第十話 子供達は大冒険という名の反乱を起こす ③
惑星ヘンドラー。
銀河系中心域南西方面に位置するこの星は地球と同じ水惑星であり、惑星表層の七十%が海、残りの三十%が陸地で構成されている。
生物が生存可能な条件を満たすこの星にも、他の惑星と同様に約二十億の人類が居住しているが、他所とは違う点が一つだけある。
それは、この星の自治を司り、運営の全てを統括するのが国家というシステムではなく、企業連合共同体と呼ばれる巨大経済ギルドであるという点だ。
銀河連邦が主管する経済圏内で活動しているか否かは関係なく、敵対する勢力に与する企業であっても、メンバーであるのならば等しく商業権を保障され、組織に対する発言権が与えられている。
この共同体に加盟するには、莫大な年会費を支払わなければならないが、銀河系に名を馳せる数多の大企業との繋がりを得られるという一点だけをとっても、その巨費に見合うだけの恩恵は約束されていると言えた。
【ヘンドラー経済連合】……この名を冠して組織が発足してから既に五百年という長い時間が過ぎており、表面上は成熟の極みに達している様に見える。
だが、今では自衛の為の防衛艦隊まで持ち、下手な小国家など足元にも及ばない権勢を誇るこの場所にも、新たな変革の波が静かに打ち寄せていた。
※※※
【鬼才】と渾名されるロックモンド財閥総帥ジュリアンは、総大理石造りの巨大な楕円テーブルに用意された椅子の一つを、然も当然の様な顔をして占拠していた。
その風貌には幼さが残るものの、泰然とした立ち居振る舞いは十五歳の少年のものとは思えず、この定例理事会に同席している他の古参理事達の耳目を集めるのと同時に、彼の存在感を弥が上にも高めている。
青天の霹靂といえる先日の造反劇を白銀父娘の助力で切り抜けたジュリアンは、反乱を企てた親族をGPOに告発して一族から放逐するや、同時に財閥内部の不穏分子も一掃し、その地位を盤石なものにしていた。
実の両親までをも殺人教唆罪で告訴して刑務所に放り込んだ非情さと、粛清によって空席となったポストに、出自や年齢には関わりなく実力者を登用した決断力を内外に示した事で、『冷酷』という不名誉な風聞以上に『果断なる企業人』という好評価を得たのである。
その甲斐あってか、この度目出度くヘンドラー経済連合の理事の末席に加わる事を許され、本日初めて理事会に出席したという次第だった。
(曾祖父と祖父の念願こそ叶ったものの、想像以上に動脈硬化が進んでいるな……ヘンドラーの風通しを良くする方が先決か)
財閥内部の改革を断行し、なりたくもない経済連合の理事の座を引き受けたのは、偏に惚れた女に自分の存在を認めさせる為の方便でしかない。
この場に居る他の重鎮たちが聞けば呆れて失笑するに違いないが、彼はいたって真面目だった。
寧ろ、ヘンドラー経済連合を支配する程度で白銀ユリアが振り向いてくれるのならば、数多の先達が心血を注いで守り続けて来たこの巨大商業ギルドを彼は容易く蹂躙して己がモノにするだろう。
(しかし、頑固で偏屈なあの娘がこの程度で納得する筈がないしなぁ……だから、彼女の父上である白銀達也卿と同等の男になる……これしか方法はない)
そう確信して決意を新たにするジュリアンだったが、問題は如何にして【神将】白銀達也と同じ高みへ昇るかだ……。
思案投げ首状態の彼だったが、つい数日前に耳にした面白いニュースがその鍵を握っていると目星を付けてもいた。
(連邦の貴族閥に楯突いて潰され掛かった中堅企業体がふたつ……ランズベルクとファーレンという大国の後ろ盾を得て生き延びた。だが、国庫が潤っている両大国が他の貴族閥と争ってまで、縁も所縁もない企業体を助けるメリットは皆無だ……となると、考えられる事はひとつしかない)
先日出逢った『日雇い提督』と呼ばれる人の好い人物の顔が脳裏に浮かぶ。
あの事件以降、財閥の情報部を総動員し、彼の父娘についての情報を収集させたのが幸いした。
(ランズベルクとファーレンの両国に深い関係を持つあの人が関わっているのならば……ふふっ。これは売り込みのチャンスだね。見過ごす手はないな)
そうほくそ笑んだジュリアンは、地球を訪問する算段に考えを巡らせながらも、想いを寄せる少女に再会できるかもしれないとの期待に胸を膨らませるのだった。
◇◆◇◆◇
イローニア・ヤーデ特務少尉は下士官上がりながら、船務担当士官として誰からも信頼される存在だ。
まだ二十歳を超えたばかりだが、その堅実な仕事ぶりには定評があった。
以前乗艦していた護衛艦の艦長を敬愛しており、彼が白銀軍に転籍すると決意したのを機に付き従ったという経歴の持ち主でもある。
「出航して二十四時間経過か……食材の補充をしておかないといけないわ……あと調味料も……」
