第八十九話 悲しき兄妹 ②
「ならば、私が彼女の意識と同化して原因を明らかにしてみせます」
然も当然の如くに決意を口にしたユリアに躊躇いはなかった。
(幸いにも、私をさくらと同化させた本人もいるし、ヒルデガルド殿下も一緒ならば、何も問題はない筈よ)
同胞だと慕う仲間達が置かれている切羽詰まった状況と、敬愛して已まない父母の安否が気掛かりだとはいえ、胎児だったさくらの意識と同化したという体験が、ユリアの背中を押したのは確かだ。
だから、今回も上手く行くはずだと確信したのだが、その無謀な提案は、助力を期待していた当の本人によって素気無く否定されてしまう。
「何を馬鹿な事を言っているのですかねぇ……あんな真似が何時でも何処でも可能だと本気で信じているのですか?」
ユリアだけではなく、その場に居た全ての者たちの視線が我が身に集中するのを煩わしく感じたクラウスは、話の核心には踏み込まずに言葉を切る。
勿論、それには幾つかの理由があるのだが、この問題を突き詰めれば、さくらの実父〝久藤悠也″が己だと知られる事を恐れたというのが偽らざる本音だった。
あの秘密を共有しているのは達也とクレア、クラウスとエリザ両夫妻と会談の場に立ち会ったヒルデガルドのみだ。
当事者だったユリアは薄々事情を察しているようだが、久藤悠也としてのクラウスと面識がないが故に確信には至っておらず、追及されたとしても言い逃れる術は幾らでも持ち合わせていた。
(この秘密が公になって得をする人間は誰もいません……苦難を乗り越えて幸せを手に入れた母娘の為にも……陸でもない昔話を詳らかにする必要はないでしょう)
そうクラウスが考えたのも当然だろう。
さくらの秘密が露見した場合、自分に降り懸かるであろう非難は甘んじて受ける覚悟はできている。
譬え、非人道的行為だと糾弾されたとしても、クラウスにとっては〝灰色狐″として果たした任務の結果に過ぎないのだから、良心の呵責に苛まれる事など何もないと言うのが正直な心境だ。
しかし、まだ幼いさくらにとっては青天の霹靂以外の何ものでもないだろうし、その衝撃が少女のみならず、白銀家へ及ぼす不利益が計り知れないものになるのは容易に想像できた。
(この戦いが終息すれば、その立役者として白銀夫妻が英雄視されるのは避けては通れないでしょう。その時に秘密が露見するような事があれば……考えただけでもゾッとしますねぇ……民衆の心は移ろい易く、その様相は白にも黒にも簡単に転じてしまう……やはり、秘密は墓場まで持って行くべきでしょう。それが白銀提督と彼女との約束ですから)
その判断は間違いではなかったが、当然ながら納得できない者もいる。
最善の策だと信じていた提案を言下に拒否されたユリアだ。
「な、何故です!? 今ならまだ私にも力が残っています! だから……」
妙案を否定されて気色ばむユリアは尚も言い募ろうとしたが、それを途中で遮ったクラウスは、さくらとの関連を想起させる文言を避け、慎重に言葉を選びながら理由を語った。
「あの時の貴女は実体を失って脳だけの状態になっており、限りなく精神体に近い存在だったからこそ可能だった……それだけの事なのです。奇跡的に真っ当な生を取り戻した今の貴女では同じ事はできません。万が一にも強行した場合、白銀ユリアという人格は、このマチルダという少女と同化して二度と元には戻れなくなるでしょう。それでも良いのですか?」
「で、でも、ヒルデガルド殿下の御力も御借りすれば……」
最悪の事態を突き付けられて狼狽するユリアが、それでも諦めきれずに口にした言葉をクラウスは戯言に過ぎないと切って捨てる。
「馬鹿な事は言わないで欲しいですね。貴女は我々ファーレン人を便利屋か何かと勘違いしていませんか? 長命種とて人間に違いないのです。神ならざる此の身に過度の期待を寄せられても、無理なものは無理なのですよ」
クラウスにしてみれば、数奇な運命に導かれて縁を結んだユリアやさくらと見ず知らずのマチルダでは、命の優先度に差があるのは当然の事でしかない。
だからこそ、リスクを冒してまでユリアやさくらを危地へ追いやるような博打はできないと判断したのである。
(譬え、人でなしと罵られ嫌われたとしても、この子達の命の確保が最優先です。私がこの場に居合わせたのも天の配剤だったのでしょうねぇ……少々厳しい物言いでしたが仕方がない事です。許してくださいね、ユリアさん)
自らのプランを全否定されて落胆するユリアへ心の中で詫びたクラウスは、これ以上の議論は不要だと言わんばかりに早期の離脱を提案した。
「作戦目的を達成した以上、この場に留まる意味はありません。一刻も早く先行している王都攻略部隊と合流するべきではありませんか?」
そう促した相手は【ジュリアン救出作戦】に於ける指揮権を有している志保だ。
少なくとも、軍人としての常識と合理的判断力を併せ持つ彼女ならば、夢見がちな子供らの妄想に感化される事はないと見越しての選択だったのだが、その提案に対して真っ向から異を唱えたのは、他でもないさくらだった。
「駄目だもんッ! この娘を見捨てるなんて絶対に駄目なのぉ──ッ! 可哀そうだよ! ずっと泣きっぱなしで『お兄ちゃん、もうやめて』って悲鳴を上げているんだよ? だから絶対に助けてあげるのぉ──ッ!」
その非難に満ちた視線を真面に浴びたクラウスは、想定外の衝撃に打ちのめされて思わず返す言葉に詰まってしまう。
