第八十九話 悲しき兄妹 ①
(次元境界面を任意に展開させるとはな。何処にでも変態科学者は居るものだ!)
胸の内から零れ落ちる愚痴と脳内で絶賛上映されるヒルデガルドのドヤ顔に辟易させられた達也は、溜め息と共に舌を弾くしかない。
光源化している球状の物体が本体なのは一目瞭然だが、その攻略は容易ではなく、まさに厄介極まるの一言に尽きた。
本体周囲で不規則な自転軌道を描いている三本のリングのうち二本はオフェンスに特化したものであり、等間隔で配備された高出力レーザー砲による迎撃網は苛烈を極め、接近すら儘ならない状況を強いられている。
だが、それ以上に質が悪いのは、残る一本のリングの方だ。
一切の武装を排除してディフェンスに特化したその中核を成すのは、アマテラス共生共和国が誇る異次元干渉システムと同等の代物だった。
嘗てセレーネ星で繁栄を極めた先史文明の遺産を流用してヒルデガルドが開発したシステムには及ばないが、攻撃を悉く次元の狭間へと受け流し無効化してしまうのだから、防御機構としては一頭地を抜く代物だと認めざるを得ないだろう。
(未知の概念を独力で具現化してしまう天才がヒルデガルド殿下以外にも存在していたとはな……これだから神様って奴は嫌いなんだ。散々苦労しているのだから、少しぐらいは楽をさせてくれても良いだろうにッ!)
達也が天才と評した人物こそがキャメロットの協力者だったサイモン・ヘレ博士に他ならないが、既に黄泉路へと旅立ってしまった後では、神将からの賛辞も愚痴も唯々空しく響くのみだ。
しかし、今の達也には些末な感傷に浸る余裕など微塵もなかった。
オフェンス専用のリングの表層で矢継ぎ早に繰り返されるレーザー光の明滅は、獰猛な牙と化してあらゆる角度からが襲い掛かって来る。
その攻撃には一切の逡巡も遅滞もなく、超高性能AIによってシミュレートされたシナリオに沿って哀れな獲物を的確に追い詰めていくのだから始末に悪い。
(辛うじて躱せてはいるが、それも時間の問題だな)
高機動を誇る疾風だからこそ致命の一撃を回避できているが、その負荷は尋常なものではなく、パイロットとして驚異的なポテンシャルを秘めている達也であっても自ずと限界はある。
況してや、決着に手間取れば手間取るほど寡兵の味方への負担が増すのだから、のんびりと相手の隙を探るなんて悠長な真似もしていられない。
(ならばッ! 無茶を覚悟で突撃しかないだろうッ!!)
今この時この場が雌雄を決する唯一の好機だと思い定めた達也は、キャメロットの本体へと肉薄するべく愛機を加速させるのだった。
※※※
(焦りは冷静な判断力を奪う……それが人間の限界なのですよ、白銀提督)
感情と呼べるものを喪失しつつあるキャメロットは、淡々と戦況をシミュレートしながらも、早々に己の勝利を確信していた。
勇猛果敢といえば聞こえは良いが、不用意に急加速を敢行すれば、当然の結果として機体は単純な直線運動へと移行せざるを得ない。
譬え、それが僅かゼロコンマ数秒という瞬きにも満たない時間だったとしても、無防備に直進する目標を捕捉するなど、高速演算に基づく完璧な未来予測が可能なAIには造作もない事だ。
勿論、この局面で達也が突撃を選択するのは予測済みだ。
だからこそ、全ての状況を自らの支配下に置いたキャメロットが、戦いの趨勢を見極めたと判断したのは間違いではなかった。
(時間の経過と共に自軍を取り巻く情勢は悪化の一途を辿る。そんな抜き差しならない状況にある人間は総じて短慮な判断を選択しがち。どうやら、それは〝神将″である貴方も例外ではなかったようですね)
そこには勝利を目前にした歓喜など微塵もなく、ほんのコンマ数秒の間に加速する思考には一欠片の感情も介在しない。
難敵を葬る為のプロセスを淡々と履行するだけの己を自覚した時、父が心血注いだ〝フォーリンエンジェル・プロジェクト″の完成を確信したキャメロットは、皮肉にも微かな高揚感に心を震わせるのだった。
『長き不思議な因縁も終わりの様です……時代の徒花として古き世界と共に滅んで頂きたい。それが貴方の役割なのです』
感慨も何もない淡々とした言葉と共に必殺のビーム砲群が火を噴く。
単純な直進運動に移行したばかりの標的は、回避する間もなく複数の閃光に貫かれて終幕を迎えるしかない……。
そう結論付けたキャメロットは、自らの勝利を確信したのだが……。
達也が操る〝疾風″は巧みなスラスター操作で迫りくる凶刃を躱すや、複雑極まる変則的な動きでビームの初弾全てを回避して見せた。
急制動からの急加速、そして鋭角的なターン。
その過程でパイロットへ掛かる負荷はとてもではないが人間が許容できるものではなく、それ故にキャメロットが受けた衝撃は並大抵のものではなかった。
(なぜだ? なぜだ? なぜだ?)