通路を歩きながらチェックリストに目を通し、自動調理システムに補給する物資に印をつけていく。
野菜や穀物と肉や魚介類などの食材は、各々の専用の保管庫から自動で調理器に供給されるが、日替わり定食や一品物の副食とデザート各種はデーターを入力しなければ前日のメニューがそのまま継続されてしまう。
その為、乗員から『またか……』と不満やお叱りを頂戴しないようにと日頃から特に留意していた。
長い航海では、これが結構なストレスになり、些細な事でトラブルに発展するので、チェックを疎かにする訳にはいかないのだ。
食事には殊更に口煩い上官らの不機嫌な顔を思い出した彼女は、ふるふると頭を振って嫌な未来予想図を脳内から追い払う。
超長距離転移を控えているため、手早くデーター入力を終えて任務を果たしたのだが、失念していた重大事を思い出してポンと手を叩いた。
(そうだったわ! 奥様から提督用にと『醤油』とかいう調味料を御預かりしていたのを忘れていたっけ……いけない。いけない。すぐに準備しておかないと)
ヤーデ特務少尉にとって、白銀クレアは憧憬の存在に他ならない。
提督の奥方であるにも拘わらず尊大に振る舞うなど皆無で、何時も気さくに接してくれる絶世の美女だ。
そんなクレアから頼まれた使命を疎かにはできないと思い定めた彼女は、急いで常温保管庫に赴くや、ドアのロックを解除して庫内へと足を踏み入れた。
ここには乾物食品や調味料等がストックされており、その他にもスナック菓子、チョコレート、オツマミの類など、乗員からのリクエストが多い菓子類も保管されている。
預かった醤油を庫内の奥にある棚に置いたのは彼女自身であり、わざわざ探すまでもなく、目当ての場所へと歩を進めたのだが……。
「ふん、ふ~~ん……──っ! はあぁっ!??」
鼻歌交じりに通路を進むヤーデ特務少尉は、目的の棚を目前にして大袈裟な仕種で身体を跳ねさせるや、両の眼を見開いたまま立ち尽くしてしまった。
(なっ、何なのよ……あ、あれはッ!?)
実直な彼女が驚くのも無理はない。
十時方向やや上方にぽっかりと開いた黒い穴……。
そこから飛び出している、明らかに少女の下半身と思われる物体……。
そんな異様な光景を目にすれば誰だって我が目を疑うだろうし、寧ろ、驚かない方がどうかしている。
おまけに服のスカート部分が何かに引っ掛かったのか、裾が捲れて可愛い熊さんプリントの下着が自己主張している様は、いっそ不気味だと言う他はなかった。
然も、そこから伸びた二本の足がパタパタと忙しげに前後に揺れている絵面に、どのような反応を示すべきか彼女は本気で悩んでしまう。
(……げ、幻影よ。そうに決まっている。疲れているのよ……きっと……それとも何? 遂に妖怪やもののけの類までもが、宇宙進出を果たしたと言うのぉ?)
完全にパニック状態に陥った彼女が精神の安寧を現実逃避に求めた時だった。
『あぁ~~ん! 足がとどかないよぉ~~落ちちゃうよぉ~~』
『ばっかだなぁ、さくらは。だから俺が取って来てやるって言っただろうが』
『だって、だってぇぇ! ティグルが持ってくるの、ガチガチのくさい物ばっかりだもんっ! さくらはチョコレートや飴がほしいのぉ──っ!』
『あなた達! 静かにしなさいっ! 気付かれたらどうするのっ!?』
何やら騒がしい会話が耳に飛び込んで来て、ヤーデ特務少尉は我に返った。
そして自身の疲労説も、もののけ宇宙進出説も放り投げて、目の前で繰り広げられている超常現象が密航者による仕業だと確信したのである。
そして事象の理屈などは完全に無視し、パタパタ揺れる二本の足に飛び附き拘束するや、厳しい声音で通告したのだ。
「あなた達ッ! 密航者ねっ!? 観念して出ていらっしゃ──いっ!」
『あうぅ──っ! み、見つかっちゃったぁぁ──っ!』
さくらの慌てふためく悲鳴を以って、子供達の秘密の大冒険は僅か一日で終幕を迎えたのである。
◇◆◇◆◇
子供達の密航が発覚したシルフィードは大騒ぎになった。
密航の手口は彼らにとっては至極簡単で、護身用に持たされているファーレン王国謹製の腕輪の能力で転移しただけに過ぎない。
ただし、ユリアとさくらはシルフィードに乗艦した経験がないため、ティグルの記憶を頼りにジャンプを決行したのだ。
そのティグルにしても、達也が『日雇い提督』として銀河系中をタライ回しにされる前に乗艦していた時の記憶しかなく、つまみ食いの常習者として根城にしていた食糧倉庫に転移してしまったというオチだった。
あとは次元ポケット内にユリアの能力で安全地帯を構築し、お菓子類を拝借しながら、お籠りしていたという顛末だったのである。
