第八十七話 禍福は糾える縄の如しか? ②
【梁山泊軍旗艦 大和】
儘ならぬ戦況に切歯扼腕する革命政府軍ととは裏腹に、梁山泊軍が攻勢を強めているのかと問われれば、それは的外れな見解だと言わざるを得ないだろう。
傍目には一方的に敵艦隊を撃破している様に見えるだろうが、開戦後一時間程度ならば主導権を握れるというのは、達也ら幕僚部の面々にとっては想定内の結果でしかなく、称賛に値するものではないのだ。
だからこそ、敵指導部の戦意を挫く程の戦果を挙げ、戦闘の早期終結と講和への切っ掛けを掴まなければならないのだが……。
(優勢な戦力に驕っての無策な力押しに頼らず、情勢が不利だと判断すれば、防御に徹して反撃の機会を窺う……遣り難いったらないわね)
秒単位で変化する状況への対処に忙殺されながらも、詩織は胸の中に渦巻く焦慮を顔に出さない様にと苦心させられていた。
秘匿兵器でもある〝八重霞″とポピーら精霊たちの助力もあり、此処までの戦況は梁山泊軍にとって理想的な展開だと言えなくもないが、それは、想定し得た以上のものではないのも事実だ。
開戦前に達也が危惧した通り、敵艦隊の指令系統を占める古参の将官らは傑出した存在であり、これまでの貴族閥上がりの稚拙な指揮官らとは比較にならない猛者ばかりだった。
全戦力の三割を喪失すれば、演習ならば壊滅判定を受けてもおかしくはない惨敗であるにも拘わらず、未だに敵艦隊の陣形に乱れが生じない点だけを見ても、彼らの指揮能力の秀逸さは疑いようもないだろう。
それは、その事実に直面している詩織の驚嘆ぶりが証明していた。
(圧倒的不利な状況の中で配下将兵の士気を維持するのは容易な事ではないわ……でも、そろそろ損害が30%に達する筈なのに、外周域を構成する艦隊に怖じけた様子は見られない……)
現場一辺倒で叩き上げられた生粋の職業軍人らが頼りになるのは知っていたが、それが敵にも存在するとなれば話は別だ。
艦長席のコンソール左端にある小さなモニターに表示されている数字は、開戦から四十分以上が経過した事を知らせている。
(間もなくタイムリミット……未だに70%の戦力を保持し戦意を喪失していない敵相手にどこまでやれるのか……)
そんな不安に圧し潰されそうになるが、それは己が敵の指揮官に劣る事実を認める事に他ならず、詩織にしてみれば断じて許容できないものだった。
(私だって白銀達也の一番弟子なんだからねッ! 辺境をたらい回しにさせられて拗ねていただけのオジサンとは違うって所を見せつけてやろうじゃないの!)
何とも敬意の欠片もない失礼な物言いだとの自覚はあるが、譬え強がりであっても指揮官としては必要な開き直りだ、そう自己肯定して己に活を入れる。
「もう一押しよッ! 砲火を切らさないでッ!」
だからこそ、弱気の虫を胸の中に押し込んだ詩織は、怒鳴りっぱなしで嗄れた声を張り上げ続けるのだった。
※※※
【第2艦隊旗艦・武蔵】
達也から艦隊の指揮を託されているエレオノーラにしても、内心の憂慮は詩織と大差なかったが、その重さは職責に比して遥かに大きなものだった。
誤算の最たるものは、一方的に蹂躙されているにも拘わらず、未だに強固な戦意を維持している敵艦隊将兵の驚異的な粘りに他ならない。
(リベラル派の古参将官が混じっているのは覚悟していたけれど、あの現実主義者として名高いフーバー提督までもが居残っているとは誤算以外のなにものでもなかったわね……あの狸親父が参謀長を務めているのだから、この驚嘆すべき粘り腰も当然と言えば当然かしらね……)
士気に影響するのは確実だからこそ、詮無い愚痴は胸の内へ吐き出すしかないと分かってはいるが、今後の戦況を鑑みれば、嫌でも憂鬱にならざるを得なかった。
既に、この時点で梁山泊軍にとってのアドバンテージは失われつつある。
〝八重霞″の効果が消失すれば、敵艦隊の火勢が威力を取り戻すのは自明の理であり、数を頼みに一斉砲撃を敢行されれば、対ビーム装甲に秀でた梁山泊軍艦艇といえども、その全てを防ぐ事はできないだろう。
つまり、時間の経過に伴って劣勢へと転ずるのは避けようもない運命なのだ。
