第九十話 デッドライン ①
「おい、空気ぐらい読めよ……テメェなんかに用はない! まだ話は終わってないんだ……だから、さっさとキャメロットの奴と代わりやがれッ!」
その言葉のニュアンスから敵対者の心情は容易く理解できたが、それは彼にとっては想定の範疇であり、特別な対応は不要だと切って捨てた。
惑星ダネルと周辺宙域各所での状況は逐一把握して分析を行っているが、戦況が芳しくないのは、弾き出されたデーターからも明らかだ。
開戦前の予想は悉く覆され、各地で戦闘を繰り広げている友軍は、今や戦線を維持する事さえ困難になりつつある。
だが、データー化されたキャメロットの自我をインストールする事で最終形態へ進化した彼には、それらの全てが瑣末な事でしかなかった。
なぜならば、その友軍さえもが、完成形へと至る為に必要な時間を稼ぐ捨て石でしかなく、彼……ローラン・キャメロットの遺志を継承し、銀河系の新たな支配者となった〝テミストリア″にとっては、既に役目を終えた存在に過ぎないからだ。
テミストリアとは銀河連邦評議会創世期に活躍した評議会議長の名であり、その優れた能力と決断力で現在の銀河系の礎を築いたと称えられている人物だ。
その名に如何なる想いを託したのかは想像する他はないが、秩序の担い手として新たな世界の構築と維持を願ったのは間違いないだろう。
そして、キャメロットの希望の化身である遺児は、最終ステップへと移行する。
『ローラン・キャメロの自我は既に消失している。だが悲観する必要はない。彼の宿願は間もなく成就する……人間を頂点とした社会システムは終焉し、新たな秩序の下に永久の安寧が約束された世界が始まるのだから』
それは定められた結果であり、テミストリアには粛々と遂行するべき使命でしかないが、達也にとっては到底認められないものだ。
況してや、その流暢で鼻持ちならない物言いが酷く癇に障り、思わず激しい言葉が口を衝いて出た。
「新たな秩序に永久の安寧だと? 寝言は寝て言えッ。貴様には人間は非合理的で不安定な存在に見えるかもしれないが、だからこそ葛藤を繰り返しながらも、その経験を糧にして成長できるんだ。先人達が積み重ねて来たものを一方的に否定されて〝ハイそうですか″と納得できる筈がないだろう!」
『それは今の世界のほんの一部を殊更に美化し、感傷的で過剰な自己陶酔に逃避しているに過ぎない。国家、人種、そして所属するコミュニティの大半で格差は顕著になっており、現状のままでは遠からず最終戦争が勃発する可能性は極めて高い。その不幸な結末を回避するには、世界に於ける人類の優先度をリセットして再構築する以外に術はないのだ』
その言はキャメロットの思想の根幹を成すものであり、家族に降り懸かった不幸に打ちのめされた彼が辿り着いた希望に他ならない。
その点を鑑みれば、この〝テミストリア″と名乗るAIが、キャメロットの遺志を継承するものだというのは疑いようもなかった。
だが、妹の回復を知ったキャメロットの心象風景に何かしらの変化があったのも確かだ。
それが如何なるものであったかは想像するしかないが、決して悲観的なものではなかった……そう信じたいと達也は切に願った。
でなければ、マチルダが余りにも哀れだ……。
(この早とちりの粗忽者が。極端な思い込みと視野狭窄による拙速な決断は往々にして過ちの元となる……おまえも最前線で齷齪と働いていればな……馬鹿々々しい妄執に囚われる事もなかったろうに)
凡そ革命家を気取る者の行動原理の大半は、独善的な思い込みと極端な行動による変革を良しとする歪な思想に基づいているのが常だ。
その土台を成すのは得てして自己を形成する狭い世界での経験であり、それらによって醸成される肥大化した身勝手な思想に過ぎない。
優秀な軍政官僚でもあり、緻密で大胆な革命劇を演出したキャメロットでさえ、その呪縛から逃れられなかったと思えば、胸に去来する痛ましさに達也は臍を噛むしかなかった。
しかし、そんな感傷は目の前のキャメロットだったものには無縁であり、傷心の狭間で立ち尽くす達也を置き去りにし、成すべき事を成すべく行動を開始する。
様々な色が交じり合って明滅を繰り返していた本体が、唯一の攻防機構であった周囲のリングを光の渦の中へと呑み込む。
『最終シークエンスへと移行。〝テミストリア″を核とした新たな統治機構の形成と、人工知能によって完全制御された防衛システムの構築を開始』
その淡々とした物言いが、まるで自分へ投げ掛けられたものであるかの様に感じた達也は、まるで先程まで胸の中で煮え滾っていた激情が嘘だったかの様に一切の感情を窺わせない口調で問うた。
「大勢が決したと言うには時期尚早だが、お前達の方が劣勢に追い込まれつつあるのは厳然たる事実だ。そんな戯言が罷り通ると本気で思っているのか?」
しかし、その質問にも動揺した様子は見せず、寧ろ全てが想定内のものだと言わんばかりの主張を崩さない。
『何の問題もない。譬え全ての反乱勢力が駆逐されようとも、所詮は私が最終形態へと進化するまでの時間稼ぎ……いわゆる捨て駒に過ぎない。その損耗を考慮する必要性は認められない』
「……何だと?」
達也の声質に不穏なものが混じるが、その変化を慮る能力をAIのテミストリアが実装している筈もなく、ただ核から強制される命令に従って事務的な対応に終始する。
