外のなにものでもなかった。
ビーム弾のシャワーを回避した先に彼らを待ち受けていたのは障害物に取り囲まれた死地であり、其処へ正確無比なライフルによる一撃を叩き込まれれば、然しもの高性能人型無人機にも為す術はない。
ただ、それが一機に限っての事ならば称賛も控えめなものになるだろうが、三機同時となれば驚嘆に値するとの評価も決して大袈裟ではないだろう。
しかし、だからといって素直な賞賛の言葉などは期待するべくもなく、大精霊様からの評価には蓮も苦笑いするしかなかった。
「まあまあといったところかしら。尤も、この天才大精霊ポピー様が完全サポートしてやっているのだから、この程度は出来て当たり前なのよ? その辺りをちゃんと理解して感謝しなさいよね!」
その言は決してオーバーなものではなく、己の活躍が彼女の助力あってのものだというのは、誰よりも蓮自身が身に染みて分かっている。
達也並みに思考を加速させながらも、その負担を軽減するばかりか、限度を超えたG(加速度)による肉体の損傷も瞬時に修復して無かった事にしてしまうのだ。
それら全てがポピーの力による奇跡に他ならず、今回の活躍が己の実力では成し得ない事も理解していた。
己の力不足は歯痒い限りだが、今の自分がこの戦場で役に立つには彼女の助力はなくてはならないものであり、その事実を認めぬほどに蓮は狭量ではなかった。
だから、素直な謝意が口を衝いて出たのだが……。
「ちゃんと感謝しているさ。未熟な俺でもポピーのお陰で戦えている……だから、感謝以外に口にする言葉はないよ。ありがとうな、戦友」
「な、な、な、何よっ! 取って付けた様なおべっかなんてアンタには似合わないわよ! 気持ち悪いから止めなさいよねッ!」
照れているのは明らかだが、それを指摘すれば余計に話が拗れるだけだ。
だからポピーへの追求を封印した蓮は、次なる獲物を求めて愛機を疾駆させた。
(セリスが率いる帝国軍艦隊の来援で敵は浮足立っている。苛烈だった反撃に翳りが見えだした今なら、敵旗艦への急襲も可能なはずだ!)
だが、一寸先は誰にも窺い知れないのが戦場の常だ。
ほんの僅かでも油断を見せた戦士を見逃さない死神は、容赦なく断罪の鎌を振り下ろして命を刈り取ろうとする。
それは、敵護衛艦隊群の突破を目論んだ蓮も例外ではなかった。
優位な機動力を駆使して猛烈な対空機銃の隙間を擦り抜けた刹那、死角から飛び込んで来た敵直掩機にロックオンされてしまう。
(しまったッ!)
懸命に回避しようとしたが、タイミング的には完全にアウトだ。
しかし、戦場の女神は蓮を見捨てなかった。
ダメージ覚悟で急旋回をしようとしたが、それよりも一瞬早く敵機の方が爆散するや、炎の塊となって味方の護衛艦へ激突して果てた。
命拾いして冷汗を流す蓮のレシーバーから、何処か得意げな声が流れる。
『油断するなんてらしくないわよ。獅子奮迅の活躍は見事だけれど、調子に乗って単騎突撃なんて十年早いッ! 私達はチームで戦っているんだから、その辺は弁えなさいよね、蓮』
その先輩気取りの物言いが癪に障るが、相手がアイラでは文句も言えない。
実績も経験値も比較するべくもないのだから仕方がないとはいえ、それでも未だに半人前扱いから脱却できない蓮としては複雑な気分だ。
「分かってるよ! だが、敵の陣形が綻び出した今がチャンスじゃないか? 絶好の機会を見逃して後悔したくはないんだ。チームでの連携が重要だと言うのならばアイラも協力してくれよ! 俺達なら敵艦隊の防御陣形の間隙を衝けるはずだ!」
胸中の不満を悟られまいとして強弁したが、そんな彼の心情を知ってか知らずか、アイラは気恥ずかしげな風情で弁解を口にして蓮を驚かせた。
『御誘いは嬉しいんだけれど、さっきので弾もミサイルもスッカラカンなのよぉ。だから、デートは次の機会までお預けって事で勘弁して頂戴』
戦場で残弾が尽きるなど戦闘機乗りとしては、あってはならない失態だ。
最低でも母艦へ帰還するまでの安全を担保する為にも、数射分の余力を残しておくのは鉄則でもある。
数多の戦場を生き残って来たアイラがその程度の事を失念していたとは考えられず、全ては自分の窮地を救ったが故の結果だと察した蓮は、顔を蒼くして狼狽するしかなかった。
