第十話 子供達は大冒険という名の反乱を起こす ②
夏の熱さも本番を迎え、照りつける太陽の下、子供達は幾つもの仲良しグループに別れて家路につく。
週末の今日は正午過ぎには全ての授業が終了した所為か、明日の休日を前にして浮き立つ心を隠し切れないようで、どの子の顔にも朗らかな笑みが弾けている。
校門脇に立って教え子らを見送るアルエット・イェーガーは、明るい声で挨拶をしてくる子供達へ手を振り笑顔を返す。
この世界の未来を担う子供達にとって教育は必要不可欠なものだ。
そんな当たり前の想いから学校の創設を提案したのだが、まさか自分に校長職のお鉢が廻って来るとは夢にも思っていなかった。
(最初はどうなることかと不安ばかりだったけれど……今では引き受けて良かったと思う自分がいる……これも不思議な巡り逢わせね)
夫のフレデリックから『見込みのある若者だ』と紹介されて以来、達也との付き合いも彼是十年以上にもなる。
その年月の間に彼は想像を上回る成長を遂げたばかりか、素敵なお嫁さんと子供達を得て幸せな家庭を築いたのだから、アルエットも我が事の様に喜んだものだ。
しかし、彼のお嫁さんであるクレアから『子供達の通う一貫校の校長職をお願いできませんか』と頼まれた時、彼女は大いに迷ってしまった。
『教職から離れて長いし、あまつさえ校長だなんて……』
尻込みして断ろうとした彼女だったが、夫のフレデリックに背中を押された事もあり、逡巡しながらも、その要請を引き受けたのである。
『まだまだ老け込む年でもないだろう? 子供達相手に、もう一度青春を謳歌してみてはどうだい? 微力ながら私も応援するよ』
そう言って笑う夫に乗せられた部分は否定できないが、それでも、毎日子供達の笑顔に接する生活は、彼女にとって掛け替えのないものになっている。
だから、決断させてくれた夫には心から感謝していた。
尤も、その夫も趣味で研究している銀河興亡史を受け持つ非常勤講師として教鞭を執っているのだから、体よく巻き込まれたのではないかとも思っているが……。
「子供達の見送りかい? 毎日精が出るねぇ~。すっかり校長先生が板について、心なしか随分と若返った様に見えるよ?」
聞き慣れた声で揶揄われるが、アルエットは声の主には視線もやらず、子供達へ手を振り続ける。
比較的高台にある学校は、正門から続く緩やかな坂道で住宅街と繋がっており、元気に駆け下っていく子供達の躍動する背中をゆっくりと眺める時間は、彼女にとって至福の刻に他ならない。
「揶揄わないで下さいな。今でも校長なんて柄ではないと思っているのに……そういうあなたもご苦労様でした。あなたの授業は高学年の子供達に評判が良いようですよ? 『内容が砕けていて分かり易い』ですって」
さり気なく労いの言葉を掛けてくれる恋女房の隣に立ち、次第に小さくなっていく教え子達の背中に優しい視線を向けるフレデリックは相好を崩して軽口を叩く。
「ふふっ……勉強なんてモノは楽しんで学ぶものなのさ。肩肘張って丸暗記なんて軍の昇級試験だけでたくさんだよ」
「ふふっ。またそんな事を言って……ですが、何時までも油を売っていてよろしいのですか? 達也やエレン達は間もなく出航ですし、留守を預かるラインハルトの補佐もしなければならないのではありませんの?」
妻に問われたフレデリックは、目を細め口元を綻ばせながら本音を口にする。
それは長年連れ添ったパートナーにだけ漏らせるものだ。
「彼らは既に一人前以上に成長している……私のようなロートルが出しゃばる必要などありはしないさ」
何処か達観した様な、それでいて安堵と寂寥感が入り混じった声音に夫の心情を見た気がして、アルエットも口元に微笑みを浮かべた。
結婚して三十年近くになるだろうか……。
軍人として戦地に赴く夫を見送り、無事の帰還を祈りながら待ち続ける日々。
それは不安と寂しさと同じ位、夫婦としての絆も感じさせてくれた時間だった。
「あらあら、もう引退宣言ですか? 『一旦戦場に出れば何処で死んでも不思議ではない。覚悟だけはしておいてくれ』……結婚した当日にそう言われて驚いたのが昨日の事のよう……あれから三十年が過ぎましたけれど、あなただって、まだまだ老け込む年ではないでしょう?」
己が説得に使った言葉を返してくる女房殿には、然しものフレデリックも苦笑いするしかない。
「自分は何時か何処かの戦場で死ぬのだと疑いもしなかった……それが、生き延びた挙句に子供達の笑顔に囲まれているなんてねぇ……然も、結構心地良くて大いに戸惑っているよ」
