第八十五話 大混戦 ③
「慌てるなッ! 所詮は悪足搔きに過ぎないッ! 日頃の訓練が伊達ではない事を連中に教えてやれッ!」
想定外の不意打ちに騒然となる艦橋にランデルの怒声が響き渡る。
だが、急変する事態に即座に対処して見せたのは上出来だと言えるが、如何せん固い表情で双眸を血走らせていたのでは、却って余裕のなさを強調しているようなものであり、状況を鎮静化する効果は期待できそうにもなかった。
そして、年若い司令官の醜態を目の当たりにした参謀長はといえば……。
(何があっても取り乱すなと、あれほど強く言っておいたのに……)
艦橋勤務の士官らは司令官の狼狽が伝染したかの様に余裕を失い、喧騒の只中で右往左往するだけの醜態を曝しているのだから、フーバーの慨嘆は正鵠を射ていると言わざるを得ないだろう。
だが、前後からの同時攻撃を受けて出鼻を挫かれたとはいえ、即座に迎撃命令を下したのは評価できる……そう、フーバーは自らを納得させるしかなかった。
(あの白銀提督が絶好の先制機に芸のない奇襲など仕掛ける筈がない。何かしらの策略があるのだろうが……我々には迎撃する以外に選択肢がないのも事実。相手の掌の上で踊らされている感覚……嫌なものだな)
圧倒的に寡兵の敵が、先手必勝とばかりに無謀な突撃を仕掛けて来たのだから、後方から迫りくる多数のミサイルには、何かしらの意図が隠されている筈……。
戦場暮らしが長いフーバーにしてみれば敵の思惑を看破するなど造作もないが、その正体が分からない以上、ランデルの判断に異を唱えるのが悪手でしかないのも分かっていた。
しかし、この切羽詰まった状況で司令官が下した命令に嘴を差し挟めば、更なる混乱を招く恐れがある。
また司令官と参謀長の間に不和があるのではと将兵らが誤解しようものならば、士気や統率に悪影響が及ぶのは必至だ。
(それこそが白銀提督の狙いなのだろう。圧倒的に優勢な戦力を誇ってはいても、司令部と各艦隊の信頼関係が破綻して統率に綻びが出れば、それはもう烏合の衆に過ぎない……)
ここで自分までもが取り乱せば、最悪の事態への引き金を引きかねないと理解しているからこそ、フーバーは敢えて無言を貫いたのだ。
彼自身も達也と同様に数多の戦場を渡り歩かされた身であり、気位ばかりが高い無能な司令官達や、机上の空論を弄ぶ愚昧な参謀らに辟易させられた経験は枚挙に遑がなかった。
とは言え、そんな愚物らと比しても、ランデルを始め革命政府の旗の下に集った者達が優秀なのは確かで、だからこそ、古参の己が影に徹した方が良いと判断したのである。
しかし、そんな常識的な戦略が何の役にも立たないと、フーバーは嫌というほど思い知らされるのだった。
※※※
ランデルと相対している旗艦乗員たちは別として、司令官の果断な決断に接した艦隊将兵らは奮い立ち、迫りくる脅威に対して的確な対応を取るべく一丸となって動き出す。
「前衛艦隊迎撃を開始! 第5,第12,第28艦隊も砲撃を開始しました!」
「後陣の第6対空護衛艦群、並びに第9護衛艦群がミサイルの迎撃を開始します。次元結節点計測を完了、第12から第15駆逐隊、第23駆逐隊から第26駆逐隊の8部隊が敵次元潜航艇の排除に向かいます!」
前衛主力艦隊と三つの正規打撃艦隊の総戦力は軽く一万隻を超える。
それらが適切な距離を保って展開すれば、繰り出される砲火は面となって広大な空間を薙ぎ払い、如何なる敵の生存も許さない地獄絵図を顕現させられるだろう。
また多数のミサイルによる雷撃も、正確無比なレーダー射撃の前には蟷螂の斧に等しく、有効な戦果を期待するのは難しいというのが、現代の戦場での常識だ。
だから、落ち着いて普段の訓練で培った技量を発揮すれば、この程度の不意打ちに対処するのは造作もない、とランデルや幕僚達が判断したのは決して間違いではなかった。
しかし、事態は彼らの予想を遥かに超え、更なる混沌を戦場へと齎したのだ。