(せめて敵艦隊将兵の戦意を挫く事で反乱脱走を誘引できれば……そう思っていたけれど、流石に逆境慣れした古参連中には通用しなかったか……)
アルカディーナ星系戦に於ける敵艦隊の自壊と同じ効果を期待したわけではないが、戦況の悪化に伴う敵前逃亡艦による戦力低下は当然あるだろうとの目算があったのは確かだ。
だが、その目論見が優秀な敵幕僚らの指揮と存在感によって阻まれた以上、この先の展開は厳しいものになる……。
そんな予感に、然しものエレオノーラも表情を固くせざるを得なかった。
「〝八重霞″濃度並びに効果減少します!」
「敵艦隊のレーダー並びに通信システムに復旧の兆しありッ!」
「イ号潜艦隊からの通信ですっ! 〝敵後衛艦隊を殲滅するも対艦兵装の大部分を損耗せり″ 次元間爆雷による被害も大との事です!」
「一航戦のミュラー司令官からですっ! 〝敵側面を切り崩すも中心部への進行はならず!″」
矢継ぎ早に耳を打つ報告にも気分を浮き立たせるものはなかったが、そんな中でも朗報がないわけではなかった。
「地上部隊からの通信です。首都侵攻と同時に一部市民らの蜂起があり、革命政府陸軍戦力の撃退に成功! 主要な政治施設と通信網、並びにインフラ施設を奪還し目下王宮の解放に当たっているとの事です! 尚、ジュリアン氏の奪還にも成功との報も併せて入っております」
弾んだ声で報告して来たオペレーターへ微笑みを返したものの、現状では手放しで喜べないというのが素直な本音だ。
敵艦隊の動揺を誘う意味でも重要な役割を担っていた地上部隊の戦果は喜ばしい限りだが、肝心の艦隊戦で敗北したのでは意味のないものになってしまう。
そんなネガティブな思考に囚われて思わず溜息を洩らした瞬間だった。
零れた吐息に耳朶を揺さぶられて我に返ったエレオノーラは、柄にもなく消極的になっている己が滑稽に思えてしまい、気が付けば苦笑いしていた。
(何を弱気になっているのかしらね……私らしくもない。最初から不利は承知の上じゃない。今更迷う事など何もないでしょう? だったら……)
少しでも有利なうちに次善の策を講ずるのは指揮官ならば当然の責務だ。
迷いを振り切ったエレオノーラは、今度こそ思考の海へと意識を解放した。
(大和級は全艦が健在……ならば、敵軍が息を吹き返す前に、艦首陽電子砲による一斉砲撃で敵艦隊中心部分への突撃路を確保する。刺し違えてでも敵旗艦を潰す。それ以外に勝機は残されていない)
凡そ捨て身の特攻など彼女の流儀ではなかったが、こんな瀬戸際の局面では多少の無茶をしなければ勝機を掴めないのは、これまでの長い戦場暮らしで骨身に染みて理解している。
だから、全戦力を投入して決死の突撃を仕掛けるべく命令を下そうとしたのだが、そんな彼女の決意を嘲笑うかの様に戦場を徘徊する死神が断罪の大鎌を振るったのだ。
「艦隊後方に次元境界線が形成されます! 巨大質量が転移して来る兆しアリ!」
驚愕と恐怖に彩られたオペレーターの絶叫に艦橋の空気が凍り付く。
この宙域で次元崩壊が頻発するという事例が報告されていない以上、この現象が大艦隊による転移に伴う現象なのは明白だ。
現状で増援が可能な戦力は南部方面域を掌握している革命政府軍以外にはなく、梁山泊軍にとっては最悪の展開だと言っても過言ではなかった。
「ここまで遅参していたのだから、最後まで寝ていればいいのにねぇ……」
そう嘯くエレオノーラへ部下らの不安げな視線が注がれる。
しかし、その視線の先に佇む司令官は理知的な相貌に不敵な笑みを浮かべており、寧ろ清々しいまでに獰猛な戦意を滾らせているのが一目瞭然だった。
「だったら、ノコノコ出て来た事を後悔させてやろうじゃないのッ! 第2艦隊は後方へ出現する敵増援艦隊を迎え撃つッ! その間に他の大和級は敵主力艦隊への艦首陽電子砲による攻撃を敢行ッ! 切り拓いた血路で敵旗艦と司令部を殲滅し、この戦いに終止符を打つのよッ!!」
四面楚歌の中にあっても戦意を喪失しないエレオノーラの胆力は、瞬く間に艦隊将兵へと伝播していく。
それが吉とでるか凶とでるか……。