どちらからともなく触れ合う手と手を絡めて繋ぐと、自然と身体を寄り添わせる老夫婦。
アルエットは感慨深げに喜色を含んだ言葉を漏らした。
「一生懸命働いたあなたに、神様が御褒美を下さったのですわ……これからは未来の担い手である子供達を鍛え導きなさい……そう言われているのですよ」
「そうだね……第二の人生が教育三昧というのも、私らしくて良いかもしれない。それに今まで粗略な扱いをして泣かせて来た恋女房殿に償いができる。そう考えれば悪い余生ではないな」
「ふふふ、そう仰って下さるのなら期待して待っていますわ。この船が落ち着ける先を見つけられたら、新婚旅行のやり直しでもしましょうか?」
笑顔でそう提案する愛妻を見つめるフレデリックも微笑みを返す。
「ははは。そう言えば、結婚式の翌朝に緊急出動を命じられてしまい、それっきりになっていたなぁ……いやはや、本当に悪い亭主だったねぇ、私は」
申し訳なさそうに頭を掻く夫の姿がおかしく、アルエットは心からの安寧を得た気がして喜びを噛み締めたのである。
しかし、心地良い雰囲気に浸っていた熟年夫婦の幸せな空間を蹴破るようにして校舎の玄関から飛び出してくる子供達がいた。
「もうっ! この馬鹿竜っ、何で呑気に昼寝なんかしてるのよ!?」
「わ、悪るかったよぉ! つい屋上の風が気持ち良くてさぁ……」
「そんな事を言ってるひまはないよぉ──っ! おくれちゃうよっ!」
けたたましく言葉を交わし合いながら駆けて来るのは白銀家の子供達だ。
校門に佇むイェーガー夫妻の姿を目にした三人は、慌てて緊急停止するや揃ってペコリと頭を下げた。
「「「先生! さようなら。また来週っ!」」」
クレアの躾が行き届いている子供達を見た夫婦は破顔する。
「あらあら、今からお父さんのお見送りかしら? でも、急がないとそろそろ出航の時間ではなくて?」
「急いだ方がいいな……そうだ! ユリア君、何時でも良いから我が家に来るといい。読みたがっていた本は私の書斎から好きに持ち出して良いからね」
「わあっ! ありがとうございます。是非お伺いさせて頂きます!」
ユリアは喜色に顔を綻ばせて頭を下げ謝意を示すが、やはり緊急事態に変わりはないようで、さくらとティグルに急かされて再度猛ダッシュを開始。
瞬く間に遠ざかっていく子供たちの背中を優しい視線で追うイェーガー夫妻は、互いに顔を見合わせて微笑み合うのだった。
◇◆◇◆◇
時計の針が正午を差し示すホンの少し前。
新しく採用された白銀軍の第一種軍装で身を固めた達也は、シルフィードの航海艦橋に姿を見せた。
デザインは基本的に銀河連邦軍の物と変わりないが、短ジャケットの襟が特徴的で色も真紅。
そして、女性は白いパンツかスカートを選択できるお洒落な代物だ。
「随分とのんびりしているわね。愛しい奥様達との別れが辛くて泣いているんじゃないかと心配していたのよ?」
エレオノーラが下卑た笑みを口元に浮かべて揶揄って来る。
彼女の隣にいる詩織からも、好奇と猜疑心が入り混じった不穏な視線を向けられ、周囲の自分に対する扱いの軽さに達也は内心で溜息を零すしかなかった。
因みに白銀軍では上級将校を含む士官の昇進は一時的に見送られており、ラインハルトは【少将】、エレオノーラも【中佐】と以前の儘だ。
それに対し、下士官は実績と経験を考慮し全員を特務少尉に昇進させた。
これは今後入隊して来る者達を指導するためにも必要な措置であり、士官学校の様な専属の教育機関を持っていない白銀軍の課題でもある。
また、志願加入した蓮と詩織は【准尉】として実務の中で経験を積み、ラルフとエレオノーラの裁可を得られれば、晴れて少尉に任官される手筈になっていた。
「そんな訳ないだろうが……俺が留守にする間の統合政府への対応と、航海予定を擦り合わせていただけさ」
敢えて寝坊した事は伏せておく。
どうせ『なぜ寝坊する事になったのかしら?』と益体もない事を突っ込まれるのがオチだから、素っ気なく告げるに止めたのだ。
「連中もしつこいわねぇ。政府御用達のアドバイザーになれって話がまだ燻ぶっているの? ハッキリ断ったとクレアから聞いたけれど?」
呆れる艦長殿の言葉を受けた詩織が、分かり易い程に憤慨して力説する。
「統合政府は大統領予備選挙の一件で民衆から突き上げられていますからねぇ……支持されている提督を取り込んで批判を躱そうという魂胆がミエミエなんだもの。民衆を馬鹿にするにも程がありますよ!」