「我が艦隊から砲撃が敵先鋒のシュトゥルムヴィント級艦隊へ命中ゥ──ッ!」
「第2射、第3射も全弾命中ですッ! ですが敵艦隊は大幅に行き脚を減じながらも、尚も突っ込んできますッ!」
「接近中のミサイル群の迎撃、間に合いましたぁ──ッ! 第1波、第2波による損害は皆無! 第3波以降も封殺は可能と防空艦隊司令部からの報告です!」
「敵次元潜航艇掃討へ向かった各駆逐戦隊が、異次元爆雷攻撃を開始しました!」
艦橋に飛び交うオペレーターらの喜色に彩られた声音に耳朶を打たれたランデルは、笑み崩れそうになる表情を取り繕いながらも、胸中では欣喜雀躍していた。
(驕ったな、白銀達也ッ! 運良くナイトメアを退けたぐらいで調子に乗ったのか? ならば、我が艦隊の圧倒的火力を以て現実を教えてやる!)
前衛部隊の砲撃に加え、現在両翼へと展開しつつある主力打撃艦群が攻撃を開始すれば、僅か三千隻にも満たない敵を一掃するなど造作もない。
また汎用性に乏しい次元潜航艇など、位置を特定しさえすれば大した脅威に成り得ないのは、ある程度の戦場経験がある士官にとっては常識だ。
だからこそ、白銀艦隊の戦術が無謀な自殺行為でしかないと判断したランデルは、勝利を確信して吠えたのである。
「攻撃の手を緩めるなッ! 白銀達也の首を取って一気にケリをつけるぞッ!」
しかし、その檄へ返されたのは、先程までの弾んだ声とは裏腹の、驚愕と狼狽に満ちたオペレーター達からの悲鳴混じりの報告だった。
「撃破した敵艦から未知の物質の流出を確認ッ!? 残存している敵シュトゥルムヴィント級も同物質を放出しながら進攻して来ますッ!」
「後方からのミサイル群にも同様の反応ありッ! 大量の未確認物質を撒き散らしながら、不規則な機動を始めました! 迎撃は困難との報告がッ!」
「た、大変ですッ! 全レーダーに障害発生ッ! 未知の物質が散布された宙域を中心に、索敵不能領域が急速に拡大していますッ!」
「前衛艦隊……いえ、展開中の打撃艦隊との通信途絶! 後衛の駆逐隊とも連絡が途絶えました!」
それは、余りにも唐突で理解を越えたアクシデントだった。
相手の目や耳であるレーダーシステムを無効化する戦術は数多とあるが、散布するだけで此処まで絶大な効果を齎す兵器など、アマテラス以外に保有している国家はない。
それ故に急転した事態への対応が遅れた事でランデルを責めるのは酷なのかもしれないが、この結果は、梁山泊軍艦隊の戦術を無謀な自殺行為と断じた時点で確定していたのだから、指揮官として未熟だとの誹りは免れないだろう。
アルカディーナ星系の特殊環境の根幹を成す物質から生成された〝八重霞″。
あらゆるレーダー波を吸収無効化し通信波も阻害、おまけにレーザー兵器の威力までをも減衰させる、ヒルデガルドが開発した梁山泊軍の秘匿兵器。
これこそが、この不意打ちの主役だったのである。
尤も、この有利な状況を得るためだけに、先のアルカディーナ星系戦役の実情を徹底して隠し通し、多大な予算が必要になるにも拘わらず、捕虜の返還にすら応じなかったのだから、やはり純粋な騙し合いでは、達也の方が数段勝っていたと言わざるを得ないのかもしれない。
そして、この様な窮地に追い込まれた場合、経験が浅く未熟な指揮官は、往々にして胆力のなさを露呈して自滅するのが常であり、然しものランデルも例外ではなかった。
「一体全体なにが起こったのだッ!? 早急に状況を改善せよッ!」
声を荒げて命令した所で、有効な対処法など有る訳もない。
然も、敵シュトゥルムヴィント級護衛艦は撃破したものの、急激な勢いで拡散を続ける〝八重霞″は、前後から艦隊を覆いつつあり、レーダーどころか通常通信にまで支障が及び始めていた。
(このまま手を拱いていては白銀の思う壺だ。そんな無様な真似を曝す訳にはいかないッ! キャメロット様に顔向けができなくなるッ!)