己の決断は間違ってはいないとの確信はあるし、事実部隊を指揮する軍人ならば十人が十人とも同じ判断をする筈だとの自負もある。
勿論、志保やヒルデガルドが反対しても説得する自信はあったし、ユリアやジュリアンが相手ならば、議論もさせずに従わせるのは簡単だと思っていた。
しかし、義憤に燃えて熱り立つ少女から強い視線を向けられれば、普段は噯にも出さない胸の中の感情が騒めくのを抑えられなくなってしまうのだから、人間とは実に厄介な生き物だと嘆息するしかない。
だが、然しもの灰色狐も、実の娘が相手では分が悪すぎた。
真実は生涯胸に秘めると決めてはいても、血を分けた娘から非難がましい視線で睨まれるという経験は、四百年にも及ぶ人生の中で最大のダメージだと断言しても過言ではなく、鉄の心臓を自負する彼の精神値さえをも削りまくるのだから始末に悪い。
(勘弁してもらえませんかねぇ……なぜ私がこんな貧乏くじを引かなければならないのか……子供なんかに振り回される滑稽な役回りは、お人好しの白銀提督だけで充分でしょうにねぇ)
思わず胸の中に愚痴が零れたものの、無意味な危険を冒す必要性が認められない以上、結論に変更はないと己自身に言い聞かせるしかなかった。
だから、良心の呵責を押し殺して冷淡な表情を装ったクラウスは、さくらの視線を真っ向から受け止めるや、何時も通りに酷薄な悪役を演じたのである。
「いいですか、さくらさん。ジュリアン氏を救出した以上、我々がこの場に留まる理由は有りません。病魔に冒された少女を助けたいとの貴方の想いは立派ですが、それは、お姉さんばかりではなく、今回の救出作戦に尽力してくれた全ての方々を危険な目に遭わせる事になるかもしれないのです。御父上……白銀提督も賛同はしないと思いますよ?」
達也の名前を出された途端、さくらの表情に懊悩の色が濃く滲んだ。
「そ、それは、そうかもしれないけれど……でも……」
大切な人々を危険な目に遭わせるなど本意ではないが、今も悲憤の涙を流し続けている少女の想いを見て見ぬフリをするのも間違っているとしか思えない。
しかし、まだまだ幼いさくらが大人を説得できる術など持ち合わせているはずもなく、胸の中の葛藤を持て余して効果的な反論ができなくなってしまう。
悄然として俯いてしまった愛娘の姿を目の当たりにして微かな痛みを覚えはしたが、結果的には己が描いたシナリオ通りに事は進んだのだ。
クラウスとしては、忸怩たる苦い想いを噛み締めながらも、これで良かったのだと自分自身を納得させるのだった。
だが、そんな彼の心中を嘲笑うかの如く、意外な人物が嘴を差し挟んで来たものだから、俄然雲行きが怪しくなってしまう。
さくらにとっては救世主だが、クラウスにとっては疫病神でしかないその人物は、他ならぬ作戦指揮官の志保だ。
「随分と大人げない物言いをするじゃないの。その眠り姫の事情を突っついたら、何か不都合な事でもあるのかしらね? 敵の首魁の実妹という点だけを鑑みても、このまま見捨てるという選択肢はないと思う。だから、さくらちゃんの意見を私は支持するわ」
厄介事の匂いに敏感な志保からの横車は、クラウスにとっては青天の霹靂以外の何ものでもない。
しかし、少なくとも昔の彼女ならば、軍人として任務より私情を優先させるといった無責任な真似はしなかったものだ。
そんな彼女の変貌ぶりを目の当たりにすれば、やはり己の実体験から得た教訓は間違っていなかったなと確信を深めるのだった。
(昔から変に勘の良い女性だとは思っていましたが、軍人としては堕落したのではありませんかねぇ? だから嫌なのですよ……白銀提督に関わった人間は、一人の例外もなく正論が通じない頑固者になってしまうのですから……)
流石のクラウスも、今度こそ顔を顰めて溜め息を零すしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
今年もサカキショーゴさま(https://mypage.syosetu.com/202374/)から年賀FAを頂戴いたしました。
それがコレ【クレア激おこぷんぷん丸】なのです!!
い、一体全体なぜに嚇怒していらっしゃる?
あっ、そーかぁ!
達也もユリアもさくらもティグルも、ちっとも言う事聞きませんもんね。
此処はビシッと強く言うべきですよ!
言わなきゃ分からないんですよ、彼らは!(なぜか強気の絢爛)
訳知り顔で頷く作者だったが、そんな彼を見つめる子供らの目は冷たくて。
「たぶんママが怒っているのは、絢爛さんの所為だよ」by さくら
「それ以外には考えられねぇな。だってよ……」by ティグル
「更新が遅れまくっているものね。何時になったら完結するのやら?」by ユリア
ひいッ! そ、それは……違うんです! 決してサボっている訳じゃないんです!
仕事は忙しいし、昨年末からリアルでもトラブル続きでどん底状態なのです!
然も、新年早々の災害ときて、仕事がらみで御付き合いがある方も多くて心配の種は尽きず……。
おまけに、折角頂戴したこの年賀FAも前回投稿分で紹介するつもりが失念するという大失態。
もう、何がなんやら、私が一番の被害者なんですぅ──ッ!
『イイワケハソレダケカシラ? セイザナサイ! ユルサナイカラ!!』
ひいぃぃ──ッ!!!
哀れ! 絢爛! 暁に死すッ!!(清々したとの声多数・涙)
※ サカキショーゴ様。
この度は本当にありがとうございました。
御報告掲載が遅れた無礼を改めてお詫び申し上げます。
令和6年 1月21日 桜華絢爛