怒りを露にする嘗ての教え子の言う通り、地球に帰還して以来、政府高官や省庁の上級官僚からは引っ切りなしに面会を申し込まれていた。
『そのような要職に就く気はない』と何度も断っているのだが、要請が止む気配は一向になく、万が一の事態を考慮した達也は、残される家族たちの身辺警備をラインハルトに頼むしかなかったのである。
「民衆からの支持を政治家が気にするのは当然だし、仕方がない面もあるのだろうが……俺は軍人であって政治家ではないからな。期待されるのは光栄だが、利用されるのは真っ平御免だ。巧くあしらう様にとラインハルトに頼んでおいたよ」
「ふん。お優しい事で……それで『航海予定の擦り合わせ』って何よ?」
「サクヤ様の件を後回しにはできないからな。視察に向う前にランズベルクに立ち寄って、皇王陛下と皇后陛下に御挨拶しなければならない……特にレイモンド陛下にはきちんと説明しておかねば……」
「あぁ! 陛下は殊更にサクヤ様を猫可愛がりしてたものね。ご愁傷様……」
子煩悩を通り越して偏愛の域にさえ達している現皇王陛下の溺愛ぶりを知っているエレオノーラが、同情するかの様に憐憫の視線を向けて来る。
思いっきり顔を顰めた達也は、煩わしげに手を振った。
「他人事だと思って不吉な言い回しをするな! あぁ、それと。ヒルデガルド殿下ともランズベルクで合流する手筈になっている。今回の調査には必要な人材だし、艦隊整備の件でも方向性を含めて打ち合わせておく必要があるからな」
「そう、分かったわ。さて、そろそろ定刻かしら。シルフィード発進シークエンスに移行いたします。よろしいかしら? 提督」
専用シートに腰を降ろした達也が頷くと、エレオノーラの声が艦橋に響き一気に緊張感が増す。
「各部最終チェック始め……グラビティ・キャンセラー始動。動力部チェック終了と同時にコンタクト……」
矢継ぎ早に告げられるお決まりの指示を耳にしながら、達也は強化シールド越しに見えるバラディースの威容に目をやった。
彼の視線の先には小高い丘の上に建つ学校があり、そこに通っている子供達の顔が自然と脳裏に浮かぶ。
クレアから『子供達は元気に登校しました』と聞かされた達也は、ユリアとティグルが上手くさくらを宥めてくれたのだと安堵するのと同時に、一ヶ月以上は離れ離れになる事に寂寥感を覚えずにはいられなかった。
(俺もレイモンド陛下を笑えないな……元気にしているんだぞ、ユリア、さくら、ティグル)
言葉にせずに子達の安寧を願ったのと同じくして、シルフィードが海上を疾走し始める。
「このまま加速を継続。離水上昇後大気圏脱出速度まで一気に増速する!」
エレオノーラが発した命令と同時に軍人の顔に戻った達也は、私情を心の奥へと押しやって意識を切り替えるのだった。
◇◆◇◆◇
同時刻都市部外周に位置する展望台に白銀家の子供達の姿があった。
十万人を収容できるバラディースであるが、現在の総人口は僅か四千人に過ぎず、彼方此方に人流の空白地帯が生まれ、この展望台にも今は三人の他に人影はなく閑散としている。
ドームの向こう側に拡がる真夏の海に碇泊していたシルフィードが、白い波飛沫を蹴立てて疾走を始めたのを見たユリアは、真剣な表情でさくらに問い掛けた。
「やめるのならこれが最後のチャンスだけれど……本当に後悔しない? きっと、お父さまからもお母さまからも厳しく叱られるけれど、それでも一緒について行きたい?」
可愛らしい唇をきゅっと噛んださくらは、真剣な眼差しで姉を見つめ返しながら大きく頷いて偽らざる気持ちを吐露した。
「行くっ! 叱られてもいいっ! もう、はなれているなんて、やだもんっ!! お父さんと一緒にいたいんだもんっ!!」
妹の頑固なまでの決意の言葉を聞いたユリアは微笑み、ティグルは破顔する。
そして三人は手を繋いで輪になると、額を寄せ合い身体を密着させた。
波飛沫を上げるシルフィードの船体が離水し飛翔していく。
周囲に轟音を響かせながら、蒼天の遥か彼方の宙空目指して上昇を開始した弩級戦艦が、名残を惜しむかの様に一度だけバラディース上空を旋回するや、そのまま速度を上げ艦首を天空へと向ける。
すぐに艦影は雲の波間に呑まれて掻き消えてしまったが、蒼海を見渡せる公園に子供達の姿は既になく、無人のその場所にはアスファルトに盛夏の陽射しが照りつけるのみだった。