計算され尽くした未来が覆されるなど有り得ない。
チリチリと脳を焼く不快な感覚に苛立ちながらも、二の矢、三の矢を放つ。
しかし、その死角からの攻撃も悉く躱されて接近を許してしまう。
辛うじて次元シールドで攻撃を防いだものの、想定外の劣勢を余儀なくされてしまい困惑は深まるばかりだ。
(なぜだ? なぜだ? なぜ脆弱な人間が苛烈なGに耐えられるのだ?)
普通の人間ならば失神してもおかしくはないG(加速度)が掛かっているのだ。
如何に訓練された優秀な軍人であっても、人間である以上は自ずと限界があるのは必然だし、それは白銀達也とて例外ではない筈だ。
その事実を確信しているからこそ、キャメロットは目の前で繰り広げられる現実に戸惑わずにはいられなかった。
寸瞬前から感じる正体不明の不快感が益々大きくなる。
だが、それは感情を喪失しつつあるキャメロットにとって唯のエラー信号でしかない。
だから、AIの分析によって導き出された指示を繰り返すだけの、単調な攻撃しかできなくなっている事実にさえ気付けないでいるのだ。
それでも、詰将棋を連想させる計算され尽くした緻密な連携攻撃で追い詰めるや必中の一撃を放つのだが、複数のビームの礫は敵機を捉える寸前で両腕に装備されたビームソードによって全て斬り払われてしまう。
その瞬間に思わず零れ落ちた言葉は、僅かに残っていたキャメロットの人間らしさの発露だったのかもしれない。
『な、なぜだ? なぜ、理に適わぬ動きができる? 貴方は本当に人間なのか?』
そして、その困惑に叩きつけられたのは、紛れもなく頑固で意地っ張りな人間のそれだった。
「この程度で驚いていては〝裁定者″の名が泣くぞ! 所詮は計算できる範疇でしか物事を認識できないのがAIだ! だから、教えてやるよ! 人間の可能性に限界はないって事をなぁぁ──ッ!!」
その根拠も理もない妄言はキャメロットの思考回路を苛み、砂嵐にも似た激しいスノーノイズを誘引する。
(なぜだ? この計算外の事態は一体全体どうした事だというのだ?)
アシストしているAI群へ問うも、可能性の羅列が思考内を占拠するだけで有効な対抗策など提示されない為体に苛立ちばかりが募った。
だが、この時点でキャメロットは気付くべきだったのだ。
人間性を切り捨てる事で超越者にならんとしているにも拘わらず、未だに感情に左右されているという事実に……。
それさえ理解していれば、更なる急変にも対応できた筈だったのに……。
想定外の事態に焦りの色を隠しきれないキャメロットを更なる凶報が襲う。
『南部方面域から襲来した艦隊は味方に非ず! 敵軍の増援なりッ!!』
早期警戒システムを司るAI群の警告によって思考内の大半のスペースが占拠され、砂嵐の密度は一層濃くなるのだった。
◇◆◇◆◇
「う~~ん……コールドシステムの機能で精査する限り、このお嬢ちゃんに病巣らしきものは発見できないよん。専門の医療機器ではないとはいえ、この規模の装置なら意識障害の原因を突き止めるなんて造作もない筈なんだけどねぇ」
極北上空で達也とキャメロットの一騎打ちが始まっていた頃、王立病院の地下では、マチルダが眠る冷凍睡眠装置を操作していたヒルデガルドが溜め息を漏らしていた。
ジュリアンとクラウスから事の詳細を聞いた面々は、取り敢えずキャメロットの実妹を蘇生させるべきだとの結論で一致したのだが、病を放置したままでは安易な真似はできない。
それ故に検査を行ったのだが、その結果は思わしいものではなかった。
「確かに兄であるキャメロットも『原因不明』とは言っていましたが、現在の医療水準でも解明できない病気があるのですか?」
超一級の科学者でもあるヒルデガルドの見解に懐疑的な言を口にするジュリアンだったが、それは唯の妄信でしかないと思い知らされてしまう。
「科学や医学を過信するのは危険だよん。考えてもみたまえよ。我々が生きている銀河系でさえ未開拓領域は山ほど残されているんだ。未知の病原菌など、それこそ星の数ほどあっても不思議じゃないのさ」
ヒルデガルドに断言されれば、それに異論を唱える事は無意味でしかない。
だが、昏々と眠り続けるマチルダを無事に目覚めさせる事で、硬直化した事態を突破する妙手が生まれるかもしれないのだ。
今この瞬間も命を懸けて戦っている大勢の同胞の為にも、そして、何よりも愛する父母の為にも諦める訳にはいかなかった。
だから、ユリアは意を決して想いを口にしたのである。
「ならば、私が彼女の意識と同化して原因を明らかにしてみせます」