原因が分からない事への苛立ちと、劣勢に立たされた屈辱に耐えかねたランデルは、見栄も体裁もかなぐり捨てて強硬策へと打って出た。
「小細工を弄したところで我が方の優勢は変わらない! 脆弱な白銀軍など一気に揉み潰してしまえば良いッ! 後衛艦隊を残して他の全艦隊は前進せよッ!」
しかし、この判断が悪手でしかないのは論ずるまでもないだろう。
勇猛果敢と言えば聞こえは良いが、情報を遮断されたまま遮二無二突撃すれば、第二第三の罠に嵌って大損害を被るのは自明の理だ。
そして、それこそが、達也が描いた絵図面だった。
しかし、思惑通りに事が運ばないのも戦場の常だ。
「この程度の事でオタオタするなぁッ! 司令部が狼狽えては艦隊将兵が動揺するのみですぞ! 敵の策に過敏に反応すれば、正に白銀提督の思う壺でしかない! まずは落ち着かれよ、ランデル総司令官」
語気を強めながらも泰然とした表情を崩さないフーバーの一喝によって、喧騒の只中にあった艦橋に一瞬の静寂が生まれる。
白銀達也と同様の境遇に甘んじざるを得なかった老将から発せられる圧は半端なく、立場では上回るとはいえ、実戦経験の浅いランデルでは到底太刀打ちできるものではない。
だが、幸いにも、気位に凝り固まった貴族閥の司令官らとは違い、階級や面子に拘泥して己を見失う愚をランデルは犯さなかった。
「この儘では一方的に蹂躙されるのみだ! ならば、打って出た方が……」
切羽詰まった表情で言い募る司令官へ、今度こそフーバーは意見具申した。
「一時的には損害を被りましょうが、ここは耐えるしかありません。下手に攻勢に転ずれば各個撃破される可能性が高い……それに、これこそがエスペランサ星系へ派遣された銀河連邦軍艦隊が壊滅した原因でしょう。目と耳を奪われては勝ち目はありませんぞ」
「ならば如何するというのかッ!?」
「落ち着かれよ! 威力は絶大とはいえ所詮は粒子の煙幕に過ぎない。効果が持続する時間も限定的な筈。今は混乱を鎮めるのが先。どうか勝手な振る舞いをお許しください」
ランデルからの了承を待つ暇はない。
そう判断したフーバーは凛とした声で命令を下した。
「通信士っ、直ちに発光信号を打てッ!『各艦隊は個別に事態に対処せよ。粒子の効果は短時間で収束する。その間は防御に重点を置きながら切れ目のない艦砲射撃によって敵を牽制せよ』だ! 本艦からのメッセージを受け取った各艦隊旗艦は、外周艦隊まで発光信号にてリレーさせよと繰り返し念押しせよッ!」
戦局を占う天秤は未だに勝者を決めかねているのか、戦いの趨勢は混迷を増すばかり……。
果たして、勝利の女神は誰に祝福の微笑みを与えるのか……。
その答えが出るには、今暫くの時間が必要な様だ。
なぜならば、戦いは始まったばかりなのだから……。