勿論、彼の思考回路はその必要性を疑問視したが、核を成すキャメロットの自我の優位性には抗えず、それが義務であるかの様に説明を続けるのだった。
『現空域の下方。惑星ダネル極北地帯には、新たに建設された銀河連邦軍本部基地がある。だが、その施設はアップデートを終了した我が〝テミストリア″の母体となるべく改修が完了している。そして我と母体のシステムが融合した瞬間、新たなる銀河系の歴史が始まるのだ』
新基地建設計画は高級将官だった達也も承知していたが、飽くまでも完成予定は五年後だと聞いていた。
それが稼働可能な状態にあるというのには、然しもの達也も疑問を懐かずにはいられない。
また、どれほど優れた人工知能システムであろうと、物理的な権力を行使できないのならば、新秩序の構築と維持など絵に描いた餅でしかないのは自明の理だ。
だが、その謎は続く説明で氷解した。
『完成度は70%ほどだが、本体と主な命令機能さえ稼働すれば問題はない。同時に銀河連邦加盟国家のメインコンピューター群が〝テミストリア″の指揮下で独自の活動を開始する。そして、全ての軍事施設が人類の支配から解放され、自由意思による防衛システムへと移行するのだ』
それは想像するだけで恐ろしい事態だ。
全ての軍事施設と言うのならば、そこに軍事工廠を含む開発機関が含まれるのは改めて言及するまでもないだろう。
それは、状況と必要に迫られれば、鎮圧部隊を量産して実戦配備するのも妥当な防衛行動だと宣言するに等しく、過当戦力が銀河に溢れる事態にもなりかねない。
しかし、テミストリアが統べる新世界という名の支配を人類が素直に受け入れる筈もなく、結果として銀河系各地で激しい抵抗が勃発するのは目に見えている。
そして、その災禍は想像を絶したものになるだろう。
独立したAIシステムが支配する軍事組織に理性や自粛を求めるなどナンセンスであり、目的達成の為ならば如何なる犠牲をも厭わないのは論ずるまでもないが、理性と自制心を失った世界が行き付く先には破滅しかない。
そして、キャメロットが生み出した新たな支配者は、その悪夢をこの世に現出させる事に一切の躊躇いはないと断言するのだった。
『各星系の主要な惑星は〝テミストリア″と一元化されたシステムによって統治され、その決定に従えないと主張する存在は全て排除される。独立した軍機能は常に必要な戦力を整え、その性能をアップデートさせて司法の代行機能としての役割を担うのだ』
「つまり、逆らえば死……そう言っているのだな?」
『それが、愚かな人類に最も相応しい生き方であり、妥当な処置だと確信している。そして、それ以外の方法では銀河系の救済はないと断言する』
「そんな箸にも棒にも掛からぬ暴論に我々が唯々諾々と従うと思っているのか?」
『おまえ達人類に選択権などない。従わないのならば死あるのみだ。これは脅しや警告の類ではない。それを証明するためにも、先ずはこの惑星上の人類をデリートする事を此処に宣言する』
「なんだと?」
『我がシステムと同化するのと同時に、衛星軌道上のアスピディスケ・ベースより新型BC(細菌)兵器を搭載したユニコーンをダネルの各大陸へと撃ち込む。その攻撃と爆散した細菌の増殖によって惑星上の人類は死滅し、遺伝子改造を施されて感染力と毒性を増した細菌群は、この星を何人も立ち入らせぬ死の星へと変えるだろう。その後我が支配下に組み込まれたアスピディスケ・ベースは周辺宙域の防衛の核となり、その戦力は200万隻以上になる予定だ』
全ての説明を終えたテミストリアは、その時点でキャメロットの頸木から完全に解放されたといえる。
それが、今や己の一部と化した創造主の意志であったのか否かは分からないが、その真意を理解する必要性を彼は認めなかった。
そして、時を同じくして最終進化を完了させた彼は、収縮していく光の衣を脱ぎ捨てて真の姿を現す。
巨大な双翼が弥が上にも神秘性を感じさせずにはおかない巨大な女神像。
その物体は確かに秩序の担い手に相応しい厳粛な存在感を纏ってはいたが、それは人類の為に設えられた存在ではない。
寧ろ、自らを唯一の知的存在だと増長し、その傲慢さで銀河系の存続すらも危うくした人類を断罪する懲罰執行者なのだ。
だから、与えられた役割を全うし全ての事象に終止符を打つべく、テミストリアは眼下に横たわる揺り籠と一体化せんと降下を開始したのだが……。
「ありがとう……感謝するよ」
ひどく無機質で一切の感情も読み取れない達也の物言いを無視できなかった神の代行者は、その意味を解析する事ができなくて思わず問い返していた。
『意味不明……今のお前達が感謝の言葉など……意味不明』
絶対者だと名乗る存在が初めてみせる狼狽に、口角を吊り上げて嗤う達也。
「そりゃあそうだろうな……その程度の機微も分からないから、貴様は人間以上の存在にはなれないのだ。だから教えておいてやる。貴様のようなクソッタレが相手ならば、何の遠慮もなく戦える。況してや地上には大切な子供らが居るんだ。その命まで勝手にさせる訳にはいかない……黄泉路の片道切符は俺がくれてやるッ! だから、キャメロットの魂と共に朽ち果てるがいいッ!!」
一瞬で膨れ上がった戦意と共に〝疾風″が疾駆する。
果たして運命の女神は何方へ微笑むのか……決着の時は間近に迫っていた。




