第八十六話 ジュリアン救出 ⑤
高度一千メートルを切ったにも拘わらず、地上からの迎撃行動は認められない。
元より軍事的にも政治的にも重要とはいえない病院施設に対空兵器を配備するなどナンセンスでしかないが、敵からの攻撃を想定していなかった時点で怠慢の誹りは免れないだろう。
(重要人物の身柄を軟禁しているのならば、もう少し配慮するべきだったわね……まぁ、情報統制が完璧だった点を鑑みれば、居場所が露見する筈がないと高を括っていたのでしょうけれど……)
ユリアとさくらの不思議な力の前には、敵の画策など何の意味もなかった。
特殊鋼材と大量の建築資材で隠蔽された地下深くに軟禁されている者の気配すら察してしまうスーパー姉妹が相手では、どんな小細工も通用しないのは道理だ。
おまけに大切な子供達の為ならば、一切の温情を断ち切って戦神となり、仇為す者を容赦なく屠る父親がついているのだから、志保としては心から敵に同情するしかなかった。
だが、まだ安心するのは早い。
作戦は始まったばかりだし、強硬策を余儀なくされている時点でこちらが不利な事に変わりはないのだから。
況してや、キャメロットとの決着をつけなければならない達也は既にこの場にはおらず、防御力の低下は否めない。
しかし、懸念材料ばかりの中にも光明はある。
(作戦開始直前になってジュリアンの居場所を知らせて来た者の正体が気になるわね……恐らく情報部を束ねているクラウスの配下だと思うけれど……彼是と悩んでも仕方がないか……とにかく速攻で進入路を確保して一気に制圧するのみよ)
施設内の敵兵力も判然としないし、ジュリアンが置かれている状況も分からないのでは、何よりも侵攻速度が作戦の成否を左右するのは自明の理だ。
だが、味方の工作員がジュリアンの傍に潜んでいるのならば、有利な展開を期待する事もできるだろう。
「このまま目標の敷地内前面に拡がる緑地へ強行着陸するわよ!」
副官のデラが傍に居たら血相を変えて文句を言うだろうが、志保が直卒しているアマゾネスらは、皆が精強無比と自他ともに認める精兵ばかりだ。
それはイチ兵士としての力量が秀でているだけではなく、状況判断も極めて優秀だからこその評価でもある。
それ故にこの期に及んでも薄い敵陣営の反応から、強硬策が最も理に適っていると判断し、無謀とも思える命令にも異を唱えなかったのだ。
ひとつだけ、デライラの名誉の為に言っておくが、事ある毎に彼女が志保に諫言するのは、飽くまでも副官としてブレーキ役に徹しているからであり、彼女自身の能力に疑問を懐く者は、誰一人として存在しない事を付け加えておく。
「着陸と同時にシャトルは放棄。地下駐車場への進入路を確保した後アタック開始よ。それから、先に入った情報の信憑性は極めて高いと考えて良いと思う。だから病院施設は無視して構わないわ。目標は地下10階。キャリーとバーバラは子供達の護衛を御願い。殿下にもお願いできますか?」
「大船に乗った気でいたまえだよんッ! 第一本気でやらないと、後が煩いだろうからねぇ~。万が一にでもこの子らに掠り傷でも負わせた日には、どんな御仕置きが待っているか知れないからね」
「本当に身勝手な女ですからね……昔からアイツはそーゆう極道な女でした」
心底怯えた様子のヒルデガルドが嘆息すれば、ゲンナリした顔の志保が愚痴る。
彼女らが揶揄する女性が誰なのかは明白だが、トバッチリを受けるのを恐れてか、周囲の者達は明後日の方向へ視線を投げて完全無視の構えを崩さない。
だが、微笑んで顔を見合わせるユリアとさくらを見れば、それが姉妹にとっては賛辞以外の何ものでもないのは一目瞭然だった。
と、その時だ。
「団長ッ! 対地レーダーに感ありッ! 市街地方面の幹線道路上に接近してくる敵戦力を探知しました! バトルタンク一個中隊と車両多数! 距離5km!」
操縦席からの報告に、団員らの間にも動揺が走る。
戦車中隊といえば10両編成が普通であり、多数の車両の中には対空兵器搭載の戦闘車両も含まれている筈だ。
当然ながら歩兵を満載した輸送車も随伴しているだろうから、増援部隊としては中々の規模と言っても過言ではないだろう。
「ふんッ! 高々20人程度の小部隊に奮発したものね。精々歓迎して貰おうじゃないの……梁山泊軍空間騎兵団の恐ろしさを骨身に刻んであげるわ」
部下達の手前もあり強がっては見せたものの、このタイミングでの敵援軍襲来は厄介だと言わざるを得ず、志保も内心では舌を弾かざるを得なかった。
ジュリアン救出という最優先作戦目標を達成する為には、増援との戦闘で時間を浪費するなど論外であり、可能な限り避けるのがセオリーだ。
しかし、機甲部隊を無視した挙句に戦闘中に前後から挟撃されたのでは、作戦を成功させるどころか味方が全滅する可能性すらある。
少ない部隊を更に分けての両方面への同時対処か、それとも戦力を集中させての一点突破か……刹那の間、志保は逡巡したのだが……。
「背中は俺に任せてくれよ、志保さん。あの程度の敵なんか問題じゃねぇよ。軽くあしらってやるから安心して突入してくれ。その代わり、ユリア姉ぇとさくらの事を頼んだぜ。それから、ジュリアンの兄貴の事もヨロシクな」
そう豪語したのは、そのあどけない顔に満面の笑みを浮かべたティグルだ。
勿論、その選択肢を忘れていた訳ではないが、成竜としての本領を発揮できない幼竜を矢面に立たせる事を躊躇わなかったと言えば嘘になる。