「ご、ごめんっ! 俺、気が廻らなくて……だったら護衛するから、直ぐに補給に戻ろう! 丸腰じゃぁ帰路が不安だよ」
しかし、返って来たのは陽気で屈託のないアイラらしい台詞だった。
『良いから気にしないで。後方で補給を一手に担っている三航戦までの宙域に敵の戦力は確認されていないのだから心配には及ばないわよ。それよりもアンタの方が危なっかしいんだから、偉大なポピー様の言う事を聞いて無茶は控えなさいよね』
「なによ、アイラ。アンタ、ちゃんと分かっているじゃない、私の苦労を」
巧妙な皮肉にも気付かない大精霊の物言いは鬱陶しかったが、そんなやり取りで不安が解消される筈もなく、尚も蓮は言い募ろうとしたのだが……。
『この馬鹿もんがッ! 新米じゃあるまいし油断しやがって! 御託を並べている暇があったら、さっさと補給を済ませて来い! 戦況は待ったなしだ! 肝心要の戦いに出遅れる様な醜態を曝したら、親子の縁を切るからなッ!!』
予告もなく割り込んで来たラルフの一喝に遮られた蓮は、渋々ながらも護衛の件を引っ込めざるを得なかった。
そんな蓮の気遣いに気付かないアイラではない。
だが、改まって礼を口にするのには気恥ずかしいものがあり、だから彼女なりのエールを贈るのだった。
『おぉ! 怖い怖い。志保と離れていると親父の機嫌が悪くなって困っちゃうわ。でも、蓮も気を付けなさいよ。ウェディングドレスも着せないうちに詩織を未亡人になんかしたら許さないからね』
そう言い放つや直ぐにレシーバーのスイッチをOFFにするアイラ。
その結果耳障りの悪い男らの罵声を聞かずに済んだのだから、彼女の判断は正しかったと言う他はないだろう。
だから何の不安も気負いもなく機首を巡らせたアイラは、一刻も早く最前線への復帰を果たす為に母艦へと急ぐのだった。
◇◆◇◆◇
気紛れな運命の天秤は、気儘であるが故に人間の命数をも弄ぶ厄介な代物だ。
一旦目を付けられたが最後、その運命からは何人たりとも逃れられない。
そして、それは数多の戦場を駆けて来た強者も例外ではないのだ。
主戦場から離れた暗礁宙域に展開している第三航空戦隊の各航宙母艦は、相次いで帰還する艦載機群の補給作業に追われて喧騒の只中にあった。
装甲に不安がある中型母艦十数隻で編成された三航戦だが、乗員の技量は極めて高く、特に整備士に関しては一航戦と二航戦からも生え抜きのメンバーが選出されており、まさに万全の態勢だと評しても差し支えはない。
それでも各母艦を発着する艦載機は引っ切り無しなのだから、帰還したアイラが上空待機を命じられたのも已むを得ぬ事だった。
しかし、それが彼女と母艦の命運を分けてしまう……。
(順番待ちとはツイてないわ……早く戻らないと、また親父に怒鳴られ、!?)
胸の中の苛立ちを抑えながらも、周囲への気配りを怠らなかったアイラの視界へそれは唐突に割り込んで来た。
戦場とは真逆の方向から急速に迫りくるそれは、不規則な動きで暗礁群の隙間を縫いながら、明確な殺意を纏って艦隊旗艦である 鳳翔へと疾駆している。
その疫病神の正体をアイラは瞬時に看破した。
自立型AIを搭載した自裁兵器ユニコーン。
ナイトメアと同様の回避能力を有し、核をも搭載可能な最強最悪の死の使者。
その禍々しい牙が、離発着でごった返す鳳翔の目前に迫っている。
無防備に横っ腹を曝す母艦に命中すれば、爆砕による災禍は目を覆わんばかりのものになるだろう。
大勢の仲間たちが巻き込まれて命を落とすのは無論、それによる戦力低下は今後の戦局をも左右しかねない危うさを孕んでいる。
既に自力での回避が間に合わないのは明らかで退避勧告は無意味だ。
然も、攻撃オプションが皆無の自分では迎撃も儘ならない。
となれば、残された選択肢は唯ひとつしかなかった。
「鳳翔コントロールッ! 衝撃に備えなさいッ!!」
そう叫ぶや否や愛機を反転させて一直線に急降下させる。
そして、鳳翔とユニコーンとの間へ機体を割り込ませるまでのコンマ数秒の刹那に脳裏を過ったのは……。
(一度も呼べなかったな……かあさんって……ごめんね、志保)
その儚い後悔も、大切な家族の顔もが荒々しい熱量と衝撃によって呑み込まれ、全てが漆黒の闇の中へと消えてゆく。
だが、それは更なる悲劇の幕開けに過ぎなかったのである。