そんな経緯が判明した頃、漸く地球のバラディースと通信が繋がり、子供たちはお白洲に引き出された罪人の如くにうち拉がれるのだった。
※※※
エレオノーラをはじめ参謀や艦橋クルー達は、メインスクリーンからは見えない隅の方に退避し、被告席と化した司令官専用シートの前に立ち尽くす白銀父子に憐憫の視線を向けている。
彼らの視線の先にいる達也と三人の子供達は、メインスクリーンを通して叱責されている真っ最中だ。
画面に大写しになった面々の顔には、安堵と共に色濃い疲労感がありありと滲み出ており、達也も子供達も恐縮して小さくなるしかなかった。
サクヤにマリエッタ、由希恵、正吾と秋江、ラインハルト夫妻にイェーガー夫妻そして、ラルフにアイラまでもが白銀邸のリビングに顔を揃え、一様にホッとした表情を浮かべている。
しかし、そんな彼らの中でただ一人……。
クレアだけが柳眉を吊り上げ、美しい顔を怒りに染め上げて、スクリーン越しに子供達を睨みつけていた。
「あなた達は自分が何をしたのか分かっているのっ!? 皆さんがどれだけ心配して方々捜し廻ってくれた事かっ!」
夕方になっても子供達が帰宅しない事で、バラディースは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
バイナ共和国との戦闘以降、大統領予備選挙を含めて白銀達也の知名度はうなぎ上りの状態であり、地球統合政府や関係団体との軋轢が顕在化する中での行方不明騒動である。
政治的強迫、または営利誘拐の可能性も考慮に入れて箝口令が敷かれ、バラディース内はもとより、青龍アイランド中を知人ら全員が一睡もせずに駆けずり回って捜索したのだ。
それにも拘わらず、ヒルデガルド謹製の腕輪の力で自力転移し、シルフィードに密航していたとあっては、クレアが激怒するのも無理はないだろう。
腕輪の能力を失念していたクレアを責めるわけにもいかない。
まさか達也の後を追って密航した等とは考え難いし、愛する子供達が行方不明と聞いて動転しない母親はいないのだから。
「「「ごめんなさぁ……い……」」」
達也の前に整列させられた子供達は、母親の剣幕に戦慄き、か細い声で謝罪するしかない。
「謝っても許しませんからねッ! どれだけ心配した、私がどれ……うぅっ……」
とうとう堪えきれなくなったのか、両手で顔を覆って嗚咽を漏らすクレアは泣き崩れてしまう。
母親の痛々しい姿を目の当たりにしたさくらは泣きながら謝った。
「ご、ごめん……ごめんなさいっ! ママ、ごめんなさいぃぃ~~」
ユリアとティグルもクレアの涙には罪悪感を覚えずにはいられず、心底申し訳ないと反省して謝罪する。
流石にこれ以上の叱責は逆効果だと判断した由紀恵やイェーガー夫妻がクレアを宥め、『帰還したら纏めて説教』だと子供達に伝えて騒動は一応の決着を見た。
「さて……三人とも……」
スクリーンが暗転して通信が切れると、達也は子供達を自分の方に向かせるや、三人の頭にゲンコツを落とす。
「うっ……」
「あぅ……」
「げっ! 俺だけ強めじゃん!」
最後の抗議を無視した達也は、厳しい声で子供達に言いきかせた。
「さくらには以前も言ったが、もう一度だけ言うよ。お母さんの言いつけだけは、きちんと守りなさい。間違っても今回の様に心配を掛けて泣かせてはいけないよ。お母さんは自分よりも、君達をとても大切に想っているのだからね」
啜り泣くユリアとさくらは頷き、ティグルもバツが悪そうな表情で了解する。
「僕からは以上だ……帰ったら一緒に謝ってあげるから、もう泣き止みなさい」
あっさりと説教を終わらせた達也に周囲の部下達は苦笑いするしかない。
そんな彼らを代表し、エレオノーラが呆れ顔で言葉を投げて来た。
「クレアが言ってた通りアンタ子供達に甘過ぎよ。激甘……親馬鹿って言葉の意味を知っているかしら?」
反論すれば蟻地獄に嵌るのが分かっていたので、全て聞こえないふりをした達也は、追い立てる様に子供達を促す。
「さあ、お菓子しか口にしてないのではお腹が空いただろう? 食堂で何か食べさせてあげよう」
そして、さくらとユリアをそれぞれ片腕で抱き上げるや、ティグルを従えて逃げるように艦橋を後にするのだった。
その後ろ姿を見送ったエレオノーラは溜め息を零しながら、この場に居ない親友に同情してエールを贈る。
「クレア。御愁傷様……子供達の将来はアンタに懸かっているからね。旦那は当てにできないから……せいぜい頑張りなさいな」
育児に関しては完全に達也に見切りをつけて匙を投げたエレオノーラの呟きに、艦橋が爆笑に包まれたのは言うまでもなかった。
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