しかし、今の彼女らには時間的にも戦力的にも余裕がないのも確かだ。
ならば、我が身に及ぶ危険を承知の上で参戦を申し出てくれたティグルの男気に水を差すのは、同じ戦士として野暮だろう……。
そう判断した志保は、不敵な笑みを口元に浮かべるのだった。
「いいわ……地上の敵は任せるから存分に暴れて頂戴。ユリアとさくらちゃんは、アンタの代わりに私達が護ってみせる……勿論、ジュリアンもね」
「サンキュー! それじゃぁ、行って来るぜ!」
そう意気込んで気密ハッチへと向かうティグルグルの背中へ声が飛んだ。
「この馬鹿竜! 調子に乗って怪我なんかしたら承知しないんだからね!」
「ティグルぅ~~~無茶しちゃ駄目だよぉ……絶対に無事に帰って来てね!」
振り向いた視線の先には、勝気な姿勢を崩さない姉と不安げな妹の姿がある。
まるで正反対に見える姉妹だが、その瞳に宿る憂慮は寸分違わず同じだった。
だから、満面の笑みに闘志を上乗せしたティグルは、彼女達への気持ちを言葉で飾る必要はないと察し、軽く右手でサムズアップしたのみで気密室へ飛び込んだのである。
正統なる神竜族の末裔であるティグルには、脆弱な人間に必要なマニュアルなど一切不要だ。
早々にシャトルを飛び出すのと同時に人型バトルフォームへと変身するや、その純白の双翼を羽ばたかせて空中を疾駆する。
本来ならば幼竜体には負荷が大きいトランスフォームも、セレーネの加護とヒルデガルドが開発した竜種の力を制御するサポートシステムのお陰で一切の不自由は感じない。
(快適、快適! 身体が軽いぜ。これなら存分に暴れられそうだ。高度は500mを切ったか……んっ?)
身体の奥底から溢れ出る膨大な力を感じて悦に至っていると、地上から迫りくる戦闘車両の群れを白煙が押し包んだかと思えば、三つの小型飛翔体が発射されるのが目に入った。
その途端にティグルの双眸に獰猛な光が宿るや……。
垂直離発着機能を備えたシャトルが無防備な着陸態勢を取っている中、その隙を狙い撃ちした地対空ミサイルは、周囲に網の目の如くに張り巡らされた白き炎雷に捉えられて空中で爆散して果てるのだった。
「俺の大切な身内に手を出そうとはいい度胸だッ! 一台残らず鉄屑のスクラップに変えてやるから覚悟しやがれぇ──ッ!」
ダネルに於ける地上戦は、このティグルの咆哮によって幕を切ったのである。
◇◆◇◆◇
「くそッ! 一体全体どうなっているんだ!?」
王立病院地下十階にある指令センターで憤懣を露にしているのは、施設の警備とジュリアンの保護をキャメロットから託されたガルド・レンセン大尉だ。
彼と共にモニターを見ている副官役のコナーズ・ソラリア大尉も青褪めた表情を取り繕う余裕はなく、想定外の戦況に狼狽を余儀なくされている。
現在彼らが所属する革命政府軍は、事前の戦況予測を大きく逸脱した現実に翻弄されており、各方面軍が例外なく大混乱の様相を呈していた。
主力の宇宙軍艦隊は敵の攪乱戦略の前に苦戦を強いられ、防戦一方という醜態を曝しており、その混乱の隙を突いた敵地上攻略部隊のダネルへの降下を許すという失策を招いている。
また、王都を中心とした要衝を守護する地上部隊も、その威容とは裏腹に様々な問題を抱えており、進攻して来た敵陸戦兵力の勢いに圧倒される有り様だった。
元々が解体されたテベソウス王国の国軍部隊が陸軍の主力を構成しており、部隊や司令官によっては、キャメロットや革命政府の主張に懐疑的な勢力が混在しているのだから、組織だった戦術が上手く機能しないのも自明の理だろう。
本来ならば不安要素は排除して然るべきだが、敵梁山泊軍に地上戦力を投入する余力はない、との参謀部の決定を鵜呑みにしたが為に問題を先送りせざるを得なかったという悩ましい経緯がある。
しかしながら、この土壇場でそのツケに足を引っ張られているのだから、まさに自業自得だ、とレンセンは臍を噛む思いだった。
だが、嘆くばかりでは埒が明かないのも確かだ。
実際にレンセンとソラリア両大尉が直面している状況も、既に待ったなしの局面を迎えており、早急なる対処を決断せざるを得ない所まで追い詰められている。
ジュリアンの移送に関しては信用の置けない関係者は徹底的に排除されており、キャメロットの理想に賛同する同志のみで遂行された。
それ故に捕虜たる彼の居場所が露見する事はないと高を括っていたのだが、急襲して来た敵部隊が、一般病棟や施設には見向きもせずに地下駐車場入り口に殺到した事を鑑みれば、情報が漏れていたと考えざるを得なかった。
(今更裏切り者が誰かなど詮索している暇はない……ならば、我らが為すべき事は一つしかないではないか……)
己が命と引き換えにして人類の新しい未来を切り開く……。
己が盟主と仰いだ人間のその想いを、頑迷な旧悪には邪魔させはしない……。
その為ならば、新しい人類世界の黎明に仇為す者は排除するべし……。
思想的な狂信者が辿り着く結論が稚拙な破壊衝動でしかないのは、数多の歴史が証明しており、残念ながらレンセンやソラリアも例外ではなかった。
「計画を実行するしかない。盾になっている同志らが全滅する前に新世界には不要なジュリアン・ロックモンドを始末するぞ」
仄暗い感情を隠そうともしないレンセンの言葉に、ソラリアも同様の光を湛えた双眸で賛意を示すのだった。