また、〝禍福は糾える縄の如し″の格言通り、今度は梁山泊軍が劣勢を強いられる事になるのか……。
そして、気紛れな勝利の女神が微笑む相手が誰なのか……。
戦況は益々混迷の度合いを深めていくのだった。
◇◆◇◆◇
味方艦隊が窮地に陥ろうとしていた頃、ジュリアンとクラウスからキャメロットとマチルダ兄妹が辿った数奇な運命を聞かされた一行は、困惑と共に思案に暮れていた。
「ふん……大体の事情は呑み込めたが、如何にも支離滅裂なんじゃないかい?」
訝し気な表情で疑問を口にするヒルデガルドは、マチルダの生命維持装置と化した冷凍睡眠システムの解析に取り掛かっている。
勿論、さくらに責っ付かれたからでもあるが、滅多には御目に掛かれない珍しい玩具に興味を惹かれたというのも偽らざる本音だった。
その一方で納得顔なのは志保だ。
「あの男自身が狂気の研究唯一の成功体だと言うのならば、今回の馬鹿げた騒動にも納得がいくわ。自らが殉教者となって人類と銀河系の未来を切り開く……か……頭の固い軍人が心酔しそうな泣ける謳い文句だけれど、ありがた過ぎて呆れるしかない代物ね」
この志保の意見には、リアリストを自認するクラウスも異論を挟まない。
「全く仰る通りですよねぇ……悲劇なんてものは過ぎれば喜劇に堕してしまうものなのですが、その辺りの匙加減を知らない者が、時として歴史の主役として脚光を浴びるものだから始末に悪い」
だが、直接キャメロットと言葉を交わしたジュリアンにしてみれば、そんな通り一遍当の常識論で片付けられる筈もなく、思わず声を荒げてしまった。
「呑気な事を言っている場合ではありませんよ! 譬え妄執であれ、そこに悪意がないのならば白銀提督とも理解し合える余地はある筈です! ふたりが戦う意味などないのだから、今からでも無意味な戦闘を止められるのではありませんか?」
真剣な表情で一気に捲し立てたジュリアンだったが、志保やクラウスは渋い表情を崩さない。
そんな彼らの態度に焦れて再度口を開こうとしたジュリアンへ異を唱えたのは、他でもないユリアだった。
「あなたの想いは正しいと思うわ……でもね、どんなに高大で称賛に値する理想であっても、その為に弱者を犠牲にしても構わないというのは間違っている……」
その指摘が〝エンジェル・フォーリン・プロジェクト″や〝ナイトメア″の部品として犠牲を強いられた亜人らの悲劇を指しているのは明白だ。
既に判明しているだけでも数千人に上る亜人たちが犠牲になっているのは周知の事実であり、それはジュリアンも承知してた。
しかし、常に理を超えた所での判断を強いられる事業家として、何とか妥協点を見出そうとする彼をどうして責められるだろう……。
そう、ユリアは思わざるを得なかったのだ。
だから、最後まで反論を言葉にはできずに口籠ってしまったのだが、そんな恋人の想いはジュリアンも理解していた。
「分かっているさ……でも、だからと言って今この瞬間に喪われていく命から目を背けても良いという理由にはならない筈だよ。何かができるならば最後の瞬間まで最善を尽くすべきだ……それが人間だと思うから……」
自分が無力な存在だと知るからこそ葛藤せざるを得ないジュリアンが愛おしくてならず、ユリアは立ち尽くす恋人に寄り添うしかなかった。
そんなふたりを見れば、志保もクラウスも正論を振り翳す様な野暮な真似はできず、何かしらの方策が残されていないか思案を始めたのだが、それは各地の戦場を飛び交う友軍の通信を傍受していた部下の悲鳴で掻き消されてしまう。
「団長ぉ──ッ! 大変です! 第2艦隊から発せられた通信によると、敵援軍が南部方面域から襲来した模様との事ですッ!」
主電源が落ちて非常用電源で辛うじて明るさを確保している室内に緊張が走る。
この局面での敵援軍到来の報は絶望以外のなにものでもなかった。
その深刻さは、機械弄りに没頭していたヒルデガルドが思わず顔を上げて舌打ちした事が証明している。
だが、不安と焦燥に彩られる面々の中でさくらだけは小首を傾げていた。
その視線の先にある、不敵な笑みを浮かべるクラウスを見て……。




